亀井義行、幸運を祈る

ここのところ松坂に始まりプロ野球ベテラン引退のニュースが続いている。松坂はかのハンカチ王子との対決をテレビで見て感服したが、プロ転向以降はパシフィックの試合をほとんど見ていないので、その後もあまり関心を持っていなかった。しかし”松坂世代“という新語を誘発した彼の功績というかインパクトは絶大だったろう。

小生は赤バット川上に無邪気にあこがれた小学生時代からプロ野球といえばジャイアンツ、という単純明快、巨人大鵬卵焼きの典型だが、ONをはじめとするトップスターよりも、その1枚下にあったプレイヤーに共感を覚えてきた感じがする。古いところで言えば坂崎、加倉井、淡口といったところだが、ここへきて中井、そして亀井、の引退をみてまた感慨が新たである。

幸い亀井と中井の最終試合は観戦することができたが、その後のインタビューで亀井が”17年の間”とを語っているのを聞いて、また違った感想を持った。大学を出て17年、年齢にして40歳、その間のプロとしての生活の厳しさがどんなものであったか、もちろん体験できるわけはないにしても大変なものであったろうことは想像に難くない。しかし17年という時点をサラリーマンで送ってきた自分からすれば、ちょうど中間管理職の一員になり、気分的な高揚感を味わっていたころである。それからはお定まりのサラリーマン双六を走り続けてゴールに達するまでに過ごした時間は、仲間よりも若干早く引退したとはいえ、1961年から99年まで、38年間かかっている。亀井君のほぼ倍という勘定である。

松坂が今引退したところでカネに困る、ということはあり得ないだろうが、多くのプロ野球選手の引退後はどうなるのだろうか。余計な心配なことはわかっているが、テレビ解説の職を得たり、才能を生かしてタレントになる、なんてのはごくごく少数にすぎぬ。ファンの前から黙って退場していく選手たちの、これからのいわば人生第三幕への新しい挑戦の子運を祈る気持ちになる。

いつの、どのゲームだったか、覚えていないのだが、未だ一軍に出てきてまだ間もなかったころ、亀井が当時連敗を重ねていたジャイアンツの試合で抜擢され、その試合の勝利に貢献した場面があり、そのときのインタビューで、“ぼくら若いもんがしっかりしなくちゃと思っていました” と答えたことがあった。この時の ”若いもんが“ という彼の言葉の響きが素晴らしく印象的で、それ以来、ファンになってしまった。不振続きで亀井の前がこれ見よがしに連続敬遠され、4回だったか5回だったか、失敗の後、ホームランを打った試合があった。ホームに帰ってきたとき、男泣きに涙を流していたのをみて、またまた気に入ってしまった。

野次馬的に言えば、わがジャイアンツの時期監督はまず阿部だろうし、そうなったら中大コンビで亀井コーチ、なんてこともあるだろうか。 いずれにせよ、第三の人生場面にはまた ”若いもん“ の立場に立ち戻る好漢、幸多かれ、と祈りたい。