佃・月島漫歩ー同期タウンウオーク第二回報告

もしかするとまだ昭和の古きイメージがあるかもしれないと、第二回のワンデルングは佃から月島,勝鬨橋を渡って築地、というコースにした。一回目の企画は天候が定まらず延期、4月27日小晴れの一日、参加は翠川、岡、深谷、安東、前田、吉牟田、高橋、高島に中司夫婦の10名。

11時、月島駅集合、佃の古い街並を歩く。船だまり、まだ営業している銭湯、元祖を名乗る佃煮店や、建築に詳しい人には興味があるということだが風を避けるためにくの字の形をしているという路地などが江戸時代に埋め立てられた小さな島に残っている。スーパーでは買えない本場の佃煮を買い込む。

月島は佃島の東側にあった石川島の工場やその下請け企業などの工員さんの家族が密集していた場所で、表通りは現代風になってしまっているがメインの4本の通りを貫く路地のほとんどが原型に近い形で残っていて、テレビ勃興期のドラマ、”バス通り裏”を彷彿させる雰囲気である。住んでいる人たちには迷惑だろうが、失礼してそのうちの一本を通らせてもらい、見つけたコーヒー店で休憩、雑談。この店はたまたま見つけたのだが、オーナーが自分で内装からテーブルにいたるまで手作り中、ということで、木や工作についての蘊蓄を拝聴、ひとり500円は安かったし、オヤエの観察によると、コーヒーが普通の喫茶店にくらべて量?が多かったそうだ。

最初の計画では築地場外市場で寿司を食べるつもりだったが、みさの情報では午後になってしまうと中国人の観光客などで雰囲気もない、ということだったので昼飯は月島の代名詞でもある”もんじゃ焼き”とした。博学の深谷によると、住んでいた工員さんたちの子供たちのおやつでもあり、鉄板の上に広げる食材で文字を書いた教材でもあった。したがって”もんじゃ”でなく”文字”焼きであるとのこと。ほんまかいな。しかしメイン通りの両側に何十と胸を連ねている”もんじゃ焼き店”の数には驚かされた。

勝鬨橋で隅田川の涼風を感じ、晴海通りを北上、順次便利な地下鉄駅で流れ解散。小生の記録ではほぼ9千歩くらいの漫歩であった。

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ジャイ様  翠川幹夫です。
数年(十年?)前にもキンちゃんプランで歩いたこともあって、住吉神社近辺では一寸懐かしい風景もありましたが、旧い古い今にもぶっ倒れそうな民家と超近代的高層ビルのコントラストが何とも言えない面白い風景でした。「もんじゃ風月・月島店」と言う店の味もグーで、別にまた行っても良いかなと思いました。
それともう一つ、あの晴海通りは学生時代や会社に居た時代にも少しご縁があり、良く歩いた道ですが、何と巨大な道になったものだ!と田舎者になった今、感じました。

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ジャイ様、皆様
昨日はこちらこそ佃島プラン楽しませて頂き、有難うございました。
東京に永いこと住んでいながら、佃島行きもはじめて、もんじゃ焼を体験し食べたのもはじめて勝どき橋を渡ったのもはじめて、なんと練馬からやってきた観光客気分でしたよ!でも、佃島の人たちの生活の一端もチラッと覗けました。
オヤエさま
昨日は久し振りにご一緒でき楽しい一日でした。
あのコーヒー店の店名は”虔・・・”でしたかしら?
店主の方が宮沢賢治の作品からつけたとか、おっしゃっていたので
今ネットで検索してみました。短編童話「虔十公園林」が当てはまるように思いますが。検索先はY!(ヤーフーで検索)、ご覧になってみてください。
髙橋良子