乱読報告ファイル (1) ハモンド・イネス ”孤独なスキーヤー”

イギリスには1930年代に花開いた推理小説というジャンルとならんで、冒険小説その展開として海洋冒険小説という伝統がある。陽の沈まない帝国を誇った時代、大航海時代に地球を駆け巡った英国人には海というものがそれだけ親しいものだったのだろう。同じ島国である日本に海洋冒険小説が育たなかったのは同じ時期、我が国が鎖国していたからだろう。残念なことだが。

日本が第一次大戦に参加してそのいわば分け前として南洋諸島と呼ばれた太平洋の島嶼の一部を信託統治するようになってから、子供向けの小説としては南洋一郎だとか山中峰太郎などの作品がならんだのは記憶に新しいが、残念ながら我が国に英国に比肩する海洋冒険小説、というジャンルに特筆するような作品は思い及ばない。

英国の冒険小説のうち、現代に題材をとったものの多くは2回の世界大戦にかかわる話が多い。代表的な作品としてはまずアリステア・マクリーンの出世作 女王陛下のユリシーズ号 とジャック・ヒギンズを一躍人気作家にした 鷲は舞い降りた を上げなければならないが、ほかにもマクリーンなら映画化された ナバロンの要塞 ヒギンズなら 狐たちの夜 ウインザー公略奪 などなどがある。この二人に次いで人気作が多い デズモンド・バグリイ、ギャビン・ライアル、バーナード・コーンウェル、なども読んできたが、だいぶ古手(原本を取り寄せたら表紙に classic と添え書きがあった)のひとりにハモンド・イネスという作家がいる。この人の作品がほかの人気作家と異なるのは、その舞台というか背景が社会情勢とか政治とかというよりも、常に大自然と人間との対決に置かれている点だ。

孤独なスキーヤー (原題: The Lonely Skier)は原本で127頁という比較的短い作品でだいぶ以前に翻訳を読んだことはあったが、今回英語の勉強をかねて読み返してみて、多くの作品とは異なった印象を持つ、すぐれた小説だと思うようになった。話の大筋は第二次大戦末期にナチが秘匿した金塊を探すというありふれたテーマで、話が展開する舞台は雪に閉ざされたヒュッテという、これまたミステリに多い設定なのだが、そうはいっても、なにか難しい推理があって最後に名探偵が登場して解決、というような作品ではない。

特に小生が感心したのは主人公が騙されてドロミテ山系の急斜面につれていかれ、深雪に転倒して動けなくなり、雪崩の危険に遭遇する場面の詳細な描写である。スキーヤーの一人として同じような経験は何度もしていて(自慢するわけではないが小さななだれもどきに巻き込まれた経験もある)このくだりの描写が自分の体験に即しても実に正確だと思った。おそらくイネス自身、スキーをやった人に違いないと思う。このシーンを読んでいて、突然、自分にとっての最後のスキーとなった、吹雪の志賀高原、焼額コースでのラストランのことを思い出した。なんと表現したらいいのかわからない、失ったものへの懐かしさと寂しさとが入り混じった感情だった。自身これまで乱読を重ねてきたが、このような感情ははじめてのことだった。

ところでこの作品自体もまた、なんとも表現しにくい、ハピーエンドとは程遠い結末で終わる。金塊も発見されないし、舞台となったヒュッテは登場人物の一人である女性の放火で、紅蓮の炎につつまれて全焼してしまう(ここだけとれば例の レベッカ のような終章である)。そして主人公をこの事件に放り込んだ諜報部の上司も現場から治安当局へ連絡のためにくだったスキー滑降の末に重傷を負って死んでしまう。此処まで読み切って、初めて読者は 孤独なスキーヤー というタイトルの意味を知ることになる。ほかの多くの小説群がそのエンディングで、ハピーエンドにせよトラジックフィニッシュであれ、とにかく読者を解放するというか納得できる結びになるのだが、この作品に限ってはそうはならない。これも初めての経験だった。

”アメリカには冒険小説は育たない“ と誰だったか著名な作家が書いていたが、英国人にとって自然はロマンであるのに、米国人には克服すべき対象としか映らないからなのではないか。そんな気持ちにさせてくれた一編であった。

(編集子)本稿になんでもいいから読んだ(あるいはかつて読んだ)本についての雑感を勝手に書き綴る、というシリーズを始めることにした。本の種類は問わず、難しいことは言わない、要は乱読、の報告である。各位のご投稿を待ちたい。