フェルメール展  (44 安田耕太郎)

日本美術史上最大のフェルメール展を上野に行って観てきた。これまでで最高値の入場料2,700円(驚!)。 7ヶ国17美術館が所蔵する全35作品のうち10点(8美術館から)が来日した。まず8点が上野で展示、1点は年明けに追加、1点は大阪のみ展示。所蔵する美術館にとって虎の子の絵画を併せて10点もを6ヶ月近くの長期に亘って拝借出来たのは歴史的快挙と言っていい。
            真珠の耳飾りの少女
フェルメール (Johannes Vermeer) は、7世紀半ば (日本は三代将軍徳川家光の治世)、オランダ(北部ネーデルランド)のデルフトに生まれ、43歳で夭折した。時はバロック全盛、芝居がかった場面描写が好まれ、躍動感溢れる感情と情熱が前面に押し出た表現が主流であった。代表的画家はルーベンス(フランドル – 現ベルギー)、レンブラント(オランダ)、ベラスケス(スペイン)、カラヴァッジョ(イタリア)、ラ・トウール(フランス)など。近隣列強諸国が押しなべて絶対王朝・王侯貴族が文化・芸術の担い手だったのと対照的に、プロテスタントのオランダは東インド会社に代表される海外に開かれた実利・開明的中産商業階級が社会の中核。威厳的な宗教・神話に基づく絵画が支配的であったカトリック諸国バロックと違い、風景画・風俗画が人気を博する萌芽がオランダ絵画を特徴付けた。全盛期17世紀半ばのアムステルダムにはプロの画家が700人もの多数いたと伝えられ、その代表がレンブラント。購入者の多くが中流階級であったことから、絵画のサイズもフェルメール作品も然りで小振りで家庭に飾られることが想定されていた。フェルメール作品も転々と持主が変わって移動したのである。
同時代にあってフェルメールの静謐で穏やかな絵画も南欧バロック本流とは大きく異なり、市井の庶民をモチーフにした風俗画が多い。19世紀後半の印象派より2世紀も昔に、明るい色彩、光と陰を見事に操る先駆者の一人としてフェルメールの稀有な才能がネーデルラントに出現したのは、後世の我々に与えてくれた天の恵みだ。約20年間の制作期間で35点と寡作で多くの謎に包まれた生涯であった。今では天文学的な価値ある彼の作品も、オランダ経済不況が絵画需要にも影を落として売るにも困り、11人の子沢山でもあって借金せざるを得ない時期(特に晩年) があったことが記録に残っている。
僕はオタクではないが海外出張の折に美術館を訪れ20年以上を要して、5ヶ国7都市8美術館にて23作品を目にした。今回の展覧会で未観5作品が新たに加わった。
フェルメールを気に入っている点は、同時代の先達カラヴァッジォやラ・トウール絵画にも見られるが(影響を受けたのかも知れない)、魔術師のように光と陰の微妙な柔らかい質感表現の妙と、映像的で写実的な繊細な色彩と空間表現の素晴らしさ、更には構図の見事さに魅了される。絵を真近で観たときの引き込まれる空気感は格別だ。絵の輝きとまるで呼吸しているエネルギーを感じる。画面構成の巧みな技は時代を経て近代絵画の父セザンヌにも受け継がれているかのようだ。数年前 絵師伊藤若冲絵画でも話題となった貴重な鉱石ラピスラズリ(瑠璃)を原料とする青の色彩は「真珠の耳飾りの少女」のターバン、「牛乳を注ぐ女」の前掛けエプロン、「天秤を持つ女」のガウン、などに見事に表されていて素晴らしい。故郷デルフト焼きの青に影響を受けたのかも知れない。ラピスラズリは原産地アフガニスタンから海路ヨーロッパへ運ばれたという。それでウルトラマリン(ultramarine“海を越える”の意味)とも呼ばれた。日本にも出島経由で持ち込まれていたのだ。普通の顔料の10倍高価だったらしい。ふんだんに使用したフェルメールの家計は苦しくなったと記録にある。
今回来日した作品の白眉「牛乳を注ぐ女」は風俗画の最高傑作だと思うが、使用人であろう質素な身なりの女性が着る黄色の服の質感がいかにもメイドのそれを表現していて見事だ。パンの表面のリアルさには驚嘆する。壁の釘の跡の真実感! 色白の北欧人にしては、仕事する手首から先は使用人らしく日焼けして黒く、他の部分は地肌が白い。注がれる牛乳の滴りの臨場感も特筆もの 。
   牛乳を注ぐ女
フェルメールは2世紀近くその存在が忘れ去られ、19世紀になってフランスの評論家トレ・ビュルガーにより”デルフトのスフィンクス“(謎)と呼ばれ再発見・再評価され、自然主義 写実主義の台頭に伴って印象派が登場した。
           デルフトの眺望
15年程前、アムステルダムに出張した折にハーグを訪れる機会があった。マウリッツハイス王立美術館ではフェルメール絵画の中で人気1、2位を争う、「真珠の耳飾りの少女」「デルフトの眺望」を観た。因みにマウリッツはスペインとの独立戦争当時の将軍、ハイスは家。足を延ばし列車で15分のデルフトへ。「デルフトの眺望」の描かれた現場を探しまわり、実物を目の当たりにした時は気持が高揚した。セザンヌが幾枚も描いた南仏エクス・アン・プロヴァンス  (Aix-en-Provence) 近郊のサント・ヴィクトワール山を麓から眺めた時のように、はたまたセーヌ河下流の辺りジヴェルニー(Giverny)でモネの睡蓮の池を訪れた時のように。デルフトでは絵の中の運河のほとりに女性二人が立っている位置あたりから街を眺めたのである。絵に描かれた風景の半端ない現実感 (例えば、リアルな雲の下は暗く陰り、後方には陽がさして明るい風景となっている、手前砂浜の砂の粒立ち感など) にはフェルメールの天才が余すところなく発揮されている。風景画の大傑作である。350年の時空を超えて絵画の風景が現存している事実には、ヨーロッパの維持し存続する底力を思い知らされた。余談だが、ヨーロッパのレクサス宣伝に”The Art of Standing Out”と題してフェルメール 「真珠の耳飾りの少女」、ジョルジュ・スーラ「アニエールの水浴」、エドワード・ホッパー「ナイトホークス」もどき動画をハイライトしている。ユーチューブを面白半分みて下さい。https://youtu.be/Llu1RuzQnSY