気がついたら20年!

滅多にないことなのだが、夜半、目が覚めた。

ミステリ小説にはときどき、something that keeps you awake at midnight などと言う表現が出てくる。主人公(つまり、多くの場合、いいやつ)はここで何か、解決のヒントを得たりするんだが、寝る直前、風邪対策に飲んだ高清水が多すぎたかな、などと思っているうちに、ふと気がついた。退職して丁度20年が経過した、という事実である。20年。十年一昔が2回。これは事件ではないか。

1999年10月31日、が僕のサラリーマン生活終了の日である。あと3年、勤務を続けることは可能だったが、そんな気は全くなくなっていた。親会社ヒューレット・パッカードの5代目新社長フィオリナが初めての海外視察で日本に来る、というので滞在中のアテンドをと請われてほぼ1月、出社はしていた。その来日が実に退職の翌日だった、ということが僕にとってはとても暗示的である。

HPと横河電機との合弁会社に勤務してから、創立者ヒューレットとパッカードの経営哲学と、直接話をしたのは数回に過ぎなかったがその人間味とがそのまま僕の会社人としての基盤になっていた。その経営手法は HP Way と呼ばれてその存在と堅実な業績がHP社を常に America’s Best Companies という優秀会社リストのベスト10入りを約束していた。しかし皮肉なもので、HP社の拡大そのものが足かせになり、HPWayはグローバリゼーションなる魔物の前に形骸化して行く。経営数字だけが我が物顔に徘徊する俗称エクセルマネジメントという現実の前には実践は困難となり、言ってみれば歴史教科書の初めに登場する聖徳太子の詔のようなものに棚上げされていった。

歴史の前に一個人の存在は無力であり、現実は受け入れなければならないのだが、こういう自分が信じていたものの崩壊にあたってみて、気障にいえば、滅びの美学みたいのものが心の中にわだかまるようになった。愛読していた司馬遼太郎の創造した土方歳三の生き方が自分の道だ、と思えて来た。仕事を辞める、信じたものに殉じる、という決心に導いたのが、この5代目社長の登場だった。多くを語るつもりはないが、彼女が目指していた数字と効率と配当の大きさだけが支配する世界、そのなかで毎日を消化する、という選択肢は僕にはなかったのだ。

しかし美学なんぞと言ってみても退職後の現実は避けられない。年金生活でもなんとかなる、という見通しがなければ贅沢は言えなかったはずだが、幸い、当面の心配はなかった。とすれば、あとは残された時間をどう過ごすか、という課題だけであった。やめて2,3年の間は外資系企業といういわば日本経済の鬼っ子的存在で得た経験を何とか世に伝えたい、という欲望があった。その一つとして同じ境遇にいた後藤三郎と二人で本を書いた。それとは別に、僕が見つけた、アメリカ社会の現実をつぶさに書いたある本の翻訳を出そうとひそかに計画し、中学時代の親友で慶応高校の新聞 ハイスクールニュース の仲間、当時は出版界でベテラン編集者として名を挙げていた藤本恭に仲介を頼んだ。どうやら何とかなりそうになった時、何と藤本が病を得て急逝してしまいこの話はなくなった。天の配剤、というのはこういうこと言うのだろうか。なぜなら、この挫折が結果的にはその後の僕の生き方を決定したからである。

変な野心や夜郎自大の驕りを捨て、のんびり過ごすさ、という帰結であり、それはよきKWVの仲間との時間を生きる、ということだった。世の中の多くの場合、旧交を温めるということはただ単に good old days への回顧だけに終わるのだろうが、僕らが恵まれているのは、同期や先輩のみならず、現役時代には知り合うこともできなかった後輩たちとの交流、すなわち現OB会を通じて常に何か新しい知識や刺激を得ることができることだ。最近の新しい仲間はすでに孫世代、それより若い世代になる。彼らにとってはうるさい、時代遅れの老人とのつきあいとしか思えないだろうが、いずれ、彼らも同じ境遇になるということで勘弁してもらって、ここではただ、日々、新たに生まれる友情に感謝をするだけだ。改めてこの組織を作られた妹尾さんの決断とそれを支えられた森田さんをはじめとする創業時の方々に深甚なる敬意と感謝をささげたいと思う。

・・・・などと思っているうちにも一度寝込んでしまった。目が覚めたら7時、なんだかいつもよりさわやかな朝だった。