エーガ愛好会 (79) ”荒野の決闘” をめぐって

 

(大学クラスメート 飯田武昭)

名作です。この映画を改めて観ると、前半のいわば人物紹介的な部分と後半のOK牧場での決闘へ突き進む部分とで、演出的には静と動の切り替えがあって興趣を一層そそる感がしました。各ショットが生き生きと無駄が無く、どこを切り取っても絵になるようなシーンと馬と幌馬車が疾走する蹄と轍の音と映像が特に見事に映像として捉えられているのに改めて驚きます。原題と主題歌でもあるMy Darling Clementine (いとしのクレメンタイン) の歌詞の1stフレーズにDwelt a miner, forty-niner, And his daughter Clementine.があります。特に“49ers Forty-niners,”という1Wordで私には西部への郷愁をまた誘われます。言わずもなが、49ersは一獲千金を夢見て南部St.Louis辺りを出発してカリフォルニアに到達した1849年組を指すわけですが(1説にはSt.Louisから約7週間掛けて西部に到達した日にちと言う説も)、私は元勤務先の会社からN.Y.に4年間(1980~84年)駐在した間にSt.Louisや勿論Califolnia州には何度か出向きました。その後にSt.Louisには娘家族が住むことがあってこの街に2016年に約1か月間滞在しました。St.Louisは西部への玄関口Gateway Arch、Budweiser本社、メジャーリーグの名門St. Louis Cardinals、セントルイスブルースとバーベキューで西部への夢を馳せたものでした。N.Y.駐在当時はアメフト観戦にも興じましたが、当時の最強QBはSan Francisco  49nersのスーパースター、ジョー・モンタナで格好良すぎて、N.Y.Jetsを応援しながらモンタナファンでもあったのが懐かしいです。映画「荒野の決闘」は私にそんなことまで思い出させる名作です。

(44 安田耕太郎)

最初にこの映画を観た一昔前、おやっ!とやや不思議だったのは、ワイアット・アープ(ヘンリー・フォンダ)が密かに恋するクレメンタイン(キャシー・ダウンズ)に別れを告げるシーン。荒漠たる西部の荒野をバック(ジョン・フォードポイントと呼ばれる)にクレメンタインとアープは見つめあって会話を交わす。

「言いたいことは沢山・・・でも、うまく言えないわ」            「ええ、わかっています」                       「この町に残って先生になると聞きました」               「ええ、学校の教師です」                       「私と弟は親父に会いに帰ります。また牛を連れてこの町に寄ってみます」

ここでアープは熱き感情を押し殺すように近づき彼女の頬にそっとキスして言う「さようなら」。アープは馬にまたがり言う、「とてもいい名前だ・・・・クレメンタイン!」やがて、ワープの乗った馬は、坂を下り荒野の彼方へと小さくなっていく。クレメンタインはひとり、去り行くアープに視線を注ぎながらゆっくりと坂道を下る。映画史上最も印象的な美しいラストシーンのひとつだ。

ラストでなぜアープは愛しのクレメンタインと別れなければならなかったのか?それは彼女が、決闘で斃れた親友ドグ・ホリデイの婚約者だったからであろう。男同士の義理の世界が、死を賭けた男たちの友情が、女性への愛を上回ったのだ。ここにジョン・フォードの美意識の世界が描かれている。だが、フォードはアープがいつの日か戻ってきてクレメンタインと結ばれることを示唆している。アイルランド系アメリカ人のフォードは、ロマンチシズムと抒情性を持ち合わせている。この作品の原題「My Darling Clementine」は古い西部民謡から採られた主題歌で、センチメンタルなこの曲が全編に流れ、西部の荒くれ男が愛した女性の名がクレメンタインであったことは、フォードの感傷的な一面を如実に示している。あの別れ以外には考えられない見事なラスト・シーンであった。

(33 小川義視)

ご提案の「荒野の決闘」についてのコメント、愛好会の皆さんのような素晴らしい感想は書けません。ただワンダーのお蔭であのタイトルバックで流れ
る「Oh My Darling Clementine 」が懐かしく一番印象的でした。愛好会のお蔭で昨年から3回も観ました。

(40 武鑓宰)

録画しておいた荒野の決闘オリンピック観戦からも解放されやっと観ました。
無知にもOK牧場の決闘が荒野の決闘のリメイク版と云うこと知りませんでした。荒野の決闘は1946年制作で方やOK牧場は1957年となっており、わずか10年ほどの間ですがこの間のアメリカのハリウッド映画の繁栄ぶりを感じました。しかしアメリカとは云え戦後間もない頃にJ.フォードはよくこんな西部劇大作が造れたものと感心しますが荒野にヒントを得て上手く作られたOKは娯楽性、面白さという点では上という感じでした。
H.フォンダ/B.ランカスターとV.マチュア/K.ダグラスに主題歌My darling Clementine/Gunfight at OK  Corral等の新旧比較比較も興味深く、やはりOKのJ.スタージェスは荒野を上手く利用して娯楽西部劇を作ったと云えるのでしょうか。

(34 小泉幾多郎)

「荒野の決闘」はWikipediaによれば、スチュアート・N・レイクの「ワイアット・アープ フロンティアマーシャル」を原作として制作された第1作「Frontier
Marshal 国境守備隊1934」ジョージ・オブライエン主演と第2作「Frontier
Marshal1939 日本未公開」ランドルフ・スコット主演に次ぐ第3の作品。ジョン・フォードは第2作を観て「荒野の決闘」を撮る気になったとある。

第2作を観ると両作とも、脚本家サム・ヘルマンが書いたストーリーをもとにしていて内容が似ている。生涯430本も撮ったアランド・ワン監督作品だけに70分と短い中に、濃密な作品に仕上っている。アープはランドルフ・スコットで若く魅力的、ドクは、バットマンのジョーカーで有名なシーザー・ロメロ。二人のヒロインも役名は違うが、ほぼ同様に登場し、酒場の女ジェリーがビニー・バーンズ、クレメンタイン役サラにナンシー・ケリーが扮している。ポーカーで、賭博師とのイカサマから、アープが女を水槽に投げ入れるシーン等そっくり。

シェークスピア役者が単なる喜劇役者の違いがあるが、ドクがハムレットの台詞を引き取ってインテリぶりを示すのと同様、サラがドクに、ジュリアス・シーザーのセリフ「臆病者は何度も死ぬ。勇者は一度しか死なない」と捨て鉢と勇敢の違いを示す場面もある。アープとドクの友情、ドクの負傷や流れ弾で重傷を負った子供の手術に見せるドクへの女性恋敵同志の献身的な結束等基本的プロットは変わりない。ドクは子供の手術後殺されてしまい、OK牧場の決闘はアープ兄弟は存在しないことからアープ一人対クラントン一家ならぬ無法者カーリー・ビル(ジョー・ソーヤー扮)一味との対決。アープとサラの思いは第3作ほどではないにしても、二人が結ばれることはアープの動きから窺われる。

では第2作との違いは何だろう。第2作より20分長いだけ、フォード自身の心象を大切にしながら、西部に生きた人々の日常生活を描いたことだろう。ゴールドラッシュを目指した人々を歌った、開拓者たち好んだ My Darling Clementine nの歌から始まり、牛の大群、人物を背景にした雲と人の配合といった雰囲気描写たる風物詩。主人公アープは、アメリカ人の一つの理想的原型と言える実直な自分に誠実な信念の男、推されれば、リーダーになることはいとわないが、むしろ一介の野人のままでいることを良しとする、強さを恥じるような風情で、威圧的なポーズを見せることのできないヒーローなのだ。はにかみ屋で実直な男がポーチの上に座り、伸ばした両足を柱に押し当てるように交互に両足を入れ替えながらまどろむことで、トウムストーンの法と秩序の維持、町並みが教会・学校等々建設されていくことを暗示しているのだ。

(編集子)

芦原伸著 ”西部劇を極める事典“ に 西部劇十大事件 という項目がある。西部劇映画の背景になっている時代、という意味だが、その第一に来るのがテキサス州独立運動にかかわって、当時スペイン支配下にあったメキシコとの間に起きた有名な史実、アラモの闘いであり、十番目に挙げられるのが今度はそのメキシコのスペイン支配からの独立のための革命であって、芦原氏の年表によれば1836 年から1919年あたりがこの ”西部劇の時代“ ということになる。日本で言えば1868年が明治維新のとしであるから、江戸時代末期にあたる半世紀ということになる。映画でいえばジョン・ウエインが製作主演をつとめた アラモ ではじまり、ロバート・ライアンの ワイルドバンチ あるいはゲイリー・クーパーとバート・ランカスターヴェラクルス までの時代である。この間に起きた史実でいえば、カスター将軍の率いる第七騎兵隊がダコタ州リトルビッグホーンでスー族との会戦に敗北、麾下全軍が全滅した事件(映画はエロール・フリン 壮烈第七騎兵隊)や、ニューメキシコ(当時はまだ準州)リンカーン郡で起き、リンカーン・ウオーとまで呼ばれた大規模な牧場主間の争い(ここに有名なビリー・ザ・キッドが登場する)などが西部劇映画(代表作はジョン・ウエイン チザム)に格好の背景を提供しているのだが、中でも1881年10月26日、アリゾナ州トウムストーンで起きたOKコラルの決闘事件を取り上げた作品には傑作が多い。

 

トウムストーンは芦原氏の表現によれば、“当時の鉱山景気のただなかで、西部でもっとも俗悪にして、無法がまかり通る新興町” だった。OK牧場の決闘 のテーマ曲の一節に出てくるブーツヒルという墓場は射殺された死体のブーツも脱がせず埋葬した場所だと言われているし、何しろ現代では想像できない無法の町だったことは間違いない。1877年、この近くで銀山が発見され、1880年には2000人だった町が2年後には人口が1万を超えたというのだからその無法ぶりも想像できる。史実として確認されているのはワイアット・アープ兄弟と凄腕のギャンブラー通称ドク・ホリディの四人とクラントン、マクローリー両兄弟とビリー・クレイボーンとの間に行われた銃撃戦だが、片方の親玉アイク・クラントンは逃げ出し、闘い自体は実はわずか30秒で終わったのだそうだ。決闘が行われた場所がはOK Corral と呼ばれ、Corral を牧場、と翻訳したが、コラルというのは馬囲いであって、芦原氏は現代の駐車場のようなものだったはずだ、と言っている。

この騒動は後段があり、クラントン側にたった地元のカウボーイ連中がワイアット側に復讐を試み、ワイアットがこれに対抗して暗闘があったが、ワイアットはコロラドに避難してしまい、その後は実業に転じて成功し、ドク・ホリディはコロラド州グレンウッドにあった結核療養所に入院、36歳で死んだ、というのが史実であるようだ。アープは長寿を全うし、ハリウッドでは当時まだ下働きにすぎなかったジョン・フォードと会ったことがあるということである。

さて映画であるが、このOKコラル騒動を扱った作品は、いわば日本で言えば忠臣蔵みたいなもので数多くあり、我々が見ることができた範囲でいえば、この 荒野の決闘 のほか、OK牧場の決闘(ワイアットはバート・ランカスター/ドクがカーク・ダグラス)、

トウムトーン(カート・ラッセル/ヴァル・キルマー)、墓石と決闘(ジェイムズ・ガーナー/ジェイソン・ロバーツ)、ワイアット・アープ(ケヴィン・コスナー/デニス・クエイド)などがあげられる。OK牧場の件とは別に、ワイアット・アープを主人公にした 法律なき町 (ジョエル・マクリー)、ドク・ホリディ (ステイシー・キーチ)を芦原氏は挙げているが小生は見ていない。

これら一連の作品についての小生の感想を言えば、OK牧場の決闘 はランカスターの主演ということで、ごく普通の西部劇映画(ただしフランキー・レインの歌うテーマソングのメロディは気に入っている)になってしまったし、ワイアット・アープ はアープの実像に迫ったという意味はあるだろうが、家族関係や上述したワイアットへの復讐と返り討ち、そのほかのエピソードがきつすぎて、爽快感のない、いわば暗鬱な映画になってしまった印象が強い。墓石と決闘 は、決闘そのものの描写は芦原氏の解説などから見ると一番史実に近かったような気がするし、アイク・クラントンがトウムストーンから脱出してしまっていた、という点でも実像に一致する気がする。しかし全体の出来上がりは前述のOK牧場と同様、ありきたりの出来上がり、というのが実感だった。その点、主演スターのネームヴァリューは一段落ちるものの、トウムストーン が醸し出した全体のトーンは心に応えるものがあった。特にヴァル・キルマーのドク・ホリディはたぶん当時の肺病やみはこんな具合だったのではという意味も含めて、深い印象を与えた好演だと思っている。

さてこれら多くの作品群の中で、なぜ 荒野の決闘、なのか。

芦原氏も似たようなことを書いているが、それはこの作品が西部劇の形はとっているが西部劇ではない、ということなのだと思う。キザな言い方になるが、この映画は詩、なのだ。フィルモグラフィの専門家からすれば、たとえば画面の作り方とか、白黒の画像の特質を生かした撮影手法など、いろいろな指摘はあるだろうが、まず、西部の乾いた風土がそのまま感じられるような画面のトーンがいい。これがカラー作品だったら、感じはうんとちがっていただろう。地図をみれば、トウムストーンという町はアリゾナの南端、メキシコ国境に近いがこの映画を引き立てているモニュメント・ヴァレーははるか北、ユタ州との境にある。ジョン・フォードがこの長めににほれ込んでしまったのは有名な話であるが(駅馬車は文字通りモニュメントヴァレーでとられたからこそ引き立った)、トウムストーンからあの風景が見えるはずはない。しかし全体を通して感じられる乾燥した空気、特にドク・ホリディとアープが撃ち合いになるまでのカットとか、日曜日の朝のすがすがしさが感じられるシーンなどは文字通りジョン・フォードが書いた詩のように思える。

胸を患って東部のエリート生活から抜け出したがやはり西部に生ききるのにためらいを感じているドクの心情を見事に表したのが酒場でシェイクスピア役者に成り代わって詩を暗唱するシーン、あぜんとしてそれを見つめるアープの表情など、二つの違った魂の出会いが鮮やかである。万年大根役者、と酷評もあるヴィクター・マチュアだが、このシーンでの表情の起伏がが実にいい。ドクの情婦として実在した女性はビッグノーズ・ケートという人らしく、OK牧場の決闘 では濃艶なジョー・ヴァン・フリートが演じているが、この映画では薄幸の酒場女という設定で、そのあばずれぶりがほかにはこれと言って当たり役もないリンダ・ダーネルが見事で、小生としてはヴァン・フリートのいわば出来上がった役作りよりも心にひびく。ジョン・フォードの監督手腕のなせるわざだろうか。

つまり決闘、という題名にはなっているが、あくまでこの映画は詩、なのだ。何回も見ているのに今回はじめて気がついたのだが、ドクに帰れと言われて帰途に就こうとしているクレメンタインがホテルのロビーにいるところへ、そうとは知らずワイアットが入ってくるカットで、ヘンリ―・フォンダが吹いている口笛が実は My Darling Clementine だった。映画の主題歌がそのまま劇中で歌われるという例はほかにもあるだろうが、フォンダがクレメンタイン、という名前に出合うのはここでキャシー・ダウンズ演じる本人に会うのが初めてだったはずなのだし、このメロディが当時すでに人に知られていたのだろうか、などと思ったりする。

余談だが、冒頭部で雨のキャンプに残って兄たちが飲みに行くのを見送る末弟のジェイムズが三人の兄に向って三回、So long という。Goodbyだけしか知らなかった高校時代、さよなら、には So long という言い方もあるよ、と教わったし、ほかには愛唱歌の Red River Valley には do not hasten to bid me Adieu という一節もある。なるほど、こういう場面は So long なんだ、と時ならぬ英会話のヒントももらった今回の何度目かの鑑賞だった。また、これはフォンダの口癖なのか、ほかの作品を見直さないとわからないが、通常なら very というところを mighty  と言っているのが気になった(very nice ではなく mighty nice というように)。

映画とは関係ないが、小生はHP社在職中、出張をいいことに休暇を取り、コロラド州コロラド・スプリングス(米空軍士官学校や北米防空司令部などがある)からラス・ベガスまで、同行の小田晋吾君(エーガ愛好会メンバー小田篤子さんのご亭主とは別人)と二人して走ったことがあった。ただ暑く、小生の目的だったモニュメントヴァレー(晋吾の目的はラスベガス)にたどり着いたときは二人とも冷やしたビールさえあれば死んでもいいと思うくらいだったのだが、チェックインしたモーテルで Beer ! と怒鳴ったら、Sorry sir, you are in the dry state といわれてしまった。当時の用語で Indian Reservation, 先住民族居住地内だったため、アルコールを一切置くことのできない地域だったのだ。因みに 荒野の決闘 の中でワイアットが保安官になるきっかけは酔っぱらったインディアンを捕まえたからだということになっているのだ。もって瞑すべし、だったのだろうか。