年男が年頭に思うこと   (普通部OB 船津於菟彦)

ある友人の賀状メールに「年男と言われてはやし立てられるいが、永く生きても100歳。後16年」とあって、以前からなんと無く、「寂寥感」を持っていましたが、未だ16年もある。人生、以前は20年間勉学ら励み、40年間仕事に励み、20年間余生を愉しむと言われていましたが、余生は40年間。懸命に働いていた期間と同じです。

さて、こんな歌があります。

聞け全国の高齢者
轟き渡る「敬老の日」の
示威者(じいしゃ)に起こる足どりと                  
 未来をつぐる鬨(とき)の声 
その昔疎開先の信州塩尻村が共産党の拠点になり、野坂参三とか俳優の岸はたえ、タカクラテルなど有名人が来村して共産主義を煽った時代、わけも分からず小学校の校庭で開かれる会合に参加して、歌った歌が
聞け 万国の労働者

とどろきわたるメーデーの
示威者(じいしゃ)に起こる足どりと
未来をつぐる鬨(とき)の声

(ウイキペディアより抜粋)

再開された第17回メーデー

第二次世界大戦敗戦翌年の1946年、「働けるだけ喰わせろ」をスローガンに掲げ、11年ぶりのメーデーが通算で17回大会として盛大に開かれた(別名「食糧メーデー」または「飯米獲得人民大会」)[13]。 全国で100万人、東京の宮城前広場に50万人が集まった[14]。5月12日には「米よこせ」を叫ぶ市民が宮城内に入り、同19日には「食糧メーデー」が25万人を集めて行われ、民主人民政府の樹立が決議された[15]

この歌は1911年明治44年)に発表された日本軍歌、歩兵の本領(ほへいのほんりょう)、の替え歌です。労働運動の歌に日本軍の象徴だったこの歌を書き換えたのが誰か知りませんが、戦後解禁されたばかりの共産党関係者の意図はあきらかですね。その原文は次のようになっています(編集子注:小生は 隅田 ではなく、吉野 であったように記憶しているが)。

万朶(ばんだ)の桜か襟の色                       花は隅田に嵐吹く                            大和男子(やまとをとこ)と生まれなば                  散兵線(さんぺいせん)の花と散れ

戦後の混沌から80年、時代は変わり今や超高齢化社会の日本、今が頂点。昭和の初期の日本の人口はまだ6000万人ほどでしたが、今は2倍の約1億2千万人です。人口が2倍となり、働き手、介護の担い手、マンパワーが不足しているで、人口が2分の1の時代で回っていたことがうまく立ちいかなくなりました。今、100歳以上の方は全国に6万人弱。日本は世界一の長寿国ですが、この長寿は今がピークなのではないかと思います。ご長寿の世代はもともと戦前から健康的な生活を送られていて、基礎体力もあり、何里も歩けるような健脚な方が多いですね。テレビ「ぽつんと一軒」を観て居ると10㌔とかを山道を歩いて小学校に通ったとか言う方沢山がいますね。

昨年敬老の日を前に発表された厚生労働省の集計で100歳以上となる高齢者が前年同時期と比べて8%増えて8万6510人、51年連続で過去最多を更新することがわかりました。男性は1万60人で、初めて1万人を超え、女性が約9割を占めて7万6450人。100歳以上の高齢者は2001年と比べて6倍。主要48か国の比較では、20年の平均寿命は女性(87・74歳)が世界1位、男性(81・64歳)が同2位。

一方、今の世代は戦後のベビーブーム、いわゆる団塊の世代。もっとも食糧事情がよくなかった時代です。さらに海外から650万人が引き揚げてきました。食糧事情は、戦前よりも戦後のほうがもっと厳しく、母親のなけなしの母乳をもらって育った世代ですが、高度成長期には外国から新しい食べ物が入ってきて、日本食から次第に離れていきました。20歳までに基礎的な体力をつけるという点でも、戦後世代は劣っています。最近、長寿日本一が沖縄県から長野県に変わりました。これは長寿のピークが過ぎたことを示しているのではないでしょう。

沖縄の長寿県の首位交代の一番の要因は、食生活の変化にあるといわれています。アメリカ軍占領下の1960年頃、肉の加工品などが大量にもたらされました。沖縄の伝統的な食事は理想的な長寿食といわれていますが、食生活が欧米化しても伝統的な食事をしてきた70歳以上の人たちは変わらず長生き。

最近、国立社会保障・人口問題研究所が統計を発表しましたが、男性の生涯未婚率が5人に1人、女性は10人に1人。団塊の世代までは婚姻率が非常に高く、それより下の世代では結婚しない人がどんどん増えています。未婚者は実家暮らしの人が多いので、ゆくゆくは親の介護をすることになり、その人たちが介護される側になったとき、介護をするのは誰かが、これからの大きな課題となります。

2008年から人口減少に転じ、今がその転換期なのでしょうが、経済政策はもっぱら成長・発展を追いかけ続けてきました。利益をとことん追求する経済至上主義のもと、大量生産・大量消費社会、そしてスピード社会へと駆け上がってきました。人口6,000万人だった時代からは想像もつかなかった、この不相応なスピード社会をスロー社会に変えていかなくてはならないと思います。高齢者の層は千差万別であり、われわれ80歳以上の世代から、まだ若い世代までいますが、私たちの世代からみれば、今の社会はスピードが速く、非常に住みにくいのです。

自分がここまで長生きすると予期していなかった人たちが老後を迎えて、親御さんが自分の年でにどうしていたかと考えても、前の世代はすでに多くが亡くなっていて、親の老後を見ていない。このような長期化する老後を歴史上初めて経験し、それを予期していなかったための備えはあるのでしょうか。親の背中を見て、この年になったらこんなふうに生きるものだと考えて、だんだんと年齢を取っていく、そのお手本がないところに初めて到達した世代ではないでしょうか

戦後70年で30年も寿命が延びたのですから、長寿社会の先駆者ではあっても備えがなく老後を迎えた人も多く、高齢者の貧困や経済格差の問題、特に1人暮らしの高齢者の貧困は切実だと思います。自営業や無職の人の年金は低く、もらっても生活保護水準以下です。特に女性単身高齢者の貧困率は5割を超しています。今の制度では、若いときの稼得力の格差が老後に影響するようになっていますが、若いときはたくさん稼ぐ人がよい思いをしても、年齢を取って長生きしたら、できるだけ所得格差を縮めるように再分配するという「老後社会主義」という考え方もあります。高齢者に生活保護受給者が増えると社会保障費を圧迫します。高齢者の貧困問題は社会全体の問題です。生産年齢人口がどんどん減少していますから、高齢者間でも高齢者を支える施策は必要になってくるでしょうね。

特に80~90代の世代は農業人口が多く、1950年代までは第一次産業の就業率が3割を超え、かつ農家世帯が5割を超えています。年金は国民年金のみで、低年金や無年金の方が多いのにその次ははサラリーマン化している世代なので、年金は悪くありません。結婚している人も多く、離婚も少ない。だから夫を見送ったあと、遺族年金をもらって、そこそこの暮らしをしています。

介護という点でみると、備えがなくて老後に入った人たちのお世話をその下の世代がしています。介護負担がこれほどまでに重くなると誰もが思っていませんでしたから、慌ててつくったのが介護保険ですよね。その次の世代が「自分が老後を迎えたときにどのような備えをすればいいか」ということを、今ようやく学習しているのだと思うのです。介護保険が始まって15年が経ちますが、最初は不完全で足りないところがあっても、3年に1度見直しをしながら少しずつ改善していくという形でスタートしました。しかし、最近は、社会保障関連予算が削減の方向に向かっているのが気になるところです。

2014年6月には「医療・介護一括法」(医療介護総合確保推進法)が国会で成立しました。この改革案は利用者にとっては負担増などが盛り込まれ、厳しい内容となっています。医療・介護を充実させていこうと介護保険をつくったはずなのに、この15年の間でどんどん条件を厳しくして使いづらくする方向に進んでいますね。介護保険制度をつくった2000年と現在の社会の間に食い違いが起きていて、時代の流れや変化に介護保険の内容が追いついていないのです。

この15年間で、家族介護力が確実に落ちてきました。これだけ落ちるとは想定外だったと思います。家族介護力を補う方向にいかなければいけないのに、今の制度は逆の方向に向かっているように感じます。日本の伝統的な家族構成を念頭において介護保険制度をつくったけれど、それが崩壊した。支える側の家族の形に急激に変化が起こったのです。

原資が足りないとやっとの思いで消費税を8%に引き上げ、今後さらに2%上げて10%にするはずだったのに、それも先送りしました。福祉先進国のスウェーデンでは消費税が25%で、租税負担率は約5割と高い割合になっています。スウェーデンやデンマークの人たちは、「自分たちのような貧しい国にできたことが、どうして日本のように豊かな国ができないのか」と言います。北欧の国は高福祉高負担。税金を多く負担する代わりに福祉が充実しているという安心感がありますね。日本は低福祉低負担だったのを、中福祉中負担に変えようという選択をしたはずなのにそのようになっていません。なっていないのは、そういう政治を選んできた私たちの責任かもしれません。今の高齢者を見ていると、自分が予期していなかった老後のつらさと切なさを感じます。日本の高齢者はあまり自己主張をしない感じがします。高齢者は数が多いですが、世代的な要因もあって我慢してきた方たち。そして女性が圧倒的に多い。「人の世話を受けて生きているなんて申し訳ない。肩身がせまい」というおばあさんたちが多いのです。高齢者の生活をよくするためには、「高齢者が自己主張すること」が必要だと思っています。アメリカには高齢者運動、シルバーパワーがありますが、日本にはまだまだ少ないですね。

日野原重明先生が立ち上げた「新老人の会」がありますが、会員は1万2千人ほどですから、アメリカに比べたら規模は小さいでしょう。アメリカにAARP( 以前の名称:American Association of Retired Persons・全米退職者協会)という世界最大の高齢者団体があります。会員は4千万人を超えています。この団体は政治に大きな影響力があります。特定の政党支持をしないで、民主党にも共和党にも影響力を行使しているのです。非常にうまい戦略だと思います。日本の高齢者もこのようなムーブメントを起こせないでしょうか。日本には3,000万人という高齢者がいますから、この層の心をつかんだ人はこの国を動かすと私は思っています。これは膨大な力となりますよ。高齢者が1人でも生きて、老いて、安心して最期を迎えられる社会をつくることが私の夢です。

そのためには介護保険をもっと手厚くしてもらいたい。そして、終末期を支える費用を手厚くしてもらいたい。たとえば、医療保険の高額医療費の減免制度と同じように、介護保険に終末期の短期集中ケア費用を支払い能力に応じて減免する制度をつくるということです。これがあれば最期まで自宅で過ごせます。年齢を取ったからといって施設や病院に行くのではなく、自宅で1人で最期を迎えられるための条件、制度をつくってほしい。そのためにはもっと福祉に予算付けをしてもらいたいと思います。

福祉の予算を抑制しているのが今の政治の傾向で、それを座視しているのが高齢者です。若者にお金がまわらないという不満の声もありますが、高齢者を大事にしない社会は、若者が年齢を取ったら同じ思いをするという社会です。老いることに希望が持てなければ、生きている甲斐がないと思うのです。いくつになっても「生きていてよかった」と思える社会。でも夢と言いたくはありません。実現したいと思っています。

3,000万人という高齢者たち叫ぼう。それが次の世代の人たちにも役立つのだ、頑張ろう「寅年・年女・男たち」
🎶聞け全国の高齢者

轟き渡る「敬老の日」の
示威者(じいしゃ)に起こる足どりと
  

未来をつぐる鬨(とき)の声 🎶