ウイチのこと   (47 熊倉晴男)

ウイチが私の現役時代の初リーダープラン(妙高―火打―焼山―雨飾山縦走)に参加してくれた縁からか 卒業後も、私たちがフランスから帰国してからも、一緒に山にいく機会が一番多かったと思います。

彼と一緒した山行が気になってわかる範囲で記録を見ましたが、残雪の涸沢や
春の会津駒ケ岳(山スキーの我々は桧枝岐から。スキーがからっきし駄目だったウイチが三岩岳からの縦走で山頂でばったり)、沢山の沢登り(焚火が好きだった。)など随分一緒に行ったんだなあと改めて思い出しました。

最後の彼との山行は 2004年10月尾瀬至仏山に奥利根側の狩小屋沢から遡行したものでした。その1か月前の9月には山荘祭接続で 苗場山の棒沢に行ったのですが、今思えば既に病の影響だったでしょう(拡大性心筋症)神楽峰からの下山時にほとんどふらふらになってしまい、同行した竹内君と肩を貸すようにして和田小屋に夜中の21時ごろ降りてきたことがありました。狩小屋沢は無理だから止めておけと言ったのですが、どうしてもリベンジだと言って聞かなかったのを覚えています。この山行は何事もなく無事下山したのですが、これが彼と一緒の最後の山行になってしまいました。

私の記憶が曖昧なので、実は先ほどフルマキに電話して確認しましたが、ウイチが亡くなったのは2008年8月11日(フルマキも言っていたのですが、どういう奇遇かこの日は後に“山の日”になったのですね。)

もうすでに10年の月日が経ってしまったのですね。“ウイチとのこと”というと、 この2004年までの楽しかった山行とともに、その後の4年間(病の発症、家族との別れ、山仲間との繋がりを自ら断っていた4年間)のことがどうしても忘れられないのです。

山荘や上越の山の帰り、車で環八の大原の交差点辺りを通るたびに、ここらへんにウイチが一人でいるはずだと何度も逡巡したのを思い出します。
4,5年前に フルマキから聞いた高知の彼の墓参りも行ってきたのですが、昔の記録や写真を見て、またまた彼のことを懐かしく思い出しています。

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