”とりこにい” 抄 (13) 中山峠

夫婦ふたりで気ままに歩ける時期が終わり、同期の仲間たちとの都合の調整も難しくなってくると、アラインゲーエン、などというのはおこがましいが、一人で出かけることが増えた。地理的なこともあったが、たしか加藤泰三の ”霧の山稜” の一節に(ケベック地方を思わせる)と書いてあったのが心に触れて、それ以来、行くことが何回かあった、北八ツの周辺がほとんどだった。一度は知ったつもりで樹林帯に入り込んで道を失ってあわてたこともあったが、1年下の村井純一郎にすすめられて、高見石小屋にも数回投宿した。創業者が宿泊客と素直に語り合いながらストーブを燃やしてくれる、そういういい小屋だった。今は完全にコマーシャリズムに徹した、並の小屋になりさがってしまったようだ。

あの  “ 高見石”  はもう、ない。 

そのころ、サラリーマン生活にも倦怠感を覚え始めたころの晩秋の1日。

 

                            中山峠

無為 -

こそは尊きもの ー と信じていたあの頃

シラビソはおれのために初夏の歌を歌ったものだったが

無為とはなにか?

と 愚かにも問いを発してこのかた

彼女たちは秋にしか歌わなくなった

OCTOBER も暮れ方になれば

高い蒼さのなかで

彼女たちも からだ寄せあい

凍りつく冬の日を語り合うだろうが

いまはささやきかわす言葉も聞こえない

旅人は黙って西の峠を目指す

ふたたび

無為、とはなにかー

とつぶやきながら