異常に暑かった今年の夏もそろそろ終わり、秋の気配も感じられるこの頃、漢詩では、月、菊、雁、霜、秋風、紅葉、などを材料とするものが多い。中秋の名月にちなんで、月を詠んだいくつかを紹介したい。阿倍仲麻呂は奈良時代の遣唐留学生、養老一年(西暦717年)吉備真備らとともに唐に渡り、玄宗皇帝に仕えた。天平勝宝五年(753年)帰国を許され鑑真和上とともに1月15日明州から帰国の途に就いた。この日はちょうど満月で「天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山に出でし月かも」の歌を詠んだと言われる。これを英国人アーサー・ウエイリー(大英博物館に勤め語学の天才とも言われ「源氏物語」英訳でも知られる)が訳したものをまず紹介する。
Across the field of heaven
Casting my gaze I wonder
Whether over the hills of Mikasa also,
That is by Kasuga,
The moon has risen.
盛唐の代表的な山水詩人「王維」に「竹里館」という五言絶句がある。
獨坐幽篁裏 独り幽篁の裏に座し
弾琴復長嘯 弾琴 復た 長嘯
深林人不知 深林 人知らず
名月来相照 名月 来りて相照らす
夏目漱石は「草枕」に東洋詩人の代表的な境地としてこの詩をあげ「汽車、権利、義務、道徳、礼儀で疲れ果てたのち、凡てを忘却してぐっすりねこむような功徳である。」と言った。此のような境地に憧れるのが良いのか、もっと違う道があるのか、考えさせられるようにも思われるのだが。先に紹介した李白にもいくつもの月を読んだ詩がある。
峨眉山月帆輪秋 峨眉山月 半輪の秋
影入平羌江水流 影は平羌 江水に入って流る
夜発清渓向三峡 夜 清渓を発して 三峡に向かう
思君不見下渝州 君を思えども見えず 渝州に下る
此詩を作ったのは李白二十代の半ば。以降長い遍歴の旅が続く。
長安一片月 長安 一片の月
万戸擣衣声 万戸 衣を擣(う)つの声
秋風吹不尽 秋風 吹いて尽きず
総是玉関情 総べて是れ 玉関の情
何日平胡虜 何れの日か 胡虜を平らげて
良人罷遠征 良人 遠征を罷めん
もう一つ、静思夜という詩を挙げておこう
牀前看月光 牀前 月光を看る
疑是池上霜 疑うらくは 是れ地上の霜かと
挙頭望山月 頭を挙げて山月を望み
低頭思故郷 頭を低(た)れて故郷を思う
漢詩の最盛期,詩仙と呼ばれた杜甫にも「月夜」と題する詩がある。
今夜鄜州月 今夜 鄜州の月
閨中只独看 閨中 只独り看ん
遥憐小児女 遥かに憐れむ 小児女の
未解憶長安 未だ長安を憶うを解せざるを
香霧雲鬟湿 香霧 雲鬟(うんかん)湿(うるお)い
清輝玉臂寒 清輝(せいき)玉臂(ぎょくひ)寒からん
何時倚虚幌 何れの時か虚幌(きょこう)に倚(よ)り
双照涙痕乾 双び照らされて涙痕(るいこん)乾かん
さて 平安時代の日本文学に最も大きな影響を与えた詩人白居易(楽天)に「八月十五日夜禁中獨直対月憶元九」がある。
銀臺金闕夕沈沈 銀台 金闕 夕べに沈沈たり
獨宿相思在翰林 独り宿して相い思いて翰林に在り
三五夜中新月色 三五夜中 新月の色
二千里外故人心 二千里外 故人の心
渚宮東面煙波冷 渚宮の東面 煙波冷ややかに
浴殿西頭鐘漏深 浴殿の西頭 鐘漏(しょうろう)深し
猶恐清光不同見 猶(た)だ恐る 清光の同(とも)に見ざるを
江陵卑湿足秋陰 江陵は卑湿にして秋陰足らん
アンダーライン部分(三五夜中新月色 二千里外故人心)は平安朝の文人の心を捉えたようで、紫式部の「源氏物語」にも引用されている。須磨の巻の中で
月いと花やかにさし出でたるに、今夜は十五夜なりけり、と(源氏の君の)おぼし出でて、殿上の御遊び恋しう、所々ながめ給ふらむかし、思いやり給うにつけても、月の顔のみ、まぼられ給う。二千里の外の故人の心」と誦(ずん)じ給える。例の、涙も止められず
なお この句は、藤原公任(きんとう)撰の「和漢朗詠集」にも採られさらに広く知られるようになった。まだまだ数多くの名吟があるが、次の機会に譲る。