昨日、朝霞市の平林寺で紅葉を観て来ました。
毎年のように観に行きますが今年は何かボンヤリと枯れたようで、
(編集子)例年の豪華な紅葉を楽しみに小淵沢から清里へ回ってみたが、まったく期待外れだった。思うに温度が高いまま紅葉に至らずだったのではないか。深い秋を訪ねたつもりだったが、落ち葉に埋もれた山道へ入ってみると、かの
からまつはさびしかりけり。
たびゆくはさびしかりけり。
の風情だった(残念だが詩情あふれる落葉松ではなかったが)。今年はなにしろ、季節までどうかしているようだ。
旧き友集い語ろうは 過ぎし日の旅山の想い (投稿は著者あてメールでお願いします)
”荒野の決闘“ の静かさの後、同じ題材でこんなに違うフィルムになるのか、という見本のような作品だ。”OK牧場の決闘” をはじめいくつかの映画になり、史実としても残っているOKコラル(馬囲い)での撃ち合いも当然出てくるのだが、ここでは “荒野” の時のように中心になるテーマではない。
今回、吹替版だったのでがっかりしたが、逆にいいこともあって、初頭のシーンで人物に合わせて俳優名がスーパーインポーズされて出てきた。そのおかげで実にハリイ・ケリー・ジュニアが端役ではあるが出ていたことを(今回2度目の鑑賞だった)知った。あわててよく見直したが、騎兵隊三部作なんかにでてきた、あの顔つきからは想像もできなかったのは、やはり年月のなせる業だろうか。もうひとつ、サロンで歌い手が出てくるシーンもよくあるが、大抵はすぐ画面が変わってしまい、最後まで聞くことはまずない。ところがこの作品では歌手が珍しくも全曲歌い終わるまで出てきて、それが実に小生の愛唱歌ナンバーワンの Red River Valley だった。これも第一回に見たときには記憶になかった。感激。
オープニングの解説(ロバート・ミッチャムだったそうだ)で、当時西部には悪漢の集団、いわば現代のギャング団のはしりみたいなものがあった、とあり、それとの対決がむしろメインになった、いわば典型的ウエスターン仕立てになっている。OKコラルの話も当然だが、アープ一家が闇討ちにあったりするのも事実で、かなり史実に忠実に作られているということである。
再度見てみると、これはドク・ホリディを演じたヴァル・キルマーが主演、という映画であり、ワイアット・アープはむしろ助演という感じであったし、”荒野“ ではOKコラルで殺されてしまうジョニー・リンゴとの対決(アープはリンゴには勝てない、と知っていたホリディがアープに黙って替え玉で、という筋書き)は迫力があった。そのあとの、史実にはあるということだが、悪玉集団の掃討シークエンスは余計だった。OKコラルのシーンもリンゴとの対決もそのほかのガンプレイシーンは名手の神業みたいな射撃なんかではなく、近距離からとにかく撃ち合う、という泥臭い演出だが、現実の拳銃の撃ち合いでは、数メートルくらいにならないと的には当たらないらしいので、このほうが事実なのだろう。
肺病やみのホリディはコロラドの療養所で病死するのだが、”OK牧場“ ではそのホリディ(カーク・ダグラス)をアープ(バート・ランカスター)が最後に訪れる。同じストーリイが今回も挿入されている。これが ”OK牧場”では単なる逸話にすぎない印象だったが、このシーンもキルマーの残す余韻がよかった。
またマイケル・ビーンが演じたリンゴ・キッド、あるいはジョニー・リンゴも実在の人物であることは9月2日付エーガ愛好会(17)で触れておいた。しかしこの役のはまり役は “OK牧場の決闘” のジョン・アイアランドだというのが僕の主張である。
南北戦争当時1860年代初頭のアメリカは、奴隷制に基づく農業
爾来、分断の有り様が変化したのが今日の現実だ。経済格差による
近世以降の世界覇権の推移を観ると、アングロサクソン勢 (イギリスに20世紀以降はアメリカが加わる) に対する他勢力の挑戦という形で歴史上現れている。全てアングロ
そして現在21世紀に入ってからは中国が覇権を争うかの様相を呈
国力は軍事力、経済力、技術力、教育力などの総和によって推し量
こういった点で、アメリカの利己的な「America First」では困るのである。ソフトパワーの見えない「尊敬を
巨大な14億の人口を擁し、孔子・孟子・孫子・韓非子など世界に
アメリカよ、バイデンよ、しっかりしろ、と言いたい。
小生は政治学科に在籍し、1957・58年三田で当時萌芽し始めたマスコミュニケーションに興味を持ち、生田先生の「マスコミュケーション論」のゼミに入り、ナチスによる「プロパガンダ」をテーマにした卒論を提出しました。そこでこのブログに「マスメディア」を中心とした視点から今回の大統領選挙についてコメントしてみたいと思います。
先ず世代によるマスメディアの変遷をみますと、「大本営発表、本日…」を知っている我々トラディショナルな80代世代は「新聞」「ラジオ」というメディアで育ちました。続く戦後派と言われたベビーブーマー世代は「新聞」「地上波テレビ」というメディアで育ち、現在最も第一線で活躍しているMTV,ミレニアル世代には「地上波テレビ」に「ケーブルテレビ」「携帯電話」が加わりました。2000年以降に誕生したジェネレーションZ世代は携帯電話を中心にした「SNS」で育ってきております。もはや現代は新聞読まずSNS中心に情報収集するといった時代になってきております。SNSにはTwitterやYouTubeなどがあり、これらは匿名性から気楽に個人が情報を発信できる特徴もあります。従ってフェイクなニュースが氾濫する結果となり、いずれが真実の情報かどうか判断に苦しむ状態になっております。(直近の情報ですとTwitter、Facebookのトップが議会から情報管制の件で追及を受けているようですが・・・)
そこで今回の大統領選挙を見ますと、トランプ大統領は前回の政権奪取と同時にTwitterを駆使し世界中に自らの所信を発信し、テレビはケーブルテレビのFOXを自陣営に取り込み偏った記者会見を行うという姿は皆さんもお馴染みだと思います。フェイクなニュースの氾濫している中で自分に都合の良い情報だけを最大限に利用して世論を捏造しトランプのあの強烈な個性と相俟って、かって経験したことのない混乱した状態に陥れているのが現状だと思います。また今回の投票率の増加についてもSNSの中で行き交う情報戦に興味を抱き一票を投じた人もあったのではないかと思います。
国営放送を持つイギリス、日本などと違って保守の共和党・リベラルの民主党という二大政党制のアメリカでは、メディアが新聞だけの時代から共和か民主か夫々を支持する新聞社を利用して政策を訴え世論を醸成してきました。それがニューヨークタイムスでありワシントンポスト、ウオールストリートジャーナルでした。これらの今まで広告収入だけに頼ってきたメディアがSNSの出現によって大きく影響を受け、大衆からの匿名の偏向した情報をトランプがうまく利用し選挙民を扇動した結果がこの混乱した選挙戦になったと小生は思っております。
大統領指名の1月までまだ予断を許さないような報道も流れており、これらの混乱によって世界最大の国家アメリカが完全に分断された状態になっております。宗教による分断、人種による分断、経済格差による分断など世界でも非常に混迷した現代にあって、世界最大の国家の世論が完全に分断した状態になっていては、国家が情報を管理する中国などと対等に対峙することは到底困難だと思われます。民主国家を標榜してきたアメリカ合衆国がまともな国家になることを死語となった戦中派は願って止みません。
「昼下がりの情事」初めて観ました。ゲーリークーパー、初見参ですね。ちょっと年食ってますが・・・
タイトルは例によって、ちょっと違和感がありますが、この映画はやはり、ロマンチックコメディーの傑作といって良いのでは。ヘプバーンとクーパー、はもちろん、脇役のモーリス・シュバリエとの競演は、ユーモアたっぷりのセリフを含めて大いに楽しめました。そして、4人の雇われ楽団が演奏する、テーマ曲「魅惑のワルツ」も(ちょっと、しつこかったけど)この映画の主役の一つでしょう。
ただ、大富豪のプレイボーイという役は、ケーリー・グラントとユル・ブリンナーに断られた経緯があったようですが、確かに、クーパーより、私は、ブリンナーの方が適役だったような気がします。
さて、ビリー・ワイルダーという監督は、この映画を始め、、ヘプバーン(麗しのサブリナ)シャーリー・マクレーン(アパートの鍵貸します)マリリン・モンロー(7年目の浮気・お熱いのがお好き)等キュート美人が好きだったようですが、確かに、お得意のロマンティックコメディーにバーグマンみたいな正統派美人は似合いませんね。最後に、ネットでは、ラストシーンに賛否両論があるようですが、私は「列車に乗らないで別れる」方に1票を投じます?
(44 安田)
探偵役のモーリス・シュバリエがヴァンドーム広場の真ん中の、ナポレオンがアウステルリッツ戦勝記念に建てさせた円柱の上からリッツ・ホテルの部屋を双眼鏡で覗き見するシーンから映画は始まる。円柱の頂きにはナポレオン像、円柱には戦争のレリーフが彫られている。映画舞台のゲーリー・クーパーの部屋から窓越しに円柱が常に見えている。映画の舞台は花の都パリの中心の一等地だと訴えているかのよう。このリッツホテルのシーンを見ると思い出すのは、この映画からちょうど40年後の1997年8月、ホテルに宿泊後パパラッチに追っかけられセーヌ河右岸沿いの道路で交通事故で亡くなったダイアナ妃の悲劇だ。妃が出入りした映画と同じ玄関前の光景を思い出す。
舞台となったリッツホテルは、オードリー・ヘップバーンがピーター・オトウールと共演した「おしゃれ泥棒」の舞台にもなり、ココ・シャネルやヘミングウェイが定宿にした欧米人であれば知らぬ人がいない程のパリでは3指に入る高級ホテル。映画の格付けも重要視したのであろう。
映画当時ヘップバーンは28歳、「ローマの休日」でグレゴリー・ペック、「麗しのサブリナ」ではハンフリー・ボガート+ウイリアム・ホールデン、「パリの恋人たち」ではフレッド・アステアと共演、彼女の映画キャリアの最盛期にあたる作品かと思う。服飾デザイナー・ジバンシーの専属となり映画でも洗練された服装が目立っていた(貼付写真参照)。相手役ゲーリー・クーパーは水も滴る男の中の男。彼は当時56歳、死の4年前の作品。「モロッコ」「ヨーク軍曹」「打撃王」「誰が為に鐘は鳴る」のクーパーを知る人にとってはその老いは隠せず、言い分があるファンがいてもおかしくはない。ただし、ヘップバーンとの28歳の年令差を乗り越えて初老の紳士役を色気も失わず魅力タップリに演じていたと思う。洋服姿も格好いい。「脱出」(To Have and Not Have) で共演した25歳違いのハンフリー・ボガート45歳、ローレン・バコール20歳の組み合わせと双璧をなす初老の紳士と若い美女の共演映画だと言って良いだろう。音楽も素晴らしい「「シャレード」でのケーリー・グラントとの共演を観るのが楽しみだ。
父親役のフランスの名優モーリス・シュバリエのいかにも家父長然とした落ち着きのある演技が、一般には不釣り合いな年齢の男女の組み合わせの恋愛物語に潤滑油的役目を見事に果たしていた。ビリー・ワイルダーお得意の軽妙なロマンチック・コメディー映画だが、ユーモアとウイットに富んだ会話が売りとなれば女優はヘップバーン、モンロー、マクレーンは適役だろう。エリザベス・テーラー、バーグマン、デボラ・カーでは似合わないと思う。
最後にラストシーンの結末だが、「カサブランカ」のバーグマンとボガートは同行するか否か、「第三の男」のキャロル・リード監督と小説作者グレアム・グリーンの墓場でのジョセフ・コットンとアリダ・ヴァリの異なる別れ方と同様、物議を醸す出発する列車に飛び乗るか否かの結末であった。一般的には20代の女性が60才近い男性に未来を委ねはしないだろうが、映画は夢を売るのが最も大事な役目の一つ。あの終わり方で良かったと思う。
主題曲「魅惑のワルツ」は映画の両輪の一つになっていたのは確かでした。片肘張らずに気楽に楽しめた面白い映画でした。
(編集子)
映画より音楽の方が印象にある一例かな。クーパー、悪くなかったけどなあ。列車に乗らずに別れる、シーンならやっぱり 旅情 のロッサノ・ブラッツイとヘプバーンのほうが小生の趣味。
第三波の襲来、厄介な事態ですね。
エーガ愛好会「荒野の決闘」、
それにしても、
”My Darling Clementine をかの 雪よ岩よわれらが宿り と、
京都大学山岳部とは初めて知りました。
(小泉) 相変わらず、アマゾンプライム等の最先端の情報関係を駆使できる
当方は新しいものへの取っ掛かりにはとても踏み切れない状況です
NETFRIXやAmazonPrimeと言った小生にとっては
是非とも新しい情報等、先輩の方からブログへの寄稿も期待したい
(中司)小川さん、お久しぶりです。お便り楽しく拝見しました。
先日、日本経済新聞の朝刊記事をお読みになられた方も多いと思いますが、トランプ大統領の失敗はコロナ対策だけではなく所得格差を一段悪化させたこと、つまりトップ1パーセントの富裕層の資産は36兆ドル、4年間で4兆ドル増加したが、中間から下半分の人々は全財産を合計しても2兆ドルしかないということでした。
雇用は2割近く減少、成長の原動力である中間層も育てられていない、巨大企業の市場独占をさせたことである、というようなことが書かれていました。この記事ばかりではなく、テレビ等で伝えられている米社会の深刻な分断の一番の原因は著しい貧富の格差であることは間違いないでしょう。
貧富の差は貧困問題を引き起こし、米社会で絶えずくすぶっている人種差別問題を深刻化させ沢山の白人至上主義者の台頭をゆるしているのではないでしょうか。ヨーロッパ人によってアメリカ大陸の岸辺につれてこられた黒人たちは奴隷制から解放されたといえ、白人と平等になれないまま過ぎまもなく白人の敵として立ちあらわれることになろう、とA.トクヴィルは言っいます。日本は単一民族国家でありこのような人種問題を心配することなく暮らせることは幸せなことです。
とにかくバイデン大統領が勝利したことに安堵しました。新大統領によるアメリカの秩序回復を願いたいと思います。
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(安田)雲一つない快晴に恵まれた錦秋の甲州(旧勝沼・塩山・
このところコロナ新患者は増えてきています。第2波が8月上旬にピークとなりその後減ってきていましたが、9月中旬から下げ止まりのプラトーとなっていましたが、10月中旬から第3波(日本の)と言っていいような漸増が始まっています。累計患者数は9万人を超え、中国を抜いてしまいました。週当たり400人の患者数の勢いは、黒木氏によれば倍増時間ほぼ4か月で、このままだと次の4か月後、3月初めには累計数20万人となる可能性があります。
時を同じくしてヨーロッパでは急増しています。第1波が長かったので、今を第2波とする見方が多いようです。フランスなどで生活上の最重要慣習である夏のバカンスの影響が出ているとみなされ、さらにVirusの明らかな変異が証明されています。中国株から変異したヨーロッパ株から新しいヨーロッパ株へと変異し、重症度・死亡率はやや低くなっていますが、伝播力は強くなっています。
恐らく日本で増えてきている新患者は新ヨーロッパ株ではないと思われますが、観光客ゼロを改善しようと政府では入国制限緩和が検討されていますので、「危ない」と叫ばざるを得ません。
国の新型コロナ政策としては、未だにチグハグな状態が続いています。検査体制を充実させるといいながら、検査データの一本化は進まず、被検者の状況による検査料負担にも大きな差が出ています。クラスター検査などで、被検者の検査がどこで行われるかにより、都府県ごとの発生率に影響してきています。また、一部の医療機関ではビジネスチャンスと高額な検査費で稼いでいるとも聞きます。全部無料化までとはいかないまでも、ここに補助を出してしかるべきだと思います。私自身旅行を計画しておりますので言い辛いところではありますが、GO-TOトラベル、GO-TOイートには惜しげもなく国費を使っています。
巷では明らかに緊張感が取れてきているように思えます。先日も大学生風の10人ほどが路上で大声をあげていました。最近の研究では大声などで発生しやすい5μm程度のエアゾルの状態では長く大気中に留まっており、感染の最大要因が空気感染であることが分かってきました。これだけの微粒子ですからマスクを通り抜けますが、マスクしているのとしていないのとでは2桁の差が出るといわれています。マスク着用の意義が増しています。一方で、野球場の観客席とか、クラシック音楽会などの観客性はもう少し緩和してもよいと思いますし、ゴルフ大会の観客はソシャルディスタンスが取れるような棒状の物(危険性のない)を持って歩くようにしたら無観客試合にしなくて済むのに、などと考えます。工夫が足りないと思います。
新型コロナウィルスによる影響は数年続くという見方があります。 息長く付き合うため、大いに工夫し、楽しく過ごしましょう。