CLASH !

ふた月ほど前、読売新聞の書評欄で”日米の衝突”という本のことが出ているのを見つけた。米国企業に籍を置いた日本人の一人として、この種の書にはどうしても目が行く。この本の原題が CLASH とあったので、早速グーグルで当たってみて、著者ウオルター・ラフィーバーという人が米国でも権威のあるバンクロフト賞を受賞したことを知った。

同時に、CLASHという単語が英語の知識啓蒙をしているホームページ (talking-english.net)に誘導してくれた。”衝突”を意味する語にCLASH、CRASH、CRUSHという発音だけでは日本人にはまず識別できないものが三つあり、その差がよくわからなかった。この悩みはどうも僕だけでないようで、このHPは三つの違いを、実に写真入りで解説してくれた。いわく、

CLASH は“ぶつかる”のだが、双方とも深い傷を負わない程度“であるとき

CRASH は”ぶつかって相手も自分も深く傷つく“とき

CRUSH は“ぶつかって相手を完全に押しつぶしてしまうとき

に使うのだそうで、以下の3枚の写真がそえてあった。実に明快な回答であった。

このHPで得た知識で判断すると、この本が扱っている主題がおぼろげながらわかり、それが勤務の間にいやというほど見聞きし、ある時は渦中にほうりこまれた”日米の衝突“のイメージのように思えてきて読書欲をそそられた。だが書評にあった翻訳を読むとなるとどうしても翻訳者の主観がはいってしまい、自分の感覚とずれることもあるような気がして、思い切ってアマゾンで原書を入手した。届いた本は予想以上に分厚く、多少知っていた歴史的事実もあって、思ったよりも楽だったがハードボイルドのように斜め読みもできず、今日(11月19日)までほぼ3月をかけて何とか読了。ほっとしてテレビをつけたら、真珠湾、文字通り”日米の衝突“(この場合はCRASHだったのだろうが)そのものをとりあげた”トラ・トラ・トラ”をやっているではないか。この映画を見るのは3度めになるのだが、読み終えた内容が心にしっかり残っている状況で最後まで見てしまった。そんなこともあって、映画評はともかく、僕がこの本をどう読んだか、ということを書いてみたい(日本語版は彩流社から出ているとのことである)。

本書は12の章に整理され、最後に結論として9ページの記述があり、76ページにおよぶ参考文献と18ページにわたって項目別の索引がついている。その前半はペリーの来航からはじまり明治維新をへて列強の一角に加わるまで、日本史の教科書にでてくる事実の確認になるのだが、当時の日本人が鎖国にかかわらず世界情勢や科学技術に関して広い知識を持っていたことや、ペリー一行が日本人を驚かそうとして持ち込んだ欧米の先進的な技術が、数年後の再来日の時点ではすでに日本人の手で複製されていたことに驚愕した、というような記述がある。当時の日本人エリートの高い知識・知性のレベルがそのあとに続く明治維新を可能にしたのだ、ということ、わずか半世紀でどうして日本が列強入りするまでの国になり得たのか、今まで理解できなかった疑問が氷解したような気がする。

この時点でのアメリカの立場は、天皇あてフィルモア大統領の親書にあるように、日本がアメリカ合衆国との間に自由な貿易を開始することを促すものだったそうだ。ところがそれから半世紀たった1989年、当時の国務長官ベイカーは,米国の対日政策は日本を内向き(inward-looking)の重商的な経済大国から外向き(outward-looking)で経済的政治的強国にさせ、アメリカと強固な同盟関係を結ばせることである“と言っている。この間、日米の間の立ち位置・関係は全く変わっていなかったのではないか、というのが著者がその結論の章で述べていることの一つであるし、それが本書のタイトルを”CLASH”とした理由ではないか、と思われる。

このような日米間の交流の始まりがそれからどのように展開していったのか、本書の中では数章を割いて述べている。西部の開拓がおわり、カリフォルニアの先にある太平洋に目を向けたアメリカが必要としたのは実は自国の製品のマーケットとしての中国であり、日本はそのためのいってみれば都合の良い出先として必要だっただけだのだ、ということが重要である。そのアメリカにとって予想外だったのが日本という国の成長の早さであって、明治維新後、日本は西欧技術をすごい速さで消化し発展させた。その技術的展開によって、それまでの技術・国力の水準では必要なかった資源が必要になり、それが日本国内には存在しなかった、ということが日本の眼を外部にむけさせた。その結果、当時の世界の行動原理であった帝国主義にのっとり進出の対象になったのが中国の資源であった。”外向き“にはなったのだが、その理由が中国、アジアを自国製品の市場としてとらえていたアメリカとは全く違った。中国を必要としながら二つの国が同床異夢を見ていたわけだ。その間の展開、中国での戦争、そして真珠湾にいたる過程はすでに僕らの知っている通りである。

しかし第二次大戦の終了、アメリカによる占領から今日までの展開については、(ああ、そういうことだったのか)と感じることが非常に多い。第九章から第十二章までの部分がそれで、僕が特に感銘をうけたというか、なるほど、と感じたことをいくつかあげる。

第十章には、The 1950s: The pivotal decade (転換期となった1950年代) という題がつけられていて、ポイントになる何人かの名前があげられる。いわゆる冷戦の初期で、アメリカ外交の立役者だったダレス国務長官の名前が出ているのは納得できるのだが、実にその次に”デミング”という名前があるのには本当に驚かされた。80年代から90年代にかけて、日本産業界を席捲した、かのQCブームの生みの親であり、僕自身、勤務先でその洗礼を受けたので名前はもちろんよく知っていたが、その人物が日米外交史に登場するのは一体なぜなのか。著者がここでデミングについて触れたのはその理論を実現する素地があるのは、米国企業ではなく日本企業であって、そのことが実はひいては埋めきれない日米の溝なのだ、と言いたいからのようだ。事実、デミングは米国産業界では異端と言っていい存在であって、結果的には日本だけが彼の議論の影響を受けた。それがなぜか、ということがこの本を読んで納得できた。我々はデミング中の数理的技法だけにとらわれているが、著者はデミングが主張したのは職場、グループが一体となって働き、個よりも集団のもつ知恵や士気の高揚によって生産性を上げることであり、数理的な技法はそのための共通の問題点やその解決方法を発見し共有することだったのだという。そしてそれが日本の文化(著者はたびたび wa=和 ということをあげている)になじみ、欧米との技術格差に対抗し得るすべとしての“品質”という武器になり、驚異の高度成長にむすびついたのだ、と主張する。著者はこの影響が朝鮮戦争によって国連軍の兵站基地となった日本にタイミングよく導入されたのだ、ともいう(この主張は多少誤解・誇張があるように思える)。もうひとつ日本経済が飛躍した大きな原因として keiretsu=系列 という概念の存在もくり返し出てくる。これもたしかにアメリカには存在しえないものであって、いずれも個人より帰属するグループを意識する日本伝統の文化のあらわれであり、それは形や程度こそ変わったものの、現在も厳然として存在している事は我々はよく知っている。このような差異に関連して、アメリカが唱えている資本主義と日本のそれが名前こそ同じであっても、政府や公的機関による調整の在り方などにおいて、決して同一の基盤に立っているものではない、ということも各所にでてくる。そしてそれがもたらす間隔は日米両国に今後もあり続けるだろう、というのが著者の結論のひとつであるようだ。

経済的な面での議論のほかに、(やっぱり、なあ)と思ってしまうのが、人種差別問題である。ウッドロー・ウイルソンは国際連盟の提案者として、その主張は人道的であり平和第一の人格者であると教わってきたが、彼自身は米国金融界の中国市場進出欲を代弁し、かつ日本人に対する反感が非常に強い人物であったとされる。日米開戦時の大統領だったルーズベルトは芯からの排日主義者で、日本にまず手を出させればアメリカの正義が定まる、ということを考えていて、真珠湾攻撃も事前にわかっていたにもかかわらずあえて攻撃をさせたとされている(このことは “トラ、トラ、トラ”にも出てくる)。また近年、正式な国としての謝罪はあったというものの、戦時中、日本人だけが強制収容された事実、公民権運動までつづいた(いまでもなくなったとは言えぬ)黒人などへの差別、また理由は違うかもしれないが最近の移民問題など、わが国では理解できない問題が依然存在する。

また前に見たように、中国の存在が日米共通の問題であることは変わっていないが、この本を読むと、米国指導層の対中国観が揺れ動いていることもよくわかる。ただその動きの底流にあるのは、やはり対決姿勢であって、その理由は依然共産主義に対する反感、恐怖であり、日本との間に存在する“間隔”とは異質のものであろう。その意味で、日本と米国のCLASHは今後もありつづけるであろうが、中国米国の間のそれはCRASHに変貌する危険を持っている、といえるのだろうか。

以上のこととは別に、改めて意識したのが、米国によって占領され、武装解除された日本が、平和主義国家として再生(多少ひっかかることはあるが)しつつあった50-70年代、米ソ冷戦のただなかで、日本の地理的位置から(アジアのことはアジア人同士で戦わせよ)という思想のもとで日本を再武装させようという、まったくもって身勝手な議論があったことである。憲法論議もいろいろあるが、この理不尽な要求を歴代の内閣がいかに苦労してやめさせ、そのエネルギーを経済再生にむけてきたか、という過程はおぼろげながら理解していたつもりだが、この本はそれを実に鮮やかに解説してくれた。佐藤栄作がなぜノーベル平和賞をもらったのか、その理由も初めて分かった気がする。

今、日本はこれまでたどってきた道の、歴史的転換点にいる。そしてその最大の焦点が依然として中国問題であることは、ペリーが来航して開国を迫った時以来、日米間に存在してきた事実であり、歴史のアイロニーであると思わざるを得ない。願わくば日中関係がCRASHにならないことを祈ろう。

PS

やけに言葉にこだわるようだが、昨日、書店で一時有名になったハンチントンの”文明の衝突“の新装版が並んでいるのを見つけ、そのタイトルが CLASH であることに気が付いた。ずいぶん以前に読んだのでよく内容を覚えていないが、今回新たに学んだ知識によれば、これは CRASH であるべきではないか ? 残念ながらハンチントン氏に聞くわけにもいかないのだが。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です