エーガ愛好会  (9)  シェナンドー河

コブキお姉さまの情報によって、またまたBS3劇場の半日。この映画のタイトル ”シェナンドー“ という地名は小生にはなつかしく、快い思い入れがある。

ひとつにはワンダー時代の僕のいわば ”持ち歌“ に関連しての思い出がたくさんあるからである。いまの現役や平成時代のOB連はあまり山で歌を歌う、ということがないようだが、僕らの時代、テントサイトでたき火をし(まだ北アルプスの稜線でもはい松を切って火をおこし、飯盒で飯を作っていた時代なのだ)、歌を歌った。だからどんな自称音痴でも、なにかひとつ、”持ち歌“ を持っているのが当然だったし、新人がどこかのプランでいいのどを聞かせて大拍手が起きる、”デビュー”現象が尾ひれをつけて語られたりしたものである。

僕が ”デビュー”したのがどこでいつだったかは確かではないが、不破さんのプランで指名され、当時はやっていたマリリン・モンローの”帰らざる河“ をうたった時がそうだったような記憶がある。そのころは ”あいつが持ち込んだ歌“ というようなのが沢山あり、今はOB会の定番歌 “海女の子供” は女子合ワンに参加したチンタお姉さまとかわがビーバーこと栗田なんかがならってきたもののはずだ。そういう意味で、”ジャイが持ち込んだ歌“ は Red River Valley だと自負しているのだが、高校時代にクラスメート、KWVはナンカナイ会でと付き合いの長い関根達郎が、父上がもっておられたというレコード(もちろん、78RPM,セラック製でだいぶ溝が傷んでいたが)をくれたことに端を発する。唄っていたのは REDRIVER DAVE という無名の歌手で、かなりマウンテンミュージックスタイルにアレンジされたものだった。僕らの1級上で人気のあった森永さんがウクレレを言うものを持ち込んだことから(本来のワンダラーならギターだろうが、ちと大きすぎたので)、KWVにもカントリーが流行りだした。僕が次に仕込んだのが ACROSS THE WIDE MISSOURI という、エディ・アーノルドだったかスリム・ホイットマンだったかが歌ったもので、これの原曲が SHENANDOH という古い民謡で、現在、バージニア州の州歌である、OUR GREAT VIRGINIA はこの曲の譜によっているという。

アメリカの人たちの心の中になんとなく郷愁をもって語られる地域がいくつかあると思うのだが、そのひとつが西部開拓前夜までの辺境であった、テネシー、ケンタッキー、バージニアあたりのようだ。その中のひとつがこのシェナンドー渓谷からブルーリッジ山域にかけてのあたりなのではないか。小生も家族旅行でどうしてもこのあたりが見てみたく、アトランタで 風と共に去りぬ の雰囲気を味わった後、このアパラチア山系を越えてケンタッキーへ、返す刀でナッシュビルまで行き、プリンターズアレイのライブ店に入ったところ、まだ日本人がめずらしかったのかどうか、なんと指名されてステージへあがらされ、それなら最もジャパンらしいのを、と炭坑節をうたったことがある。ホステス役だった女性シンガーがくれたサインん入り写真がまだどこかにあるはずだ(今思えば RED RIVER VALLEY にすればよかったと思うんだが)。毎日好天、太陽を見飽きてしまうような、あっけらかんとしたカリフォルニアしか知らなかった自分には何とも言えず暖かな、人恋しくさせる1日だった記憶がある。ジョン・デンバーのヒット曲、Country Roadにも Blueridge mountains Schenandoh river という一節があるのをご記憶の方も多かろう。

さて映画のほうだが、スチュアートの西部劇、というポジショニングはちとまとはずれな気がする、いわば一種のホームドラマみたいなものだ。後半に突然現れて長男と嫁を惨殺する(このあたり、風と共に去りぬ の一場面を思い出させた)悪漢3人を除けば、基本的に悪人は出てこない。皆与えられた任務の中で苦悩する人々の話である。最後の教会の場面で、後ろの入り口のドアに、そこまでの筋からはなれてカメラがとまる。あ、そうかな、と思っているとドアをゆっくり開けて、行方不明だった末っ子が杖にすがりながら入ってくる。これでアンハピイエンドが少し救われる、というのがやはりフォードをついだV.マクラグレンの味付けだろうか。それと挿入場所を忘れたけれども、これも古い民謡から来たはずのYELLOW ROSE OF TEXAS のメロディが一瞬、流れていたのに気が付かれただろうか。ミッチ・ミラーの合唱曲で一時はヒットパレードの常連だった曲だが。また、ヒチコックの出番を見過ごしてしまった。残念。

なお、”スチュアート西部劇” なら、”ウインチェスター銃73” がベストだと僕は思うのだが,諸賢のご意見やいかに。“笑う悪漢” ダン・デュリエがよかったし、トニー・カーチスが端役も端役のインディアン(ごめん)役で出ていたと記憶がある。

(34 小泉)

 今週はBSPで珍しく西部劇が、月曜(6/29)「ダンス・ウイズ・ウルヴス(1990)」、金曜(7/3)「シェナンドー河(1965)」の2作が放映された。「シェナンドー河」は西部劇というよりは、南北戦争を時代背景とした家族の物語。主演のジェームス・スチュアートが当時57歳、時代に翻弄されながらも、妻亡きあと息子6人娘1人次男の嫁の大家族の頑固親父を渋く演じる。父権制的な大家族に自由と自立性を重んじる個人主義的精神など、この古典的アメリカンスピリットが、南北戦争の渦中にありながらも反戦のスタンスに立つ原動力であると一貫して訴えているように思われる。頑なに中立を守りながらも、末っ子が誤って北軍の捕虜になってから戦争にに巻き込まれる形で、次男夫妻、長男を失うことになる。全編に流れるオーシェナンドーのメロディと最後スチュアートが呟く「戦争とは・・・葬儀屋の一人勝ち、政治家は戦争の栄光を説き、老人は戦争の必要性を説き、兵士たちは家に帰りたいと願う」が印象的。監督は先週放映の「ビッグケーヒル」のアンドリュー・V・マクラグレン。

 「ダンス・ウイズ・ウルブス」は、1931年「シマロン」のアカデミー作品賞以来、1990年に西部劇でははじめて作品賞をはじめ監督賞等12部門にノミネートされ7部門でアカデミー賞を獲得した。この年は、1972と1974年に作品賞受賞した「ゴッドファーザー」「同PARTⅡ」に次ぐ「同PARTⅢ」と争うことにもなったのだった。ケビン・コスナーが監督主演し、南北戦争のさなかに、自ら選んで西部の辺境の地に赴いた騎兵隊の中尉が先住民のスー族と出会い、大地に根差した自然賛歌を織り込みながら新しい生き方を見出していくという映画。ネイティヴ・アメリカンが独自の文化を持ち自然を敬い、自然と共生する姿といった高潔さを賛美する。バファロー狩りの描写も素晴らしいが、毛皮と舌の肉を取り他は捨て去る白人に対し、祈りを捧げ感謝しつつ全てを消費するネイティヴ。騎兵隊に捕まった中尉の貴重な日記帳を奪い、キジを打つ同僚に単なるカミとして切り裂いて与える。中尉になついた題名通りの狼を射的同様に、面白半分に撃ち殺すシーン等々。しかし突然変異的に、ネイティヴ・アメリカンの立場の映画が作られた訳ではないが、本格的にネイティヴ・アメリカンの言語、此処ではスー語が使われていたことは画期的なことだろう。それらネイティヴ・アメリカン寄りの映画で、小生が観たものを列挙すれば、「折れた矢1950デルマー・デイビス監督、ジェームス・スチュアート主演」「アパッチ1954ロバート・アルドリッチ監督バート・ランカスター主演」「シャイアン1964ジョン・フォード監督リチャード・ウイドマーク主演」「ソルジャー・ブルー1970ラルフ・ネルソン監督、ピーター・ストラウス主演」「小さな巨人1970アーサー・ベン監督、ダスティ・ホフマン主演」「ジェロニモ1994ウオルター・ヒル監督、ウエス・ステュディ主演」がある。