弥生の陽気とロシアのレンズ (普通部OB 船津於菟彦)

あっと言う間に弥生三月になってしまいました。そのスタートは晴天の温かさに恵まれ不要不急でしたが、御徒町まで行き先ずレンズを一つ買い、そして歩いて湯島天神へ参りました!例年でしたら「梅まつり」で賑わっているのですが、中止のためほどよい人でした。枝垂れ梅が満開でした。

さて、恒例ですと銀座で全日本クラッシックカメラクラブの春の写真展が在り、1900年より前のカメラなど古いカメラとフィルムで撮影した作品が展示され皆様に観て戴いている時期ですが今年はなにもかも中止でありません!残念です。熟年生は自分が生まれる前に作られたローライフレックス4×4と言うFilmCameraで木曽路で撮影した物を出展致しました。クラッシックカメラもな中々奥が深くマニアが沢山居られます。そしてそれに取り付けるレンズも色々で、これまたはまり込んだら最後抜けられないレンズ沼です。中には古いカメラから取り外してきて、活かしてデジタルカメラで撮影するとか。「色味が良い」「ポケがよい」「フレアーが綺麗に出る」とかある意味ではレンズ設計の失敗作かも知れませんがそれを又愉しむと言う事です。何でも愉しめるもんです。

弥生三月になり色々本を見ていましたらMIR-1と言うロシアレンズが出て居ました。「平和」と言う意味で、衛星にもそんな名前がありましたよね。MIR-1は1954年にソビエト連邦の光学工場の一つであるGOIにより開発されました。1964年にはZOMZ(ザゴルスク光学機械工場)へ生産が移管され、更に1992年にはVOMZ(ヴォログダ光学機械工場)へと移管されます。このVOMZ製モデルから名称をMIR-1Bと改めました。買ったのはMIR-1です。1970年頃製造。

日本もそうで在ったようにソ連も戦後、外貨獲得のためカメラ産業に力を入れ、ドイツの光学関係の機械とか人員を確保してきて、そのコピー的な物を生産してきました。日本も戦後、外貨獲得は先ずカメラからでした!二眼レフなどはA〜Zまでの名前があるほど中小企業も含めて製造してきたカメラ王国でした。
今、中国・台湾・マレーしア・タイ・ベトナムなどもカメラとカレンズを作り外貨獲得しています!歴史は回るですね。日本光学も日本での生産を海外に移しています。設計監理は日本でも生産は日本でないカメラが殆どになりました。

矢張り第二次世界大戦で破れ東西ドイツに分割され、東側はソ連-ロシアに支配それ、東ドイツ側にあったツアイスの技術者・機械施設はソ連に取られました。しかし、米国も一夜にしてその技術者と施設を西ドイツへ移送しました。ツアイスは東西に分かれてしまいました。ライツは西側に残ったため戦後、ライカ王国として君臨しました。そんな混乱の中上にある国営工場でカメラ・レンズをコビーしたものを生産したり、自己開発したりで外貨獲得に勤めました。そんな1970年頃作られたロシァレンズが結構今人気で日本のカメラファンの間で「ロシアンレンズ沼」にドップリの人もいます。クラッシックレンズはクラッシックカメラ同様に取り扱いは面倒ですが、その面倒さが面白いという酔狂な輩がいるんですよ。ご覧のように1970年頃作られた旧ソ連時代のレンズは結構写りは良いです。
まぁ色々な遊びが在るもんですね。新型コロナウィルス蔓延旋風に付き御身大切にお過ごし下さい。