(承前)”キルギスの小母さん” 論議に   (大学クラスメート 飯田武昭) 

諸氏の見解を拝読し、小生の思う所を少し述べる。

共産主義の思想的原点はカール・マルクス著「資本論」(Das Kapital)とマルクス・レーニン共著「共産党宣言」(Manifest der Kommunistischen Parteiであろうが、少なくとも小生は「資本論」の全文を学生当時に読んだ記憶では経済学的書物であり、それほどに共産主義という印象は無かった。その後に政治体制を共産化したソ連邦と東欧の社会主義国、中華人民共和国、キューバ等での専制主義によって、共産主義のイメージが植え付けられたと思っている。

多くの社会主義体制の国々(共産主義との言葉使いの使い分けはこの際避けて)は、私の体験と理解では、近年までは明らかに経済発展が民主主義体制の国々より、経済的な発展が遅れてしまっていた。統一前の東西ドイツ(因みに小生は分裂時代の西ドイツに仕事で5年間滞在していた)、ソ連邦時代の東欧諸国、近年までの中国など。

ところが、近年は中国が急速に経済的発展を遂げ、民衆の生活レベルは刮目に値する勢いで近代化し便利になったし、4年前にロシアに2週間旅行した限りの印象では、サンクトペテルブルグ、モスクワ近郊の庶民の生活が、想像以上に便利で生活レベルが上がっている感じがした。つまり、民主主義か強権かという政治体制は民衆が感じなければ、殆ど関係がないのかと私は思うし、むしろ、ややこしく政治に関与しなくても、それで満足する民衆であれば、その方が良いのだろうと思う点も多い。

今の日本が問題なのは、最近だれが作ったフレーズか知らないが“沈みゆく中流“という、これが本当であれば(そんな気がするが・・)、我々の後の世代頃から、民衆(中流を主にした民衆)が、それこそ、普通の生活を取り戻したいと政治活動に現を抜かす時代になってしまうのではないか?という危惧がある。

“キルギスの小母さんについて“ に投稿された諸氏は “沈みゆく中流“ 以上にあるわけだから、体感的に分からない点があるかも知れない(自戒を込めて)。

(編集子)現在の我が国の状況について、いろいろと批判や自戒や政治論議やがあふれているのは承知するし、それなりに合点がいくことも多い。飯田君がいうように本稿で論議をしている仲間内は自分がどう思うかは別として、我が国のアパーミドル、一昔前の懐かしい表現でいえばプチブルであることは間違いない。だからこのキルギスの小母さんの真意は表面には理解したとしてもそれ以上に踏み込むことは実際問題として不可能だ。彼らから見れば、日本という国は豊かであり、平和であり、うらやむべき存在だろう。その国はどうやってできたのか。世界に誇る大政治家がいたからか。大学者がいたからか。

小生の(ひねた観察であることは承知)思うところは、大戦の元凶であり世界の厄介者であり時とすれば同じ位置にあるべきドイツと比較されてはその無策さをあざわれてきたこの国が、だれが何と言おうが歴史に残る事実として80年の間若者の一人として失わずにここまできた、はたまた、犬を連れて散歩に行く人はごみ袋を持ち歩き街路を決して汚さない、屋外に自転車を置いておいても盗まれる不安も感じない、小学生の女の子が夜ひとりで塾から帰ってこれる、個人の自由を束縛するからマスクをしないなどという青くさい論議よりも社会全体のために不満はあっても一度決まれば律義に政策を支持する、そういう社会を築き上げたのが、識者のいう二流三流の政治だったのではないか、ということにある。政治は結果である、ということ、そしてそれを実現したのは現実味のない世界観や壮大な理論よりも、日本人、を支えてきた文化であり、その根本にある倫理観なのだ、ということなのだが。