ジョン・ウエイン(1907~1979)最晩年の作品。仕事一筋で家庭を顧みない連邦保安官ケーヒルとその17歳と11歳の息子との関係を軸に展開。ウエイン66歳の作品だから、親というよりも爺さんに見えてしまうが、時に過去の若々しい姿を彷彿とさせる場面もある。多忙から不在がちの親に反抗し、銀行強盗の仲間に加担した息子達を、その自主性を尊重しながらも反省させるまでを親の愛を示し好演している。自分自身も連邦保安官程でないにしても、仕事にかまけて、子供のことをないがしろにしてきたのではないかと反省してしまう。
追手にコマンチインディアンを採用したり、そのインディアンの奥さんを侮辱した息子をウエインが馬から蹴落とす等70年代の西部劇らしき場面にも遭遇した。そのインディアン役のネビル・ブランドや悪党ながら若干人情味も見せるジョージ・ケネディ、主役級の息子二人ゲイリー・グライムズとグレイ・オブライエンと脇役も好演。御大ジョンウエインは、悪を憎み連邦保安官としての職務を全うする強い意志と息子達を愛する親の愛情を併せ持つ西部男の真骨頂を年齢を超越して見せてくれた。
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わが ”デューク” ことウエインが亡くなったのは1979年だが、その以前から癌にかかっていたことは公表されていた。一度、病床から復帰して、俺はビッグC(cancer のこと)に勝った!と言ったことが伝えられているが、結局、再発して不帰の客となった。全米で彼の回復を祈る声があったのはけだし当然かもしれない。ジョン・フォード映画の常連だったモーリン・オハラが全米に 何とかして、彼を救って! と呼びかけたのは有名だし、ロサンゼルス近郊、オレンジカウンティ空港は彼の死後、名前をジョン・ウエイン空港と改めたほど、まさに古き良きアメリカ、の象徴だった人物だ。彼の遺作となったのが ”ラスト・シューティスト”で、親友だったジェイムズ・スチュアート、それにローレン・バコールの共演だったが、見ているものにはすでに運命を知っている友人たちが、これが最後、と思って演じているのが感じられる、名作というか、形容しがたい映画だった。”ジョン・ウエインはなぜ死んだか” という本があるが、それによるとネバダの砂漠地帯で映画のロケに参加した俳優の多くが癌にかかり、ウエインもその一人だとしている。ウエイン西部劇で彼の良きわき役だったペドロ・アーメンダリスもその一人で、癌とわかって自殺したというし、科学的に証明可能なのかどうか知らないが、”駅馬車” から始まって彼の主演西部劇にはまずほとんどと言っていいくらい、砂漠が登場するのは事実だ。モニュメント・バレーだったら、癌にはならなかったのか、など思ったりするが、やはり駅馬車が疾駆するのは砂漠でなければならなかったと思う。一時、ジョン・ウエインの再来!などと騒がれたアレックス・コードによるリメイクの駅馬車はワイオミングの森林の中を駆け抜けたが、コード本人もその後不発だったし、やはり砂漠でなければなあ、などと思ったこともあったりした。小泉さんのご指摘通り、ウエイン晩年の作品ではあるけれども同じように老境にはいって作られた ”リオ・ブラボー” ”エルドラド” ”チザム” がいずれもユーモアあふれる、正統的勧善懲悪ガンプレイフィルムだったのに対し、”ケーヒル” には少し違ったトーンがあった。監督はアンドリュー・マクラグレン、アーメンダリスやハリイ・ケリー父子などとともにウエイン西部劇に欠かせなかった愉快な仲間、ヴィクター・マクラグレンの子供である。このあたり、父の親友のありようを知り尽くした演出だったのかもしれない。