あいつどうしてる? 新道開発団後日談 3 (53 鈴木邦夫)

この10年間多い時で年間13回、すくなくとも毎年6回は三國山荘に行っていましたが、今年は卒業40周年の同期会での入荘と山荘祭への参加は予定しているものの今のところ冬篭りだけの入荘でご無沙汰しています。

早苗夫人と孫の智己君3歳

雪国まいたけでの楽しい経験が忘れられず縁あって名古屋にある青果物仲卸会社丸進青果で働いています。流通の自由化の波の中、SWロボットを活用した労働集約型業務の軽減、農業含めた第6次産業化を企画担当して楽しく過ごしております。今もたまに自社農場での土手を刈払い機で草刈りしています。土曜日やゴールデンウイークなどは仕事で休めないため、小屋に行く機会がめっきり減りました。湯沢に持っていたリゾートマンションも今年の1月に売却しました。

2007年同期の林岳志君に誘われ三国トンネルから稲包山へつながる山道の草刈りに参加し、それ以来新道隊による新道整備を年に2、3回、2013年?に止めるまで休む事なく参加していました。湯之沢林道から三宿を経由して稲包山までと三国トンネルからキワノ平の頭を経由して稲包山まで、時には鉄塔から長倉山を経て三國権現様までのルートで草刈りをしました。

その時期の参加者は、チビさんをリーダーに、翠さん、深谷さん、とんべさん、どんたさん、ハルチカさん、ペタさんとペタ子、関谷さん、スズキが主力メンバーでした。チビさん、時には新弥さんの御指導の下、保護メガネと呼子、軍手は必需品、背中に混合油のポリタンクを背負い、刈払い機を携て、とんべさんが仕切り、50m幅くらいで担当を決める、どんたさんとスズキは先頭で刈払い機を振り回す役割、根曲がり竹と格闘しました。その後を翠さんがきれいに刈り、匠の技で深谷さんが仕上げる、ペタさんとペタ子はホウキ履き、そしてハルチカさんは全工程途切れる事なく美声で唄い続ける、前日遅くまで飲んでいた関谷さんはで出しは転がりながらもバリバリに働く、昨日のように思い出します。キワノ平の手前で刈払い機が壊れ翠さんが小舎まで代替え品を取りに行った時は70歳過ぎてなんて体力があるのだろうとビックリしました。長倉山ではハルチカさんの歌声が途切れたと思ったら尾根から落ちていたり、空雷が発生した時は新弥さんの適切な判断でコベックラ沢から下りたこともありました。6月の新道隊ではアジサイ隊との共同合宿で吉牟田シェフの山椒の実をふんだんに使ったディナー、シメはチビさんの食べたことがないような高級牛肉のスキヤキ、浅貝という土地で、諸先輩達が長年かけて熟成してきた地元とのつながりと新道の整備、それらに諸先輩達と共にかかわり過ごした時間は私の人生では大学生活に負けないでくらいの素晴らしいもので、私が地元の雪国まいたけに就職を決めた一因にもなりました。当時揃っていた環境が変わり、時代の流れには逆らえないため、新道整備を復活することは困難ですが、情熱を持って必死になって新道整備を成し遂げてきたチビさんを筆頭とした諸先輩に尊敬の念を抱くとともに感謝します。有難うございました。新道隊に加わることができた事を誇りに思っています。

メールアドレス kunio.suzuki6355@gmail.com