9月2日、赤坂の カントリーハウス で、カントリー好きを集めてやってきたKWV 仲間のバンド ”Wandering 80’s” のライブがあった。バンドマスターは35年卒徳生勇二、ほかに同期の森永正幹、36年の田中新弥、それと ”準”34年卒横山隆雄というメンバーに、客員でその道では名高いピアニストとドラマーを加えての活動はすでに10年を超える。腕がどうかの論評は差し控えるが、いつ参加しても楽しい。今回は場所的な制限でワンゲル関係者は大幅に制限されてしまったが、できることならまた、沢山集まれる機会があればうれしいと思うのだが。
さてその場で、”ゲスト” (てえのもだいぶ身が引けるが) として栗田敦子、後藤三郎に小生が歌わせていただく光栄に浴し、小生は Red Rivr Valley を選んだ。この Red River について、最近面白い経験をしたので紹介をしたい。
数週間前、何の気なしにテレビをつけたら、ジョン・ウエインの代表作とされる ”赤い河” をやっていた。原題は Red River。ウエインの脂の乗り切った時代の非常にすっきりした、これぞ西部劇、というやつで、当時(1948年)、売り出し中のモンゴメリ・クリフトが初めて西部劇に出演したという意味でも知られる映画である。僕も映画館でももちろん見たし、その後何回もテレビで見る機会があったのだが、今回、終わり近くになって、バックに流れるテーマ曲が、僕のもう一つの愛唱歌である My Rifle my pony and me (これもウエインの代表作といわれる リオ・ブラボーの挿入曲)と同じことに気がついた。そこで終わった後、何もあるまいがダメモト、とおもいながらグーグルに ”Red River, My Rifle and Me” と入れてみたら、なんと!一発でアメリカ人の女性が同じ質問をしていて、その道の専門の人が明確に答えをだしているではないか。この広い世界で同じ経験をした人がいるということもうれしかったが、この解説によると、この2本は主演ジョン・ウエイン、監督ハワード・ホークス、音楽ディミトリ・ティオムキンという共通点があり、1959年に作った ”リオ・ブラボー”にティオムキンが原曲をそのまま使ったのだそうだ。ちくしょうめ。
この時、思い出したのだが、だいぶ前、やはりテレビで、本当に残念ながらタイトルを忘れてしまったのだが、やはり西部劇のラストに近い酒場のシーンで演奏されていたのが Red River Valley だったことを思い出した。そうなると次なる疑問は、”赤い河” の Red River と Red River Valley は同じものか?ということになる。はたまたウイキペディアで調べてみてこういうことが分かった。
1.北アメリカ大陸に Red River という河は2本存在する。うち1本はミネソタ、ノースダコタのあたりから始まり、北上してカナダを流れる。この流域には開拓初期、レッドリバー植民地という地域があった。2本目はテキサス、オクラホマにまたがるミシシッピーの支流である。
2.西部開拓時代、牛肉は主として中部諸州から提供され、テキサス牛(ロングホーンと呼ばれる種類)はまだ流通していなかった。一方、大陸横断鉄道が徐々に伸び、カンサスあたりまで敷設されるようになり、ジェシー・チザムによってテキサス南部からカンサスまでのトレイルが開かれた。この道をたどって、テキサスの牛をカンサスまで運ぶという冒険がはじまった。
3.映画 ”Red River” はこのチザムトレイル開拓史をベースにした物語であり、その脚本のベースになった記録もあるのでこのような話は史実として裏書される(これによって成功者となったチザムを主人公にした単純明快勧善懲悪なウエイン作品が”チザム”(1970年)である)。
うんぬん。
それでは俺の ”Red River Valley” はどうなる? まだ資料は見つからないが、単に作詞者の創造した地名でないとすれば、どうも雰囲気は1本目のほう、つまり初期の英国植民基地のほうが合うような気がする。ジョン・ウエインは僕のごひいき俳優NO.1ではあるけれど、どう見ても come and sit by my side if you love me などとめんどくさいことはしないで、それじゃあばよ、と格好つけて馬を駆っていってしまうだろうという気がするからである。何方か、博識の方のご意見を頂戴したい。