あいつどうしてる? 新道開発団後日談 5(44 浅野治史)

今、「ふるさと八千代」で妻と二人、きたる千秋楽までを「楽しく、おだやかに!!」をモットーに過ごしております。

オスカーパークゴルフ公園でのツーショットです

楽しいKWVの先輩、後輩の想い出に浸るプランへの参加も体力的に不可能となる日もいずれ来ます。地元の所属サークル①コーラス 2組(年4回の演奏会) ②歌声 3組(年2回の演奏会) ③カラオケ 2組 ③フオークダンス 1組 ④習字 1組(年2回の展示会)の運営をお手伝いしています。又、昨年に八千代三田会に入会させて頂きました。

さて、KWVの思い出は今となっては楽しい思い出ばかりなので一つ一つ書いたら一冊の本になってしまいそうです。ご存知の方もおられますが、山を歩きながら「歌い続ける男、ハルチカ」の山の歌は全てKWVで教わり、みんなで歌った歌です。慶應義塾の歌は幼稚舎から大学までで覚えた歌です。歌って歩いていると、学生のその時代にタイムスリップ致します。

東京生まれ東京育ちの私は、昭和44年に塾・KWVを卒業して平成3年まで、会社の地方回りでKWVに失礼致しておりました。そんな私を稲包山新道・開発隊に同期のドンタが誘ってくれて平成10年頃貫通まで、海の日を含む数日間、雨の中、風の中、真夏の太陽の真下でもくもくと草刈を頑張りました。ただ黙々と!!。テント生活を学生以来経験しました。とにかく勢いのある仲間と同じ目的で汗を流すのは楽しいことでした。(「楽しい!!」と言ってお叱りを受けたこともありました) 夕立の豪雨で増水した河を命がけで渡渉して帰山荘したこと。私が崖から落下した時、先輩に受け止めて頂いたこと。いずれにしろ厳しくも優しい先輩・同輩・後輩にKWVのОBとして認知して頂けたのはこのプランでした。

このような厳しい開拓プランで汗だくになった山荘で、皆さんのお許しを得て俳句会を4~5回開かせて頂きました。僭越ですが、私が宗匠を務めさせて頂きました。575、季語必入、季重ね禁止の三つを原則ルールで作品を1人2句以上書いて頂き、皆さんの公表の多い順に、20句程度選出し、僭越ながら私の感想を述べさせて頂きました。川柳、字余り、字足らず、季重ね等々、原則破りの句がポンポン飛び出す楽しい会でした。「季重ね」を指摘させて頂き、「俺の美感センスの歌だ。文句あるか!!。」とお叱りを受けたこともありました。目に青葉、山ホトトギス、初ガツオ⇒山口素堂の3つの気重ね名句もありますしね。

又、言うまでもなく、隙を見つけると山の歌を歌い続けました。いずれにせよ、下記の私のKWV・OB時代への参加は稲包山新道からスタート致しました。

1. 三田会   ①春秋の日帰りプラン②山荘祭④三国山荘の雪下ろし⑤慶應義塾150周年・大分~三田リレーワンデリング⑥ KWV80周年・京都ワンデリング&パーティー 等々

2. 44閑人会 ①三田会の連絡要員②夏合宿③「三国山荘44の木」の植樹(故人橋口氏) ④忘年会他イベント⑤お花見⑥山菜採り(三国山荘ベース) 等々

以上を素晴らしい先輩、後輩の皆さんと楽しんでおり、楽しみました。これからも皆さん!!。ピンピンコロリまでご一緒に楽しく明るく遊んで下さい。よろしくお願い致します。