土方歳三記念館へ行ってきました   (34 小泉幾多郎)

土方歳三墓所

4月30日天気も良く、家内に誘われ土方歳三記念館に出掛けました。小生の方は新選組や土方歳三にはあまり興味はありませんが、家内の方は、新選組特に土方歳三の生き方に共鳴している様子。まあイケメンという所が多いに影響していると思いますが。gisanからも土方歳三については、ご高説やら扮する俳優の優劣等を聞いてましたので出掛けた次第。新選組のふるさと日野市には、日野駅の近くに、日野市立新選組のふるさと歴史館 はじめ他にも数か所の資料館が点在しているのだが、目的の土方歳三記念館だけは生家だったそうで日野駅からは離れた多摩モノレール線万願寺駅の傍でした。通常は第1第3日曜日のみ開館とのことだが、4月は29日まで閉館、ゴールデンウイークは4月30日から5月5日まで毎日開館、しかも後で判ったのだが、10月以降一時閉鎖する予定とのこと。これだけが理由ではないのだろうが、驚いたことに、12時近くに着いたら、長蛇の列が繫がっている。それも若い男女が殆んど。なかなか動かない。1時間半は待ったのではないか。若い人は待つのには慣れっこなのだろうが、こちとらは慣れていない。早く見切りを付ければよかったのだが、もう少しもう少しと言っている間に時間が経ってしまった。若者の熱心さには呆れるほど、入館しても、じっくりと眺めているのだ。TV、,書籍、漫画  等から新選組、土方歳三ファンが増えている

石田寺入口

様子が実感された。近くに歳三のお墓のある石田寺があるというので、ついでに立ち寄った。骨は何処に埋められたのか不明とのことだが、地元だけに、あちこちに土方家のお墓があるが、歳三の墓は看板があったので、直ぐ判った。墓標には、歳進院殿誠山義豊大居士とあった。そのあと多摩モノレールに一駅乗り、甲州街道駅から歩き、日野駅近辺の資料館を何軒か寄ろうと思ったが、歳三記念館で時間をとられた影響から、佐藤彦五郎新選組資料館のみ。歳三は彦五郎の義弟(彦五郎は剣の達人で妻が歳三の姉)で、道場には新選組隊員が常に出入りしていたとのこと。子孫の佐藤福子さんが、歳三愛刀の説明していた。ここで閉館時間の16時となり切り上げて帰宅。疲れたー。

土方歳三資料館入口、右は歳三手植えの矢竹。

(保屋野)私とミッキーさんが住む日野にようこそ。万願寺の記念館に行かれたのですね。
ちなみに、私は、もう52年も住んでいますが、恥ずかしながら、記念館には行ったことがありません。ただ、写真に写っていた「石田寺」は浅川ウオーキングに行くとき、時々通ります。そのすぐ脇に「都立日野高校」がありますが、同級生だったという、忌野清志郎と三浦友和の出身校で有名です。

(小田)奥様と御一緒に日野で歳三巡りを楽しんで頂いたようで、嬉しく思います。恥ずかしながら、私も、全て歩いていける所に暮らしているというのに、きちんと見たのは、ふるさと歴史館くらい。佐藤彦五郎の資料館はお雛様の展示会場になっている時訪れ、他は閉まっていることが多く前を通るだけです。調べて行ってみたいと思います。おふたり共、御熱心で、健脚ぶりに驚いております。

(安田)土方歳三がもっとホットだったひと昔、石田寺のお墓に行ってビックリ仰天!何が!ラブレター、花束、千羽鶴、果物、菓子類で墓石の周りが埋め尽くされていました。同じ経験をしたのは、京都東山の坂本龍馬の墓です。モテ男#1と#2の歴史上の人物であるのは間違いありません。

(小泉) 保屋野さん小田さんが日野在住とは失念しており失礼いたしました。偶々日野駅に降りたのも多摩モノレールに乗車したのも初めてでした。新選組のふるさとと言われているだけに、風光明媚というか古き伝統が未だに保たれているような感じがいたしました。歳三資料館で思いもかけずに時間をとられてしまい、ゆっくりと歩く時間が無くなってしまいました。浅川も都立日野高校も眺める暇もなく、資料館も入館したのは2つだけ。しかし佐藤彦五郎資料館付近は町並みも美しく、ちょっと覗いただけですが、大昌寺の庭園や確か有山家と書いてあったと思いますが、昔の土蔵意匠ながら洋風建築の建屋とか、また道に沿っては日野用水が流れるという具合で、またゆっくりと来てみたいと思った次第です。安田さんの言われる通り、流石モテ男の一人土方歳三、若者が集まる理由も判りました。

(編集子)司馬遼太郎 燃えよ剣 を読まずして土方を語るなかれ。語る資格なし。フィルムならなんといっても 新撰組血風録 の栗塚旭。フィルム化に先立って司馬は栗塚に会い、自分が書きたかった土方そのものだと激賞した由。最近作の燃えよ剣の岡田も、新選組! の山本耕史も及ばない。