エーガ愛好会 (134) ワーロック   (34 小泉幾多郎)

 題名ワーロックは西部の町で、無法者トム・ドレーク(エイブ・マキューン)一味に支配されていて、住民は町会で、凄腕のガンマンであるヘンリー・フォンダ(クレイ・ブレイスデル)を呼ぶことにしたが、賭博師アンソニー・クイン(トム・モーガン)がコンビで、モーガンは早速酒場フレンチ・パレスを開業。二人の暴力的抑圧により、一旦は無法者を抑え込む。片や無法者一味だったリチャード・ウイドマーク(ジョニー・キャノン)が一味の不法に嫌気がさし脱退し町の平和のためと保安官補になる。

この三人の名優が丁々発止とやり合うのが映画の本筋だが、筋を追うと長く
なるので省略するが、この三人に絡む女優陣は、フォンダの勇気に感動するドロレス・マイケルズ(ジェシー・マーロウ)とフォンダとクインに関係するドロシー・マローン(リリー・ダラー)がウイドマークと愛を育む。お目当てのドロシー・マローンは。相変わらずの美しいブロンドで、上目遣いの瞳、けだるい視線、喋らなくても口が開閉する等言われてきた魅力満載。フォンダとクインには敵対する過去があったと云う筈のものがあまり出ずおとなし過ぎた。ドロレス・マイケルズはお金持ちのお嬢様風情は出ていたがそれ程の魅力は感じなかったが、最後フォンダとの別れ、クインの代りになれないと身を引く淋しき別れには感じが出ていた。

どうやら監督エドワード・ドミトリクは「荒野の決闘」等のOK牧場の決闘で名を馳せた名保安官ワイアット・アープの流れ者的ないかがわしさを強調し利権を求めて渡り歩く雇われ保安官としての悪名の方を名保安官だったヘンリー・フォンダを起用して強調しようとして、最後正義の副保安官ウイドマークとの対決に至るのだが、正邪がはっきりしている所謂西部劇とは一線を画する。この主役三人共正邪を併せ持つ性格を、流石名優たちは巧みに演じてはいるが、スッキリしない点も多々ある。まあクインは、足にハンディを持つ男、フォンダだけが、それを馬鹿にしなかったとコンビを組んできたが、蔑まされた歪んだ執着から、大衆の罵りに耐えきれぬ悲壮感から破滅に追い込まれる。ワイアット・アープとドク・ホリディとの関係にも似ている。ウイドマークは、最後は正義の勝ち組で、マローンの愛も町民の支持も得るが、もともとは無法者の一味ではあった。フォンダ、クインの前歴にあれ程こだわった町民が、ウイドマークの転向には無関心?フォンダは最初の酒場フレンチ・パレスで、階段から下を見ずに颯爽と降りて来る所から最後の決闘の場面まで恰好良い。中盤、殺しについてあらゆる点からその正当性を信じて行ってきたことについて自問自答し納得していること、最後決闘でウイドマークよりも早く抜いた銃を投げ捨てるフォンダが、何故ワーロックの町から出て行かねばならないのか、判らずじまいでもある。ドミトリク監督も赤狩り時代の犠牲者だが、転向者でもあったという。言われてみれば、主人公夫々が転向者の様相を呈しているのは、意識的に監督自身が連想しているのだろう。

(編集子)なるほど、ドクター小泉の西部劇にはあまり例を見ないストーリーの運びや心理面の分析、納得。エドワード・ドミトリクの作品では ”ケイン号の反乱” しか見ていない。しかしこのフィルムは重厚なつくりで原作を読んだ時よりも印象が深い。メル・ファーラーは後半の裁判部分にしか出てこないが、小泉解説を読んでみて、特殊な環境に置かれた人間の焦りというか常人とは違った、抑制された怒りが現れた演技だった。赤狩りの経験が転向者という形に終わったのは知らなかった。このあたりがやはり作風ににじみ出るのだろうか。  難しい議論はともかく、小生にとってはフォンダよりウイドマークより、あこがれのドロシー・マローンが出ているだけで満足の一作。