こちらMSS会も健在 !

昨日の同期入社グループに引き続き、今日は ”YHP マネジメントサービス課” 通称MSSの同窓会として2日連続の昼酒となった。以下、報告と回顧。

YHPは創業直後、各種の問題に直面し、徹底したコスト削減という目的のため、それまでに使用していたIBM製会計機と横河電機のコンピュータによる生産管理システムは廃棄され、その責任者であった小生は職を失う羽目になった。その後いろいろな過程を経て、もう一度、自前のEDP (Electronic Data Processing 当時はITという用語は存在していない)を持とうということになり、再度、その任に就いた。自分では二度とやりたくないと思っていたのだが、当時の事情で断ることもかなわず、数人のいわば “同志” と準備作業に入った。

ただ、前回あまりにもハードウエア面に集中してしまった反省もあり、EDP という職場名には断固として反対し、MSSが誕生した。古いファイルでみつけた ”辞令” を掲げておこう。以下にも時代を感じさせるドキュメントである。

”同志” として糾合した安藤滋とか田中新一などとかなりまじめなフィージビリティスタディをやった。その表紙だけかかげておこう。

現状分析。HP本社への報告であるので英文になっている。 すべてマニュアルタイプライターで作成、トレーシングペーパを張り合わせてつくったもの。
こっちは日本側トップの説得用なので日本語。ワープロなどと言うものがなかった時代、3人の中で最も達筆の(故)田中新一が書いたもの。

それでも当初から自前のマシンを持つことは許されず、当時八王子市商工会議所が持っていたシステムセンタへ通ってプログラムテストをやり、本番の運用までまで同社に依頼する状況だった。その後MSSの技術面での実質的リーダーになった藤田、沢田、堀などと言う連中はこの縁からYHPに参加した。考えてみると、中途入社、職種別採用、という当時はかなり禁じ手に近かった入社である。

その後、彼らの活躍、HP本社からの支援もあり、当時IBMが最先端機としていたシステム370の最小規模モデル、370/115を何とか導入してもらった。今の若い人には信じられないだろうが、この最小モデルについていたディスク(当時すでにDASD=Direct Access System Device,なんていう、プロまがいの呼称があった)が75Mバイトある!といって興奮したものである。このシステムはHP自体が汎用(という区分がまだあった時代だ)コンピュータビジネスをはじめたため、そのモデル3000に移行するが、小生は後事を安藤に託してMSSははなれていて、その後のHPスタンダードによるグローバリゼーションには直接かかわっていない。この野心的なプログラム推進のため、社内外から人材が集まり、活気に満ちた、面白い職場として 俺たちのMSS が出来上がった。

前振りが大変長くなった。本日参加できたメンバーの写真を掲げておく。残念の極みであるが草創期の主力だった堀重敏が最近急逝。皆で冥福を祈って黙祷をささげた。

2019MSS会 八王子マロウドインにて