昨日が8日だったからそうではないかと思っていたが、1日遅れて今日のBS劇場は トラトラトラ である。何回か見ているので目新しくはないのだが、新聞に出ている番組紹介が主演を マーチン・バルサム と書いているのにちょっと驚いた。バルサムが演じたのは当時真珠湾軍港の海軍指揮官だったハズバンド・キンメル大将で、陸軍指揮官だったウオルター・ショート中将(ジエイソン・ロバーツ)とともに戦後真珠湾の防衛の責任を追及されることになる人物なので、筋書き上、重要であることはわかるが、山本五十六の山村総ほかもっと重要な役を演じた名優が沢山いるのに、という意味である。しかし念のため例によってグーグルをあさってみて了解した。グーグルの紹介記事の一番上にバルサムが載っていたからである。欧州戦線の最大の山場ノルマンディ上陸を扱った 史上最大の作戦(原題の The Longest Day のほうがはるかにいい、翻訳タイトルの失敗作だとおもうのだが)でも大物俳優が多すぎて、彼らのメンツを推し量ってクレジットタイトルはアルファベット順にしてあったが、おそらくこの作品も同じことだったのかもしれない。
さてこの映画と同時に、昨日、今日と80年たった今、というタイミングでいくつかの秘話が掲載されている(読売新聞)。そのことを書きたい。
一つは当日、空母から発進した航空機群とは別に、ひそかに湾内に潜入した特殊潜航艇5隻のことである。この5隻の戦果がどれほどあったのか、詳しく書いた資料はまだ見たことはないが、乗組員10名はいずれも戦死したとされていて、当時国内に発表された記事では 九軍神 となっていた。うち1名が経緯はわからないが米軍の捕虜になっていたからで、死すとも虜囚の辱めを受けるな、としていた当時の軍指導部にとって、開戦当日に起きたこの事件はあってはならないものだったからだ。今回、この捕虜となっていた酒巻少尉のご遺族のたっての願いが報いられ、九人の仲間たちの顕彰碑のかたわらに同氏の記念碑が建てられ、80年たって仲間たちと会えることになった、という記事である。大戦で亡くなられた方は数知れないが、このような軍機とか政治的理由などでその最後が圧殺されてしまった方々はほかにもあるだろう。ただご同情申し上げるほかにできることはないのだが。
もうひとつはこの映画のタイトルになっている暗号電信、トラトラトラ を搭乗機から打電した松崎大尉の話である。大尉が当日の指揮官淵田中佐の搭乗機に同乗しこの歴史的電信を発信したということをご遺族が語ったという記事だ(大尉はその後マーシャル沖で戦死された)。この場面は トラトラトラ でも代表的なカットで、オアフ島まで敵に会うことなく潜入した、田村高広演じる淵田中佐が ”奇襲成功だ、トラ トラ トラ や!“ と絶叫する。この作戦のすべては攻撃部隊が現地防衛軍の準備ができないうちに奇襲する、という一点にかかっていたからだ。
この真珠湾攻撃が、日本の正式な宣戦布告の前におこなわれたことから、treacherous attack として米国民の怒りを買い、ルーズベルト大統領が政治的優位に立つことを可能にした(ルーズベルト自身日本との対決はやむを得ずとしていたが世論はまとまっていなかった)、というのは事実であったし、映画でも情報部のブラットン中佐(エドワード・マーシャル)は攻撃のあることを確信して上申したにもかかわらず大統領が拒否したことになっている。山本は在米経験からアメリカ人がフェアプレイを最高の仁義と考えていることを知り抜いており、攻撃以前に公式な通知が必ず米国に伝えられることを最後まで要求していた。映画にあるように, 現地大使館に文書は届いていたにもかかわらず、単なる事務的な遅れで提出が間に合わなかった。この通告が事前に届いていれば、真珠湾攻撃は正規な戦争行為であり、現実の戦果はともかく、”ジヤップは卑怯ものだ“ という汚点を歴史に残すことはなかったはずだ。しかし史実は面白いもので、映画の中でも上記した酒巻少尉らが、湾口を警戒していた米艦ワード号から攻撃を受けたのは実はまだ ”トラトラトラ!“ が実現していなかったので、この日米開戦の第一弾を放ったのは米国、ということになるのだという。
映画とは全く関係ないがもうひとつ、この トラトラトラ はハワイ近海にいた母艦赤城にあてたものだったが、それははるか離れた広島県呉にいた戦艦長門でも受信された。映画では興奮した通信士官が山本の席に飛び込んで、”長官、トラトラトラ であります!“ と報告する。しかし山本はじっと目をつぶったまま微動だにしない。部屋には一瞬、静寂が訪れる。おそらく山本の胸中には(すでに通告が事前に届かなかったことは伝わっていた)、来るべき戦争がいやがうえにも難しくなった、ということがわだかまっていたのだろう(右の写真はグーグルに長門、として載っているものだが果たして本物か映画用の代替か、小生にはわからない。本当の長門は戦後、米国軍による原爆実験に使用されて悲劇的な最期を遂げている)。
もう一つ、多少、無線交信に知識を持っている小生として、日本戦闘機の発信した信号が広島にいた長門に、ハワイ―日本間の、この時間帯の電波伝搬状況で届いた、という事実が興味深い。この当時、戦闘機に搭載されていた送信機の性能はどんなものだったのか、とか、周波数はどのくらいだったとか、このあたりの博識をもって知られる浅野三郎くんの解説を期待すること大である。また関連して史実で言えば、この山本五十六は2年後、南方戦線で米軍機に撃墜されて戦死するが、これも実は現地の司令官が山本の旅程を到着地に知らせるべく打った信号を米国司令部が受信、現地の戦闘機に迎撃させたというのが真実である。当時の米国の通信機の性能ならばかくありなん、と納得するのだが。山本機を撃墜した米国のパイロット、ランフィーア大尉の回顧をどこかで読んだ記憶もある。いずれにせよ、当時世界の通信・情報技術がもう少し進んでいたら、歴史が変わっていただろうと改めて感じる。
ここでまた、時代は大きにずれるが、レッドオクトーバーを追え で、潜水艦ダラス艦長スコット・グレン(このエーガでまたこの俳優が好きになったのだ)がレッドオクトーバーの艦長(なんせショーン・コネリーであります)に発光器でモールス信号を送る場面がでてくる。最初のコンタクトぐらいはいいのだが、実に複雑な情報を伝えなければならないうえ、電信手には任せられないので ”俺のモールスはさびついてるんだが“ と自嘲しながら送信する。モールス信号には個々の文字だけでなく、意味を持った略号(誰でも知っているSOS のような)があることはあるが、それでもあんな複雑な意思が、専門の電信兵でもなくて伝えられるのだろうか、これも電信の名手浅野君の意見が聞きたいが、このあたりがやはり、エーガはフィクションである、という当然のことなのだろうか。
日米開戦にあたって改めて決めてあったいくつかの暗号の候補から、淵田中佐が自分が寅年であることと、”千里を走る”という意味でこの暗号 トラトラトラ を選択した、ということで、その縁起がこの長距離通信を可能にしたのかもしれないが。ついでに言えば、最終決定に先立って北太平洋を進んでいた旗艦に開戦日の最終決定を告げた電文が ニイタカヤマノボレ であったことは良く知られている。当時、台湾の高峰新高山は日本の領土にあったのだ。