エーガ愛好会  (148)  大河への道

久しぶりに ”エーガ館” で見た。どういうわけかわからないが、自分ではこの次のNHK大河ドラマが伊能忠敬のものだと信じ込んでいて、なんでこんなエーガが出来るのか不思議に思っていた。 年寄りの思い込みとはこういうことなんだろうな。

さて作品の原案が現役の落語家によってつくられた、ということで納得したのだが、非常にエスプリというのか、しゃれた仕上がりだと納得した。しかるにどーしてもこれが見たい!と主張した我がパートナーは全く盛り上がらず。こういう事を云うと叱られるだろうが、どうも女性は史実とか歴史というものがそれ自体がもつロマンを介さないようだ。

作品はミステリ仕立てに近いのだが、この話のからくりは伊能が死んだとされる日と、その生涯の結実であるはずの日本全国地図が完成したと記録されている日のあいだに2年のずれがある、という事だ。作品の筋としては、脚本を依頼された著名な脚本家が、こんなわけのわからない史実がある以上、ドラマにはできない、と頑迷に主張し、結果、この2年の間に何があったのか、を解明することになる。冒頭に現れる伊能(という事があとでわかる)の死の場面の意味が、瞬時に切り替わる現代での出来事に置き換わっていく、そのテンポがいい。また現代での出来事の主人公二人(中井と松山)が仮想の場面での主役になるという振り付けも作者(志の輔)のテレビでの印象を思い出し、にやりとしてしまった。しかし測量隊の現場の再現はどこまで史実の検証がされていたのかは知らないが、わらじ掛けでの歩測などは(そうだっただんだろうなあ)と思わせて現実味があった。

この地図を当時の我が国の技術レベルを考え、また映画で再現される測量の現場などを見ると、その苦労のほどがどれほどのものであったのか、想像を絶するも

のだと思う。またこの時代に三角関数というものが知られていたし、伊能がこの事業に取り組むきっかけが子午線についての実証実験だった、という事もオドロキだった。

測量隊が履いていたわらじを再現