(承前) 語彙の問題について

畏友飯田武昭が昨今の日本語の乱れというか、語彙のことで書いてくれた。悪乗りして小生も一つ問題提起をしてみたい。

はじめの話題だが、最近(いつから始まったかわからないが)テレビの番組紹介などの場面で、アナウンサーが 主に歌手あるいは音楽バンド、といったジャンルのプレイヤーのことを アーティスト と呼ぶのがいつの間にか通例になっていることだ。辞書を引けばわかるが、Artist という単語の定義は例えば手元のジニアス英和によれば

1.芸術家、(特に)画家、彫刻家                                                2=artiste(フランス語)                        3.名人、達人,・・・・通

となっている。2番目のフランス語には、同じ辞書の該当項目に、確かに芸能人(歌手、俳優。ダンサーなど)という英語にはない解釈がある、と書かれているが、名人、達人、という意味は共通である。小生フランス語は全く解さないが、電子辞書の発音例ではこの単語は アルティ と読むようだから、誰だか知らないが言い出しっぺというか使いだしっぺが(まずその可能性はないと思うが)フランス語に詳しければ、アーティスト、という読み方はしなかったはずだ。それでは英語でいう アーティスト に、この使い方で表現しようとしている人たち(小生の造語だが誤称されている人たち)が該当するかといえばイエスという答えはまず出てこないだろう。これまた世界に冠たるジャパニーズイングリッシュの一つだと思う。坂本勇人のインサイド撃ちは芸術的だ、などという言い方はよく聞くが、これは上記でいえばきっちり辞書にも書かれている用法である。だから、ここで紹介する人たちが、名人、達人、のグレードだ、という論議ももちろん成り立つだろうが、あまり詳しくはないが、彼ら ”アーティスト” のパフォーマンスが日本野球史上最高のショートストップのわざに匹敵する、と考える人はあまりいないのではないか、と思うのだが。

もちろん言語は社会や文化によって変わっていくものだから、そういってしまえばそれまでなのだが、僕が引っかかるのは、多くの人たちが アーティスト という単語で連想するのは、上記の用例で1,および3,だろうからだ。ロダンだセザンヌだベートーヴェンに葛飾北斎だというイメージを持っているはずの一般人に、あるいは人間国宝として尊敬されるいろんな分野の達人たちが、アーティスト、と聞いてどう感じるだろうか、何を連想するか、である。

断わっておくが、小生は決してこのような ”アーティスト“ と誤称される人たちを蔑視しているわけではない。多くの人たちに(わがワイフもそのひとりだ)テレビを楽しめる場を提供していることはそれなりに意味があると思っている。ただ、彼らは広い意味で芸能と呼ばれる分野で活動しているのだから、芸能人、アナウンスの恰好がつかないというのなら、エンターテイナーあるいはプレイヤーと呼ぶべきで、そうすれば彼らの貢献に対しての敬意も保たれるのではないだろうか、とおもうのである。各位のご感想やいかに。

も一つ、これは用語の問題どころでなく本当にいらいらするのだが、特に政治家と呼ばれる人たちがめったやたらに不要な丁寧語を乱発することである。

“…….ということを決定しました” といえば100%正しい日本語なのに、なぜ ”……..ということを決定させていただきました“ などというのだろうか。我々視聴者が ”……..してください“ と依頼したことがあって、それに対する返答であれば、多少大げさではあるが違和感はなかろう。言ってみれば勝手にやっておいてそれがあたかも頼まれたのでやらせていただいた、とてでも言い募るのはおかしいのではないか。

振り返ってみると、政治家連がこの種の馬鹿丁寧実な言い方を始めたのはかの落第総理大臣鳩山某以来ではないかと思う。”少なくとも県外“ なんてまともな日本人なら絶対信用できないような発言で沖縄の人に却って迷惑を及ぼしたり、”コンクリートから人へ“ などという中学生なみのうたい文句で工事を中断させて、結局は多くの地元の人たちを混乱させただけで何もできなかったダム問題とか、はたまた後継者の責任とは言え党の力不足があらわになった東日本大震災の不手際対策とか、思い出したくもないほど腹立たしい人物である。この人の馬鹿丁寧さに引っかかったのかどうか、一時とはいえ健全野党の実現を信じて一票を投じた自分が腹立たしい。

衆院選挙もまじかであり、今の政権に不安不満は多々あるけれども、結局、仕方ねえなあ、やっぱり自民か、という日がまたやってくる。いつになったら二大政党政治が出来上がるのだろうか。俺には残された時間はあまりないんだが。習い覚えた英語でいえば My days are numberd,  というところだろうか。この言い方なら今の気持ちを誤解される機会は少ないようだ。