キミは 鷲は舞い降りた を読んだか? ー 冒険小説へのお誘い

(三橋) このあたりで英国ミステリーのもうひとつの別の流れを追ってみよう。冒険小説・スパイ・スリラーの系譜である。そもそも英国にはダニエル・デフォー『ロビンソン・クルーソー』、ジョナサン・スウィフト『ガリバー旅行記』といった冒険物語の伝統があったが、まだ19世紀には“外套と短剣”という言葉に象徴される古風で通俗的なスリラー小説が流行していた。(中略) また、冒険小説の方面では、『孤独なスキーヤー』や『キャンベル渓谷の激闘』など苛酷な自然条件と英国人の“ジョンブル魂”を描き、この分野を牽引したハモンド・イネスがいた。アリステア・マクリーン、ジャック・ヒギンズ、デズモンド・バグリイ、ギャビン・ライアルらの活躍は、イネスが切り開いた道があってこそのものであった。

小生がこの 冒険小説 というジャンルにひかれたのは、引退後に英語を忘れないようにしようと始めたポケットブック原書版乱読ジャーニーの第一号が、ジャック・ヒギンズの 鷲は舞い降りた だったことだ。ヒギンズは多作で知られる売れっ子作家になってしまい、最近の作品は粗製乱造というか、およそ見るべきものがないのが残念だが、この記念碑的作品の舞台になっている、第二次大戦の秘話というべき初期の作品をいわば芋づる的に読んで行って、小説もさることながらその実態を知りたくなって何冊かのドキュメンタリや記録物に挑戦することになった。この 鷲 は、史実ではあるが実現しなかった、ヒトラーによるチャーチル暗殺計画の話だが、この作品が特に注目されたのは、それまでの小説も映画も当時のドイツ軍人をいわば悪人あつかいしかしてこなかったのに、ヒギンズは彼らの人間性とかあるいはヒューマニズム、というファクタを盛り込んだことだ。同じような背景で書かれた 狐たちの夜 はストーリーの面白さ、という意味では一番だと思っているのだが、欧州戦線で敵味方に分かれはしたが戦前は英国で学んだ知識階級のドイツ青年が国策と個人の間に挟まれてしまうという、同じ時期に勃発した太平洋戦線での日米両国の場合とは全く違う事情がよく描かれている。同じようなテーマだが、よりフィクション性の高いいくつかの作品 双子の荒鷲 反撃の海峡 ウインザー公略奪 なども面白かった。いずれにせよ、現代史の勉強という意味もあるが、戦争とは全く違った、三橋氏の言われる意味での冒険小説、というカテゴ リでのヒギンズは何といっても 脱出航路 に描かれる海との戦いと再び国境を越えたヒューマニズムだろうか。ヒギンズにはもう一つ得意なテーマがアイルランド紛争にまつわるエピソードであるが、中でも 非情の日 はヒギンズ本人も好きだと言っているらしく、心に響く作品だと思っている。ヒギンズのものはデビュー当時からさかのぼって20冊以上読むことになったが、小生のお気に入りは 廃墟の東 という中編である。全体に漂う虚無感の様なものが自分の心の周波数に合致するように思うのだが、一般受けはしなかったようだ。

ヒギンズのいわば先輩筋にあるアリスティア・マクリーンにも素晴らしい作品が多い。中でも 女王陛下のユリシーズ号 は冒険小説、というジャンルにとどまることのない傑作だと小生は思っていて、絶望の淵に追い詰められた男たちの振る舞いと猛烈な嵐、訳者はマクリーンの原文をどう日本語にすればこの本の神髄をつたえられるのか、自分の能力のなさを嘆いた、と告白したくらいの圧倒的迫力がある。良く知られたのはグレゴリ・ペックの ナヴァロンの要塞 、やはり映画化された 荒鷲の要塞 とか 八点鐘の鳴る時 なども歯切れのよい作品だ。

イギリス文化の根底にある海洋へのあこがれ、といったものがテーマになっているのが バーナード・コーンウエル という作家で、ロゼンデール家の嵐 嵐の絆 などはヨット愛好家ならば別の意味でも面白い作品だと思う。三橋氏のコメントにもあるが ギャヴィン・ライアル については先に 深夜プラスワン ちがった空 について書いたが、より現代的なテーマでの傑作が多いし、同氏が触れておられる ハモンド・イネス は徹底して大自然の中での話で、その描写が素晴らしい。多少なりとも山、とか雪、に馴染みのある我々にはより親近感を覚えるテーマが多い。

80年代になると映画でもアピールした トム・クランシイ の レッドオクトーバーを追え に始まる軍事ものが盛んになってきて、昨今では軍事スリラー、というような用語も目に付くし、アマゾンで買うと、その原題に THRILLER というサブタイトルがつく本が多くなってきた。こうなると 冒険小説 の定義そのものも再考されるべきかもしれないのだが、同じ副題がついても、最近小生がはまっている C.J.ボックス のテーマはすべて米国ワイオミングとかノースダコタの荒れ野が背景の、個人対自然のかかわりあい、という部分が多いので同じアメリカ発ではあるのだが、よりおおらかな男の闘いは快い読後感にさわやかさを残す。調べてみるとこの人の和訳はだいぶ以前に出されていて、その後の復刊を聞かない。しかし英文は非常に簡潔だし分かりやすいので、原文をトライされたら如何だろうか。

”冒険小説” といっただけで、ハイブラウな読者、純文学志向の人たちにはおよそ見向きもされない、いわば裏街道筋とでもいうべきジャンルがなぜ心をひきつけるのか。評論家の関口苑生氏は、”冒険小説の主人公は愚直なまでに頑固なおのれの倫理観を持つ”、とし、”その主人公がさらに成長し、自己を獲得していく過程” を描くものを冒険小説である、と定義している。ただ単に暴れまわって破壊行動を繰りかえすだけのものは決して冒険小説ではない、というのだ。このあたりの言い方は、ハードボイルドを語るときにもよく出てくる。グーグルでは (ハードボイルドは、文芸用語としては、暴力的・反道徳的な内容を、批判を加えず、客観的で簡潔な描写で記述する手法・文体をいう)と言い切っているが、決して暴力・反道徳的内容がその定義の必要要素ではあるまい。同じことが冒険小説の定義にも当てはまるので、そういう意味では関口氏の定義には同意する。

ハードボイルド派についてはまた稿を改めるとして、とにかく、年齢的ハンディが日々積みあがっていく毎日、心の憂さの晴らし場所、くらいに考えて、諸兄、せめて 鷲 か ユリシーズ でも読みたまえ。