エーガ愛好会(93) リバティ・バランスを射った男  (34 小泉幾多郎)

東京都心上空を飛行したブルーインパルスが残したスモークの真偽について、河野太郎防衛相(57)が返答で引用した映画「リバティ・バランスを射った男」に関心が高まっている。 河野防衛相は1日、公式ブログで、ブルーインパルスが上空スモークで「Thank You」を示す「TU」を描いたのではという問い合わせがあったとし、「私は西部劇の名作『リバティバランスを射った男』の大ファンですとだけ申し上げておきましょう」と答え、インターネット上では謎めいた答えが「粋だ」として話題になっていた。 2日夜、Amazonのサイトでは映画「リバティ・バランスを射った男」のDVDが、外国映画の「西部劇」のカテゴリーで「ベストセラー1位」と表示された。
NHKBSP金曜日放映の西部劇は「アパッチ砦」「黄色いリボン」ときたので、当然「リオグランデの砦」の騎兵隊三部作かと思いきや、ジョンフォード監督作品乍ら「リバティ・バランスを射った男」とは、どうしてなのだろう?この映画最近再評価されているにしても、gisanからモーリン・オハラの魅力の賛辞等で語り尽されているにしても、折角だから三部作は続けて放映してもらいたかった。
 開拓時代の名残をとどめるシンボーンの街に、ランス・ストダート上院議員夫妻(ジェームス・スチュアートとヴェラ・マイルズ)が列車から降り立った。記者会見で、トム・ドノファン(ジョン・ウエイン)の葬儀に出席のためと答えるが、その名前を知っている者がいない。画面は、ランスの回顧談と共に彼の青年時代にさかのぼる。
弁護士としてシンボーンに来る途中、ランスは銀の柄の鞭を持った男ら三人組に
叩きのめされる。それがリバティ・バランス(リー・マービン)とその部下(リーヴァン・クリーフとストローザー・マーティン)だった。ランスは、トムに助けられ、娘ハリー(ヴェラ・マイルズ)のいる町のレストランに運ばれる。ランスはハリーを愛するようになったが、彼女はトムの恋人だった。結局ランスとリバティは夜の町で対決することになるが、ランスは右腕を撃たれ、銃が落ちる、左手で銃を拾うランス、銃声がとどろき、倒れたのはリバティ。結果を知った人々が集まる中、ハリーが泣きながらランスの右腕を手当てするのだ。実際は、トムが陰から、リバティをこっそり射ち殺したのだったが誰も知らない。ランスの身を案じるハリーの心情を汲み取り、良かれと思ってやったことが、恋人をとられてしまうという現実にトムは泥酔、新婚用に建てた家に石油ランプを叩きつけるのだった。ハリーと住む筈の家がたちまち灰になった。この映画、アメリカ開拓魂の象徴トムであるウエインとアメリカ良心の象徴ランスのスチュアートが近代化押し寄せる西部での夫々の生き方、銃で統治する時代から法律で統治する時代という変わりゆく時代背景に、価値観の違う男たちの友情と確執が情感豊かに描かれている。暴力の繰り返しの中で秩序を拡大してきたアメリカの歴史を苦い痛みと共に文明化していく道程を描いているとも言えよう。また主要な舞台が、フォード監督がこよなく愛したモニュメントバレーといった砂塵の舞う荒野ではなく、コーヒーとステーキの香りが立ち込めるレストランだったということ、これは荒野に生きる男性的空間からキッチンという女性的空間が作品の中心になるという異例な舞台となっていること。おまけに怪我でレストランに世話になるランスとしては、返礼のためもあり、エプロン姿で皿洗い まですることになる。どうやらフォード監督は、ジェンダー論(男女の役割)にまで踏み込んでいるというのだ。即ちランスがエプロンという女性的記号で女性の領域に足を踏み入れた存在であり、文明・法・教育が付与されているとすれば、リバティは銃と鞭という男性的記号が付与され、荒野・暴力として位置づけられる。ではトムは、どうか?リバティと同じ銃の世界に生きてはいるが、ランスの世界の対する志向性も持ち合わせる矛盾した存在でもある。

ランスが持ち込んだ文明化の波をとめるものはなく、荒野は農園と庭園に代わり、銃の男トムは文明に住むことが出来なかったのだ。

主役ウエイン、スチュアート共に出演当時54,53歳だから30歳前後の役には、歳をとり過ぎてはいたが、二人とも役に嵌っており、年齢の違和感はそれ程感じなかった。スチュアートはぴったりの役回りだし、ウエインは助けた男に恋路を奪われる西部男の哀歓を演じていた。先週の「黄色いリボン」に引き続き、その演技に惚れ直したことだった。端役と言われる飲んだくれの新聞編集長エドモンド・オブライエン、気弱な保安官アンディ・デヴァイン、トムの黒人使用人ウディ・ストロード等夫々の役で好演していた。

(菅井)何年か前に90年代のニューヨークを舞台にした「リバティ・バランスを射った男」のリメイクの企画があると聞いた覚えがあるのですが、実際に制作されたのかどうかをご存知の方がおらればご教示頂ければ幸いです。

(安田)原題「The Man Who Shot Liberty Balance」について。The Manと定冠詞付きなので、その辺のある第三者の男ではなく、特定の男を指していることが先ず解る。邦訳ではShotを「射った」としている。現在形のShootを辞書で調べると、その意味は撃つ、射る、放つ・・などがある。敢えて「撃った」としないで「射った」としたのは特別の意図があったのだろうか?「射つ」は通常使わず「射(い)る」が普通の使い方。通常、鉄砲などで射撃する場合は「撃つ」で、弓を使って矢を射る場合が「射つ」とある。ならば、リバーティ・バランスは弓矢を射られたのかと思ってしまいます。考え過ぎだが、そんなことを頭の隅にいれて観ました。それから、リー・マーヴィンが好演した、射たれた男リバーティ・バランス(Liberty Balance)は不思議な名前。Libertyは自由、Balanceは均衡。こじ付けて訳せば、自由で均衡のとれた男とでもなろうか。主人公に殺される悪党の名前としてはユニークではある。実際にアメリかでは存在した(する)名前なのか?それとも映画を面白くさせるためのアイディアなのか?

(小泉)Liberty Valance のこと、よくよく見ると、Balance でなくて Valanceでした。Valance ですと辞書を引くと、垂れ幕とか、飾りものとかの意味ということで意訳すれば、勝手放題とか、気儘な振舞とかと解釈できないでしょうか。

(編集子)フォード一家、ということで言えば、投票所になるバーのバーテンダーはジャック・ぺニック、悪党面だが憎めない役でよく出ていた存在。”駅馬車” のトリビアで書いたが、リー・マーヴィンがスチュアートと対決すべくテーブルを離れるとき、彼の手は “死の手”、ウエインに射殺されるルークが持っていた、エースと8のツーペアだった。このあたり、フォードの綿密さに改めて感心した。