山のあなたの空遠く

(この夏、現地で写真を撮るつもりをしていたが天候体調ともに不良だったので次回に挿入することにした)

小淵沢にある山荘の2階から甲斐駒が正面に見える。1ブロックあるいた角から編笠も見えたのだが、間にある樹が生い茂って見えなくなってしまった。出来た当初には2階から自分で降りてこられなかった孫娘が大学へ行くだけの時間が経過したことを改めて感じる。車で5分ほど降りると素晴らしい展望の開ける場所があって、鋸、甲斐駒、鳳凰、北岳,御坂から富士山、振り向けば南八つ北部の主峰群まで見通すことができる。自分で歩いたことのある山山を前にして、いろいろな思い出だの、友達のことなどがよみがえってくるのは誰でも同じだろう。

だが、正面に見える茅が岳火山群から目を転じて金峰の方を見たときだけ、一種違った情念がわく。決まって、”山のあなたの空遠く” という有名な詩が思い出されるのだ。金峰の山頂はたしか3回踏んでいるはずだが、ここに限って,ワンデルングの思い出などは置き去りにしてこの文句が浮かんでくるのは自分でも不思議で仕方がない。目の前の鳳凰や茅があまりに近いのに、金峰ははるかに遠く、そこにつながっていく大きな傾斜がいつでも一種薄紫のような色合いで見えるからかもしれないが、目の前の山々が(現実には無理になっているとはいえ)なお、”登る”という行為につながるのに、金峰へつながる地形は ”旅をする” というある種のロマンとでもいうか、そういう感情を引き起こすようだ。

”山のあなたに” というあまりにも有名な詩をどこでいつ覚えたのか記憶にないし、情けないことに作者の名前も明確には知らなかった。旧制高校に在学した兄たちの年代の人はある種の常識というか教養としてドイツロマン派や英国詩人の事などに詳しかったから、僕と大違いの堅物だった兄の影響だったのだろう。3年の時、”ふみあと”の八甲田合宿特集号の巻頭文に詩とも何ともつかないものを書かせてもらった。その後、たしか三国山荘でだったと思うが、皆から敬愛されていたダンちゃんこと山戸先輩がこれをみて ”なんだかカール・ブッセみたいな事を書くやつがいるな” と言われた。その時には ”俺が書きました” とはとても言えず、笑ってごまかしたのだが、このドイツ詩人の名前だけは憶えていた。山戸さんは考えてみたら兄とたぶん同じように旧制高校時代の教養をお持ちだったのだと懐かしく思い出される。

金峰を見て何度かこの詩を思い出し、グーグルで調べてみて、初めて作者がブッセだったことを知り、またこの訳詩が高校の国語の時間に出て来た〝海潮音”上田敏のものと初めて知った。悪のりついでに原文を調べてみて、それがわずか37語の短いものだったのに驚いた。3年ほど前、認知症予防には語学が第一、とホームドクタにいわれたこともあってドイツ語の勉強を始めた僕でも、この原文の中に知らない単語はふたつしかなかった。ドイツ語が幅を利かせていたという旧制高校の学生には覚えやすかったに違いない。

この二つの単語の中の verweinten 、辞書で引くと ”泣きはらした” となっている。直訳すれば ”泣きはらした目とともに帰って来た”、それが上田訳で ”涙さしぐみかえりきぬ” となる。四行目の ”なお遠く” を僕は 出だしの行と同じだとばかり思っていた。原文を見ると1行めの 〝遠く” が ”weit”  という形容詞1個なのに、この行は2個、つまり ”weit, weit”  と繰り返されていて、これが ”山のあなたの” ”山のあなたになお” との違いである。これが詩人というものか、と改めて感服する。

金峰を眺めたときに沸く情感とこれがどうむすびつくのか、説明すべくもないが、まだこの詩をご存知ない、と方のために上田訳を書いておく。読まれたら、この文体から、僕の ”対金峰心理”の分析をお聞かせいただければありがたい。

 

山のあなたの 空遠く    ”幸い” 住むと 人のいう

噫(ああ)われひとと 尋(と)めゆきて 涙さしぐみ 帰りきぬ

山のあなたに なお遠く   ”幸い” 住むと 人のいう

Uber den Bergen,
weit zu wandern, sagen die Leute,
wohnt das Gluck.
Ach, und ich ging,
im Schwarme der andern,
kam mit verweinten Augen zuruck.
Uber den Bergen,
weit, weit daruben, sagen die Leute
wohnt das Gluck.