大リーグ懐旧談

(菅原)70年以上も前の話しですが、拙宅は「朝日新聞」に加え、何故か「日刊スポーツ」を購読していました。「日刊スポーツ」は、結構、米国大リーグの情報を掲載していました。それとは別に、レフティ・オドゥール率いるサンフランシスコ・シールズの訪日(1949年)。これって3Aだったけど、日本は一回も勝てませんでした。確か、6戦やった筈です。そう言えば、巨人の別所もやってましたね。

その「日刊・・・」で覚えているのが、ボブ・フェラー、テッド・ウィリアムス、ラルフ・カイナー、スタン・ミュージアル、ウォーレン・スパーン、ジャッキー・ロビンソン、後にマリリン・モンローの旦那となったジョー・ディマジオ(両親はシチリア島出身の移民だそうです)。他にもいたけど、全く思い出せない。でも、苗字だけでなく名前まで出て来るほど影響されてたわけです。

ボブ・フェラー

(小川) 大昔の話、懐かしいね~。シールズの試合名古屋で観戦しました。あの時飲んだ薬臭いコーラ、コカかペプシかは覚えてないが、日本初上陸だったようでプログラムの全面広告を覚えています。ヤンキーはこんな臭い物を飲んでるのかと思いました。羅列してある当時の米国名選手は小生もよく覚えています。日本では別所も川上も大下も藤村、若林・・・。懐かしい!

(飯田)懐かしい、ミッキー・マントルとロジャー・マリスのポスター写真を見て思い出したのは、数年前にニュー

テッド・ウイリアムズ

ヨークのセントラルパークのジョン・レノンの墓(イマジン・メモリアル)を観に行った時に、ランチの場所を探して付近を歩いていたらミッキー・マントル・カフェが見つかりランチをしました。あまりの偶然見つけた店だったので、嬉しくなり店にお願いしてメニューを貰って帰り自宅の小さなバー・キャビネトの上に飾っています。

福留孝介が引退しました。ジャイアンツ・ファンの圧倒的に多い「エーガ愛好会」ですから関係ない話ですが彼がシカゴ・カブスで活躍していた年にシカゴでシカゴ・カブスVSシンシナティ・レッツの試合を観戦しました。カブスの球場はチューインガムで日本でも戦後有名だったリグレー社が所有しているとても歴史的な球場で雰囲気のある球場です。福留は中日ドラゴンズに入団しましたが、PL学園から巨人に行きたかったのに中日ドラゴンズに入団したかと記憶してますが。

ジョー・ディマジオ

(安田)> カブスは「ヤギの呪い」から108年振りに解かれて優勝して一安心したのか、> 鈴木誠也が入団してもチームの沈滞から脱せませんね。ダルビッシュも3年間在> 籍して貢献しましたが駄目でした。同じ地区ではカージナルスが強いので勝ち抜> くのは大変です。サミー・ソーサ全盛期もカブスは優勝できなかったですね。> ドーピング・トリオのソーサ、マクガイア、ボンズは何故か全員ナショナル・> リーグ所属でした。特別な理由でもあったのでしょうか?

(保屋野)先日、大リーグのレジェンド達が話題になりましたね。遅ればせながら一言。ボブ・フェラー、テッド・ウイリアムス、スタン・ミュージアル、ジョー・ディマジオ等々懐かしい名前がありました。

記録からは、ホームラン762本の「バリー・ボンズ」とヒット4256本の「ピート・ローズ」が真っ先に名前が挙がるべきなのでしょうが・・方や「筋肉増強剤」方や「野球賭博~永久追放」で、とりあえずは対象外。では誰か・・戦後に限って言えば・・・・

スラッガーは「ハンク・アーロン」(ホームラン755本、ヒット3771本))次点「ウイリー・メイズ」(ホームラン660本、ヒット3283本)リードオフマンは「リッキー・ヘンダーソン」(ヒット3055本、盗塁1406回)次点「イチロー」(ヒット3089本)ではないでしょうか。さて、プーホールズがあと3本でホームラン700本達成です。ヒットも3400本近く打ってます。メイズを超える?。そして、大谷が後10年活躍できれば、総合第一位になるかも、期待しましょう。

まあいろいろご意見はあるでしょうが、この人がやはり一番なのではありますまいか

(編集子)小生目下のコンサーンは桑田がピッチングコーチを首になること、だけであります。読売の最新情報ではどうやらそうなるらしいけど。本日現在わがG はCS進出ならず。昨晩の一戦、8回の無死満塁をなんと三者三振できりぬけた若武者大勢の奮闘むなしく、最後は実に岡本の3ゴロでダブルプレーとは、まさに今年のGの実力そのものでしたな。かの歴史に残る9回裏、江藤のグランドスラムで同点とし、二岡の右翼スタンドへの逆転ホーマー、ああいうドラマがあるものと信じていたのでありますが。