キミは 長いお別れ を読んだか ?   ハードボイルドミステリへのお誘い

シャーロックホームズものは大英帝国絶頂期の社会を背景にしているが、英国発推理小説はその基盤である階級社会、その中の知識階級の読者を意識して書かれた、知的ゲームだった。ただホームズの成功によってこのジャンルが大衆化してくると、推理というゲームを追求するあまりストーリーが現実離れしていく風潮への反抗からより現実的な作風が生まれる。名探偵の神業よりも、現実の社会のいわば普通の人間の行動を重視したストーリーである。それが米国に伝わると英国とは違った、オープンな米国の社会観や人間像の下で、純粋な推理よりも現実社会の中での行動を前面に出した作品が生まれた。推理小説という一応確立されたジャンルのなかで、従来の潮流と区分するためにこれらの作品にハードボイルドミステリ、という呼称がつけられた。ハードボイルド(以下HB)、とはなにか、をウイキペディアは次の通り定義する。

ハードボイルドは、文芸用語としては、暴力的・反道徳的な内容を、批判を加えず、客観的で簡潔な描写で記述する手法・文体をいう。ミステリの分野のうち、従来あった思索型の探偵に対して、行動的でハードボイルドな性格の探偵を登場させ、そういった探偵役の行動を描くことを主眼とした作風を表す用語として定着した。

HBを定義している文章にHBな性格、という解説があること自体おかしいので、小生の考える定義を書いてみる。それは ”人生に対する確固たる信念を持ち、いかなる環境でも曲げない“ こと、同時に(その結果だが)”一度信じた人間にはストイックに信義を尽くす” ことを ”環境や社会常識を超えて、必要ならば暴力を用いても実行する” ことを重要と考える性格、ということなのだがどうだろうか。だから、僕はHBミステリは犯人を確定するだけではなく、この信念を吐露したストーリーであるべきだと思っていて、それが僕がこのジャンルを好む理由でもある。例えば、先に本稿で紹介した 深夜プラスワン のキャントンは、一緒に戦ったガンマンが知り合った女性と恋に落ちたと知り、彼女が拳銃稼業になやむことのないようにと彼の利き腕に銃弾をぶち込んでしまう。この終末が、おそらく辛口の評論家内藤陳をして、”これぞHB” と興奮させたのではないだろうか。

ただ、HBの定義変数に入ってくるHB的文体、というのは厄介で、何をもってそういうのかが確定できない。識者のあいだではヘミングウエイの文体がそうだというのだが、そうなると英語以外で書かれたり英語からの翻訳されたものはどう評価するのか。ここでは翻訳の重要性というか訳者の個性なり感性が読者にどう響くか、が問われてくる。一時、だいぶ読み込んだ北方謙三は、自身をHB作家、と位置付けたいのではないかと思えるのだが、その文章に苦労したあとが感じられた。短い節や体言止め、と言った独特の書き方である(弔鐘はるかなり さらば荒野 など)。これが英語の世界でのヘミングウエイ調になるのかどうか、素人の小生に判断できるわけはないのだが、正直言うと違和感というか押し付け感が先だったのは否めない。ただ、この さらば荒野にはじまり ふたたびの荒野 で終わるブラディドールシリーズ)は北方特有の衒学趣味が多少鼻につくが、すぐれた国産HBだと思っている。

詳細はともかく、HBミステリ(ミステリ、と限定するのは “行動的でHB的な人物を描く”というテーマはほかの分野でも従来から取り上げられてきたものだからだ)の創始者はダシール・ハメットだということになっているのでそこから話を始めてみる。

ハメットの代表作品は 血の収穫 マルタの鷹 ガラスの鍵 などで、マルタの鷹はハンフリー・ボガートの主演で映画化され、我が国でも好評を博した。このハメットを継いだのがレイモンド・チャンドラであり、その後継者とされるのがロス・マクドナルドであるとされ、ハメット―チャンドラーーマクドナルドスクール、などと言うこともある。事実、日本でのHB創始者とされている大藪春彦のデビュー作 野獣死すべし では主人公伊達邦彦が奪った大金でアメリカへわたってこの3人の研究をすることになっている。

(注:この表題の作品は英国のニコラス・ブレイク=桂冠詩人セシル・ルイスの本格派ミステリにもある。なお、小生は金儲けの戦略はいざ知らず、大藪がHB小説家などとは全く評価していない)。

この”スクール”だが、書かれた作品群を時代的に見ればハメットが米国の興隆期を、チャンドラが第二次大戦時の時期を、マクドナルドは現代のいわば病めるアメリカをそれぞれの作品の背景にしていることになり、その影響は作品にもはっきり表れていると言える。

チャンドラの代表作が本稿のタイトルにした 長いお別れ であり、初期の作品である 大いなる眠り とともによく知られている。彼7冊の長編と数多くの短編を書いたほか、映画の編集にも携わっている。小生は長編は全部読んでいるが、なかでは さらば愛しき女よ(違う翻訳名もある。原題は Farewell my lovely)が特に好きだし 高い窓 プレイバック なんかも推理一辺倒を離れて小説としても優れていると思う。いくつかの作品は映画化されているが、ロバート・ミッチャムとシャーロット・ランプリング主演の さらば愛しき女よ や、大いなる眠り のほうはやはりミッチャムもののほか、ボガートとローレン・バコール共演で 三つ数えろ というタイトルで作られた(ほかにもロバート・ミッチャム主演のものもあって、これは本来の名前になっている)。 肝心の 長いお別れ のほうはエリオット・グールドの主演という、小生からすれば全くのミスキャストのうえ妙な改造がしてあって、評価に値しない駄作としか思えない代物であった。

 さて、本題の 長いお別れ をとにかくお勧めする理由は、ミステリとしてのストーリーよりも作品全体の持つ雰囲気がしっとりと心に響くからである(ミステリというカテゴリを外れても、現代の英語文学としても高く評価されている)。前述したようにHBの決定要素のひとつが文体、という事なので、原作はともかく、日本語訳がどこまでその雰囲気を伝えているかが重要なことだ。今まで出ていたのは清水俊二訳と村上春樹訳の2冊で、最近田口俊樹訳が出たという事だが、これはまだ読んでいない。例によってグーグルに出ている識者の評価では、翻訳の正確さでは村上だが、清水訳は “清俊節” とも言われるとおりファンも多いという事だ。小生は原作も一応読み、悪乗りしてドイツ語版にも挑戦してみたが1日2ページを何とか判読するのがせいぜいで、結局原本を引っ張り出して英独対訳でほぼ半年かけてなんとか読了するのが限界だった。村上訳も期待を持って読んだが、結果を言えば小生は圧倒的な清俊節ファンなようだ。繰り返すが、清水訳の長いお別れ、は死ぬまでに絶対読む本、のリストに載ってしかるべき作品である、と僕は信じている。

世の中には専門家を含めてチャンドラにかぶれている人は沢山いるようだ。スペンサーシリーズで有名なロバート・パーカーはチャンドラの未完の遺作を完成させて プードルスプリングズ物語 という名前で世に問うた(これをいれるとチャンドラの長編は8冊になる)。”ギムレットには早すぎる” というタイトルでチャンドラ名言集を編集したのは郷原宏氏である。同氏はこの本の前書きとして、次のように書いている。ギムレットは 長いお別れ のなかで重要な役割を果たすカクテルである(僕はジントニックのほうが好きだが)。

”ミステリーを教養書として読むような野暮な人と私は友達になりたくない…….さりとて私は。ミステリ―を読んで何も感じないような鈍感な人と、ともに人生を語ろうとは思わない。”

この本はよく知られている一句を紹介するとことから始まる。チャンドラの7作目、プレイバック の一節である。

……”あなたのようにしっかりした人が、どうしてそんなにやさしくなれるの?” 彼女は信じられないように言った。

しっかりしていなかったら生きていけない。優しくなれなかったら、生きている資格がない”  

 

ところがチャンドラの後継者、ロス・マクドナルドの作風は全く違っていて、一言で言えば重苦しく、作品によってはあとあとまで考え込んでしまうものも多い。初期の代表作 動く標的 はその中では気軽に読めるし、映画のほうは主演が何といってもポール・ニューマンとローレン・バコール、脇にはシェリー・ウインタースという豪華版で楽しめる仕上がりだった。この作品は別として、ほかの代表作としては 縞馬模様の霊柩車 象牙色の嘲笑 人の死にゆく道 さむけ ウイチャリ―家の女 などがあるが、いずれも舞台は北カリフォルニア(チャンドラーは映画に関連した関係もあった南カリフォルニアが多い)の上流階級の間での確執や心理といったテーマが多く、チャンドラーに見るような開放感は皆無の作品がほとんどであるが、これはマクドナルドが生きた時代が、すでに米国がかつての栄光を失い、支配層であるべき人たちの間に心理的な混乱が生じ始めた時期だからであろう。

ほかにもHBを標榜する作品はミステリだけでなく(たとえばHB時代劇、なんてのもあった)お目にかかるが、多くはウイキペディアの定義の前半、つまり暴力行為の描写が主題で、主人公の心のうつろいを感じさせる作品はあまりないように思っているし、ミステリ、ではなく冒険小説とか警察小説、と分類すべきものばかりなような気がする。その中で、以前本稿でも取り上げたが、日本でいえば原尞(はら りょう)の作品は素晴らしい。惜しむらくは寡作なひとなので、次作があらわれるのを心待ちにしている。

最近のアメリカ発のものならば、僕の好みは 氷の闇を越えて でデビューしたスティーヴ・ハミルトンと、雰囲気が素晴らしい(残念ながら寡作で翻訳も今はアマゾンの中古に頼るしかない) ジョン・サンドロリー二の 愛しき女に最後の一杯を という2冊になる。そのほか、ずいぶんアマゾンにはご厄介になったが、残念ながらここで定義した、いわばホンモノのHBミステリ、ぼくが読んだ範囲ではロス・マクドナルドを越える作家にはあまり巡り合っていない気がするのが残念だ。

(菅原)大藪 春彦がダメなら、ミッキー・スピレインもダメか。

確かに、スピレインに煽情的な部分はあった(初作:1947年)。しかし、これはその先駆者であったがためであり、今は、例えば、D.ウインズローの「犬の力」(2009年)などは、その描写がもっともっとエゲツナイ。Commies(共産主義者)なんて表現は、まだ鮮明に覚えている。それにしても、スピレインから80年近く経って、コミーは何も変わっていない(特に、日本共産党)。スゴイねー。

閑話休題。と言うわけで、小生、ハードボイルドをハメット、チャンドラー、ロス・マクドナルドなどだけに閉じ込めておくことには違和感がある。評論家であり、小説家でもある片岡義男は、ハードボイルドについて、二つあり、一つは、上記3人のリアリズムであり、もう一つは、スピレインのファンタジーだと言ったそうだが、これも、大いに一理ある。何もスピレインを抹殺しちゃうことはないんじゃないか。

 

 

 

 

 

 

サクラが咲いた!

(金藤)全国トップで東京の桜開花🌸発表がありました。
見頃は3月20日〜27日頃になるそうです。 平年より早い開花ですね。

(船津)錦糸公園は本日枝垂れ桜は3分咲き。ソメイヨシノはあと一歩。3年振りに雪洞も点き桜祭り開催予定。夜桜が綺麗ですよ。しだれの後ろの縦長長屋が我が家。

エーガ愛好会 (204)復讐の荒野  (34 小泉幾多郎)

この映画の作られた1950年こそ、名匠アンソニー・マンが西部劇作家として本格的にスタートになった年。この年に、この「復讐の荒野」「ウインチェスター銃’73」「流血の谷」が作られたが、このうち何故か「復讐の荒野」だけが、日本で劇場公開されなかった。大牧場主の父と娘が親子でありながら血で血を争う残忍さが敬遠されたからか。他の2作も異色作で、「ウインチェスター銃’73」名銃が生み出す人間模様を重点に描いたものの父親殺しの弟を倒す復讐劇でもあった。「流血の谷」もインディアン出身の北軍兵士の人種差別問題を扱い、アンソニー・マンの名声が一気に上がった特記すべき年であった。

 原名フューリーズと呼ばれる大牧場主T・Cジェフォーズ・フューストン(ウオルター・フューストン)は広大な土地を所有し、独善的で、TCという地域通貨で取引したり。無許可で暮らす人間も縛り首にする等の専制君主。一緒に住んでいる娘ヴァンス(バーバラ・スタンウイック)も勝ち気な性格。或る日、旅に出たジェフォーズはバーネット(ジュディス・アンダーソン)を連れて帰り、後妻として娘ヴァンスに紹介した。財産目当てのことを察するや、鋏を顔面に向けて投げ付け顔を傷つけるのだった。 父親と娘の対決は、紆余曲折の末、一度別れた娘ヴァンスとリップ・ダロー(ウエンデル・コーリイ)が復讐を完了し、父ジェフォーズは吊るし首にした息子の母親に復讐の銃で撃たれ、死んでしまい、フューリーズは娘ヴァンスのものになった。 骨肉相争う家族の悲劇、暗い画面の中に、色々と入れ替わるが、追いかけること自体もう結構という感じになってしまい、スッキリしない内容になった。

バーバラ・スタンウイックは流石に名女優.ウオルター・ヒューストンは、遺作で最後の名演をみせてくれた。

(編集子)バーバラ・スタンウイックとはまた懐かしく、セーブゲキの古典、ジョエル・マクリーと共演した 大平原 を思い出した。小泉さんの嘆かれるのに小生も同感で、ここのところ放映されるセーブゲキは妙にひねったものが多く、大平原や落日の決闘のような正統派(つまり広々とした背景があって、いいやつと悪いのが決まっていて、必ず正義が勝ち、いいやつのガン裁きがすごい物語で、それに詩的な雰囲気が素晴らしい奴ならさらに良い)が少ない。困ったもんだ。

お天気がよかったので松本まで行ってきました   (HPOB 金藤泰子)

中央道から見える南アルプス 右から 北岳 間ノ岳 農鳥岳
安曇野 大王わさび農場前から望む常念岳
大王わさび農場 黒澤明監督の「夢」最終章の「水車のある村」のロケ地 物語のモチーフとなった水車
松本へ行くと必ず寄る 中町の うつわ屋さんの窓から
今日は満月でした

(編集子)しばらくご無沙汰の光景、懐かしく拝見。しかし会社時代のふたり、つまりミッキーとやっこ、こんなに活動的だったかなあ、とただ感服。つまり、いいんだな、テーシュが。

(船津)素晴らしいショットの写真深謝。上手いなぁiPhonが一番良く写りますね。ライカ・ニコンが何だろう?サラリーマン時代毎夏松本へ行きレストラン鯛萬でランチ戴くのが恒例でした。良い町ですね。好きです。

(金藤)船津さん、中町の写真、ご覧頂きましてありがとうございました。このお店は店主によって集められた暮らしの道具や器の並べ方が、お店と言うよりギャラリーのような雰囲気で好きです。

この日は晴天でしたから、蔵のある街 松本中町の なまこ壁も、古い商家の2階の窓からよく映えて見えました。 iPhoneのカメラもお天気次第でずいぶんと変わります。
このお店は店主によって集められた暮らしの道具や器の並べ方が、お店と言うよりギャラリーのような雰囲気で好きです。
この日は晴天でしたから、蔵のある街 松本中町の なまこ壁も、古い商家の2階の窓からよく映えて見えました。 iPhoneのカメラもお天気次第でずいぶんと変わります。「レストラン鯛萬  」美味しそうですね。 🍷ワインも戴きたくなりそうです。
松本へのドライブ旅行での昼食は、殆どいつも蕎麦屋巡りです。 電車で行く時のお楽しみにさせていただきます。

 

 

”北へ”

このブログがきっかけで生まれたメル友グループ エーガ愛好会  は本来のエーガ論を離れて投稿者がいろんな話題を持ち出しては議論を吹っ掛けあう、誠に楽しいグループになった。昨今の情報では、栄養やら運動やらも大事だが、社交性を維持することが老けないための重要なファクタであるというし、誠に結構なことだと思う。

ただ小生、幼いころから絵画彫刻あるいは建築といった、いわゆる造形美術の分野にはまったく関心を持つことなくここまで来てしまった。そのせいでこのメル友グループで活発な美術に関連した話題には全くついていけない。強がった言い方で言えば興味が全くわかないのである。自分が勝手に始めたことではあるが、ブログという公共性のあるツールをいじっている以上、情報は公平に扱うべきなのだが、わけのわからないことを報道することは我が慶応高校新聞会で叩き込まれたプライドが邪魔をするので、意地を張って無関心を装っている。

音楽、という分野についても同様だが、ここでは自分なりに好き、好きでない、程度の判断くらいはできる。旧高等学校出身のオールドリベラリストというか教養主義者だった亡兄からベートーヴェンを聞け,ゲーテを読め、と叱られ続けた(小生よりも8歳年上だった)こともあって、高校生のころには分かったふりをして当時流行していた音楽喫茶、なんてところに出入りしていた。その結果かどうかわからないが、自分の好み(だろうと思っている)曲を並べてみたら、その作曲家群がその道にうるさい仲間によるとロマン派と呼ばれる人たちだった、と知った。あまり数多くないCDを並べてみるとチャイコフスキーとかドヴォルザークにリスト、なんかがちらほらある、という程度なのだが、これがイージーリスニング、というのか昔風にポピュラーというあたりだと、曲ベースで好みがはっきりしてくる。一言で言えば、昨今の流行のようだが、リズムが前面に出てくる曲よりもやはりメロディアスなものが好みだが、あまり微妙なテクニックが云々されるような、デリカシーでございます、というようなやつも好きではない。ま、いってみれば、やはり昭和のおじさんの趣味なのだが、そうかといって妙に崩して歌われる演歌調や演歌の中核であることは理解しているものの、いき過ぎたこぶしは勘弁してほしい。

ふた月くらい前、しばらく使っていた自作アンプが故障してそれならと2日で作り直した奴が、やっつけ仕事はやはりうまくいかず、それなりの問題を抱えていて、ハムが気になる、というベーシックなトラブルがあって、クラシックものは敬遠してしまい、ここのところ、演歌というのか洋風歌謡曲というのかを掛け放しにしておくことが増えた。その中で、何回も飽きずに聞くのが小林旭の 北へ という曲なのだ。裕次郎全盛のころデビューしたアキラは言ってみれば裕次郎の二番煎じと言う役者だったし、ギターの弾き語りも好きではなかった。なぜこの曲だけが好きなのか。これは演歌、というジャンルの曲なのだろうか、という疑問が湧いた。

例によってグーグルで 演歌、の定義を探してみた。世の中に専門家という人はいるもので、その定義沿革について十分すぎるくらいの情報が見つかった。その中で、五木寛之が実在のプロデューサーをモデルにした 艶歌 という小説を書いているのを知った。サラリーマン5年目ごろにきっかけは忘れたが 蒼ざめた馬 青年は荒野をめざす と、学生時代に読んだ方がよかったような五木の作品に触れ、それから数年、彼の乾いたというか投げやりというか、ある意味ではハードボイルド(本人はもちろんそう思わないだろうが)ふうな作風が気に入って、だいぶ読んだのだがこの本は読んでいない。グーグルによればこの本の中で五木は 艶歌 というものを演歌の延長上に再定義し、欧米におけるシャンソンやジャズと同じような日本人のブルースであり、これを無視したときに日本人のナショナルソングはあり得ない。それまで 演歌 とされてきた音楽は大衆自身の声ではなく、インテリ警世の歌 にすぎず、“艶歌に転ずることによって庶民の口に出せない怨念悲傷を詩曲に転じて歌う” のだ、と書いているそうだ。グーグルの解説はほかにも専門的な見地から述べているが、素人受けする解説?として、その歌詞に “海・北国・北国の漁船・酒・涙・女・雨・歓楽街・雪・別れ” が出てくる曲、という見方も紹介されている。この定義は、この 北へ に100パーセント、あてはまるから、これは 艶歌 と言っていいのかもしれない。ま、それはどうでもいいのだが、小生にとってこの曲がなぜ特別か、と言えば、それは五木のいう 口に出せない怨念悲傷を詩曲に転じている からなような気がする。

他人から見れば調子よくサラリーマン生活を渡り歩いたくせに、と言われるだろうが、無理を承知で引き受けた企画が結局3年たっても陽の目を観ず、あたりまえだが首になって、体よく新しい機会をもらうことになったことがあった。表面はともかく自分では鬱々としていた時期が小生にもあったのだ。その時期のある日、職場旅行があった。酔い覚めの朝、旅館のジュークボックスで何か聞こうか、と逡巡していたとき、部下の一人が人目につかずにやってきて、”この歌、いいと思いますよ“ と勧めてくれたのがこの 北へ だった。メロディもよかったが、”俺は明日もまた北へ流れる“ という一句がずっしりと胸に響いた。それ以来、この歌は文字通り小生の支えのようなものになっているし、口では一言も言わなかったが俺の胸の内を読み取ってくれたこの男とは米寿を目前にした今も、変わらぬ友情と感謝を感じている。今日も昼寝の後にはまた聞くだろうな。

(菅原)そっちは小林旭だがこっちは中島みゆき。今、小生が夢中になって、毎日、聴いているのは中島みゆきの”糸“だ。

縦の糸はあなた横の糸は私                        遭うべき糸に出逢えることを                       人は仕合わせと呼びます

これを演歌と呼ぶのか艶歌と呼ぶのか、はたまたJ―ポップと呼ぶのか知らないが、詩よし歌(メロディー)よし、そして中島みゆきの歌唱、最高(間違って、Coverを度々聴いたが、その全てがマガイ物)。

実は、小生、これまで中島みゆきは食わず嫌いは損のもとだった。だが、聴けば聴くほど、正に大損したことを認識。只今、それを取り戻そうと、年甲斐もなく一生懸命に努力中。そこで、最近、発売になったCD「世界が違って見える日」をAmazonに注文(これ以上、J.ベゾスが儲けるのは癪だが)。トレiイラーで聴いたが「倶に(ともに)」が最高。病膏肓に入る。でも、ネットを見たら、1972年2月生まれとあるから、あの中島みゆきも71歳か。

 

 

エーガ愛好会 (203) エッフェル塔  (HPOB 小田篤子)

夫も今年3度目のスキーに出かけましたし、買い物のついでに観てきました。この映画で、エッフェル塔建設の背景に、愛する女性との強い思いがあった事を知りました。今は電波塔の役割をしているエッフェル塔。xx年前の新婚旅行で訪れたきりですが、平井さんのyoutubeでその美しい姿を楽しませて頂いています。

(どこから持ってきたのか?椅子に座っている、xx年前の写真です)

アメリカの自由の女神や橋の工事を請け負っていたギュスターヴ·エッフェル(ロマン·デュリス)は1889年 《パリ万博》のシンボルとして《塔》の建設を依頼されます。彼にはお互い強く引かれるアドリエンヌ(エマ·マッキー)という恋人がいました。
しかしアドリエンヌは両親に家柄のことから結婚を反対され、家を跳び出す際に大怪我をおってしまいます。
その後建設の協力者であり友人の妻となったアドリエンヌに再会しますが、やむを得ず再び別れを決意。建設の方も反対、資金難、労働者のスト、地質など色々なトラブルに合います。
彼女の「是非観てみたい」という強い言葉にあと押しされ、2度の別れから、建設にはボルトではなく、リベットを使い、《Aduenne》の《A》を連想させる美しい骨組みの塔を完成させます。

(船津)見損ない観て居ませんが、先ず1900年の万博用に作られたとか。当時のボルトではダメでしょうね。今はハイテンションボルトで一定のトルクで締めて溶接より丈夫と言われていますが、かっては網の目のようにリベットを打ち込んで溶接以上の強度を出したのだと思います。わが新入りの頃の鉄骨工事は殆どがリベットで赤めたリベットを下からほーぃぃと投げて上で漏斗状の物でぽぃつとうけて神業でしたね。して大きな音でど゛どっと。あのエッフェル塔もオオサカ万博の太陽の塔同様に万博終了後壊す予定だったみたいですがよくぞ遺してくれましたね。上にエッフェルさんの部屋があり住んでいたようですね。

(菅原)「エッフェル塔」なんて映画があるんですか。ちっとも知りませんでした。で、エッフェル塔で思い出すのは、トロカデロ広場から続くシャイヨー宮のテラスからの眺めです。でも、そこを(テラス)、夜、通りかかると、押し売りがいます。夜よりも真っ黒な人なんでギョッとしました。そして、名前は忘れましたが、その近辺のメシ屋で食ったビビンバが最高でした。と言うのが、パリの想い出。冴えないねー。

(安田)ミッキーさん、さしずめエッフェル塔前のシャン・ド・マルス公園でポーズをとる吉高由里子といった感じでしょうか。素敵な写真です。

ストーブをかこんでいます! (グリンビラ総合管理 柴山貴一朗)

天気は晴れ。朝の気温は1℃。日中は12℃まで気温上がる予報です。日曜は午後に雪の予報も出ています。

電気料金の値上げで自宅の電気代が昨冬の倍になってしまいました。少しでも節電になればとお湯用のやかんは常に天板に置いたまま。保温、オーブン、焼き物も火の状況みて薪ストーブ活用しています。

寒さ緩むと薪ストーブ焚き続けなくなるので火が弱まったタイミングで炉内で焼き物する機会が増えました。

煙突へ煙は抜けていくので部屋の中が煙で匂うことは全くありません。火加減は弱めです。ひっくり返すときはもう一枚焼き網を用意すると網に皮や身がつきません。

(編集子)浅貝の古い小屋の、煙だらけのストーブの思い出がよみがえるOBも多いはずだ。柴山さんご愛用のストーブは現代技術をつめこんだ逸品だ。庭で焚火もできない東京生活では想像もできない、心豊かな八ヶ岳南麓の夜だろう。グリンビラ総合管理は編集子のセカンドハウスの管理を当初からお願いして長い付き合いになる。柴山さんは東京出身だが自然環境の中での仕事を求めて同社の創設にかかわりこの美しい山麓に腰を据えた、ワンダラーの夢を実現した好漢である。

 

 

 

エーガ愛好会 (202)  砦のガンベルト   (34小泉幾多郎)

1876年11月23日騎兵隊により逮捕されたアラバホ族酋長ハヌーによって語られたクレンテノン砦襲撃を聴取するシーンから始まり、その数日前の11月17~18日に遡る。それはアラバホ族に攻め込まれ駐屯騎兵隊が全滅した日でもある。この映画は絶望的な状況に置かれた兵士たちとインディアンの死闘を描くも爽快感のない物悲しさが残るという結末が異彩を放つ。原作はリチャード・ジェサップという人で脚本まで書いているということは自分でも気に入っているのだろう。監督は勧善懲悪の西部劇を作ってきたゴードン・ダグラスだけに珍しい作品だ。

酋長聴取のシーンが終ると雪の残る山岳地帯を流れ者のガンマンが歩く。これが主人公、原名Chuka(チュカ)の登場。ヒッチコックの「鳥」で主人公を演じたロッド・テイラーが扮する。偶々子供を葬るハヌー以下アラバホ族数人に会った際親切心から食料を渡す。これが最後まで、生き残れる布石になっているのだった。その後車の外れた馬車を発見、それを援助するが、その中に、元カノ役のメキシコの貴婦人ベロニカ(ルチアナ・バルッツイ)とその姪ヘレナ(アンジェラ・ドリアン)が乗っていた。馬車はアラバホ族に襲われるが、チュカの顔を見ると去って行き、馬車は無事クレンテノン砦に到着した。

其処は、バロア大佐(ジョン・ミルズ)が指揮する騎兵隊の駐屯地。早速歓迎のパーティが開かれるが、部下を口汚くののしるばかり。チュカはバロア大佐に見込まれ、アラバホ族の偵察等に行くものの、鬼軍曹と言われるハンスバーク(アーネスト・ボーグナイン)以外は、バロア大佐を反目して統率がとれないまま、アラバホ族の襲撃を受けることになり、チュカが横腹に矢を受け、一緒にいたヘレナの二人を除き全員が戦死。砦からは食料や銃弾薬等全てが持ち運ばれたが、墓が一つとピストル一丁だけが残されていた。これは酋長ハヌーが食料を貰った
チュカに対するささやかなお礼か。

そもそもアラバホ族に対する食糧融通を無視してきたこと。その後も必要食料を渡せば、こんな悲劇にならないで済んだ筈。それとバロア大佐の頑迷さ、インド駐屯の頃、酒のため連隊を全滅させたことやハンスバック軍曹の生命を救うため捕虜になり去勢されたこと等が明らかになり、これが頑迷なる大佐の理由なのかどうか。冒頭申し上げたようにスッキリしない爽快感なき西部劇。

(編集子)辺境の砦が全滅したあと、その経過が明らかになるという筋立てはほかにもあるかもしれないが、小生にとっては西部劇ではないがクーパーとまだ端役のスーザン・ヘイワードがきれいだった ボージェスト が何といっても一番。少し違うが同じような人間関係の凝った筋立ての西部劇では、ペックの 勇者のみ (同じ邦題の作品がある)が思い出される。小泉さん同様、やはり西部劇には爽快感を期待してしまうので、あまりぱっとしない時間だった。わき役でボーグナインはいつも通りだが、ジエームズ・ホイットモアに(久しぶりい!)と言いたいところだった。

(アラパホ族)

元々はミシシッピ川より東部、ミネソタ州北部のレッドリバーバレー流域の森林地帯でトウモロコシやカボチャ、豆などを栽培しながら暮らしていたが、白人入植の影響で、18世紀にそこから南西に移動し、ノースダコタ州及びサウスダコタ州の平原地帯を領域とした。そして19世紀頃にさらに南下して移動し、プラット川沿いのワイオミング州とオクラホマ州の2つのグループに分かれて行った。1863年合衆国政府と平原インディアンとの間で起きたコロラド戦争に参戦。1864年サンド・クリークシャイアン族とアラパホ族の野営地がアメリカ陸軍の攻撃を受け、女子供などを中心に数百人が死亡。1876年リトルビッグホーンの戦いスー族、シャイアン族らと共に参戦し、カスター中佐率いるアメリカ第七騎兵隊を破った。

エーガ愛好会 (201) 裏窓 

(船津)グレースケリーの綺麗さとあの服装。かって映画の服装について高校新聞に書いた記憶があり美人の?衣装に興味在りです。映画衣装デザイナーの大物イーディス・ヘッドがデザインした、ゴージャスな衣装やドレスを、グレース・ケリー演じるリサが着る。
1920年代当時、映画全盛期のハリウッド映画において、女優の衣裳はきらびやかに飾り立てた華美なもの、という考えが主流であった。しかし彼女は、映画衣裳の世界に初めてシンプルな美しさとファッションセンスを持ち込んだ。1981年に死去するまで58年間にわたりハリウッドの衣裳デザインの第一人者であり続けた。駆け出しの頃は、セシル・B・デミル制作の映画作品での衣裳の仕事が多く、当時は「アイデアに困ると、何でも金ピカにしたり鳥の羽を付けるとデミルは喜んだ」という。
大ヒット映画、『ローマの休日』(1953年)のアン王女役の衣裳や、『麗しのサブリナ』(1954年)のサブリナ役の衣裳などは、主演のオードリー・ヘプバーンの可憐さを際立たせ、彼女の女優としてのイメージを決定付けることとなった(サブリナがパリから帰国するシーンから後半はジバンシーが担当)。
アルフレッド・ヒッチコック監督はイーディスのデザインセンスを大いに気に入り、『裏窓』(1954)以降ほとんどの映画作品の衣裳を任せた。クール・ビューティな女優グレース・ケリーのセクシーな魅力を余すところなく引き出すために、彼女はこの仕事に全精力を傾けたという。彼女は、デザイナーとして自分の理想的女優であったグレースを生涯気に入った。

(河瀬) 金藤さんのご案内で今日、NHKBSの映画「裏窓」を初めて見ましたが、ジェームススチュワート、グレースケリー主演の昔の(1954)映画ならではのヒッチコックのゆったりとしたロマンとラストのスリルを感じました。ありがとうございました。

(金藤)「裏窓」 よかったですね!

僕の一番好きな画面です(安田)

(菅原)この映画、本当のことを言えば「覗き見」映画。それは別として、公開時、高校2年の小生がとんでもない衝撃を受けたのが、妻殺し。前にも言ったかも知れませんが、親父がオフクロを殺すなんて想像すら出来なかった。これは何度も言いますがスゴイ衝撃でした。

 

 

裏窓』(うらまど、Rear Window)は、1954年アメリカ合衆国サスペンス映画。監督はアルフレッド・ヒッチコック、出演はジェームズ・ステュアートグレース・ケリーなど。コーネル・ウールリッチ(ウィリアム・アイリッシュ)による同名の短編小説(原題は『It Had to Be Murder』)を原作とし、事故で車椅子生活を送る男がアパートの部屋の裏窓から目撃した事件の顛末を描いている。現在、パブリックドメインとなっている。AFIが選出した「アメリカ映画ベスト100」では42位にランクインした。Rotten Tomatoesによれば、批評家の一致した見解は「ヒッチコックはこの傑作でサスペンスの才能を存分に発揮した。」であり、76件の評論のうち高評価は99%にあたる75件で、平均点は10点満点中9.2点となっている。 Metacriticによれば、18件の評論の全てが高評価で平均点は100点満点となっている。

(編集子)本稿で船津が触れているエディス・ヘッドのことだ。慶応高校の新聞 ハイスクールニューズでは、毎夏、新人(2年生)に取材編集を任せて力量を図る目的で、いわばサブ版として ジャーミネータ(発芽試験機という意味だそうだ)というのを発行していた。昭和30年(1950年)8月1日発行のジャーミネータは映画特集というページを作成した。この面を主に担当したのが船津於菟彦で、かれの直筆は左下にある 流行を作り出す という欄である。此処ですでに彼は (小生など聞いたこともなかった)エディス・ヘッド、なんてのを論じている(虫メガネで判読できればいいのだが)。 このころからエーガの論評を楽しんでいたというわけだ。栴檀は二葉より匂うのか、三つ子の魂百までか知らないが。小生この版では論説調のぐんと硬いテーマでっ文化祭の在り方、なんてのをエラソーに書いてる。ま、若き日のことですな。

(船津)
このカメラ当時としては最先端のエキザクタ 一眼レフの元祖と言われる、エキザクタシリーズのVXです。エキザクタは旧東ドイツのドレスデンですが、オランダ資本のイハゲー社は例外的に高い品質を維持したそうです。使いにくいカメラです。何故かシャッターは左側にあったり使い勝手の悪いカメラですが、当時としては最先端。その後日本のカメラメーカーがライカのM3には勝てないと判断して、一斉に一眼レフカメラを開発して今や世界一となったというわけです。
Heinz-Kilfitt-Fern-Kilar-400mm-F5.6-1024x682-1.jpegこの映画でジェフがつけたレンズはHeinz Kilfitt Fern-Kilar 400mm F5.6という超望遠レンズです。400mmにとって、F5.6のは今で見ても相当明るいです。その大きさからも納得できます。当時は相当高価だったと思います。

(菅原)ここで、一番、印象に残っているのは、何と言っても、犯人役を演じたR.バーだ。先ず、裏窓越しのトイメンの室内は、当然、音もなく不気味。加えて、そのバーのやっていることは、妻殺しであり、世にも恐ろしい犯罪だ。世の中には、こんな奴がいるのかとかなり衝撃を受けた。安田さんのバーの写真、その恐ろしさとバレたやばさを見事に写し取っている。ただし、「陽の当たる場所」に地方検事で出ていたらしいが、全く記憶にない。

ura2.jpgテレビでは「弁護士ペリー・メイソン」(安田さんは、「弁護士ペイトン・プレイス」と誤って表記しているが、人間「グーグル」であっても間違えることはある。別の意味で、「ペイトン・プレイス」の方が面白かったが)、車椅子の「鬼刑事アイアンサイド」など良く見たものだが、バーの代表作は、この「裏窓」だろう(しかし、バーはゲイだったと言うから、いささか吃驚仰天だ)。