乱読報告ファイル (21) ”一茶”    (普通部OB 菅原勲)

藤沢周平の「一茶」(1978年)、俳人、小林一茶の伝記小説を読む。

藤沢の作品の中でも、一茶なんてと敬して遠ざけて来たが、海坂藩のうの字も出て来るわけではなく、侍もチャンバラもないにしては意外と面白かった。

「丘を少しのぼると、伐り開いた斜面を蔽っているうす紅いろのものの正体がはっきりした。桃の花だった。近づくと花は三分咲きほどで、まだ蕾の方が多かったが、昼近い時刻のきらめくような日の光を浴びて、艶に見えた」。冒頭の部分の抜き書きだ。15歳の弥太郎(のちの一茶)が、奉公のため信濃の柏原から江戸に出立する場面。別にどうと言うこともない言葉なのだが、その情景を見事に活写しており、そこにこそ藤沢だけが持っている魅力の真髄がある。こう言った類いの文章が頻繁に出てきて、酔い痴れる。

確かに、Wikipediaを中心としたネットによれば、骨肉の遺産相続争いあり、スゲー性豪でもあったようだ(例えば、「婦夫月見 三交」などなど。そう言えば、永井荷風の日記「断腸亭日乗」にもその印があったことを思い出した。英雄色を好むと言うが、同時に顕示欲も誠に旺盛だ)、しかし、藤沢は前者についてはさらっと触れているが、後者については一切触れていない。

話しは変わるが、織田信長が如何に酷いことをしたかを知った藤沢は、以後、信長に対する興味を完全に失ってしまったと伝えられている。そんな藤沢が、凡人である一茶に惚れ込んでしまったのは当然のことなのだが、その伝記であるとは言え、それ故に、一茶を語って、浮き彫りになって来るのは、実は藤沢自身ではないかとの思いを深くした。

一茶は、二万にも及ぶ句を作ったと伝えられているが、小生が知っているのは、「すずめの子 そこのけそこのけ お馬が通る」、「やせ蛙 負けるな一茶 これにあり」ぐらい。国許から出て来た江戸では住む家もなく、あっても米櫃の底にコメもないと言う極貧生活を送り、最後は生まれ故郷に帰って、安住の地を得たとは言え、殆どが赤貧洗うがごとしであった一茶は、藤沢と同じく、心優しいひとであった。

(47 関谷)藤沢作品は殆ど読破しました。本作は、確かに、海坂藩の「う」の字も出てこない異色な作品だったことは覚えておりますが、内容は遙か彼方! 書籍は、既に、断捨離済み!

梅は咲いたぜ桜はまだか ー 大倉山も高尾梅林も

大倉山梅林の枝垂れ梅 (34 小泉幾多郎)

大倉山梅林は、ようやく枝垂れ梅が満開になりました。枝垂れ梅は池の周りに咲くこの2樹のみ。

白色が白滝枝垂れ、赤色が淡路枝垂れというそうです。観梅会はコロナ禍で中止になりましたが、一件だけ屋台が出ていて、おでんや焼きそば等を販売していました。

高尾梅林も満開   (44 安田耕太郎)

高尾山の北側の麓は通称“裏高尾”と呼ばれ、知る人ぞ知る梅林の郷で“高尾梅郷”と称されています。一帯には併せて1万本の梅の木が在るそうです。

暖かい初春の今日(5日)、梅林を愛でに高尾山にKWV仲間5人で、先ずは山頂へ。脚をそろえるためケーブルカーを利用。土曜日とあってウイークデイより多い人出であったが、混雑には程遠く一安心。薬王院にお参りして、ひねもすのたりのたりと歩くのを愉しむ。雲ひとつない快晴にも関わらず、春の霞で朧げな富士山でした。


下山は「いろはの森コース」を通り裏高尾へ。1400本の梅の木が在る梅郷のメッカ木下沢(こげさわ)梅林を訪れた。満開時は下の写真のようであるが、まだ早すぎて一部が咲いていたのみ、残念。ところどころ満開の木と併せ写真をご覧ください。満開は15〜25日頃の見込。

早朝の神社で

今日、日課の朝の散歩ルートを少し変えて、近くにある厳島神社へ行ってみた。

歴史は古いようだが、今は住宅地のど真ん中ですぐ後ろがハイライズの集合住宅という形に押し込められているが、調布のこのあたりは武蔵野原野の面影をとどめて巨木が多く、ここにも樹齢を重ねた古木が何本かある。欅のほかに、はじめてみるのだがソロという名前の樹がまっすぐにのびた欅の隣に何だか拗ねたようにねじれながら高い。境内はごくちいさいのだが、この木立の醸し出すひんやりとした空間が何とも好もしい。

調布といえば深大寺で、スケールも木立もこことは段違いなのだが、同じ自然環境にありながら、また同じ樹でありながら、寺、と神社、というだけでとの空間が作り出す雰囲気がまったく異なってくることがいつもながら不思議に思える。

宗教には無知な自分だが、神道、というのは宗教なんだろうか? 信徒ではないので全くわからないが、仏教にせよキリスト教にせよ一神教はすべからく人間の来世についての約束をしていると理解しているが、神道にはそういう発想はないように思える。科学知識の少なかった昔、当時の人々にとってひとつの石であっても一本の樹であったも、普通なありようではなかったとき、なぜそこにあるのか、それはなぜだ、ということがわからないとき、それは神の仕事である、とされた。そういう事物は日本中どこでも見かける。しかしそれは絶対主としての神がいる、という事ではなく、万物がすべて神性を宿している、という素朴な論理、アニミズムというのかどうか知らないが、我々が知ることもなければ経験することもできない長い時間、ここにあった、だから、この古木は神を宿す神木である、とされてきた。この論理が僕にとってはなんとなく納得できるのだ。そしてそういう意味で、人は死んで神になる。その神はなにをするか。わからない。しかしこの自然の中のどこかに存在する。それでいいではないか。

外資系会社に居合わせた結果、ずいぶん多くのアメリカ人の友人ができた。ビジネスを離れて、真剣に人生論を戦わせたり、文化議論をした人間もたくさんいる。そういう過程で気がついたのは、彼らに日本の文化風物歴史を説明し、納得させることは難しいが不可能ではなかった。しかしなぜ日本には宗教がないのか、なくてもやっていけるのか。生まれれば初詣に行き、教会で結婚式を挙げ、仏教の教えに従って葬られる。なぜ日本人にはそういう事が出来るのか。これを納得させた、という経験はない。

納得はさせられなかったが、何となくそんな気にさせた、という気がしたのは、日本人を支えているのは feeling of resignation なのだと思う、といった時である。Resignation という単語の正しい用法であるかどうかはわからない。我々の言葉で言えば 諦念 という事のつもりで言ってみたらなんとなく納得した、ということなのだが。

生あるもの必ず滅する。平家物語の有名な書き出しは、日本人の心の奥底をそのまま文字にしたのだろう。僕だけの発想だが、春に咲いた花が秋に紅葉するという移り変わりを、四季というものを身近に感じられる温和な自然が育んだ感覚でもあるだろう。壮大美麗な寺院や深遠な経典よりも、ただ立ち尽くす古木が真実を宿す、という素朴な論理を僕は信じる。街中に取り残された、ちいさな神社で感じたことだった。

コロナ6波はまだまだ治まらないの?  (39 堀川義夫)

ここのところの報道によれば、コロナの6波は治まる傾向にあると報じられていますが、私の周辺は、5波までコロナに罹ったという方はほとんどいませんでしたが、今月に入ってから大幅に増えているように思います。オミクロン株の特徴として高齢者には罹ると重症化し易い、特に基礎疾患がある人は要注意と言われていたので、私は要介護5の家内を週2回のデイサービス利用と泊りがけで出かける時はショートステイに入所させていましたが、ここは我慢のしどころと2月は泊りがけのアクティビティは全てキャンセルし、毎日家内と過ごしていました。ところが、ここに至って家内のデイサービスが1カ所、休業になり、ショートステイ先に至っては3月一杯休業となってしましました。聴くとスタッフのコロナ感染が増えて、人員不足で営業が出来ないのが、大きな理由のようです。3月6日以降は蔓延防止も解かれ、通常の生活近くに戻るのでは、と思っていましたが大誤算で3月も何も出来ません。寂しい限りです。私の家内の介護で溜まるストレスをどう発散させられるか、大きな宿題が残りました(笑)致し方無いので家の中の断捨離でもするか・・・?? このまま何もしないで、飲んで喰っていたのでは太るし、健康を害するのが目に見えています。気分を切り替えてじっくりと身体造りをして4月以降に備えるか・・・でも、それなり気の目標がないと元来怠け者の私には、ハードルが高いのです。

2月16日 (水) 相模カントリークラブ

2月16日、名門相模カントリーでプレイする機会に恵まれ楽しんできました。             雪が降るのでは、又は雪が残ってプレイではないかなどなど気をもみましたが、素晴らしい天気に恵まれゴルフのスコアはともかく、春を五感で感じた日でした。

 

推奨ウイスキーの話

今から53年ほど前、私が27歳で初めて英文学の先生方を添乗員として英国一周の旅にご案内しました。まあ、附いて行った、と言う方が正しいでしょう。添乗員でありながら、英語が出来ないのが私だけでしたから・・・英国一周の旅でその後、ロンドンとその周辺には何回も行きましたが、この時以来、英国を旅するチャンスはありませんでした。

毎夜、現地のガイドとパブに行き、よく飲みました。その時、教わったのが「Teachers」でした。日本でスコッチと言えばジョニーウォーカーの黒ラベルが最高と言われ、1万円もする時代でした。値段はわすれましたが、英国でも高かったのでしょう。現地のガイドに「何を飲む?」と聞かれ、恐る恐るジョニーウォーカーと言うと軽蔑の眼で、あんな水みたいなのはウィスキーじゃない。これが良いと飲ませてくれたのがこのTeachersでした。私にとってはきついし、スモークしているので飲みにくいウィスキーでしたが、慣れてくるとこの感覚はトリスやレッドを飲んでいる感じで、懐具合からも滞在中、パブに行けば知ったかぶりでTeachersなんて注文していましたっけ・・・なかなか、お目にかかれなかったのですが、最近はサントリーから販売されるようになり、何処でも買えるようになりました。しかも安い。私の良くスーパーでは税込みで1000円しません。一度、お試しあれ・・・・

 

2月25日(金) 冨里ゴルフクラブ

以前勤務していた会社のオーナーからお誘い頂き、片道3時間かけて冨里ゴルフ倶楽部に行ってきました。前半はインからスタートし、私としては稀に見る頑張りでハーフ51で廻りました。これは最近にない私にとっては良いスコアでした。午後のアウトは何時ものスコアで毎回100を切るゴルフをしたいと頑張るのですが・・・今回もだめでした・・・

この冨里ゴルフ倶楽部は成田空港から車で15分程度のところにありますが、ゴルフに詳しくない私でも素晴らしいコースだなと思いました。ところが、この素晴らしいコースは10年後の成田空港C滑走路建設の為に本年10月で閉鎖になるそうです。ゴルフファンには寂しい、惜しまれることと推察する次第です。私は多分最初で最後のゴルフ場になることでしょう。時代は変わったのでしょうかね?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ロシアの情報操作    (33 小川義視)

小生、大学の卒論テーマが「ナチスのプロパガンダ」、80年を経て昨今のウクライナ・ロシアの紛争を見て、こんな時代が21世紀に来るとは全く考えられませんでした(法学部政治学科、マスコミュニケーション論生田ゼミ4期生からのメールです!)。

紛争の始まる前からのフェイクニュースに始まってロシアの情報統制など興味深く見ておりましたが、現在の戦争最中におけるキエフ近郊に迫っているロシア兵士に対して「ゼレンスキー大統領は既に降伏した」と言って鼓舞しているということ、ロシア国内での情報統制は将に昭和18年ミッドウエイ海戦の敗北をひた隠して我が国民を「大本営発表・・・」のもとに情報操作されていた、あの時代を思い出させました。
スパイの大親分KGB出身のプーチンはソ連邦崩壊が何よりも不愉快だったのでしょう。そんな出身だけに情報統制は最高レベルの人物だけに暗殺などは考えられないと思いますが、この紛争どう決着するのでしょうかね。

情報社会も格段に進んでいて、テスラの会長イーロンマスクは私有の人工衛星からロシア国民にネット交信が可能になるよう協力しているとのこと、今後ロシア中枢の情報統制と国民によるSNSなどによる情報共有、またスイフトによる経済制裁の国民からの内乱など、実に興味深くロシアの今後を見ていきたく思っております。最後に気の毒なウクライナの国民に対してウクライナ大使館への寄付での応援もあります。少しでも応援してやりましょう!!

 

ウクライナ大統領の演説   (普通部OB  田村耕一郎)

友人から送られてきたウクライナ大統領の演説内容をお届けします。

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今日、私はロシア大統領(プーチン氏)との電話協議を試みたが、結果は無反応だった。だから、私は全てのロシア市民に向けて演説したい。皆さんに大統領としてではなく、一人のウクライナ市民として話しかけている。

2000キロ超の国境が私たちを隔てている。この国境に沿って、あなたたちの軍部隊が展開している。20万人近い兵士と数千の軍用車両だ。あなたたちの指導者は兵士たちの前進を承認した。よその国の領土へ、だ。

この一歩は欧州大陸での大規模戦争の開始になり得る。あらゆる挑発行為や火花が全てを焼き尽くすかもしれない。 あなたたちは、この炎がウクライナ市民を解放すると(プーチン氏らから)言われている。だが、ウクライナ市民は元々自由だ。自らの過去を記憶し、未来を創造している。ロシアのテレビ局は「壊している」と毎日報じるが、創造しているのだ。

ロシアでの報道におけるそれと、現実のウクライナは全く別物だ。 私たちがナチズム信奉者であると(プーチン氏らが)言っている。だが、一体、第二次大戦でナチス・ドイツの打倒に800万以上の命をかけたウクライナの市民たちがナチズムを支持するだろうか?私がどうしたらナチズム信奉者でありえるというのだろうか?私の祖父に言ってみてほしい。彼はソ連軍の歩兵部隊で第二次大戦を戦った。

私たちがロシア文化を憎んでいると言われている。どうやって文化を憎めるというのか?隣人同士はいつもお互い、文化的に豊かにし合うものだ。

私たちは異なる。だが、それは敵同士になるための理由にはならない。私たちは自らの手で自分たちの歴史を構築していきたい。平和に、穏やかに、誠実に。

私が、2014年から紛争が続く東部2州のあるドンバス地方への攻撃命令を出すとロシアでは言われている。しかし、シンプルな質問がある。誰を狙い、何を空爆するというのか? 標的はドネツク州の親露派武装勢力が拠点都市とするドネツク市だというのだろうか?

私はあそこへは何十回も訪問している。地元市民の顔を、瞳を見つめてきた。ドンバス・アリーナでは、12年のサッカー欧州選手権の際に、地元市民と一緒にウクライナ代表チームを応援した。シェルバコフ公園では、代表チームが負けたとき一緒にやけ酒を飲んだものだ。

標的はルガンスク州の親露派武装勢力が拠点都市とするルガンスク市だというのだろうか?あそこには親友の母親が暮らし、その父親が葬られているというのに。

ロシアにいる人たちには、なじみのない話でしょう。これは私たちの祖国であり、歴史なのです。あなたたちは何のために、誰と戦うのですか? あなたたちの多くはウクライナを訪れたことがあり、親族がいる。ウクライナの大学などで学び、ウクライナ人と友達になった人もいるでしょう。私たちが何を大切にしているかを知っているでしょう。

自らの理性の声に耳を傾けてほしい。私たちの声を聞いてほしい。ウクライナの市民も政府も平和を望んでいる。そのために可能な限り行動している。

多くの国々がウクライナを支援している。なぜなら、私たちは平和や正義、国際法、自決権、安全確保の権利について話しているからだ。これらは国際社会にとっても、あなたたちにとっても重要だ。

私たちは、戦争は不要だとよく分かっている。しかし、もし、私たちの国を、自由を、人生を、子どもたちの命を軍事攻撃で奪い取ろうと試みるなら、私たちは自衛する。あなたたちが攻撃をするとき見るのは、私たちの、逃げていく背中ではなく、正面から向き合う顔になるだろう。

戦争は巨大な災厄であり、あらゆる意味において高くつく。最も重要なことは、人々が愛する誰かを、そして自分自身をも失うということだ。戦争においては常に多くのものが不足する。有り余っているのは痛み、流血、死だ。数千、数万の死だ。

あなたたちは「ウクライナがロシアにとって脅威である」とロシア政府などから教えられている。そんなことは過去も現在も未来にもあり得ない。

あなたたちロシアは北大西洋条約機構(NATO)に対して安全の保障を求めているが、私たちも安全の保障を求めている。あなたたちロシアから、そして1994年に結ばれた「ブダペスト覚書」の他の当事国、英米からも。 現在、私たちはいかなる軍事同盟にも属していない。ウクライナの安全保障は近隣諸国にかかっている。従って、欧州全体の安全について話をしなければならない。

しかし、私たちの主たる目的はウクライナにおける平和と国民の安全だ。そのために、あなたたちを含めて誰とでもどんな形式でも対話する用意がある。

戦争はあらゆる人々から安全の保障を奪う。それによって誰が一番犠牲になるだろう?

人々だ。

誰が最も戦争を望まないだろう?

人々だ。

誰が戦争を止められるか?

人々だ。

しかし、あなたたちの間にそのような人々はいるだろうか?私は「いる」と確信している。 ロシアのテレビでは私の演説は放送されないと知っている。だが、ロシア市民はそれを見て真実を知る必要がある。真実とは、手遅れになる前に止めなければということだ。

ロシア人は戦争を欲しているのだろうか?その答えはあなたたち、ロシア市民だけに懸かっている。

東京だって梅は咲きます!  (普通部OB 船津於菟彦)

東京都内にはいくつかの梅の名所があります。先ずは眼下の錦糸公園はたった4本ですが、比較的早咲きの紅梅・白梅が咲き、錦糸公園の朝の散歩の目を楽しませてくれます。
ウメ(梅、学名:Prunus mume、英: Japanese apricot)は、バラ科サクラ属の落葉高木、またはその果実のこと。果実を利用する品種は「実梅」として扱われ、未熟なものは有毒であるものの、梅干などに加工して食用とされる。樹木全体と花は鑑賞の対象にもなり(花梅)、原産地は中国であり、一説には日本への渡来は弥生時代(紀元前3世紀 – 紀元3世紀)に朝鮮半島を経て入った、また他説には、遣唐使が日本に持ち込んだと考えられています。奈良時代頃に中国から日本に渡来、という説では、薬木として紹介されたとしています。
日本の古典では花といえば「桜」を指しますが、平安時代初期までは花といえば「梅」を指すことが多かったのです。梅はあたたかい春に先駆けて、まだ寒い時期にいち早く蕾をつける植物ですから、春を告げる花、縁起のよい植物ですし、凛とした風情のある梅を好む俳人や画家はたくさんいます。
与謝蕪村
梅が香の 立ちのぼりてや 月の暈
梅咲や せうじに猫の 影法師
小林一茶
梅さけど 鶯(うぐいす)なけど ひとり哉
正岡子規
白梅や 雪かと見れは 匂ふ枝
白梅の 黄色に咲くや 年の内
紅梅の しだれし枝や 鳥も来ず
梅か香は うしろになりぬ 朧月
思へ君庵の梅花を病む我を / 芥川龍之介
手折らるる人に薫るや梅の花 / 加賀千代女
梅が香や風のあいあい木にもどり / 加賀千代女
梅ばかり誠の事やとしの内 / 加賀千代女
梅の名所巡りを致しました。先ずは湯島天神。 素晴らしい盆栽の紅梅白梅が目を惹きます。この古木は何年世間を観てきたんだろうか?枝垂れ紅梅も綺麗でした。そして近くの亀戸天神・梅祭り。 ここは藤の方が綺麗ですが、ここ数年梅もすっかり大きくなり6分咲きでしょうか。明神様は今受験の方のお詣りの列が絶えません。受かると良いですね。
やや歩いて、かつて江戸の梅の名所として有名だった小村井・梅香園・香取神社へ参りました。ここは安藤広重の浮世絵に描かれ、多くの文人などが訪れた梅屋敷が在ったのですが、明治43年の大洪水で流れ廃園になってしまいました。そこを小さな香梅園として香取神社の片隅に復活しました。
美しい花と香の梅でも楽しみながらキョウイク・キョウヨ無き輩は「お暇」を過ごすしか能がありません。 来たるべき弥生三月が素晴らしい「春」になることを念じて——。散るたびに 老ゆく梅の 木末かな

「願わくば 花の下にて春死なむ その如月の望月の頃」西行