歯、目、ともう1つの機能が劣化し 腰痛をかかえています。幸い大病もせず、
ここまでこられたことに 感謝です。「やりたいことを、できるうちに」を 信条として もう少しやることに。
スキーは、志賀合宿の焼額の上からの連続滑降は難しくなり、
での、ワインにラザニエも 断念しました。それでももう少しできないかと、2月にこっそり上越国際に。リフトを降りるときにストックが絡み、
雪への憧れは未だ強く、
タテの歩行からヨコの歩行にシフトしました。お薦めは
・2月の上高地 釜トンネルから河童橋を往復 穂高は遙か。
・4月の終わり 、尾瀬ヶ原の雪原横断 木道は雪ノ下 至仏は雄大。
・1月の千畳敷、 ロープウェイで上がり、上で1泊 南ア連山を一望。
稲包新道開発は、ふみあとのチビさんの「奮闘記」を再読し 記憶を新たに。
2000年の5月、6月、7月、9月の新道つくりに 参加しています。
チビさんの 「この2日間が一番きつかった」 という7月が、やはり強烈でした。三坂沢を渡って尾根に取りつく急勾配では、
何でこんな作業をすることに~同期のトンベの「行くぞ、やるぞ」
ナンカナイ会とのつながりは、
5年上の皆さんには 在学中に薫陶・恩義を受けていませんが・・・
ヒマラヤの記録誌での新弥さんの私のプロフィールでは 「使い減りしないし、後輩だからタダで一生使い続けられるということは 最高である」 と書かれ、以後 軍門に下りました。 あれからかれこれ30年。 だいぶ消耗しております。
「ナンカナイ会その”ふみあと”」は我が本棚に鎮座しています。よくこんなものをと驚き賞賛しつつ、後に残す言葉<遺言>と 受けとめさせていただきます。
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