この映画こそインディアンを野蛮人としてではなく、心の痛みを感じるハートを持った人間として描いた最初の映画として評価される。監督はデルマー・デイヴィスで、この後「去り行く男1955」「襲われた幌馬車1956」「決断も3時30分1957」「カウボーイ1958」「縛り首の木1959」とたて続けに西部劇の名作を作っている。
この作品でアカデミー賞に酋長コチーズに扮したジェフ・チャンドラーが助演男優賞、カラー撮影賞にアーネスト・パーマー、脚色賞にマイケル・フランクフィーがノミネートされたが、残念ながら受賞には至らなかった。この作品が作られた1950年と言えば、赤狩りの真最中で、よくぞインディアンに同情的で斬新な画期的な作品が作られたものと思ったら、この脚色を書いたのが、マイケル・フランクフィートではなく、その友人で、赤狩りで追われたリベラル派のアルバート・モルツが名前を借りて影で書いたそうな。
物語りは1870年、アリゾナは白人とアパッチ族との間に流血の惨事が絶えなかった。金鉱を探しに来たトム・ジェフォーズ(ジェームス・スチュアート)は傷ついたアパッチ少年を助けたことから、アパッチもまた公正を重んずることを知り、単身アパッチの本拠に乗り込み酋長コチーズを訪ね和睦を申し込んだ。最初は郵便関係から、白人にとっての郵便は、アパッチにとっては狼煙で、どちらも心を伝えることが共通ということから始まり、グラント大統領から派遣されたハワード将軍(ベイジル・ルイスデール)を入れての和平に漕ぎつけた。ジェフォーズは部落滞在中、アパッチの少女ソンシーアレイ(デブラ・パジェット)を愛するようになり結婚する。その間インディアン側はジェロニモ等が蜂起したり、白人側はインディアンを嫌うベン・スレイド(ウイル・ギア)等が、コチーズ、ジェファーズ、ソンシーアレイが談笑しているところを襲い、ジェファーズは傷つき,ソンシーアレイは死んでしまう。逆上したジェファーズは捕虜にした白人に飛びかかろうとするが、コチーズの一言「私は仲間の死を耐える。妻の死を耐えろ。」で思いとどまった。最後の言葉も印象的「私はコチーズだ。民と子供らを裏切らない。二度と戦いは起こさせない。お前にも。」
アカデミー賞にノミネートされただけにカラー撮影は山岳地帯を中心に、美しいし、音楽もその景観にマッチして、インディアン調のエキゾティックなメロディが心地よく響く。 主演のジェームス・スチュアートは本来善意の塊のような純
粋無垢の男を演じてきているが、この頃から一転して、西部劇の強いヒーローを演じている。これはタフガイというよりも、強くなければならないと思って懸命に努める普通の男であり、そこが実に魅力的なのであった、と喝破したのは、先日91歳で亡くなられた映画評論家佐藤忠男氏の言葉。ジェフ・チャンドラーは酋長を好演したが、ラジオ俳優出身からか素晴らしい声の持ち主で期待されていたが50歳になる前に若死にしてしまい残念。デブラ・パジェットも可憐なインディアン娘で、どちらかというとエキゾティックな役柄が似合ったように思った。
(編集子)“折れた矢” Broken Arrow にはほかの意味がある。ウイキペディアから転載する。
ブロークンアローは核兵器の紛失、盗難、または不慮の爆発や投下、発射、それらに関連する事故や事件を表す言葉だ。核兵器にそんな事が絶対にあってはいけないし、そんな事件聞いたことが無いと思うかもしれない、しかし、戦後の米ソの冷戦と核開発競争、イギリスやフランス、中国、インド、パキスタンと各国が核兵器の開発、配備を進めた1950~1990年代には「ブロークンアロー」という言葉がしばしば飛び交っていたのだ。冷戦期には米ソ連共に自国の艦船、潜水艦、爆撃機に24時間核兵器を搭載し、いつでも攻撃できる臨戦態勢を敷いていた。多くの核兵器が配備され世界中に散らばる中で事故や過失は決して少なく無く、1950年代以降に少なくとも32件の「ブロークンアロー」が起きている。
この意味での“折れた矢”がテーマになったのが1966年の Broken Arrow, 日本題名 ”ブロークンアロー” として公開された映画である。ジョン・トラボルタが悪役、なかなかスリルのある作品だった。トラボルタは憎らしい笑いを常に浮かべていて、本稿でも紹介した、ウインチェスタ銃73 のダン・デュリエを彷彿させる好演だった。
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