フランシス・フクヤマ論文を読んだ   (44 安田耕太郎)

 

第二次世界大戦においてナチスドイツの敗色が濃厚となった頃、戦後の東西冷戦を予見しソ連と西欧との間には「鉄のカーテン」が引かれると喝破したのはイギリスの元首相ウィンストン・チャーチルだった。彼は、更に「民主主義は最悪の政治形態だ。ただし、これまでに試されたすべての政治形態を別にすれば」、と民主主義の政治体制を逆説的に賛美した。しかし、戦後4分の3世紀を経た今日、ロシアと中国に代表される権威主義的専制国家は強力に前進しているように見える反面、民主主義の命運に関する悲観論が高まってきたかにみえる。民主主義の盟主たるべきアメリカの国力低下も起因しているのは明らかだ。権威主義専制政府は、民主主義政府のような逡巡や躊躇、あるいは議論の対立とは無縁に、迅速に意思決定をして果断に行動に移すことが出来る。民主主義体制の弱点は、一人の為政者が国を治める期間は短く政権交代は頻繁で、長期的に一貫した持続可能な政策・戦略を採ることが相対的に困難な点である。

 

ロシアにおけるウクライナ侵攻、北朝鮮のミサイル発射による威嚇、中国による台湾侵攻の恐れ・・・。権威主義的独裁国家による民主主義体制への圧迫が続く。国際社会を大きく「民主主義」対「権威主義的独裁」の構図で観た場合、人口の合計はそれぞれ「23億人」対「55.6億人」となり、世界の人口の71%が「独裁」側に住んでいることになる(下記貼付資料: スウェ―デンの独立研究機関のデータによる)。世界で最も多い統治形態は民主主義の理念を掲げる独裁国家とのこと(橙色の国)。データ入手可能な199ヶ国の内、実に55%の109ヶ国が権威主義的独裁国家なのだ。アメリカなど多くの民主主義国で、自由な国際秩序を攻撃し、自国内の「法の支配」を傷めつけるポピュリストの指導者が出現している。民主主義とその体制はこのままジリ貧状態に陥ってしまうのだろうか。現状を示す下記の地図で 赤と橙色が広い意味で「独裁」に分類されている:

去る5月22日の読売新聞朝刊の「地球を読む」にアメリカの政治学者フランシス・フクヤマの投稿記事「ウクライナ・コロナ」が載った。今、最もホットな話題2つを取りあげて、権威主義的国家の問題と民主主義の先行きを論じているので紹介する。

我々はここ数か月で、権威主義的大国による二つの破滅的な意思決定を目撃した。第一は、ロシアのウクライナ侵攻である。第ニは、中国が「ゼロコロナ」戦略の維持という無意味な闘いに取り組んでいることである。

ロシアは、無辜のウクライナ市民を何万人も殺害し、国のインフラの多くを破壊した。しかし負け戦の途上にある。首都キーウ周辺から撤退を余儀なくされ、東部ドンバス地域の確保という目標も縮小を迫られている。ロシア側の代償も甚大で、ロシア軍兵隊の士気の低下は顕著だ。NATO拡大により旧ソ連圏が脅かされるとして、侵略を正当化したが、今やNATOはフィンランドとスウェ―デンにまで広がろうとしている。同時にロシアは民主主義世界から未曽有の経済制裁を科された。ロシア経済は外部世界から切り離され、いずれ機能不全に陥ろう。ウクライナの抵抗戦力を過小評価して楽観的に侵略したロシアは、今やNATO諸国から継続的に武器の供与を受け続けるウクライナの高い戦闘士気と戦闘能力の向上の前にたじたじである。士気の低下が目立つロシアと好対照である。プーチンの成功はおぼつかない。

中国の「ゼロコロナ」戦略の維持は、多くの都市における封鎖(ロックダウン)をもたらし、中国経済に深刻な結果をもたらすだろう。習近平はゼロコロナ戦略に個人的威信をかけている。中国共産党独裁は高度に制度化され、指導部幹部の任期には制限があり、引退年齢も決まっていた。毛沢東時代のようなカリスマ的指導形態への忌避感は明白であった。これらの制度的な権力監視の規定の多くが習近平により解体され、彼自身が兼務する国家主席の任期(2期10年)も撤廃した。例外的な次期5年或いはさらに次の5年の政権を担うことは当然視されている。自分に対する個人崇拝の構築も進めてきて、「習近平思想」の教義を強調し、自らを過去の「偉大な指導者」になぞらえている。習近平の独裁的権力と威信に立ち向かう人物が指導層内にいなさそうな現状では、依然として暫くは習近平独裁体制が続くのだろう。

ロシアと中国の今回の悲惨な選択は、単に情報の乏しさや個々の指導者の判断ミスに起因するものではない。これは、権威主義的な両国の政治システムそのものがもたらした結果といえる。両国とも、頂点に立つ個人に際限のない権力と権威を与える、いわば属人的な権威主義形態へと変化した。その個人に対する監視は殆どなく。明白な失敗があったとしても、方向を反転させるための仕組みは存在しない。権力に対する監視の欠如は、特にロシアで顕著だ。プーチンがコロナで孤立を深めたという指摘が多い。長テーブルの両端で側近やゲストの要人と協議する姿は、その象徴だ。最側近とのこういう関係は恐怖に基づくもので、知的な議論や熟考が可能な政治システムとは程遠い。それどころかプーチンには、誰もあえて真実を伝えず、彼は情報を遮断された泡の中に生きている「裸の王様」のようだ。

ロシアのウクライナ侵略によって、世界は重大な岐路に立たされている。ロシアは。東西冷戦の終結後に現れた民主主義に基づく政治を破壊しようとしている。それを、国際秩序のルール改変を模索する中国が助けている。だから、ウクライナ戦争がどういう形で帰結するかは、同国だけでなく世界全体に影響を及ぼすのだ。フランスのマリーヌ・ルペンやハンガリーのオルバン首相、アメリカのトランプ(前大統領)といった欧米の大衆先導型の政治家はおしなべて、プーチンを手本として仰いできた。それゆえ、ロシアによるウクライナ征服の試みが失敗することは、結果として地球全体の民主主義に、大きな恩恵をもたらそう。それはまた、民主主義諸国が地球規模で新たに結束する契機となりうるかも知れない。