保健所の現場から – 犬・猫の問題       (会社時代友人 斎藤博)

”置き配とタブレット” 稿についていろいろな追稿をいただいたが、中で犬・猫との共存についていろいろな情報が寄せられた。日本では各自治体の保健所がその始末にあたっているが、その実態について一般人はあまりよく知る機会がなかった。一般企業を卒業されたあと保健所現場での体験をされた斎藤さんからの情報である。今後、視野を広げて保健行政の現場について、同氏の発信に期待したいと思う。

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■ 犬の糞尿

保健所に入る苦情は、犬猫の糞尿に関することが多いと前の投稿に書きました。ネットで調べてみますと、平成29年度インターネット都政モニター「東京におけるペットの飼育」のなかに、「Q10ペットによるトラブル」と言う項目がありました。

https://www.metro.tokyo.lg.jp/tosei/hodohappyo/press/2018/01/29/01.html

他人のペットが原因で被害を受けたり、迷惑に感じたりしたことがありますかという質問に、総数458の内半数以上の方が、「糞尿の不始末や悪臭」をあげています。犬だけでなく、猫、もしかして鳩などの鳥も含まれている可能性はあります。少なくとも、糞尿問題は多そうだということです。

そう言えば、船津さんのお話のように、公園での糞の話は、あまり聞いたことがありません。今日、少しあちこち歩いてみて、いくつか思い出しました。区立公園や区道の一部、特に人の往来の多いところなどは、週に1回以上、区と契約している会社(シルバーさん含めて)が掃除をしています。鳥の糞は残っているのですが、犬猫のものは全くありませんでした。

怒っている方からの電話の内容を思い出しますと、自分の家の何処かに糞を放置されて、堪忍袋の緒が切れて電話してきますね。駐車場の暗がり、玄関の脇、植木鉢の陰、電柱や街灯の根本。一度糞をされると、ほぼ毎日されるパターンが多いですね。時間があれば、保健所の職員が現場を確認に行き、事情を聴取し記録します。最初はエチケット看板をお渡しし、それでも駄目で、強烈な香りを放つ匂い作戦などをお試しいただきます。相手がわかっている場合だと、私達が伺ってお願いします。相手がわからず、防犯カメラを設置して、警察に届けるように話したこともありました。最終的には訴訟沙汰になったと聞いたこともあります。猫の糞尿については、これ以上に悲惨です。またの機会にお話します。

私の場合、犬の散歩を見かけることは多いのですが、シャベルと袋の代わりに、小さな帆布の手提げを持って歩いている方を見かけますね。お犬様が落とし物をすると、手提げから袋を取り出し、器用に袋に手を突っ込んで落とし物を拾っている姿を見たことがあります。ティッシュでお尻を拭いている御仁もいらっしゃいますが、拭く必要はあるんでしょうか。尿に関しては、水でしっかり流してほしいと思います。一回の散歩に500mlのペットボトル程度の量では少なすぎます。

平井さんのフランスの話しはすごいですね。ネットで検索すると、フランスの話しがボロボロ出てきます。私の自宅周辺や歩き回るところには、放置糞は数えるほどで、船津さんのお話のように、日本の実情はすごく改善されていると思っていました。しかし、担当部門に勤めてみると、残念ですが糞問題は悪質化しているように感じます。私が毎日歩いている場所も、掃除されると翌日には再び落ちています。だから最悪なのです。

犬の問題がうまく行っていないから、各行政のホームページには、必ず犬の問題の項目があります。ちなみに、東京都福祉保健局では「犬の飼い主の皆様へ」と言うサイトがあります。

https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/kankyo/aigo/dog/dog01.html

■ 野良犬

東京都では野良犬は少ないです。昭和55年度で都が保護した犬(成犬と子犬)は23,000頭あまり、令和2年度は140頭ほどです。

動物は法律上「物」なので、野良犬も遺失物として扱われます。その意味で警察も絡んだ上で、情報は紙ベースですが、都と保健所とで昔ながらの方法で共有化されています。逃走した犬など飼い主のわからない犬は、割と早く周知され捕獲され保護される場合が多いです。野犬と言われていた昔とは様子が違っています。今年6月から新しく登録される犬のマイクロチップの装着が義務化されます。いずれ情報の共有化も始まりますので、野犬はますます減るのではないでしょうか。

最近では、野良犬ではなく、多頭飼育が問題ですね。ゴミ屋敷の問題と同様、多頭飼育者の一部は、病気として扱われ始めていますが、セルフ・ネグレクトが強く関係していると言われています。

ちなみに、65歳をすぎると、良心的なショップやNPOでは、動物を売ってくれません。飼い主の体力がなくなって、保健所で引き取ってくれと言う相談も来ることがあります。実際、動物の譲渡先を探すのがとても困難であり、行政も引き取りが出来ません。最近では、老犬・老猫ホームという企業も増えてきました。犬も猫も15年以上生きるようになってきていますからね。

■ 狂犬病

狂犬病清浄国・地域(2020年)は日本以外では、オーストラリア、アイスランド、ニュージーランド、ハワイ、グアム、フィジー諸島しかありません。清浄国とは、狂犬病が発症していない国と地域という意味です。

2020(令和2)年に、フィリピンから帰国後、狂犬病を発症した方が亡くなった例がありますが、フィリピンでの感染のため、日本は狂犬病清浄国のままです。人間での狂犬病の潜伏期間は1〜3ヶ月です。発症前にワクチン接種が出来ないと、発症後数日で確実に死に至る恐ろしい感染症です。

狂犬病には犬という字が入っていますが、犬以外に、ネコ、コウモリ、アライグマ、キツネなどのあらゆる動物から感染します。噛まれるだけでなく、引っかかれるなどした場合でも感染します。海外に行かれる場合は、必ず狂犬病ワクチンを打ちましょう。犬における狂犬病予防接種は、日本では毎年予防注射を受けなければならない決まりです。しかしながら、最近の接種率は下がっているのが実情ですね。もっと、狂犬病の恐ろしさを訴えてゆく必要がありますが、現在の保健所では、いろいろな意味で無理だろうと思います。

 

コロナ厳戒 抜け駆け立山    (39 三嶋睦夫)

雷鳥荘からの立山

ワンゲルの方には 1度ならず訪れたお馴染みの風景でしょうが、今回室堂から見上げた立山は ”こんなに大きな山だったかな~ 登れるかな” と思ったほどです。 (歳を取った?)

しかし改めて ここも素晴らしい山岳風景ですね。雷鳥荘に3泊し ゆっくりと楽しみました。
みどりが池と立山
奥大日岳からの剣岳
(編集子)素晴らしい。日程教えていただけますか?

(三嶋)正直に言って 9月13日~16日です。いや~本当は 書きたく無かったんです。宣言中で後ろめたさもありましたので。

当初8月下旬の計画を 9月上旬に延ばし、

39年長谷川、小泉、三嶋、 40年武鑓、藤井

さらに中旬に 延ばしたのが せめてもの言い訳です。(10人くらいの参加予定が 5名で実施しました)

(編集子)いろんないいぐさがあるよね。

時は氏神。
断じて行えば鬼神もこれを避く。
男子ことにおいて後悔せず。
覆水盆に返らず。
後は野となれ山となれ。
結構! それで変心した5人の(自称)良識人は誰と誰?
夕照の立山

”日本国紀” に関して     (44 安田耕太郎)

百田尚樹と聞けば、似通った考え方の石原慎太郎、ケント・ギルバート、渡部昇一、田原総一郎、江藤淳、花田紀凱(元月刊Will編集長)、安倍晋三などの名前が頭に浮かぶ。最近亡くなった石原慎太郎と何年か前に対談した百田は石原に「今日の対談のタイトルは “新旧暴言サムライ!” で決まりだ」と言われたと述懐。先輩である「暴言サムライ!を失って寂しい・・・」と百田は石原との思い出を振り返り、「新版・日本国紀」を読んでもらいたかった! それが心残りだ、と石原の死を惜しんだ。

菅原さん仰るように、江藤淳ととても似た、或いは非常に近い考え方の持ち主だと思う。江藤淳の著作は1970年代に「海舟余波」次に「海は蘇る」を最初に読んだ。「海は蘇る」は、司馬遼太郎の「坂の上の雲」に続いて読んだ、19世紀の開国から日露戦争の日本海海戦まで、帝国海軍の父と呼ばれる山本権兵衛の半生を中心に、近代国家としての日本の黎明期を壮大なスケールで描いた本。それ以来、彼の専門分野の文芸評論以外では、月刊雑誌「諸君」「SAPIO」「文芸春秋」などに載った彼の持論などにも親しむようになった。彼は「忘れたことと忘れさせられたこと」、「閉ざされた言語空間―占領軍の検閲と戦後日本」、「一九四六年憲法―その拘束―その他」を著わし、GHQによる戦後日本のマスコミへの検閲、GHQの呪縛から脱皮できない戦後民主主義を鋭く批判している。日本人の在り方についても積極的に発言し、アメリカを代表する占領軍当局によって、日本は実質的に独立国家ではなくなっていると主張。また、アメリカ政府が極秘で日本弱体化計画(ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム 「War Guilt Information Program」)を進めていたと主張し続けた。まさに、百田尚樹の主張と同じだ。未だ読んでないので何とも断定的なことは言えないが、ある意味、「新版 日本国起」は我々国民に「自虐史観からの解放」を結果としてもたらす効果がありそうな気がする。或いは、もたらしたい欲求に突き動かされて著したのかも知れない。マスコミ代表のひとつ「朝日新聞」の評価と存在意義などにももっと真剣な論議をしてもらいたいとも思う。

江藤は愛妻を癌で亡くしてからは気力を失い、最後は自らを「形骸」とし鎌倉の自宅で自殺した。月刊・文芸春秋に江藤が癌と闘う妻に寄り添う自らの看病生活と心情を縷々語る特集記事を投稿した。その記事を読んで深く感慨に浸っている頃、江藤の自死が報じられ仰天したことを鮮明に覚えている。

寡聞にして充分な知見を持ち合わせてない、日本の天皇制、明治維新とは、第二次世界大戦における日本のアジア植民地解放の真実、GHQの本性・役割・影響、真珠湾攻撃に至るアメリカの遠慮深謀戦略(ハルノート、アメリカ世論を参戦賛成に誘導する必要性)、極東裁判、WGIPの本質、日本憲法、日本の真の独立、日本の民主主義などについて、もっと詳しく正しく知り、あるべき姿とは何かについても思慮したいと思う。「新版 日本国紀」がその端緒を開く助けの一つになれば幸いだ。

”日本国紀” 補論  (普通部OB 菅原勲)

 

日本国紀はまだ読んでいない。そこで、早速、図書館に予約を入れた。ところが、待ちが、上巻は35人、下巻が29人。図書館の最大貸出期限は2週間だが、面倒なのでひとり10日間と計算しても300日前後だから、借りられるのは10ヶ月後の年末年始か。

そこで、War Guilt Information Program(以下、WGITと省略)だが、この件に関し江藤淳がやったことが極めて過小評価されているのが、誠に残念でならない。江藤は1932年生まれで、塾の文学部英文科を出た文芸評論家だ。ただし、1989年暮れ、妻が癌で亡くなり、翌年、手首を剃刀で切って自死している。その著作は数多あるが、例えば、「小林秀雄」とか「漱石とその時代」などがある。1979年、米国で、占領下の検閲事情を調査し、米国の大学教授からWGIPの写しを入手。「忘れたことと忘れさせられたこと」(1979年)、「1946年憲法―その拘束」(1980年)、「閉ざされた言語空間 占領軍の検閲と戦後日本」(1989年)などで、初めてその存在を明らかにし、日本国の憲法が米国によって押し付けられたことも含め。つまり、我々は、体よく洗脳されてしまったわけだ。ただし、江藤は文芸評論家であって歴史家ではない。従って、所謂、専門家からは等閑視されたのも無理からぬことではある。百田がその江藤に言及しているかは寡聞にして知らない。

(編集子)俺たちの年齢で10ケ月先に何が起こるか、わかったもんじゃねえ。読了した2冊、お貸しするので住所、教えてほしい。片倉会の住所録がどこを探しても出てこない。

(菅原)そりゃー、そうだな。「カサブランカ」で、酒場の女に「今晩、どう」と誘われたボガートが「そんな先のことは分からない」って言ってるぐらいだから。喜んで拝借する。

エーガ愛好会 (123) ジェシージェームスの暗殺   (34 小泉幾多郎)

西部開拓時代南北戦争の南部の生き残りの荒くれ男たちを纏め上げ、犯罪を繰り返した無法者のリーダー、ジェシー・ジェームスの後半生の伝記。ニュージーランド出身のアンドリュウー・ドミニク監督が、ジェシーにブラッド・ピット、その部下ロバート・フォードにケイシー・アフレックを起用し、ジェシーに憧れ信頼を得ようとしながらも殺意を感じる何かもの悲しい奇妙な関係を描いている。ピット扮するジェシーは、リーダーとしてのカリスマ性、自己中心的な傲慢な、きれ易く疑心に溢れたかと思えば、狂気な眼で相手を威嚇したりの性格。アフレックのロバートは、なんとかして憧れのリーダーに取り入ろうと努力するも、カリスマ性のある自分の世界を持っているリーダーから心許されないジレンマを持つといった二人の関係が遂に殺害にまで達するのだが、この二人の間に生まれた特異の演技には魅せられる。ピットはヴェネチア国際映画祭男優賞、アフレックはアカデミー助演男優賞賞ノミネート他各賞を受賞している。

西部劇とはいうものの、英雄的ガンマンの活躍、痛快な西部の犯罪溢れる射ち合いや殴り合いといったおおらかな痛快さは殆んど見られず、地味で淡々とした芸術的ドラマの様相を呈している。2時間半ジェシーとその仲間同志が疑心暗鬼の腹の探り合いの緊張感たっぷりは少々きつかった。それを補って余りあるのは、撮影センスの素晴らしさ、撮影監督はアカデミー撮影賞ノミネートのロジャー・ディーキンス。

冒頭から最後の列車強盗と言われる描写で、暗闇から列車が現われ林に潜む覆面強盗団に、列車のライトが明滅すると、急停車する車両の火花といった光の光景が芸術的といったように、全体的に自然の写し方が美しい。ジェシーが金色の麦畑で沈みゆく太陽を見つめたりするシーン等西洋美術作品を観ているような感覚になる。

ジェシーは「地獄への道」のタイロン・パワーに感じられた情熱も正義感も見えない別人で、仲間に対して持つ疑心暗鬼がひしひしと伝わって来る。それ以上に、ロバートはジェシーへの屈折した怒りや憎しみ、殺さなければ殺されるところに追い詰められて殺しに至るまでの姿に緊張が高まる。

殺しの場面、自宅で額縁の埃を羽箒ではたくジェシーの背後から自分が呉れてやった拳銃の撃鉄のカチリという金属音で狙われている音は聞こえている筈だが、其の侭背後から撃たれ倒れる。敢えて凶弾に身を任せたようにも受け取れる。疑心に苛まれた自分自身に嫌気がさしているかのようにも見えた。この後も映画は続くが、信じられないことばかり、ジェシーの死体の写真が複写され売りに出されたり、ジェシーを撃ち殺す場面をロバート自身が劇場で演じまくったり、遂にロバートはある酒場で、義憤に駆られたエドワード・オケリーという男に撃ち殺される。ロバートは悪党を退治した英雄としてではなく、汚辱に満ちた生涯を終え、反対にジェシーは西部の義憤のヒーローとして、その名は高まった。

蛇足ながら、ジェシー・ジェームズ登場の映画で日本公開されたものを調べてみると下記18作品にも及ぶ。残念ながらそのうち観た映画は「地獄への道」「命知らずの男」「無法の王者ジェシー・ジェイムス」「腰抜け列車強盗」「ミネソタ大強盗団」「ロングライダーズ」「ジェシー・ジェームズの暗殺」の7作品に留まる。

「ジェス・ジェームス1927」「地獄への道1939」「復讐の六連銃1941」「地獄への挑戦1949」「平原の勇者1949」「命知らずの男1950」「無法一代1951」「荒野の三悪人1951」「私刑される女1953」「拳銃が掟だ1953」「無法の王者ジェシー・ジェイムス1957」「地獄の分れ道1957」「腰抜け列車強盗1959」「ミネソタ大強盗団1959」「ロングライダーズ1980」「ワイルドガンズ1994」「アメリカン・アウトロー2001」「ジェシー・ジェームズの暗殺2007」

(編集子)小生が見たのは 地獄への道 ワイルドガンズ ロングライダース の三作、いずれも セーブゲキ の王道?を踏んだ作品だ。ドクター小泉のプロ裸足の眼からご評価は高いようだが、審美眼を持ち合わせていない小生には、ご指摘の列車が近づいて来る場面を見たとたん、どうもこれは 王道セーブゲキではないな、という直感があった。先般のカンパ―ビッチの作品もプロの評価は非常に高いようだが、いずれも映画作品としての評価であって、小生ごときが云々することはないのだが、セーブゲキ を見たい人間にはどうもすっきりと心に落ち込んでこなかった。

 

エーガ愛好会 (122) ポンペイ    (普通部OB  船津於菟彦)

『ポンペイ』(Pompeii)は、2014年のアメリカ合衆国のディザスター・アクション映画。監督はポール・W・S・アンダーソンで、2014年2月21日に公開。
ポンペイの噴火の悲劇を描いた歴史的な映画かと思いきや、そんな事はなくその大半は剣闘士の話。裏を返せば、災害を描くというよりはあくまでもポンペイの日常やローマと取引という都市国家の政治の一面。見る側はこれから噴火するという事を知っているから、馬の異変や、ポンペイの地震の意味も分かるが、人々は特に何をするわけでもなく、普段の生活をしてる。ここがポンペイでなければ剣闘士との恋物語ももっと描かれたのではないだろうか。しかし、あらゆるものが、ヴェスビオ山の噴火で突然終りを迎える。火山の恐ろしさが伝わらない安っぽい映画。タイトルにひかれて、ちがうもの見た感じ。
ポンペイでは 紀元79年10月24日 ヴェスヴィォス山大噴火で軽石と火山灰が積もりそこへ高温の火砕サージと火砕流が到達して埋没した。現在も発掘が付いている。日本その時弥生時代。ポンペイには上下水道が完備していて文明も古代ローマそしてギリシャ等に憧れて、それを模倣した文化が開花していた。
2000年以上前の栄華の都市が火山のお陰で残っているとは。飲み屋の店先ではおつりまでがそのままだったとか。人口1万5千人で奴隷が四割とか。25カ所も売春宿があったとか。
この都市での生活はやはり海と繋がった交易による富のようだ。豊かな商人の御夫妻像。今は海は遠くになっている。モザイク画とか壁画が綺麗に残って居る。また、火砕流で一瞬のうちに死を迎えた人の、そのままの形で空洞が残り、そこに石膏を流して、作られた像ものが沢山並べてあった。映画では「奴隷」が如何にも虐げられたように描かれて居るが、実際は人口の4割が奴隷だったと言うから驚くが可成り自由に生活、努力して一般人になり役人になった例もあるようだ。.

乱読報告ファイル (20) 百田尚樹 新版 日本国紀

結論から言う。この本は一読に値する。必読、だとすら感じる。日本史のおさらい、という意味もあるが、何となくわかっていなかったことにそれなりの解答があった、という事と、全く知らなかった事実を確実な物証とともに提示されたことに新たな感動がある。

なんとなく思っていたことに確信を持たせてくれた記述はふたつあった。一つは先般、置き配とタブレット という事で書いた、日本のこの文化はどこから来たのだろうか、という事について、自分なりにそうではないか、と思っていたことを裏書きしてくれる記述である。日本という国のはじまりを邪馬台国の存在という事で納得してきたのだが、考古学の専門的知見に加えて、日本という国の地理的条件が育んできた文化のありよう、それの延長として万世一系の天皇という存在についての考察などは非常に明快であり、中国の先進文化を取り入れながら、その中核思想であった、易姓革命、という思想だけは取り入れなかったという史実、その後世への影響、という視点はわかりやすいし、平安から鎌倉、戦国時代にあって、なぜ天皇家が存続したのか、という説明である。また昨今問題になっている女系天皇論にもわかりやすい解説になっている。

もう一つは明治維新という屈曲点を経て、わずか数十年の間に世界列強に並ぶ国ができたのはいったいなぜだったのか、という疑問に対する示唆である。何となく想像していたことをいろいろな物証で説明してくれる、その過程は明確でありかつ説得力があると思う。

全く知らなかった事実は占領下の日本において、GHQの政治の基盤が結局、アジア人種に対する差別意識だったのだ、という指摘である。同じ立場にあったはずのドイツの処理と日本での措置がなぜ違ったのか、という素朴な疑問に対して著者の説明は明瞭であるが、その過程において、WGIP というものの存在をこの本で初めて知り、愕然としながら、なるほど、そうだったのか、と納得することがあった。WGIPとは、War Guilt Information Program の略で、日本国民に戦争責任を考えさせる、戦争の罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画、という、誠に身勝手な、恐ろしい政策だった。この計画の存在は想像ではなく、公式な文書があることがすでに確認されているのである。その中身がどうであったかは本書を読んでもらうとして、納得がいったのは、この計画の実施に参画した日本人が多くいて、事情も背景も知らない、アメリカの若造(だったと思う)学者の暴論を崇め奉ってGHQにすり寄り、そういう連中が政府機関よりも大学をはじめとする教育界に影響を及ぼして来た、という指摘である。そして小生がまさに国を危うくすると思っているいわゆる知識層、というものが形成されたのもここに原因があると知った。このあたりは本書にいろいろな物証とともに記述されているのでこれ以上はふれない。

それに伴って、日本がアジア諸国を侵略した、と今では事実化されてしまっていることにつぃてである。日本が地理上アジア諸国において戦争をしたのは間違いないが、その時戦った相手はアジア諸国ではなく(第一当時の諸国はすべて植民地であり、その国の軍隊というものそのものが存在していない)、その国を支配していた欧米の軍隊であった、という事実を言われてみて初めてそうだと理解した。それらの軍隊と戦い、その結果としてアジア諸国は植民地という立場から抜け出すことができた。これもまぎれもない事実である。こういう論説は今まで、特に左翼系のメディアや学者たちによって、日本の侵略だったのだ、という、まさにこのWGIPの罠にはまった論説によって片付けられてきた。このあたりの史実をこの本は鋭く突いている。そして何よりもそういう教育を受けてきた人たちが今の日本の政治にむきあっているのが現実なのである。ドイツでは、たしかにナチの追求は厳しく行われてきたが、強制であろうとなかろうと、その体制を受け入れた当時のドイツ国民を覚醒するためにこのようなプログラムがあったとは聞かない。白人にはそういう必要はないということだったのか。

歴史にはいろいろな解釈が成り立つ。専門家でないわれわれにはひとつひとつの史実の真偽を明らかにする能力はない。しかしこの本が書いているように、今の我々が直面している問題、憲法改革の是非から安全保障の問題、そういうことの根本にあるのがGHQなる正義の味方であったはずの機関が行政の結果であり、同理屈をつけようがその根底には、当時ぬきがたくあった人種・民族差別であった、という解釈には納得する。そしてまた、良くも悪くも、日本の文化というものがその背景にあった、という著者の主張に改めて賛同する。

今まで、やれミステリを読めとかハードボイルドがいいとか、勝手な熱を吹いてきたが、それはさておき(間違っていると思うのではない)、このコロナ蟄居の有効利用として、まず、この本を読んでほしい。

 

 

乱読報告ファイル (19)   植村直己・夢の軌跡  (普通部OB 菅原勲)

「植村直己・夢の軌跡」(2014年。文芸春秋)を読んだ。植村が消息を絶ったのは1984年だから、それからほぼ40年が経っている。今更、植村なのかと言う疑問をお持ちの方は数多おろう。しかし、小生は、彼が誰もやったことのない単独の犬橇行をやったこと、そして、アラスカで行方不明になったことぐらいしか知らない完全な植村音痴だ。だからと言って、ここでWikipediaに載っているようなことに屋上を重ねるつもりは毛頭ない。

著者は湯川豊。何社かが植村を支援していたが、その一社である文芸春秋の窓口が湯川だった。従って、この本は植村讃歌となるが、抑制の効いた文章となっており、過度に褒めているわけではない。

ここで思い出したのが、南極大陸を探検した白瀬中尉(明治時代の話し)、それに、本田勝一(彼が、朝日の夕刊一面に連載した「カナダ・エスキモー」は毎日夢中になって読んだものだ)。

植村が消息を絶ったデナリの遠望

つまるところ、植村は冒険家だった言うとことのようだが、小生は稀代の快男児だったと思っている。明治大学は、杉下とか星野とかの学校だとばかり思っていたが、阿久悠あり、植村直己ありなど多士済々だ。

植村については、一家言ある方がわんさかおられるのではないか。討論を期待したい。

山中湖 夕照    (39 三嶋睦夫)

ふじてんスノーリゾート」 に雪の感触を試しに行ってきました。  快晴。
皆さんご存知でしょうが・・・・・ あそこは斜度が緩すぎる と(10年ほど前に初めて行った時に) 思っていましたが、この歳になると 雄大な富士山を眺めながらゆったりと滑るのも悪くない  というのが率直な感想です。
雪質も良いし(新型の人工降雪機?)、混雑は少ないし、近いし これからは使えそうですよ。2時ごろに切り上げて、夕方に山中湖で 富士山への日没を見てきました。これまた満足です。

エーガ愛好会 (121) スティーヴ・マクイーンのこと  (HPOG 金藤泰子)

”トム・ホーン” をスティーブ・マックイーン主演という事でしたので、観ましたが マックイーンが歳をとってしまったというのが、第一印象でした。

実話だといういう事でしたが、皆さまがお書きになっている通り、前半はまだ元気がありましたが 後半の、もういいんだ、という態度、どうしてこんな映画に出演したのか? この映画を撮影した翌年に50歳で亡くなってしまったというマックイーンが、自身の病を自覚していて思うところがあったのかもしれません。 駆け足で逃げるシーンなんて、あり得ない・・・こんな弱々しいマックイーンを私も見たくなかったです。 遺作「ハンター」1980年 も実在した元賞金稼ぎのラルフ・ローソンの半生 だそうですから、今回と似たようなストーリー展開かもしれませんね。放送されても見ないようにします。
スティーブ・マックイーンは「大脱走」「荒野の七人」「ブリット」等をテレビで観ましたが、 キング オブ クール 格好良いのです!
映画館に観に行った作品では、大画面ですから もちろん もっと素敵でした。
「タワリング・インフェルノ」1974年 CG撮影が未だの時代、138階建ての超高層ビルの火災パニック映画として臨場感がありました。 燃え上がる火、水の奔流場面など、どうやって撮ったのかと思います。映画の冒頭か最後に出てきた「全ての消防士に捧ぐ」という、スーパーが印象に残っています。スティーブ・マックイーンとポール・ニューマンが素敵でした。(前にも書きました )
オールスター・キャストという事でしたが、70年代にわたしが映画館で観た時にはジェニファー・ジョーンズもスーザン・フラネリーも名前を知らない女優さんでしたから、昨年か一昨年BSシネマで放送時にテレビで見直しました。
「華麗なる賭け」1968年 のマックイーンも良かったです。 眼が素敵でした。
主題歌「風のささやき」を聞くと映画の場面を思い出します。フェイ・ダナウェイは私は好きなタイプの女優さんではなかったのですが、最後の方になって良い感じになってきました。 「タワリング・インフェルノ」にも出ていましたね。
「パピヨン」は私も面白くなかったです。 「砲艦サンパブロ」 テレビ「拳銃無宿」? 知らない作品です。
  拳銃無宿を知らずしてマクイーンを語るはサビ抜きを寿司というがごとし。
小泉さまの完璧な解説メールを拝読して、「全く同感です!」と すぐ返信させて頂こうと思っておりましたが、Giさんの「最後の一行に全く同感」メールを受け取って、、そうですよね〜 と思いながら、スティーブ・マックイーンの思い出に浸っていてそのまま遅くなってしまいました。
(編集子)スガチュー、”拳銃無宿” を知らない世代の人と会話であるぞ。
”サンセット77” “ララミー牧場” ”コンバット” “ローハイド” ”ボナンザ” ”ペリー・メイスン” ”ペイトンプレース”。これらテレビ番組がわれら世代の人格形成に及ぼした影響について述べよ。
我が世代の各位、いかが。