江戸の秋を味わう     (普通部OB 船津於菟彦)

向島百花園」 文化元年(1804)、佐原鞠鵜(骨董商の北野屋平兵衛)によって開かれた梅園。開園当初は、大田南畝(幕臣、戯作者1749 – 1823)や加藤千蔭(国学者1735 – 1808)などの文人墨客が集うサロンでしたが、秋の七草などの詩歌にゆかりの深い草木類を多彩に植え込み、やがて、江戸の町人文化爛熟期の文人趣味豊かな名園として、庶民に親しまれるようになっていったようです。臥竜梅で名高い亀戸の梅屋敷に対して、新梅屋敷、花屋敷とも呼ばれた。茶店では、庭でとれた梅干が茶うけに出された。戦災で総て失われ再建された物です!石碑などとか庭園の配置は昔通り再現しているようです。
小さな庭園ですが四季折々の草花が何時も見られ、「我の写場」邸内には各所に石碑に刻まれた句碑が建っています。
「春もやや けしき ととのう 月と梅」 芭蕉
「織りたらん 草の錦や 花やしき」柘植黙翁
「こにやくの さしみもすこし 梅の花」はせを(松尾芭蕉)
「今日の月 さても惜しまぬ 光かな」金令舎道彦(鈴木道彦
「朧夜や たれをあるしの 墨沱川」其角堂永機
「限なき そらの要や 望の月」最中堂秋耳
「何事も かかる浮世か 月の雲」七十二峰庵十湖
「水や空 あかり持あふ 夜の秋」北元居士
「うつくしき ものは月日ぞ 年の花」寶屋月彦
百花園で一句 せいこ (我が神さんです)。
葎-むぐら。 瓢-ふくべと読むそうです。むぐらは雑草がざっぜんと茂っている様を表す俳句用語のようですね。
土橋越え萩の葎り洞まで
百花園古リて瓢の実二つ
わが丈を越ゆる尾花も撫子も庭井戸の滑車古リたり小鳥くる

写真の説明はありません。
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名園に妻装いて敬老の日  (写真はよその方です! )
因みにこの庭園の片隅に茶店が在り佐原鞠鵜の子孫の方がお店に居られます。久し振りにかき氷を食べました!350円でした。ツーンと頭にきました。
どうやら今年も秋へ向かう感じですが、生臭い権力闘争や、プロ野球・相撲の行方も今月中にはケリが付きます。神様が皆出雲にお集まりに成る神無月ですね。