ミス冒愛好会 (8)俺のベストミステリ  (普通部OB 菅原勲)

「らせん階段」(1933年)を読んだ。これを書いたのは、A.ヒッチコックが監督した「バルカン超特急」の原作者、女流作家、エセル・リナ・ホワイトだ。久し振りの「ハヤカワ・ポケッット・ミステリー」(1749番)だったが、その惹句に、このミステリーは「ゴシック・サスペンス」とあった。しかし、話しは、極めて淡々と進み、最後も淡々と終わり(不幸にして、小生、途中で誰が犯人か分かった)、何が「ゴシック・サスペンス」なのかさっぱり分からずに終わってしまった。一言で言えば、ツマラナカッタ。従って、「バルカン超特急」も、図書館から借りる予定だったが止めた。

そこで、ジャイが、ドーダ、スゲーダロウってのを以下に記す。年末年始、紅白も見ず(でも、坂本冬美は、見て聴きたいなー)、箱根駅伝も見ず(小生、駅伝は大っ嫌い)、読み耽っても全部は読めそうもない。ジャイはハードボイルドにアウフヘーベン(ヘーゲルのこの言葉、一度、使いたかったなー。でも間違ってるかな)しちゃったけれで、小生は、本格探偵小説に留年し続けている。

1.「秘中の秘」(1903年):W.ル・キュー

2.「悪魔博士フー・マンチュー」(1916年):S.ローマー

3.「古本屋サロウビイの事件簿」(短編集:1899年―1923年):J.B.ハリス・バーランド

4.「血文字の警告」(1945年):S.ロジャース

5.「冷血の死」(1956年):L.ブルース

以上は市販されておらず、全て私家版だ。つまり、こんな本を、私家版であるにせよ、出版するのは、小生の到底及ばぬ探偵小説バカがいると言うことだ。それも超が付くバカだ(頭が悪いと言う意味ではない)。

なーんて格好良いことを言ったが、紅白を最初から最後まで、箱根駅伝は2/3日と見ちゃうんじゃないかな。ま、そんなことは絶対ありません。

(編集子)目下認知症予防にとほそぼそとドイツ語を勉強してる立場から言えば、Aufheben の使い方は正しいと思う。ただオレのことのために使ってもらっちゃ申し訳ない。ところで、確かに凄いリストだ。脱帽。きいたことがあるのは フーマンチューくらいなもんだな。

エーガ愛好会 (32)  シャレード - ヘプバーンを巡って

(安田)

二度目の「シャレード」でしたが、前回は数十年前だったので筋を殆ど覚えておらず新鮮に観れました。 初めて観たヘップバーン映画「ローマの休日」の制作された1953年から10年後の作品。その間の10年に制作された映画で観たのは、「麗しのサブリナ」「パリの恋人」「戦争とアンナ」「昼下がりの情事」「尼僧物語」「噂の二人」「ティファニーで朝食を」でした。その後の映画では「マイ・フェア・レディー」「おしゃれ泥棒」の二本。最も好きな映画は「ローマの休日」。映画の舞台ローマの素晴らしい観光名所巡り、彼女の初々しさ、ストーリーの面白さ、相手役など映画を面白くする脚本・演出・配役が揃っていました。それにしても彼女と共演する男優は随分年上のほとんど大御所ベテランばかり。グレゴリー・ペック、ハンフリー・ボガート、ウイリアム・ホールデン、フレッド・アステア、ヘンリー・フォンダ、ゲーリー・クーパー、ピーター・フィンチ、レックス・ハリソン。同年代はジョージ・ペパートとピーター・オトゥ―ルのみ。この「シャレード」でも25歳年上のケーリー・グラントが相手役。彼女の繊細で優美な容姿と穏やかで柔らかいキャラクターをアイドル的に扱う、映画界の “男” 社会の目線が支配していたのでしょうか?現在の映画では殆どあり得ない主演男優・女優の年齢差であると思います。

お洒落で軽妙な洒脱に溢れた映画出演が目立つ彼女の映画の中で、やや重たい深刻な役を演じた「尼僧物語」「戦争とアンナ」、そしてとシャーリー・マクレーンと競演した人間ドラマ「噂の二人」を経て、円熟と言っていいオードリーの持ち味が十二分に発揮された、もはや彼女の十八番ともなったロマンティック・コメディやサスペンス映画の一つでした。専属契約を結んでいる服飾デザイナー・ジバンシーの洋服ファッションが映画の舞台パリに映えて目を楽しませてもくれました。ウォルター・マッソー、ジェームス・コバーン、ジョージ・ケネディの脇役陣も良かった。肩肘張らずに楽しめた2時間でした。

(久米)

暫くPCを開けないうちにすでにBS12月のラインアップが届いておりました。いつもいつもありがとうございます。バルカン超特急はヒッチコックの隠れた名画だと思っています。あっと言うどんでん返し、白黒画面でヒッチコックがイギリスで撮った終わりの頃の作品でこの重要な役がらの女優さんは私のお気に入りの映画「ミニバー夫人」では誇り高い名家の夫人役を演じております。イギリス映画の重鎮のような存在です。「愛と青春の旅立ち」リチャード・ギアの若々しい映画、もう見なくてもいいかな。アメリカングラフテイではハリソンフオードがチンピラでちょっと出てきます。12月7日午後9時放映の日本映画「フラガール」是非ご覧ください。中々の感動作です。

「アラスカ魂」は「リオ・ブラボー、」「アラモ」、とジョン・ウエインが立て続けに出演した映画ですがその中ではちょっと見劣りがする気がしました。歌手のフェビアン、(これもリオ・ブラボーのリッキー・ネルソンと比べると大分落ちますが)出演して主題歌も歌っているので見てみましょうかという気分。何回見ても新しい感動がある「ゴッド・ファーザーⅠ,Ⅱ、Ⅲ」「巴里の屋根の下」は必見、拾い物と思われる12月31日の「テキサスの5人の仲間」ヘンリー・フオンダとポール・ニューマンの奥さんのジャアン・ウッドワード共演のこれまた最後のどんでん返しが面白い、儲け物の作品です。

GIさんお勧めの「トウーム・ストーン」「サムライ」の予約録画を取り消してみました。ロバートミッチャムのナレーションに始まりアープ兄弟のつながりなど良く解りました。しかし、「OK牧場の決闘」でしみついてしまったワイアットアープはバートランカスター。ドク・ホリデイはカーク・ダグラスという印象が強すぎてどうもしっくり来ませんでした。

「昼下がりの情事」勇気をもって見直しました。やはり、クーパー様の年の取り方が凄くて当時56歳、この4年後に亡くなるとは言え最後の駅のシーンでもオードリーをよく抱き上げられたと思う程でした。前に見た時もクーパーのしわが気になったのですがクーパーフアンならずともビリーワイルダーがケーリーグラントに出演依頼したという話も分かるような気がします。もうすぐ77歳になる私ですが人様から見たらどんな年よりかとちょっと怖くなります。オードリーヘップバーンの忘れてはいけない出演作品に「暗くなる迄待って」をあげたいと思います。この作品はオードリーにしては珍しいサスペンス映画ですが恐怖を感じながら見た覚えがあります。4つ星の傑作だと思います。

最後に、小川さん、お久しぶりです。映画の事、色々お教えください。志賀高原のオリンピックコースを二人で悪戦苦闘して滑り終えたこと思い出します。

(安田)暗くなるまで待って。非常に面白いサスペンス映画でした。まさに4つ星の傑作。コブキさん、ありがとうございました。見応えある映画を推薦していただきました。動画配信サービス「U-Next」を利用してテレビ画面で観ました。

制作された1967年は、「招かれざる客」「夜の大捜査線」「卒業」「俺たちに明日はない」「007は二度死ぬ」、ヘップバーンとアルバート・フィニー共演の「いつも二人で」など豊作の年でした。明るい役どころが多いオードリー・ヘップバーンが珍しくこわいサスペンス映画出演。盲目の主婦役で事件に巻き込まれ、まるで一人芝居を演じるが如く熱演。ヒッチコック映画「裏窓」と同じように、ほぼ全編 部屋内のシーンだが緻密なシナリオとサスペンス感を盛り上げる演出が秀逸。

目を大きく(彼女の目はとても大きい)見開き、盲目の人の視線、顔の表情、歩く所作や諸々の動きと恐怖の表現を見事に演じて感心。目のまばたくきは全くしない。盲目者を演じる勉強と準備を充分したことが容易に伺われました。さらに台詞の多さ、喋りと演技時間の長さなど、他の出演映画に比較して濃密で集中を必要とする役柄を緊迫感溢れるシーンの連続の中で演じた。題名の通り最後の暗がりでの30分のサスペンス感は見応え充分。彼女の表情を画面からスマホで撮影して貼付しました。1950〜60年代に25本近くの映画に出演し続けた彼女にとって、20年近くに及んだキャリアの最終段階に近い、1960年代最後の映画出演。その後は1976年まで9年間出演なし。その意味では、彼女の映画キャリアの集大成に近い覚悟で臨んだ映画だったかもしれない。
(編集子)僕らの高校から大学への時代はなんといってもプレスリーから始まったと思うが、グレース・ケリー、少しずれるがマリリン・モンロー、そしてオードリー・ヘップバーン、何とも懐かしい名前である。面白いことに仲間うち(スガチューももちろん入っていた)で話をするとき、”ローマの休日” だけはみんなが申し合わせたように ”ローマン・ホリディ” と言っていたような記憶がある。休日、なんていう表現でなく、わざわざホリディ、と言わせた雰囲気というかあこがれというか、なにかそういうものがあったのだろうか。
大学最終の秋、かの早慶六連戦の神宮の観覧席に毎回応援指導部が作るむしろ旗のなかに ”ケイオーノユウショウ イワウ ケネディ” というのがあったのを覚えているが、ジョン・ケネディという新しい時代のリーダーの輝かしい時代が僕らの青春であり、ヘプバーンの笑顔もまた、その象徴でもあった。

紅葉をたずねて  (36 翠川幹夫)

昨日、朝霞市の平林寺で紅葉を観て来ました。
毎年のように観に行きますが今年は何かボンヤリと枯れたようで、輝くような赤にはなっていませんでした。

(編集子)例年の豪華な紅葉を楽しみに小淵沢から清里へ回ってみたが、まったく期待外れだった。思うに温度が高いまま紅葉に至らずだったのではないか。深い秋を訪ねたつもりだったが、落ち葉に埋もれた山道へ入ってみると、かの

からまつはさびしかりけり。
たびゆくはさびしかりけり。

の風情だった(残念だが詩情あふれる落葉松ではなかったが)。今年はなにしろ、季節までどうかしているようだ。

エーガ愛好会(28) 荒野の決闘

(34 小泉)

愛しのクレメンタインの伴奏で道標にスタッフや主演者のタイトルが映し出されるともう懐かしさで一杯。タイトルが終わるとモニュメントバレーに牛の大群と人物と雲とが、巧みな構図で圧倒するが、その後はトウムストンの街が舞台に置かれ、この地での出来事が緩やかに展開する。ジョンフォード監督は「駅馬車」の動的なものから「荒野の決闘」は静的な詩的なものを狙っていたようだ。

 各場面から印象的な場面を拾うが、まずは、日曜日ヘンリー・フォンダ扮するワイアット・アープが理髪店で身だしなみを整え、立ち上がると、店主がスイカズラの香水を振りかけられた後、板張りの上に椅子を出させ、座ると所在なげに両足を交互に前の柱にアクロバット的にバランスをとりながら、人々が教会に赴く様子を見るシーンはのどか。その後、弟ワード・ポンド扮するモーガン達が変な匂いがすると言うと俺だと照れる。キャシー・ダウンズのクレメンタインに対しても同じセリフ。これこそ普段は驕り高ぶることなく穏やかな自信をもって照れているが、いざとなれば鬼神をもひしぐような活躍をする猛者という第2次大戦後の勝者アメリカのあるべき姿として訴えたものと言われ、成る程と思ったものだ。

 クライマックスのOKコラルでの決闘の場面、馬の群が銃の動きに狂奔する隙を狙っての射ち合い、敵機同士の間を走る駅馬車の砂煙の中での射ち合い。弟モーガンが柵の上で中腰でウオルター・ブレナンのクラントン親父に射ち込むファニングという連発等々。決闘前、応援を志願した町民二人に銃を渡すが、飽く迄おとりということで、弾丸を抜いて手渡すところなんかも細かい。 それにしてもジェームスとヴァージル二人の兄弟を殺されたワイアット、リンダ・ダーネル扮するチワワの手術が成功したかに見えたが死なしてしまうヴィクター・マチュアのドク・ホリディ、息子たち全てを失い泣き叫ぶクラントン親父と登場人物の殆んどが傷を負っている。

 最後にフォンダが、見送るクレメンタインに「クレメンタインという名前が好き」と言いながらみるみる小さくなる騎影、広大な空に流れる白い雲、静かにわき起こるコーラス、愛しのクレメンタイン。

 

(菅原勲)

「荒野の決闘」を見たのは、確か、これで二回目だと思います。そこで益々意を強くしたのが、「荒野の決闘」と言う日本語の題名が極めて不適切であることです。原題は「My Darling Clementine」です。日本語では「我が愛しのクレメンタイン」とでもなるんでしょうか。クレメンタイン(キャシー・ダウンズ)は自明の理ですが、「我が」とは誰のことを指しているのでしょうか。これは、ヘンリー・フォンダ演ずるワイアット・アープだと思います。アープはクレメンタインに初めて会った時から一目惚れ、ダンスに誘うときのアープらしくない躊躇い、そして、最後の「クレメンタイン」が止めの一言です。これは、アープらしい独特の愛情表現そのものです。

こんなことを言うと、「荒野の決闘」Addictから、それこそぶっ飛ばされるかもしれませんが、OK牧場の決闘は、このエーガの、刺身で言うとつまに過ぎません。つまり、このエーガは、OK牧場の決闘を背景としたワープのクレメンタインに対する思慕を描いた作品であると思っています。反論は大歓迎です。

あとでWikipediaを見たら、キャシー・ダウンズは癌で52歳の早死。テレビの「ローハイド」に出ていたようですが、小生の記憶には全くありません。ヴィクター・マチュアは悪くないけど、ここではフォンダに完敗です。リンダ・ダーネルはキャシー・ダウンズより遥かに魅力的だったけど、死んじゃったらしょうがない。確かに、独断と偏見に満ち満ちています。が、「我が谷は緑なりき」を監督したジョン・フォードならではのエーガでした。

(44 安田)

「我が谷は緑なりき」のジョン・フォードらしい作品との菅原さんのご見解に全く同感。彼らしい抒情的な描き方が秀逸。

まさに原題「My Darling Clementine」が相応しい映画だ。西部劇というよりメロドラマの感じ。不器用な二人の男の女性に対するロマンを描いた映画の色合いが、弟殺しの敵討ちが本筋のはずの物語に勝っていた。ワイアット・アープとドグ・ホリデイの友情やクレメンタインへの恋という情感に重きが置かれている。
チワワの情熱的な直接的で動の感情表現と、クレメンタインの静の自己表現は対照的で、ドグ・ホリデイとアープのそれも同様の好対照を成していて、異なる人物像を比較させながら鮮明に描いていた。
 
OK牧場の決闘は存外にあっけなくやや迫力には欠けていた感あり。また、結核気味な病気持ちのドク・ホリデイもあんなに早く死なせても良いのかと、彼に可哀そうな気がしたものだ。ホリデイ役の男優はイタリア系だという。そういえばやはりイタリア系のディーン・マーティン似でさらに濃い顔の役者であった。細面のヘンリー・フォンダとも役がら同様巧みな好対照の配役である。
映画の舞台・時代は1882(明治14)こんな辺鄙な西部の荒野の町にシェイクスピア劇団が来て公演するとは映画だとはいえ驚いた。
この映画は、クレメンタインがボストンから駅馬車で到着した時に「My Darling Clementine (いとしのクレメンタイン)」主題曲が流れ、アープがクレメンタインに別れを告げて去る場面ではモニュメント・ヴァレーの雄大な景色が画面いっぱいに広がり、主題曲が流れるな中で映画は終わる。映画の最初とエンディングが見事に仕上がっていると思う。

(36 翠川)

観ました。観ました。ありがとう。LA駐在の帰国間際にアリゾナへ家族旅行した時を思い起こしていました。ユタ州やアリゾナ州の砂漠地帯の風景は懐かしい。

(42 下村祥介)

 「荒野の決闘」を拝見。やはり名画ですね。

銃を激しく撃ち合うマカロニウエスタンとは違ってテンポもゆっくり。殺伐とした西部の酒場でシェイクスピアが出てきたりして驚きです。これが西部劇の古典というのでしょうか。 日本でいうと幕末~明治にかけての時代で、わが国も時代の転換期で大変なときでしたが、米国でも南北戦争があったりして激動の時代。ニュースなどを見ていると今のアメリカは150年前のアメリカと同じように見えますね。大統領選などあっけにとられて見ています。

(編集子)誰が何と言おうと、映画史上(!)最高の、心に残るラストシーンだ。これを見たさに、スガチューは二度だというが、小生は映画館で二度、テレビで三度は見ている。DVDはもちろんあるが、動けなくなったら見るためにまだ封は切らずのまま本棚に並んでいる。

各位ご指摘の通り、これはガンプレーや敵討ちが主題の典型セーブゲキ、ではない。古き、良き時代へのオマージュ、と言ってもいいのではないか。フォード演出はまさにそう語っている。安田兄ご指摘のいくつかのシークエンスももちろんだが、フォンダが散髪を済ませて歩いていく、そのシーンの後ろのほうに、(いいやつだなア、ホント)と言いたげに、壁に腕を持たせて見送っている床屋の風情がなんともいい。また、My Darling Clementine  をかの 雪よ岩よわれらが宿り と、山好きの人々にとっていまや聖歌と言える愛唱歌に仕立ててくれた、京都大学山岳部の方だったに改めて感謝。その Clementine  が彫り付けられた牧場の柵をあしらったタイトルバックもまた心に残る。セーブゲキでない、と言ったが、最後のシーンでワード・ボンドが見せるファンニング(リボルバー型拳銃で引き金を引いてすぐ撃鉄を片手の手のひらで仰ぐようにして発射位置にもどす早撃ち)はほかの本チャンセーブゲキ(たとえば シルバラード でスコット・グレンが見せた)に引けを取らない芸だったと思う。

同じ題材で作られた作品はあと5作くらいあると思うが、このフィルムで悪役の端役だったジョン・アイアランドは OK牧場の決闘 にも同じクラントン一味のひとりだが、これより多少出世した役柄で出ている。この時のホリディはカーク・ダグラス、墓石と決闘 ではジェイソン・ロバーツ、トウームストーンではヴァル・キルマー、ワイアット・アープではデニス・クエイド。なんたってほかでは大根役者と言われ続けたヴィクター・マチュア、ドクの役はこのフィルムでのマチュア君に、これにかなう配役はないやね。

今回ちと疑問が湧いた………ツームストンの街からモニュメントバレーって、あんなに近かったかなあ。なお本編もまた、写真は安田商会提供。

 

米国大統領選挙に思うこと

米国大統領選挙が混迷を深くしている。好き嫌いとか事情通の人ならば国際情勢への影響とか、いろいろあるだろうが、所詮は外国の内政問題であり、我々が知ることのない(たとえ知っていても理解できない)かの国の国民の事情があるわけだから、結果に賢明に対処していくしかあるまい。

また現在深まるばかりの国民間の溝が埋まるのか、14歳の少女まで銃で武装させる結果になる憲法とはいったいなんなのか、といった選挙後の米国の在り方は、外国の内政事情だけではありえない。今までわれわれが規範としてきた民主主義、というものが崩壊してしまうという危険が現実味を帯びる。選挙戦の間に出てきた論調の中に、たとえば、民主党が勝てばアメリカは社会主義になってしまう、,というように、あたかも社会主義はあってはならない、というような曲解と合わせて、背筋が寒くなるような展開である。

われわれは60年代の日米安保改定騒動やベトナム戦争の是非の激論、経済成長の加速に伴う公害問題、相次ぐ天災、大規模な汚職、などわが国を揺るがす事件を経験してきた。しかし未曾有の危機にあっても、現在のアメリカで起きているような暴動や略奪や選挙への暴力介入などということは決して起きなかった。一方、もちろんまだまだ不備はあるものの国民皆保険制度が定着したし、頭でっかちの経営学者先生がいろいろ議論をしても、なお、企業は雇用の安定を第一に考える。今回の経済危機にあっても、大企業の多くはまず役員の報酬減額があって、それから給与削減、自主退職、他社への一時的退避、などの方策によって米国ならただちに起きる従業員解雇は最後まで回避しようとしている。

このような日本人がある意味では誇るべき行動や現象を、米国民は社会主義,と考えてしまうのではないか。彼らが唱える米国の民主主義、とは第一に個人に対する機会の平等であり、その先は個人の能力次第、という理想主義でもある。そのこと自体は素晴らしいが、結果の平等、ということはないがしろにされる.というよりむしろ軽蔑さえさることが多い。しかしここには個人がただ一人存在するのではなく、あくまで社会の一部である、という視点が欠落している。彼らからすれば、日本人が幼少のころから教え込まれる、他人に迷惑をかけない、という倫理の基礎が希薄である。東日本大震災の救助に駆けつけてくれた米国の司令官は、援助物資の運送に協力した地元民の統制、冷静さ、暴動や略奪行為等起きえない社会の在り方に衝撃を受けた、と言ったそうだが、BLMという社会正義への行動が次の瞬間に略奪に転じてしまうかの国の在り方は何なのだろうか。

我々は小学校時代に給食という制度を通じて米国国民の在り方に接し,アメリカンドリームにあこがれてきた。そして日本の民主主義は幼稚である、と教えられ、以後、官民通じて、その実現への努力をしてきたのではなかったか。何年前になるか、話題になった本 歴史の終わり でフランシス福山は民主主義と資本主義の勝利を宣言した。あの熱気はどこへ行ったのだろうか。

一方、僕らは程度の差こそあれ、マルクス主義から無縁で過ごしてきたわけではない。だが現実の前に、というか社会主義共産主義を論じる人たちの行き過ぎた教条主義のまえに社会主義国家というものは専制なくしては実現しないものだ、と考えるようになっていた。之もある意味では福山の論調を支えていたのではないか。

だが、今のアメリカの現実、他方、いかに苦しくても雇用を守ろうとする多くの企業の在り方などを見ると、我が国日本は結果として世界で初めて、人権、自由、社会正義、といった倫理を資本主義、民主主義と共存させている国なのではないか、と思えてきた。地球規模の環境問題や安全保障などといった、それこそグローバリズムが基礎となるこれからの世界で専制主義によらず国民の民度と倫理性によって、社会主義と民主主義を両立させている国。日本はそういう国なのだ、と思わないか?

(36 翠川)
”国民の民度と倫理性によって、社会主義と民主主義を両立させている国。日本はそういう国なのだ”に共鳴。

テレビで見ている限りでは、「駐在していた半世紀前のアメリカと比較して、何という国だろう、ベトナム戦争とアポロ打ち上げを両立させ、必死だった頃のアメリカと何処がどう変わったのだろう?」と感じています。

 

エーガ愛好会(26) アラン・ドロンの西部劇 (34 小泉幾多郎)

10月23日BSP放映「テキサス Texas Across the River 1966」の感想

アラン・ドロンが「レッドサン1971」の前に、初出演した西部劇で内容はコメディ的要素が強い。

「太陽がいっぱい1960」で、俳優のキャリアを駆け上がったアラン・ドロンは、1964~1966年にかけて、どうやらハリウッド進出を試みたようで、その時の作品の一つがこれ。他に3作品あるが、結果的には成功せず、それが幸い??フランスに戻り、巨匠の監督や名優たちとの共演で、「冒険者たち1967」「サムライ1967」「「シシリアン1969」「さらば友よ1968」「シシリアン1969」等々のヒット作品に恵まれ、確固たる人気を博したのだった。ハリウッドでの他作品は、不評と言われているものの、調べてみると「黄色いロールスロイス1964」アンソニー・アスキス監督のオムニバス映画、「泥棒を消せ1965」ラルフ・ネルソン監督でアンマーグレット共演、「名誉と栄光のためでなく1966」マーク・ロブスン監督アンソニー・クイン共演で、まずまずの力作と思われるが美し過ぎる容姿が男性的なタイプを好むアメリカの観客に受け入れられなかったのかも知れない。

共演したのがディーン・マーティンで、通算7本の西部劇に出演している。ジェリー・ルイスとの底抜けシリーズで、コメディタッチは得意分野なのだが、出演の西部劇をみると、底抜けを除き、意外に真面目な西部劇が殆んどだ。「底抜け西部へ行く1956」「リオ・ブラボー1959」「テキサスの四人1963」「エルダー兄弟1965」「バンドレロ1968」「対決1973」。

内容は、スペイン貴族に扮するドロンが、地主のアメリカ娘ロ-ズマリー・フォーサイスと結婚するためにやってきたところから始まる。幕開けの音楽は、キングストン・トリオの歌。結婚相手のローズマリーのもと恋人の騎兵隊員が諦めきれず、揉み合いになるうちに、はずみで騎兵隊員が死亡、ドロンは騎兵隊に追われることに。道中途中、武器商人ディーン・マーティンと意気投合し、その相棒インディアン案内人と結婚相手との約束の場所テキサスを目指す。途中コマンチ地区通過による戦闘やコマンチ娘ティナ・マルカンを助けたことから、恋人同士が入れ替わる等すったもんだの挙句に、めでたしで終わる。騎兵隊の隊長にスパイ大作戦のピーター・グレイブスも出演。監督は、マイケル・ゴードンで、「夜を楽しく1959」ドリス・デイ主演のようなコメディタッチが得意とのこと。「シラノ・ド・ベルジュラック1950」でホセ・フェラーにアカデミー賞をとらせた腕もあったというが。内容はまさにB級西部劇で、誰かさん同様途中居眠りの境地へ。それでもアラン・ドロンは、矢張り西部劇姿も格好は良かった。裸のシーンも何回か。締まった身体、胸毛もないし、すね毛もない、つるつるで美しい男の理想形?、「太陽がいっぱい」の肉体美を思い出す。薄いブルーの目、眼力の輝きも。

昨年の8月軽い脳出血で手術し、スイスの病院で休養、その後容態は安定しているとの報道があったが、その後どうなったかの報道はない?。報道がないということは一応元気でいるものと思う。来日の際、柔道を見たいので、是非東京オリンピックには来日したいと言っていたが?

蓼科の秋です   (42 下村祥介)

昨日まで原村に行っておりました。大きくなりすぎて鬱陶しくなってきた庭の白樺の木を6本伐採し、久しぶりに重労働をしてきました。伐採は地元の職人さんにお願いしたのですが、家の屋根を傷つけないように、また他の木を傷めないように倒すのが結構大変です。最大の課題は切った後の木を玉切りにする作業。これは自力でやらなければならず隣家の上智大ワンゲルOBの人がチェーンソーを持ってきて手伝ってくれましたが、丸3日間の仕事になりました。

60年前の三国山荘でのワ―キャンを思い起こし、きつい作業ではありましたが上智のOBと語らいながら楽しくできました。まだ半分ほど残っていますが、雨が降ってきたので残りは次回以降の宿題となりました。

夕方、村営のもみの湯に行きました。受付で住所記帳と検温、脱衣場は一つおきとなっていて結構神経を使っていることが分かり、逆に安心しました。この冬は寒くなるようですね。NHKで長期予報を流していました。冬はまた近くのスキー場へでも行ければと思っております。我が家の窓から見た秋の気配です。

コロナごもり対策 - ミステリや冒険小説でも読んでみないか

コロナごもりがあとどれだけ続くのか、見当もつかないし、バタバタしても仕方のないことだから、それなりの用心をしたうえで社会生活に復帰するしかないと思うのだが, 巣ごもりをしていると、なにか趣味があることがとても貴重なようだ。同じ趣味でもスポーツだと場所やパートナーや天候などに左右されてしまうが、自分ひとり、自宅完結のものにはそういう心配がない。

小生の目下の巣ごもり日常ルーチンだが、朝食を7時半くらいにはすませてしまい、その後のほぼ1時間を初級ドイツ語の勉強に充てるようにしている(一昨日、”ドイツ語練習3000題” というのをすませて、目下意気軒昂)。昼までは何やかやと過ぎてしまうが、グラス一杯のシャルドネで気持ちよく昼寝。午後は昔の用語でいえばラジオ作り(スクラップアンドビルド、というほうが当たっている)で過ごし、夕刻から寝るまではほぼ、ミステリで過ごす。コロナ籠りの日々、有り余る時間を楽しむためにこの ”ミステリで過ごす” ことをお勧めしたい、というのが本日の趣旨である。

前振り的に言えば、シャーロック・ホームズから始まり1920年代に花開いたいわゆる”推理小説”は文字通り、”推理”という頭脳ゲームを当時の知識層を対象に書いたものであって、だれでも知っているアガサ・クリスティー、ヴァン・ダイン、エラリー・クイーン、ディクソン・カー、ほかにもクロフツだチェスタトンだと枚挙にいとまなく、日本で言えば江戸川乱歩や高木彬光なんかが代表としてあげられる。これら ”推理”ということのために書かれた小説はその目的のために複雑な筋を用意し、読者を欺くための仕掛けをこれでもかというほど組み込むことになる。特にクイーンやカーの作品はその傾向が強い。そこへいくとクリスティの作品には時として詩的な展開があったり、人間味のあるプロットが用意されているものが多い。これがミステリの女王、と呼ばれ、英国人の多くが毎年のクリスマスプレゼントにクリスティの新作を待ち続けたということなのだろう。

僕はこの種のいわゆる”本格推理”と呼ばれるものを高校時代、畏友菅原勲の勧めで読み始め、創元社や早川書房の文庫で、代表的なものは一応ほとんど読んできた。しかし正直言えば、細かいヒントを拾って推理をする、というよりも最後になって、ははあ、そうだったのかい、という程度の読者である。そういう範囲の、簡単に手の入る文庫本のなかから、おすすめとして次のようなタイトルをあげてみたので、この機会に試されてはいかが。文庫本ならまあ数百円の投資、安いものではないか。

アガサ・クリスティーなら、アクロイド殺人事件、オリエント急行殺人事件、白昼の悪魔ナイル殺人事件あたりから始めていただこうか。アクロイド以外は映画化されているのでご覧になった向きも多いかもしれない。最後のどんでん返しが痛快で気に入っているのがウイリアム・アイリッシュ 幻の女、オーソドックスな構成でこの著者独特の怪奇趣味も出てないので読みやすい、ディクソン・カー 皇帝の嗅煙草入れ なんかもとっつきやすいのではないかと思う。クイーン、ヴァン・ダインはなじむのが結構大変なので次の段階になるだろうが、もちろん、一級品揃いであることは当然だ。専門?家筋では、最高のミステリはなにかという議論が当然あるわけで、僕がはまっていた時期には、たとえばクイーンの Yの悲劇 がそうだとか、クリスティの そして誰もいなくなった がいいとか、ヴァン・ダイン(いかにも30年代の欧米知識階級に受けそうな著者の衒学趣味が強すぎて僕は辟易した)のどれがいいとか、いうものだったが今はどうだろうか。

しかしいろんな ”本格物” を拾い読みしてきて、推理のために作られた環境ではなく現実にある環境で起きえる犯罪を、現実にあり得る方法で解決していく、そして推理だけでなく、文学としてのロマンや文章を味わえるものとして、日本で言えば社会派推理小説と呼ばれたジャンル、欧米でいえばいわゆるハードボイルド、それとむしろ冒険小説、と呼ぶほうが正解なような、広義のミステリにひかれるようになって現在はその冒険小説系も併せて乱読を続けている、というのが僕の現状だ。その中から、いくつかをおすすめしたい。

ジャック・ヒギンズ からは ご存じの は舞い降りた とその続編 鷲は 飛び立った、狐たちの夜 が第二次大戦に取材したもので、サンダーポイントの雷鳴 はナチの終焉の話(”映画愛好会”シリーズで取り上げた オデッサファイルにからむもの)で史実と照らし合わせると面白いが、読み終わった後の一種の虚脱感を楽しめる 廃墟の東 もおすすめ。ハードボイルド、といえばまず出てくるレイモンド・チャンドラー(注)では、さらば愛しき女よ がわかりやすく、代表作 長いお別れ は筋が複雑でよくわからない部分さえあるので、ミステリとしてよりもむしろ上質の小説としての雰囲気を楽しんでほしい。そういう意味では 大いなる眠り、がむしろチャンドラー入門にはいいかもしれない。彼の直弟子というべきロス・マクドナルドでは 動く標的、さむけ、ウイチャリ家の女 あたり。 クリスティと争う女流作家では、スウ・グラフトンのアルファベットシリーズ (アリバイのA から始まって本人は Z での完結を目指していたが痛恨のきわみだが Y (原題は Y for Yesterday)まで来て著者は逝去)が読みやすいし読んでいて楽しいが、翻訳は残念ながら R までしか出ていない。

日本の作家では、チャンドラーに心酔してミステリを書きはじめたというジャズマン原寮の さらば長き別れ と それまでの明日 は、日本を代表するハードボイルド作品だと僕は思っている。それともうひとつ、少しジャンルが違うし、この本のことを言うと大抵笑われたりすることが多いのだが、高木彬光 成吉思汗(ジンギスカン)の秘密。英国の大家ジョセフィン・ティの 時の娘 の向こうを張った、義経=ジンギスカン説。僕はこの本を読んでこの説を信奉するに至った。ぜひご一読をおすすめする。ミステリ・冒険小説ファンが増えて,紙上討論会、でもやって、コロナごもりが少しでも楽しくなることを願っている。

(注)この人の作品は翻訳がかなり多い。ここにあげたのは清水俊二訳のタイトルで、最近では村上春樹が長編をすべて新訳で出している。僕の好みでは、長いお別れ、だけは清水訳でお読みいただきたいのだが(村上訳は ロンググッドバイ、となっている)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エーガ愛好会 (23) エデンの東 ー ジェイムズ・ディーンのこと

気が付いてみたら昔ばなしばかりする年代になってしまった。普通部から高校にかけての一番のんきで楽しかった時代、つまり ”戦後” が終わろうとしていた時代の僕らを支配していたのはやはり ”戦争を知っている親たち” の価値観やらライフスタイルが変わろうとしていた時代でもあったのだろうが、今考えてみるとこの時代の ”青春” の在り方も変わりつつあったころだったとも思う。

そのことをなんとなく感じさせたのが ジェイムズ・ディーン という俳優だったような気がしてならない。高校3年の時に エルヴィス・プレスリー が登場したとき親たちの年代のほうは敏感に時代の変化、を感じたようだったが、僕には音楽シーンの変化ぐらいにしか感じられなかった。

”エデンの東” は高校同級の悪童たちと東劇へ見に行った。そのうちの一人、広田順一がこともあろうにラブシーンの最中に持っていたアルミの弁当箱を取り落とし、大きな音を立てて周りからにらみつけられるという事件があった。そんな思い出でもある。

(44 安田)旧約聖書のアダムとイヴの双子の息子兄弟「カインとアベル」の物語に基づいた、ジョン・スタインベックの故郷・サリナスを舞台にした長編小説の映画化。映画化されたのは小説の終わり3分の1ほど。サリナスから近い海岸の町・モンテレー

モンテレイの街

も舞台となっている。ここは80年代半ばクリント・イーストウッドが市長を務めた高級人士住む観光地カーメルに隣り合う、サンフランシスコに人たちには言ってみれば東京と鎌倉みたいな関係にあるところである。第一次世界大戦前後の北加州の農村を舞台に展開される青春ドラマ

聖書ではエデンの東は、エデンの園を追放された、双子の弟アベルを殺した、アダムとイヴの息子カインがたどり着いた土地として知られている。映画では兄役のアーロンは弟(ジェームス・ディーン)を殺しはしないが、弟との確執の結果、世界大戦の戦場ヨーロッパへ出兵するところで終わる。旧約聖書では、弟を殺した兄の向かうエデンの東は、流刑地のニュアンスがある。人類の祖先であるカインが放浪者として移り住むエデンの東・・・・聖書では、これが人類の旅の始まりとして描かれている。ヨーロッパ戦線に向かった兄の運命は映画では明らかにされていないが、旧約聖書が描く流刑地の悲惨さを示唆しているのであろうか?そして厳しい人生の旅が始まったのであろうか?映画では、ディーン演じる主人公は、品行方正な兄を何かにつけて可愛がる厳格な父が気に入らず、反抗的な態度をとり続ける。反抗は愛に飢えている証ではあるが、その辺の孤独感と反動として反抗する感情を、ディーンは伏し目がちな視線や憂いを帯びた態度で繊細に”悩める青春像”を演じきって世の女性たちを虜にした。映画の撮影終了後間もなく24歳の人生に終わりを告げる自動車事故の悲劇も、一躍世界のスターになったジェームス・ディーンを絶対的なアイコンとして昇華させたようである。

印象的な場面は、観覧車の中の兄の恋人とのキスシーン、大豆の芽が大地から出てきて大地に寝そべり喜ぶシーン、兄の恋人とディーンとの長い会話を経て二人の気持ちが通いあるシーン、兄が自暴自棄に陥り恋人から離れヨーロッパの戦争に赴く駅の列車出発シーン、意識不明の床に伏した父がディーンの耳元の言葉に頷き涙を流した時、天井から光がさして二人を照らすシーン。ディーンが父親に理解してもらったと感じるエンディング場面はこの映画のハイライト。弟の人生の旅もこれからまた始まるのだと映画は示唆しているようであった。

 

兄の恋人役ジュリー・ハリスは、「波止場」「北北西に進路を取れ」「栄光への脱出」エヴァ・マリー・セイントの清楚であるが秘めた信念と情熱の炎は熱い感じに似通っていると思った。彼女は波止場でオスカー助演女優賞獲得。ジュリー・ハリスは「波止場」でもメガホンを執ったエリア・カザンのお眼鏡に適った女優だったのだろう。またジュリー・ハリスはオスカー助演女優賞に充分値する適役の演技だった。

厳格な父親役のレイモンド・マッセイオスカー助演女優賞の母親役のジョー・ヴァン・フリートの演技も素晴らしい。先日、話題となった「大いなる西部」で注目された助演男優賞獲得のバール・アイヴスも出演していて懐かしく観た

NYの俳優養成学校「アクターズ・スタジオ」創設者の一人であるエリア・カザン「波止場」でオスカー監督賞を獲得しており、その波止場で主演男優賞を獲得したマーロン・ブランドとは欲望という名の電車」でも一緒。「エデンの東」の主役はマーロン・ブランドと決めていたが、当時吹き荒れていたマッカーシー旋風(共産主義者取り締まり、いわゆる赤狩り)の際のエリア・カザンの仲間を売った裏切り行為(といわれている)が許せなくて、ブランドが辞退。アクタース・スタジオ出身の新人ジェームス・ディーンが結果として抜擢された。他に主役候補にはモンゴメリー・クリフト、ポール・ニューマンも挙がっていたという。1950年代はアメリカ映画の全盛期で名画が目白押しですが、テーマ音楽の素晴らしさも相まって、不朽の名作に値する映画であった。

 

(34 小泉) ジェームス・ディーンのこと、よくよく思えば1931年生まれで1955年24歳で亡くなっています。映画愛好会一番年上と思われる小生より4歳も年上で、亡くなった時、小生は20歳でした。当時当然ながら映画館で、「エデンの東」をはじめ全ての映画を観ているはずですが、内容をどの程度理解していたのか?その後TV等で見直していることもあり、残念ながら当時の印象がどうにも思い出せないでいます。「ジャイアンツ」では、若干西部の雰囲気も出てましたが、彼が西部劇の主役だったら?どんなことになっていたか想像してしまいます

(43 保屋野)やっと、ビデオで10年ぶりに「エデンの東」を観ました。チビ太師匠の感想通り、私も「不朽の名作」だと思います。

ちょっと余談ですが、見終わって、NHKのBS1を見たら、丁度「穂高・ジャンダルム」が再放送されていました。実は、卒業2年目のガニマタ合宿を岳沢BCで行い、14,5名で、天狗のコル→ジャンダルム→奥穂高→前穂高→岳沢と歩いたことがありました。確か、マリちゃん、克ちゃんもいて、厳しい岩場の画面を見ながら「良く歩けたもんだ」と感心しました。・・・若さ(無鉄砲?)って凄いですね。

さて、映画の方ですが、ストーリーは親子兄弟の葛藤を描いた、ありふれた題材ですが、やはり、ジェームス・ディーンの存在感は「半端ない」ですね。この映画は、チビ太の云う通り、スタインベック原作の後半1/3ぐらいの話で、前半の部分は、22年前にテレビドラマで放映されています。

母親(ケート)が主人公で、(よく覚えてはいませんが)、ケートの強烈なキャラが印象的なドラマでした。このドラマは映画よりも高い評価をする人も多いそうです。「理由なき反抗」「ジャイアンツ」もまた観たいものです。・・・彼は意外と小柄(173cm)だったのですね。

(36 後藤)保屋野兄、我々の青春時代の思い出の作品をご覧いただき有難うございましたちょっと親に反抗するひねたスタイルが私達も流行った記憶があります。私は母親役の娼婦の元締めをやったジョー・ヴァンフリートという女優さんがいつまでも印象に残っています。私も穂高のジャンダルムを登行するNHKの再放送を見て皆さんあんな凄いところを良く登るもんだと感心しました。最早どうにもならない話ですが本当に若い時は何でも怖くなかったのですね。

(41 久米)「エデンの東」そして主演のジェームス・ディーンについては映画愛好会の中の年齢差で感想も大分変ってくると思います。私の記憶に間違いがなければ「エデンの東」が日本公開の際には主役のジェームスディーンは既にこの世の人ではなくその悲劇性も重なり大変な前評判で映画を見たような気がしています。

主人公が列車の上でセーターを首に巻くシーンは忘れられません。この時以来セーターを首に巻くことが若者の間ではやったように思います。ジェームスデx-ンが世の中に反抗する姿勢は次の作品の「理由なき反抗」で顕著に表れていますがまだ12歳の私には当時は良く理解できなかったように思います。その点、「エデンの東」のロマンス部分の方が解り易かったように思います。後年、見直して理解したように思います。

「ジャイアンツ」のディーンは演技にあざとさが目立ってロックハドソンやエリザベステーラーの方に分があったように思います。でもディーンの出現以後、男は少なからず彼の演技を模倣しているように思えますしハリウッドもディーンの面影のある俳優を探しているように思います。アラン・ドロンやブラッド・ピットなどデx-ンの面影をチラッと見かける時があります。1955年はエルヴィス・プレスリーが華々しく出現した年でもあります。

(ウイキペディアから転載)ロサンゼルス退役軍人病院に勤める歯科技工士の父ウィントン・ディーンと母ミルドレッド・ウィルソンのもとにインディアナ州マリオンで生まれる。しかし、父母は行きずりの恋から始まった婚前妊娠だったことから、父のウィントンは息子のジェームズの誕生を喜ばなかったという。反対に、父親に無視される事となったジェームズにミルドレッドは深い愛情を注いだという。ジェームズが9歳の時ミルドレッドが卵巣がんで亡くなると、ウィントンはフェアマウントで農場を営む姉夫婦に彼を預け、そこで育てられた。

高校時代から演劇に興味をもち、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の演劇科で学んだ。舞台やコマーシャルなどに出ていたが、更に俳優としてのキャリアを追い求めるために中退、ニューヨークに移った。そこで1950年代の『Kraft Television Theater』、『Danger』や『General Electric Theater』のようなテレビ番組の何編かに出演した。この頃よりジェームズはアンドレ・ジッドの『背徳者』に心酔してハリウッドへ行き、映画スターとなることを夢見るようになる。

『底抜け艦隊』等の映画の端役をいくつかこなした後、1955年エデンの東のキャル・トラスク役で初めて主役を演じて認められた。彼はこの役でアカデミー賞の主演男優賞にノミネートされた。この後、続けざまにその年の理由なき反抗で主役を、ジャイアンツで準主役を演じ、またもやアカデミー賞にノミネートされることになる。

『ジャイアンツ』の撮影終了1週間後の9月30日、ジェームズはサリナスで行われるレースに向かうために同乗者の自動車整備士ラルフ・ウッタリックと共に、愛車であるシルバーのポルシェ・550/1500RSカリフォルニア州の州道を走行中、午後5時15分にショラム近郊にある州道46号線と41号線の東側の分岐点で、交差点を転回していたフォードに衝突した。ウッタリックは車外に投げ出されて骨折、フォードの運転手も軽傷で済んだが、ジェームズは首の骨を含む複雑骨折、内臓損傷などでほぼ即死状態であった『理由なき反抗』は、死から約1か月後の10月27日に公開された。

エーガ愛好会 (18)  アパッチの怒り (34 小泉幾多郎)

立派な体格と甘いマスク、1957,1959,1961年、オールアメリカンボーイ即ちすべてのアメリカ人を代表するような男性No.1に推されていたロック・ハドソンが、その人気を得る直前に主演し、インディアンの族長のターザ、ヤングブルに扮した西部劇。

ハドソンは ウインチェスター銃‘73 でも銃に絡むインディアンの族長に扮していた。この頃はまさか後年、健康的で男らしい二枚目が、ホモセクシャルに絡むエイズで亡くなるとは、とても信じられなかった。監督がダグラス・サークとは驚いた。多分西部劇はこれ1本だけと思うが、今回が初見。同監督は、メロドラマの大家として知られ、ロック・ハドソンもこの作品を含め、「風と共に散る」や「翼に賭ける命」等同監督8作品に出演している。西部劇には、合計12本出演しているが、1950~1954年で9本、後は、1961.1969.1973年の3本のみ。

インディアン側から描いた最初の西部劇と言われる「折れた矢1950」の主役、平和主義を志向する族長コチーズが、死の床で、長男ターザと次男ナイーチェ
に、白人とは争わないよう遺言するところから始まる。そのコチーズの顔が、「折れた矢」で、コチーズに扮したジェフ・チャンドラーにそっくりだったが、最後の出演者の一覧を探したが、コチーズの名前は掲載されてなかったので、俳優名は判らずじまい。それにしても、この時代、インディアンを主役にした映画は珍しい。

対白人穏健派と抗争派に分かれ、兄弟が抗争を重ねるが、これに長老の娘ウーナも絡む。居留地における結婚、葬儀等々の風俗・儀式描写も珍しい。インディアンの主役は、白人俳優が色を塗っての出演で、勿論英語を喋るにしても、当時としては、画期的な映画ではなかろうか。居留地の管理を任される警備兵になったターザに対し、抗争派の弟一派に、ジェロニモが加わり、両者の争いは激化を辿る。それに加え、ターザに任せると約束した騎兵隊の将軍が裏切って、インディアンの争いに関与したことから、インディアン対騎兵隊の戦いが、再開することになった。この戦いなかなかの見ものとなって迫力ある最後を飾る。最後は騎兵隊も約束を破った非を認め、抗争派は一掃され、居留地に平和が戻る。

この映画、ユタ州にあるアーチーズ国立公園で撮影されたとのこと。アーチ、尖塔、バランス岩等の様々の景観が素晴らしく、映画の最後に「内務省国立公園局の協力での撮影が可能となった」との字幕が流れた。

(編集子)ウインチェスター銃73 では、置き忘れられた銃をみつけるインディアンのの端役で トニー・カーチス もでていませんでしたっけ? インディアン集落を訪れてそこで恐ろし気な経験をする描写では ”黄色いリボン” のシーンがよかった記憶があります。ロック・ハドソンといえば、ジェームズ・ディーン の出世作 ジャイアンツ を忘れるわけにはいきませんね。