@ベイシーの話 (44 安田耕太郎)

学生のビッグバンドを代表する早稲田大学「ハイソサイティー」通称「ハイソ」のバンドマスターを、1960年代に務めた菅原正二がプロドラマー歴を経て故郷一関市に開店したのが「ジャズ喫茶ベイシー」。店名の由来は、尊敬するジャズピアニストの巨匠カウント(伯爵の意)・ベイシー(名はウイリアム)の知己を得て、彼の了解のもとに名付けた。ベイシー自身も楽団を引き連れて来訪したことがある。

Mr.ベイシーの他界後(1984年)も楽団は引き続き、幾度となく来日、肝胆相照らすとも言うべき菅原と楽団の親密さにはいつもながら感嘆させられる。嘗て一世を風靡したベニー・グッドマン、グレン・ミラー、デユーク・エリントンと並び、スイングジャズ、ビッグバンドの代表格として、今なお世界を飛び回って活動しているのは喜ばしい限り。
菅原家族を招待して同行したアメリカ訪問ではたっての彼の希望で故ベイシーのお墓にもお参りした.。僕はかれこれ40年くらい「ベイシー」には通っている。
                                                                                                                                                                                                                                                              時々出逢う小澤征爾の長男俳優の征悦 (ゆきよし)にまた出逢う、彼との2ショット。気さくな青年だと思っていたら、今年49歳のオヤジだと。彼曰く、「親父には音楽の道は厳し過ぎるから辞めとけ、と幼少の頃言われた」、と。そこで演劇の道、ボストン大学へ。演劇の道も決して甘くない世界、と吐露。
(編集子)チビ太がひとりで悦に入っている写真ばかりで気に入らねえ、俺だって贔屓の店はあった。勤務先の近くにあったカントリーの店 ウイッシュボン はまだあるんだろうか。ここにはジョニー・キャッシュもハンク・トンプソンもきたもんだ、といいたい んだがそういうことはなかった。ま、ドンチャカいう音楽で食ってたやつと堅気にオートメーションの会社で高度成長の歯車だった人間じゃあ住む世界もちがうわなあ。店で行き会ったユーメージンとの話といえば、岩崎宏美のサインくらいのものだが、当時よろこんでいた娘(チビ太はシリコンバレーのわが茅屋で3歳の時の彼女に会っている)もいまや祖母、もうあのサインもどっかへ消えているだろうが。
(安田追記)菅原正二のこと:
「永久に続くと思うな、命とベイシー・菅原正二」、と言われるくらい業界では至宝の存在です。現在81歳、病気がちで心配です。
野口久光から譲り受けた分を含めて、彼は2万枚ものLPレコードを所有していて、全ては「喫茶ベイシー」には収まりきれません。嘗ては何処に何があるか覚えていて、客のリクエストに応え瞬時に取り出して演奏していました。が、東北大震災で棚から全てが床に落ち、今では昔のようにはいきません。クラシック音楽についても造詣が深く、4桁を数える超えるLPレコードを所有しています。「今日はクラシックのみでいこうか」という日があって、その日は6時間クラシック曲のみ聴いたことがあります。ウイーンフィルの楽団員がお忍びで聴きに来たこともあります。奥さんが日本人のコンサートマスターがいましたが、彼などは結構来ていました。随分昔のことですが。

乱読報告ファイル (49)  ロシア敗れたり

がっかりした、というのが正直な読書感である。

新聞広告の、この本のある章に簡単に触れてあるだけのトピックをとりあげて誇張した出版社の戦略、というより目くらましに引っかかって、ウクライナ戦役についての、なにかの示唆がある本だと期待したのだが、全く違った内容だったので腹が立ったのがひとつだ。広告のトップにあるロシアの戦術なるものについては確かに言及はしているがほんの数行の記述にすぎない。現在、世界中で注目を集めている現象に悪乗りした、一種の誇大広告であろう。しかも出版は9月26日、まさにキワモノにひっかかった自分が口惜しい。             

 本の内容は日露戦争の過程を述べたもので、歴史学者の記述であるから、それなりの評価はされるものなのだろう。しかしこの本はそれを利用して、司馬遼太郎の個人攻撃になっているのである。たしかにそのことは表紙に堂々と 日本を呪縛する 坂の上の雲 という過ち と書かれているのだから、最初からそのつもりで買ったのなら文句はないのだが。

その司馬批判は基本的には著者のいう史実が誤って記述されている、という事に尽きる。このような批判は数多くあるし、それが歴史学というアカデミズムの範囲での議論ならば、この本で書かれている事実関係が正しいのだろうと納得は出来る。しかしどう見てもそういうつもりの記述ではないのだ。その点が気にくわない。

第一に司馬の書いたものはあくまでも小説であり、小説の範囲であるならば極言すれば史実と相反する記述があってもそれはある意味当然のことである。このことは著者も認めたうえで、(坂の上の雲 は陸軍の旅団長渡海軍参謀の兄弟の物語、すなわち少佐と中将の手柄話である。しかし日ロ戦争に従軍した日本人の多くは無名な一介の兵士たちである)と書く。そして(…….厳寒の満州の荒野に屍をさらした八万八千余の将兵一人一人の戦死の様子を、彼らの視点から記録紙ておきたいと、私はねがった)という。此処までは同書の愛読者としての小生も異論はない。そうですか、ぜひ書いてみてください、という事で終わる。しかしそうなっていないから 坂の上の雲 が日本を呪縛する本なのだ、という発想はどこから出てくるのか。司馬はこの本のでだしに、明治維新後の激動をある兄弟の運命をたどることによって書いてみたい、と明記しているのだから、話がこの二人の周りに集まるのは当然であろうし、その結果、焦点が兵士たちの運命にあわわされていないことも起きるだろう。この本の司馬批判は、この出だしからわかるように、たとえば乃木将軍は司馬のいうような愚将ではなかったとか、メッケルは実はどうだったかとか、感情的ないちゃもんにしか思えないものばかりで、いろいろな機会に歴史に携わる人たちの間でわだかまっている、いわゆる 司馬史観への批判というものに興味を持って読んだのにその期待も裏切られてしまったとしかいいようがない。

小生、だいぶ前になるがある席で母校で歴史の講座を持っておられた教授とお会いしたことがあり、”司馬遼太郎の史観” を声を大にして批判されるのを伺ったことがある。しかしこの場でも、その ”史観” とはなにか、という明確な定義は語られなかった。このこととつなぎ合わせてみると、どうもこの論議は言ってしまえば一小説家の書いた明治維新本が俺達専門家の本よりも国民に影響を与えている、という事実に嫉妬している、というくらいにしか思えていなかった。この本もまたその一つだったとしか思えない。とにかく、意気込んで読み始めた秋の一日を無駄にしてしまった、という自嘲しか残らなかった。