乱読報告ファイル (56) イタリア女性が沼ったジワる日本語 (44 安田耕太郎)

日本に恋した6ヵ国語(母語・伊語の他、日・英・西・独・葡)を操るイタリア北部の小さな町トレント出身のイタリア人女性が溢れる好奇心で拾い集めた日本語たちと、日本・イタリア・イギリス道中膝栗毛の27歳の地図が、彼女の処女作著書「イタリア女性が沼ったジワる日本語」だ。日本語・日本人・日本を語る文化論としても読める。発行出版社: 亜紀書房。オンラインでも購入可。定価: 1700円+税。

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偶然遭遇した彼女(Tessa Rizzoli ー ニックネームはテシ、漢字表記は輝織)のYouTubeに興味を抱き、YouTubeを徘徊していたら、今月発行された著書に巡りあった。ケンブリッジ大学アジア・中東学部日本学科卒(4年間在籍)、学業途中一年間カリキュラムの一環として日本に留学(上智大学)、2020年4年生の時、英国で開かれた日本語弁論大会で優勝。日本語能力試験N1取得。N1は、日本語非母語話者としては最高レベルの日本語力を証明する。現在、日本外務省から発行された「未来創造人材ビザ」で再来日、2023年より東京都内(高円寺)の古民家に暮らす。
彼女曰く、日本語に魅せられたのは、オノマトペ(onomatopeia:擬音語と擬態語の総称)で、欧米言語には無い多種多様な表現だった。例えば、雨が降る際に使う、しとしと、ごーごー、ザーザー、ぽつぽつ、ぱらぱら、どしゃどしゃ、ぴちゃぴちゃ、など。更に、一人称の私(英語の”I”, 伊語の”io” のみ)は日本語では、私・あたし・うち・俺・僕・おのれ・自分・わし・拙者・吾輩・それがし(某)・小生・小職・あっし・身ども・わらわ(妾)・まろ(魔)、など驚くべき数の異なる表現がある。言語としての興味が尽きない。アルファベット文字を使いラテン語に源を持つ他のヨーロッパ言語とは全く異なる日本語をマスターする能力には魂消るばかりだ。
ケンブリッジ大学で卒論一位を取った好奇心と頭脳が見つけた、日本語・日本人・日本文化に触れながら旅を続けてきた現在進行形の滞在記録だ。
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著書のタイトル「イタリア女性が沼った ジワる 日本語」は僕も本を手にして、「なんだ?一体この本のタイトルは・・・」と 直ぐには理解(解明と云った方が正しいか)出来ず、少しく調べてみました。鍵になる言葉は「沼った」と「ジワる」の2つの言葉でしょう。最近、若者の間で使われ出した表現だと判明。言語は時と共に変遷していく事実を思い知らされました。

「沼った」は原形動詞「沼る」の過去形あるいは過去分詞形。それでは「沼る」の意味は?何かにハマってしまい、いつの間にか夢中になっている状態を指す。沼で脚を取られニッチモサッチモ行かない状態を沼るとも云うらしい。「沼る。港区女子高生」という題名のテレビドラマすら一年前日本テレビで放映されたそうです。全く知りませんでした。
「ジワる」はジワジワくるの短縮形で、次第に感情がこみ上げてくる様子を指す。例文として、「この犬、見れば見るほど、ジワるなあ」、「あのネタ、なんとなくジワるんだよなあ」。
「昭和は遠くになりにけり」と思わず感傷に耽りました。付いていけないです。20代の外国女子に先を行かれています。
著者のイタリア女子がハマってしまい、ジワジワとその虜になった日本語、という意味ですね。彼女のその経験、感情、思考を縷々著書に書き綴っています。日本人と違う文化土壌の視点と感性から物事を観察し、捉えて、分析し、思考し、表現するので、「おーっとー」と思わせられる、なかなか面白い表現に随所で出くわしました。
(飯田)安田さんの紹介された標記の著書を買い求めてあったのを、

一昨日、昨日と東京へ行く用事があったので、往復の新幹線と余暇の時間に読みました。本の内容は安田さんが充分紹介されている通りです。

私は著者の年齢や国籍やこれまでの略歴を事前に知ることなく、唯々読み進みましたが、読む前は日本語の表現の多彩さや美しさを、日本での実体験を通して賛美しているのかと勝手に想像していましたが、実際にはその部分もありますが、一体この人は誰れ、どんな経歴の人?と途中から興味が沸いてくる内容でした。オーストラリアのシドニー生まれで、どうやらイタリアの片田舎に両親と住んでいた家族で妹と兄がいる、自分は南米コロンビアに留学していたと思えば、5~6歳の時に家族でインド旅行をしている。イギリスのケンブリッジ大学カレッジで難関の日本語のコースに通り、日本に来て、上智大学に一時席を置いたと思っていたら、東京は高円寺の上げ下げ出来る雪見障子のある古民家を借りて住んでいると思えば、鹿児島-福岡-大阪-京都-名古屋-岐阜-石徹白-福井-金沢-横浜-東京とヒッチハイクとカプセルホテル等で旅をする、鹿児島の小値賀島のイルカゲストハウスが気に入って、少々長く滞在した記述があれば、北海道に旅行に行っている、初めて母親を日本に呼んで大阪の街中の銭湯へ何の説明も無しに連れて行き日本の大衆浴場を経験させたり日本の脱毛サロンの経験をして驚いたことや髪を丸坊主にしたりと、まあ、びっくりする行動力と感性の豊かさが溢れていると思いました。

読了後に著作の日付を見ると2024年4月1日(出版は2024年5月5日)と今月だったことに改めて驚きました。著者は “顔が小さいが顔は広いそして鼻が高い27歳のお嬢さんだ“ ということが分かりました。旅行記でもない、イタリア人か見た日本語でもない、ジャンルの分らない著作ですがまあ凄い人が居るものだ、過去には沢山のバイトを経験しているし、日本ではあまり気の進まない英語の先生やテレビ・カメラマンのアシスタントを経験したりで、これからどんな人生経験を送るのかと好奇心をくすぐるには充分の読み易い本でした。

アメリカに住んでいる私の娘と孫娘に送るかもと思って、事前に概略紹介した時に

娘からは≪昔読んだ日本人の知らない日本語、とかダーリンは外国人、とか面白かったのを思い出しました≫と言ってきたので、さて送ろうかどうしようかと迷いながら多分送ります。