エーガ愛好会 (279)僕の映画遍歴-イーストウッドのこと  (55 島田光雄)

今から7年ぐらい前だろうか、いくら見ても切りがない韓国ドラマを卒業し、1時間半から2時間で集中して楽しめる映画を徹底的に見てみようと一大決心をして、今日まで見続けている。継続していると洋画で1800本、邦画で500本になってしまった。対象ははずれが少ないテレビ放送の映画として、不在中でも後で見れるようにと録画、ダビングを行った。そして、何とか見逃しがないようにと週次で録画予約をすることが習慣となってしまった。最近ではすでに見たことがある映画が多く、覚えきれないので、一覧表を作成し、チェックしている。ただ、どこかのタイミングで、見ていない有名な映画を一本釣りで見ていくのも次の楽しみ方かと思うようになってきた。これらの中で、特に印象が残り、いつ見ても、何回見てもおもしろい、人生が映画そのものであるクリント・イースト・ウッドに焦点を当ててみたい。クリント・イースト・ウッドは単なる俳優だけではなく、どちらかというと監督としても大成功をおさめており、二束の草鞋が最も似合う超有名な映画人の一人である。

クリント・イースト・ウッドは何といってもダーティハリー全5作。ニヒルな刑事がかっこよく、事件を解決していく。あまりにも強くてスマート、ストーリー展開が早いので、あっという間に見終わってしまい、後味もすっきりしている。
こんな飛ぶ鳥を落とすように超有名な映画スターになったクリント・イースト・ウッドも映画の世界に飛び込んだ当時は売れない俳優で、何とかローハイドの役につき、次を狙っていたところ、同じく、無名に近かった映画監督セルジオ・レオーネのオファーにたまたま縁があり、主役を務めることとなった。逆に言うと無名のため、出演料が安く、有名俳優が断ったための結果である。この二人の出会いが、マカロニウエスタンの最高傑作を生みだすことになり、クリント・イースト・ウッドもはまり役のダーティハリーにつながる作品に巡り合ったと考える。このドル箱3部作「荒野の用心棒」、「夕陽のガンマン」、「続夕陽のガンマン」は監督・主演の知名度を徹底的に上げ、西部劇がヨーロッパで人気を博することとなる。特に最初の「荒野の用心棒」は東宝から「無許可によるリメイク」として訴訟をおこされたため、アメリカでの公開が遅れ、クリント・イースト・ウッドがそれまではヨーロッパでの人気が高かったことが面白い。また、アメリカ公開後はマカロニウエスタンのアメリカでの知名度を上げることとなり、この3部作がその後の西部劇に大きな影響を与えた。
この3部作を見て、興味深かったことは1作目、主役1人、2作目、主役2人、3作目、主役3人となり、クリント・イースト・ウッドの影が薄くなり、監督の人気を盤石にしたことだ。ただ、この後、クリント・イースト・ウッドはアメリカに転身し、西部劇でもそれ以外でも完全なる主役の座で大スターの道を歩むことになる。なお、2作目のリー・ヴァン・クリーフ、3作目のイーライ・ウォラックについてはこれ以来、私にとっては注目の俳優に位置づけている。
アメリカ転身後はドル箱作品で稼いだお金で、映画製作会社を設立、自ら脚本にも一部参加して、「奴らを高く吊るせ!」を公開。007シリーズより高い興行収入を上げ、成功の道を進み始めた。その後の西部劇の作品では、ドン・シーゲル監督の「真昼の死闘」、ジョン・スタージェス監督の「シラーノ」と続くが、自らも監督を行い「荒野のストレンジャー」、「アウトロー」、「ペイルライダー」といつも法外にいる一匹狼を演じている。そして、アカデミー賞4賞獲得の「許されざる者」は、クリント・イースト・ウッド最後の西部劇で、ローハイドから34年、監督として、俳優としての西部劇の集大成として世に送り出した作品となった。この作品が表現している勧善懲悪、友情、復讐心、家族愛、弱者救済は監督としての渾身の一撃となっている。

そして、西部劇とは別の道ではドン・シーゲル監督との出会いが大きい。二人は共同製作者となり、西部劇から離れた「マンハッタン無宿」を公開し、いよいよダーティハリーの本格的な製作に入る。ダーティハリーシリーズは治安が悪かった当時のアメリカの世相を反映している作品で、ハリウッドのアクション映画の代表作となった。また、この第1作目により監督のドン・シーゲルと主演のクリント・イースト・ウッドはそれぞれ高収入を得て、確固たる地位を築くこととなった。なお、第4作目の監督はクリント・イースト・ウッドが務めている。
クリント・イースト・ウッドの初監督作品が「恐怖のメロディー」。恐怖の女性ストーカーのスリラー。15年後にストーカーの鬼気迫る演技で話題となった「危険な情事」の先駆けの作品。初作品から人気を博し、監督としても認められるようになったもの。当時、子弟コンビであったドン・シーゲルもバーテンダーで出演している。そして、「アルカトラスからの脱出」で袂を分かつまでドン・シーゲルの手法を学び、共に監督としての名声を博した。その後は毎年のように監督作品を出し、自ら出演しない作品も手掛けるようになった。
その出演しない作品の中で一番印象に残っているのが「インビタス/負けざる者たち」。名優モーガン・フリーマンが南アフリカ大統領ネルソン・マンデラから自伝の映画化権を買い、監督をクリント・イースト・ウッドに依頼した作品。南アフリカ初の黒人大統領がアパルトヘイト(人種隔離)を克服し、スポーツの力(ラグビーワールドカップ)を借りて、国をまとめていく感動の映画。モーガン・フリーマンが人格者の大統領を好演しており、人柄含めピッタリの配役となっている。クリント・イースト・ウッドとモーガン・フリーマンの共演作の「許されざる者」「ミリオンダラー・ベイビー」についても、7歳違いでそろぞれ老練なの味を出し、モーガン・フリーマンの出演映画も楽しみに見ている。
その他、クリント・イースト・ウッドの映画は扱う対象も幅広く、死傷者を出した山岳のスパイ映画「アイガー・サンクション」、戦争映画の「父親たちの星条旗」、「硫黄島からの手紙」等意欲的に映画製作に取り組んでいることが垣間見える。
現在、94歳で最後と言われる映画製作に取り組んでいるが、90歳前後で作成した「運び屋」「クライ・マッチョ」はカッコよさは無くなったが、深みがあり、この年で全体的に飽きさせないこんな面白い映画が作成できるのかとただただ関心しきりである。「クライ・マッチョ」では90歳とは思えない、カウボーイ役を演じており、若かりし頃のイメージと重なり、感慨深げに見ていた。次の作品にも期待したい。

(編集子)ダーティハリー(1)を見た時の痛快な印象はたしかにあった。ただ小生にナンバーワンを選ばせてもらうとするとやはりグラントリノ、かなあ。もちろん、彼も俺も若かったころ、テレビで興奮したローハイド、は別にして、だけど。