“信玄棒道” 異聞

戦国時代、武田信玄が信濃攻略のため作った軍用道路といわれるのが ”棒道”である。現在もあちこちに原型とされる部分が残っているが、その一部でおそらく現用されている唯一の部分と思われるのが、小海線甲斐小泉駅付近から小淵沢カントリクラブの裏あたりまで 棒道ハイキングコース として管理されていて、その一部が小生のセカンドハウスの裏(というか軒先)を通っている。夏季はハイカーが良く通るし、地元の乗馬学校のレッスンの “外乗” も通ることがある。秋深くなると原生林の紅葉が実に素晴らしいプロムナードになる。昭和40年代くらいまでの八ヶ岳登山ガイドには、権現・編笠へのアプローチとして紹介されていた。時代考証があるのかどうか勉強していないが、往時には道しるべとして作られたとする観音像もあるし、短い距離ではあるが、僕の好きな散歩道だし、元気があればふもとまで朝刊を買いに往復するとほぼ50分、格好のトレーニングにもなっている。

この散歩ルートに異変が起きた。数年前から計画のあることは知らされていたが、我が家のすぐ下を通っている沢(古杣川の支流だと思うのだが)に合計3基の砂防ダムが建設(本日現在未了)されたのである。もちろん、ハイキングコース自体をふさぐようなことにはしていないが、正直、雰囲気がぶち壊しである。

いままでであれば、ただ憤慨し、環境破壊だのなんだのと難癖の一つも付けたいところだが、昨今の異常天候や各地での災害を考えると、やむを得ない予防措置かなと感じる。甲斐小泉駅からこの棒道ハイキングコースの起点までのあいだに三分一湧水、という小公園がある。八ヶ岳連峰の南を限る権現岳の山麓は多くの湧水があり、このあたりは清冽な小川やため池が多いのだが、いいことばかりではなく、沢筋を駆け下った土砂災害の歴史もある。その過去を風化させないために三分一湧水公園には惨事を伝える大きな石が展示されている。これだけの石を運ぶエネルギーがこのあたりの沢筋にはあるのだ、ということを明確に表していると思う。

現在進行中の工事は当初8月初めに終了ということだったが、この分では9月いっぱいかかるのではないかと思われる。この沢の下流が上記の写真にある惨事を引き起こした場所だと言われると、やむを得ないと納得する一方、地球温暖化の結果と思われる昨今の世界規模の異常天候のことを考えざるを得なくなる。この次来た時にはともかく、納得できる形に収まっていてほしいものだが。