都電荒川線-「東京さくらトラム」探訪記  (普通部OB 舩津於菟彦)

都電には、かつて文字通り“都民の足”として隆盛を誇った時代がありました。最盛期の昭和18年度には、一日平均193万人ものお客様が利用されました。系統も41系統を数え、都電が都内を縦横に走っていました。しかし、自動車交通量が増大していく流れの中で、軌道敷内への自動車乗り入れによる輸送効率の低下が顕著となり、昭和42年から昭和47年にかけて181kmもの路線の廃止を余儀なくされました。

熟年生は慶應義塾普通部が未だ幼稚舎の在る天現寺に仮住まいしていたときに入学して中野の自宅から信濃町〜七番の品川行きに乗り天現寺に通学していました。当時の定期券がありますが何と一月180円で国鉄の中野-信濃町より高かったんです。そして今は一回乗車170円、一日乗車券400円 学割一月分が今の乗車賃です。
当時の天現寺駅は車庫が在り都電のセンター的な駅でしたね。7番の品川行き。中目黒から17番。渋谷から34番でしたか?それぞれ登校下校仲間でした。定期券に全路線図が在り。インクでなぞったところが乗車区間でした。懐かしいので王子駅前から三ノ輪橋駅まで乗車してみました。「TokyoSakuraTram」の愛称ですが櫻は終わり、今は沿線は薔薇&ROSEです。綺麗です。

現在では、路線の大部分が専用軌道であること、代替バスを運行できる道路がないこと、沿線住民等の強い存続要望があったことなどにより、三ノ輪橋~早稲田間を走る荒川線のみを運行しています。
営業キロはわずか12.2kmですが、令和3年度は一日平均約4万3千人のお客様にご利用いただき、地域に密着した交通機関として親しまれています。
荒川線の魅力を国内外に積極的にアピールし、更なる利用者の誘致、沿線地域の活性化に寄与していくため、外国人を含む観光客の方にも親しみやすい路線愛称を付けることとし、広く意見募集を行いました。その結果平成29年4月に愛称が「東京さくらトラム」に決定しました。