今日は何の日 (普通部OB  舩津於菟彦)

81年前の今日、日米開戦!真珠湾攻撃.。無謀な戦争に突入!
この日のニューヨークタイムスと当日のラジオ放送のレコードを持っています。この日の新聞の広告を見ても、勝つわけないですよね。今よりオシャレ!
70年以上戦争のない日々が続きました。づーっと戦争のない平和の日々が続きます様にーー

 

(編集子)

舩津の名調子を茶化すようで申し訳ないが、”エーガ愛好会” 目線でいうと、この12月8日が場面チェンジャーになった例を思い出す。第十七捕虜収容所 はウイリアム・ホールデンが主演、敵役というか米軍将校捕虜に扮してのスパイにテレビ番組 ミッションインポッシブル の主役になったピーター・グレイヴスの絡み合いが面白く、テーマ音楽 (ジョニーが凱旋するとき)とともに大ヒットした作品だ。土壇場でホールデンがグレイヴスがドイツのスパイであることを暴露するが、そのきっかけが ”真珠湾はいつだ?” という質問。それにグレイヴスが平然と答えるのだが、ホールデンが ”それはベルリン時間だ!” と喝破して捕虜たちが企んでいた脱出計画の危機を救う。やはり当時米兵の理解していた真珠湾、という史実の重みが感じられたショットだった。

また別のことでいえば、イスラエルの電撃作戦で始まった中東危機では、イスラエルが実行した奇襲計画は真珠湾作戦にヒントを得た、という担当した将軍の話もあって、歴史上、事務上の手抜かり(詳細は トラトラトラ に詳しい)のため日本にとって不名誉な史実を残してしまったが、真珠湾攻撃は軍事作戦としては大成功であったようだ。Rmember Pearl Habour ! という一語がアメリカ人を団結させてしまったのは事実だが、その裏にはルーズベルトの冷酷なトリックが仕掛けられてもいたわけだ。このあたり、アングロサクソンの歴史操作についてはいま、エマニュエル・トッドの大著 我々はどこから来ていまどこにいるのか―アングロサクソンはなぜ覇権を握ったか なる本を読み始めたところなので、いつになるかわからないが読書報告をしたいと思っている。

現在の学生や若い層のなかには日米が戦争をしたという史実さえ知らない人も多いと聞く。事の是非はともかく、この日のことは国民として知っておくべきことだと思うのだが。

(安田)「真珠湾攻撃」については、81年後の今日でさえ、日米同盟の堅固な関係を結んでいるアメリカ国内ではその日が来ると、「宣戦布告なしのだまし撃ち」「卑怯な日本」「屈辱の日」「リメンバー・パールハーバー」の声が挙がるそうです。NYの9.11テロ事件を「the second Pearl Harbor」、リーマン・ショック金融破綻を「Financial Pearl Harbor」と呼ぶほどです。レゼンスキー大統領が渡米してアメリカ議会で演説した際、ロシアのウクライナへの侵攻を「ウクライナにとってのパール・ハーバー」と称し、やんやの喝采を浴びていました。歴史の時効は数百年はかかるのではと思い知らされます。

アメリカ政府の極秘資料には、時効があり、時効を過ぎると全面公開することが決められています。案件の重要度・秘密度合いに応じて、コンフィデンシャル、シークレット、トップ・シークレット、ウルトラトップ・シークレットに区分けされています。トップ・シークレットの時効は30年、その上のウルトラトップ・シークレットは60年です。「真珠湾攻撃」案件はウルトラトップ・シークレットでした。因みにGHQの日本占領は時効30年のトップ・シークレットに分類されていました。もろもろの事実が明らかになってきましたが、「勝ては官軍」がまかり通る歴史の真実を突きつけられた感がします。窮鼠になってしまった日本は、戦後、猫を噛むことはせず、戦勝国・親分のアメリカには抗えないまま戦後80年近くを経てきました。政府・マスコミもこれらの公開情報を国民に広く伝えて行こうという意向は全くみえません。

 

 

 

 

 

エーガ愛好会 (178) セーブ劇固め打ち

(小泉)「明日なき追撃Posse1975」はカーク・ダグラスが製作、監督、主演した西部劇。音楽に、あの「アラビアのロレンス」のモーリス・ジャールを起用しているが、これはという旋律もなく期待外れ。物語もカーク・ダグラスが西部の主人公連邦保安官ハワード・ナイチンゲールに扮するのはいいのだが、次期上院議員の椅子を得るため、精鋭の部下5人を引き連れ、各地に出没するアウトローたちを殲滅させ、その活躍を専属のカメラマンに撮らせ新聞社にばらまかせる。要は民衆の前では、自己犠牲、人道主義を熱弁しながらも裏では利己的野心を達成しようとする偽善男を演じている。名優だけに、その野心に嵌った熱演ぶりを示すので、西部劇というよりはその舞台を借りた強烈な社会風刺ドラマみたいになってしまたのだった。ダグラスは「チャンピオン1949」でエゴの塊のようなボクサー、「悪人と美女1952」で野心的プロデューサー、「炎の人ゴッホ1956」でゴッホを演じ、3回アカデミー賞候補になったが無冠、1996年に名誉賞を受賞している。西部劇は11本演じている。

連邦保安官ナイチンゲールは、その名声と野心を達成すべく名高い無法者ストロホーン(「11人のカウボーイ1971」でジョンウエインを殺したブルース・ダーンが扮する)を捕え、その名声を揺らぎないものにしようと試みる。組織化された5人の部下と共に隠れ家を急襲し、逮捕するも列車で護送中脱走され、しかも結果的には、列車での争いから、逆にナイチンゲールの方がストロホーンにより手錠をかけられ、逆に人質になってしまう。このことが町民たちにナイチンゲールの信頼を失墜させることになり、ストロホーンがナイチンゲールの命と引き換えに、部下の5人に町のカネを集めさせ,そのカネを5人の部下に分配させると、部下たちも大金の魅力に無法化してしまう。要は強いものには平気で裏切る人間の醜さをまざまざと描いているということか。西部劇らしいスカッとしたところは見当たらず。

(編集子)この放映は知っていたが、なんとなく合わせたチャンネルでやっていた マグ二フィセントセブン のほうを見てしまった。

Magnificent Seven はかの 荒野の七人 として紹介された,黒沢明の 七人の侍 をリメイクして大ヒットとなった名作だが、同じタイトルで3本、西部劇が製作されている(荒野の七人4部作、ともいわれる)。原作の主演だったユル・ブリナーが再登場し、スティーブ・マクイーンの役をテレビのシリーズもの ララミー牧場 のロバート・フラーが演じたのが第二作、第三作は主演がジョージ・ケネディ、第四作はマカロニウエスタンで売り出したリー・ヴァン・クリーフである。この4作はすべて見ているが、この作品が5部目にあたるかどうかは見方によるようだ。無頼のガンマンが七人、義侠心から立ち上がるという筋は同じだが、今回は主演が全4作と違うのは主演がデンゼル・ワシントンとという黒人であることとだけだと思っていた。だから見るまで知らなったが主人公の名前がチザムであり、カンサス州リンカーンから来た、という設定は面白かった。この名前は先回小泉さんがまとめられたヤングガンの付けたしとして紹介しておいたように、リンカーン・ウオーの中心人物のものだからだ。

ジョン・チザムは実在の人物で、チザムトレイルとよばれるテキサスの牛をカンサスまで運ぶルートの開拓者である(さらに話がとぶが、ジョン・ウエイン出演でかのモンゴメリ・クリフトが初めて出た西部劇として知られる 赤い河 のものがたりはこのチザムトレイル開拓の話をかたどったのだという説もある)とされる人だし、この作品の設定とは全く違うのだが, 言ってみれば推理ドラマの主人公を宮本武蔵と名づけるようなものかもしれない。しかし作品そのものは平凡で、圧倒的に多いバッドガイを迎え撃つ趣向もヴァン・クリーフ版の焼き直しだし、残念ながら典型的Bクラスウエスタンに終わったのが期待外れ。今週はドクター小泉同様、主役のネームヴァリューにつられたセーブ劇党には悪日だったようだ。

(菅原)誠に遅まきながら、クリント・イーストウッドの「ペイル・ライダー」(1985年)を、CATVで見ました。詳細は、確か、小泉さんが、秀逸な感想を投稿されていたので触れません。

文句なしに、滅茶苦茶、面白かった。兎に角、イーストウッドがスゲーカッコ良かった。それに、最後、それこそ神出鬼没で、悪者をやっつける、これぞ正に西部劇。理屈抜きってのが最高。「許されざる者」は、そう云った意味で馴染めなかった。「ペイル・・・」のイーストウッド、この時、55歳だから脂が乗り切っていた。

胸に応えた一句のこと

自分は子供時代から本好きで、今でもその傾向は変わっていない。中学3年ころから高校時代は世界文学名作集、などをわからないままにただ読み漁った。そのころにはなぜなのか考えてもみなかったし、昔から名作というんだから読んだ方がいいんだろうくらいの感覚だった。ましてその著者がノーベル賞を受賞した人だ、などとなれば無条件で名作なのだと単純に信じ、だから教養として読んでおかなければならない、と単純に判断していた。

しかし年を重ねるにしたがって、そのノーベル文学賞というやつに疑問を持つようになった。自然科学とか社会活動等であればだれにでも納得できるクライテリアがあるが、文学、となるとそのあたりは何を基準にするのだろうか、という疑問である。

日本の文学界には多くの才能のある人がいるだろうし、その作品に共鳴できるかできないかは自分の感覚で納得できる、これはあくまで、自国語で書かれていて、それを読んだときに受ける感動なり共鳴なりが書いた人と同じ文化的背景をもつからこそのものだろう。どこかで書いた記憶があるが、たとえば 英語で言えば blue  という意味を持つフレーズがあるとしよう。これをある人は 青い と書き、ほかの人は 蒼い という文字を選び、ほかの人は碧い と、あるいはただ あおい と表記するかもしれない。アルファベットだけでなく表意文字になれている日本人にはこの4つの訳が表そうとしている背景なりシチュエーションを区別することは難しくないが、この違いを多国語に書き換えるときにはその翻訳者がどういう意味としてとらえるかが、翻訳者の能力であり原作品をどれだけ原著者の感覚でとらえられるのか、によって、外国語しか解しない人がその結果をどう解釈するか、が変わるだろう。これは何も日本語―英語だけの問題ではなく、およそ外国文学を読む人間すべてにあてはまるはずだ。そういう中、”世界に認められる作品” をどうやって判断するのだろうか、という素朴な疑問である。

小説とかエッセイという分野であれば、単なる翻訳上のいわばテクニックから生じる結果のほかに、その構成だとか時代背景との関連だとか著者の持つ主義主張だとかいうものが複雑に絡み合うから、その結果としての価値が判断される、ということは理解できる。では詩はどうか。詩はあくまで感覚に訴える部分がメインであるから、外国語の詩がもたらす感動がその言語で書いた人間のそれをどれだけ、どのように伝えるのか、途方もなく難しいのではないか、と思うのだ。例えば誰でも知っている有名な詞の和訳で、”ヴィオロンの ため息の” が  ”バイオリンを 弾く音の” とでもなっていたら(フランス語を知らないのでこの例が正しいのかどうかは知らないが)結果としてこの詩は日本人にはどう響くだろうか。この例の様な長い詩であれば、ほかにもいろいろなファクターがあるが、日本文化のいわば骨頂にあたる感覚を競う俳句はどうだろうか。

小生の義母は早くから俳句に親しみ、句集を出したくらいのひとで、小生にも俳句を始めさせようといろいろ勧めてくれたものだが、残念ながら興味はわかなかったし、最近のテレビ番組の影響もあって俳句論議も盛んであるがもうひとつ乗り切れないところがある。おもい出してみると俳句、というものを初めて知ったのは小学校4年くらいの時だった。学校で出していた文集にある女の子の句が紹介されて、これはとてもすばらしい、と先生たちが喜んだ句をどういうものか鮮明に覚えている。

ポケットに 手を入れてふむ 初氷

というのだ。戦後まもなく、防寒着もお粗末なうえに東京でも冬は寒かったし、母親の頑固なしつけで真冬も半ズボンだったから、この句の持つ感覚が何かに共鳴したのだろう。その後、申し訳ないが俳句の世界とは無縁のまま来たのだが、今朝、新聞に高名な人の作品だと紹介されていた一句が最初の感動から半世紀を超えた時点で僕の心につきさった。

さびしさは 散る花よりも 残る花

たてつづけに親友が帰天してしまって、いつか来るとは理解していてもなお耐えるしかない寂寥感の中にある自分の心に応えた一句だった。これが芸術というものの力なのだろうか。

(小川)「さびしさは散る花よりも残る花」    痛感している毎日です。東海支部の忘年会、3日土曜夜に三年ぶりに開催されました。参加18名、34年キューピーが京都から、43年酒井夫妻が茅ケ崎から来てくれ、若手も4人、38年ラゲがコロナ恐れて欠席、代わりに地元有松絞の38年竹田が出席、最長老出席も今年を最後にしたいと思っております。  オジイや大崎が亡くなり俳句が身に染みております。

(保屋野)掲題、興味深く拝見いたしました。俳句「さびしさは散る花よりも残る花」・・・心に染みる一句ですね。この句は「散る桜残る桜も散る桜」(良寛)を想起させますが、人の寿命は誰が決めるのでしょうか。

(船津)
死支度致せ致せと桜哉/一茶
死下手と又も見られん桜花/一茶
業平も死前ちかししぶ団扇/一茶

昨日こそ君はありしか 思わぬに浜松が上の雲にたなびく
今よりは秋風へさむく吹きなむを 如何にか独り長き夜を寝む

言われるとその時に向かって日々進んでいるる気になってしまいますね。元気だそう!人生100時代。これからだ我が青春!

(下村)そういえば昔「俳句第二芸術論争」というのがありましたね。

私も俳句ほど選者によって評価の異なる芸術はないと思っています。小説でも絵画でも音楽でも同じような気候風土、歴史的・文化的背景を共有している人(民族)の間では、鑑賞する人によって評価にそう大きな差は出ないでしょうが、俳句のような17音の作品の巧拙を評価することは非常に難しいと思います。事実、夏井先生も生徒の作品を評価するに当たって、「先生によってはこの言葉を嫌う先生もいらっしゃいますが、云々・・・」と、評価者によって尺度が異なることを認めていらっしゃいますね。

「古池や蛙飛びこむ水の音」、「静かさや岩にしみいる蝉の声」など、熱帯地方や寒帯地方、砂漠のような乾燥地帯に住む人々にはいくら想像を逞しくしてもらっても到底理解できるものではないでしょうね。

(保屋野)確かに俳句はは不思議な芸術ですね。「古池や・・」も私が投稿したら、間違いなくボツでしょう。我々が知る俳句は、芭蕉、一茶、蕪村・・・せいぜい子規までで、例えば近代俳句の巨人といわれる高浜虚子ですらその俳句はほとんど知られていません。下記代表作、皆さん聞いたことがありますか。

「桐一葉日当たりながら落ちにけり」「遠山に日の当たりたる枯野かな」

山頭火の「分け入っても分け入っても青い山」も有名な句ですが、・・これって俳句?

 

写真はやはりカメラが基本です   (普通部OB 船津於菟彦)

(船津発 平林寺の紅葉 の投稿によせられたメッセージ)

(安田)船津さんの写真はいつも構図と色彩のバランスが素晴らしい。保屋野さんに同感です。最初の写真の構図は、日本の床の間のような構図に見えます。床の間では棚も畳もスペースの区切り方に特徴があり、そのスペース分割はそれだけで美そのものとなり得ます。最初の写真には、茅葺屋根、格子扉の門、粋な黒塀、紅葉それぞれが他を引き立てるように相互にバランスが取れています。Less is more とでも言える単純かつ静寂でありながら無限の神秘させ感じさせてくれます。

(保屋野)さすがプロ、平林寺の紅葉中々のものですね。特に写真1(11)の構図は素晴らしい。

(金藤)

素晴らしいです❣️ 平林寺紅葉狩りのお写真🍁拝見させていただきました❣️ お見事です❗️
私が参りました頃より、カエデの紅葉が深い紅色に、池だか沼の水の青が美しくなっているようにお見受けします。ふー 本当に綺麗に映っていますね。
 私のスマホ📱写真とは、全く違います😩 別の場所のようです。  私も良いカメラが欲しくなりました。  はい、そういう問題だけではないのは、承知しております。本当に素晴らしい画像をありがとうございました
船津そこで曰く:
師走は舞い上がるような過分のお褒め言葉でスタートスッキリ。有難う御座いました。自分では写真は上手いとは思っては居りませんが、多少人様に観ていだける写真を撮るべく努力はしているつもりですが、まぁ「道楽」ですね。

器材はカメラ ニコンZfc レンズ NIKKOR ZDX18-140m1:3.5-6.3VR カメラ ニコンZ6 レンズ NIKKOR-S Z 14-30mm 1:4二台とレンズはモウ一本持参しましたが使わずでした。重いです。水とか空が綺麗に写って居るのはPLアィルターを使用していることだと思います。PLフィルタ(偏光フィルター)ーは、反射光を調整する効果のあるフィルターで、ガラス面や水面などに写った光を取り除く事が出来ます。又、表面の反射を除去する事で、本来の色を再現したり、コントラストを上げたりする事が出来るので、色の再現が重要な風景写真では、付けっぱなしで使用する方もいるくらいです。光の向きが効果の基準には成りますが、矢張り綺麗に撮れますね。そんなインチキの効果です。又、目の前の落ち葉はカメラを地面に付けて絞りも絞って撮影しています!今のデジタルカメラは背面の液晶画面がシフトできますので、地面置いても画面は見えるわけです。その昔ですと寝転がらないとファインダーが見えなかったものです。


調子に乗って当マンションのクリスマスツリーをクロスフィルターで光らせた作例です。

22年11月度 月いち高尾  (47 関谷誠)

10月の「月いち高尾」は、KWV三田会の秋ワンもあり、見合わせましたが、11月30日(水)、2か月振りに実施しました。なお、前回の9月「月いち」で城山・小仏コースをご一緒した菅谷国雄さんが、急病を得てそれが原因で逝去されました。仲間の旅立ちを悼み、改めて、ご冥福をお祈りいたします。

前夜の大雨も上がり、曇りながらも、季節外れの穏やかな気候の中、22名が、高尾山口駅に集結。今回、文教短大ワンダーフォーゲル部OGの大場陽子さんが初参加。当WVに対しては、KWV昭和60年代卒が、現役時代に、コーチをしていた関係でのお付き合いが続いています。大場さんの健脚、ワンダー精神等々が参加者全員に大いに評価され、「月いち高尾」の正式メンバー入りしました。

大垂水峠~一丁平~もみじ台~稲荷山コースに13名(37/矢部、39/堀川、岡沢、三嶋、多田、40/武鑓、藍原、41/相川、46/村上、51/斎藤、中里、BWV/大場、47/関谷)、今回より正式に命名したケーブル利用の「シニア―・コース」に9名(36/中司、吉牟田、遠藤、高橋、鮫島、46/木川、47/田端、平井、伊川)。両コースとも晩秋の静かな高尾の紅葉を満喫してきました。

下山後、「テング飯店」に20名が、恒例の ”後の祭り” に参加、ワイワイガヤガヤとコロナを吹き飛ばした。

(51 齋藤)本日は楽しい「月いち高尾」の山行を有難うございました。
とりわけ、大場さんが幹事団に入って頂けることになり運営体制の強化が図られたことが本日の大きな成果です。私が撮影した本日の写真をおお送りします。

 

 

 

 

エーガ愛好会 (177) ヤングガン  (34 小泉幾多郎)

1978年ニューメキシコ州リンカン郡で二つの勢力が対立している事態に、一方の勢力である英国人紳士ジョン・タンストール(テレンス・スタンプ)に雇われた6人の若きガンマン達が、その敬愛する牧場主を殺したもう一方の勢力マーフィー(ジャック・パランス)一味に対し復讐を果たすべく奮闘する姿を描く。

冒頭セピア色の画面で、その若者たちが一人ずつ紹介される。ウイリアム・ポニー別名ビリー・ザ・キッド(エミリオ・エステヴェス)、ドク(キーファー・サザーランド)、チャヴェス(ルー・ダイアモンド・フィリップス)、ブリュアー(チャーリー・シーン)、スティーヴ(ダーモット・マルロー)、チャーリー(ケーシー・シマスコ)の6人である。

ターンストールの友人弁護士マクスウイン(テリー・オクイン)の尽力で保安官代行になった彼らは犯人逮捕に向うが、ビリーの独断で、その一人を撃ち殺してしまい逆にヤングガンたちに賞金がかかり、追われる立場へ。無鉄砲で好戦的ないかれ具合のビリーの性格がこの辺から大いに目立つ。うち頭領格のブリュアーが殺し屋に銃殺され、ヤングガンは5人になってしまうが、保安官ギャレット(パトリック・ウエイン)から、弁護士マクスウイン夫妻の命が危ないという情報を手に入れ、彼らを救出に向かうが、それはヤングガンたちを陥れするための罠だった。マックスウイン家に到着するやヤングガンたちは、軍隊迄も引き連れたマーフィー一味に包囲され絶体絶命。マクスウインの妻を外へ出したり、ドクの恋人中国女性(アリス・カーター)が入ったりしてから、撃ちあいのクライマックスへ、ビリー、中国女性と共にドク、チャベスの4人だけが包囲網から脱出の成功。そしてビリーはマーフィーに向け復讐の銃を放つ。

ビリー・ザ・キッドの伝記ではあるが、その仲間たちとの青春群像という形で描かれる。街を牛耳る大人たちが若者を爪弾きし、その若者たちの居場所を作ろうとする良き大人が抹殺されるという物語でもあった。21歳での生涯に21人を殺しながらも義理堅く古い西部の気質に合った男だったのではないかということから一人の若者の殺気に満ちた短い生涯は多くの同情も誘うところにもなり、ビリーを描いた映画は多く、小生が見たものでも次の作品がある。作品名、制作年と主演者を挙げる。「最後の無法者1941ロバート・テイラー」「ならず者1943ジャック・ビューティル」「テキサスから来た男1949オーディ・マーフィ」「左利きの拳銃1958ポール・ニューマン」「ビリー・ザ・キッド21才の生涯1973クリス・クリストファーソン」。

(編集子)ドクター小泉の補足をさせていただくならば、ジョン・ウエイン老年期の娯楽作のひとつ チザム ではビリーをジェフリー・ドウエル、パット・ギャレットをグレン・コーベットが演じた。御贔屓のベン・ジョンスンがウエインと若いころからの親友を演じて懐かしい、よき西部劇のひとつだった。時代的な背景としては西部開拓史上有名なリンカーン・ウオーと呼ばれた事件である。これに類似した紛争はどこでも起きていたようで、シェーン でも エルドラド でも主人公が巻き込まれたのはその一つだ。ヤングガンの背景にある紛争は、1870年代後半のアメリカ西部の辺境で起きた事件のひとつでニューメキシコ準州(当時)のリンカーン郡で発生した、二つの派閥の間の一連の紛争事件を指す。ウイキペディアの解説を転載しておく。戦争(WAR)と呼ばれるほど大規模なものだったようだ。

リンカーン郡戦争は、1870年代後半のアメリカ西部の辺境で起きた事件のこと。当時のニューメキシコ準州のリンカーン郡で発生した、二つの派閥の間の一連の紛争事件を指す。この「戦争」は、裕福な牧場主が率いる派閥と、独占的な雑貨店の経営者が率いる派閥との間で起こった。