エーガ愛好会 (118) タワーリングインフェルノ  (HPOG  小田篤子)

キャストが豪華:  ポール·ニューマン、スティーブ·マックウィーン、ウィリアム·ホールデン、フレッド·アステア、フェイ·ダナウェイ、そして皆様がお好きな、「慕情」のジェニファー·ジョーンズも。
タイタニックの高層ビル版でオーナーの娘婿が、予算削減の為に、設計士の指定より性能の低い受電盤を使ったことで出火します。消防隊長のマックウィーンと設計士役のポール·ニューマンの活躍にハラハラドキドキ。
この出火原因を作り、我先に逃げようとした娘婿役はリチャード チェンバレン。昔TVドラマなどでとても人気があり、ハンサムで爽やかな素敵な人で私もファンでしたが、今回は一番嫌な役でした。前回の「悲しみは空の彼方に」のトロイ·ドナヒューのように。
先月、新聞に読者からの❬映画を巡る物語❭が4回連載されていました。そこに載っていた71歳の男性の投稿の一部分です。
” 70歳まで建設関係の仕事に従事した私の一番の映画は、就職間もない頃に封切られた「タワーリング·インフェルノ」です………建設技術者として安全な建物を考えるきっかけを作ってくれました……来賓の客が次々に命を奪われる場面が衝撃的で、脳裏に強く焼き付き… 人生の座右の銘として「安全な建物」の出発点となった作品です。
(安田)「慕情」コンビのジェニファー・ジョーンズとウイリアム・ホールデンの皺の増えた熟年振りには人間は歳をとるんだと染み染み知らされました。有名俳優の揃い踏みは懐かしく、彼等・彼女達の映画を思い出します。テレビドラマ「ベン・ケーシー」と人気を二分し「ドクター・キルデア」のチェンバレンを映画で見たのはこの一本だけ。アメフトの英雄、裁判中のシンプソンも出演していた。スパイ物テレビドラマ「0011ナポレオン・ソロ」のヴォーンも懐かしい。
「・・インフェルノ」に加えて、海の「ポセイドン・アドベンチャー」、橋梁のシーンが忘れ難いソフィア・ローレン、アリダ・ヴァリ、エヴァ・ガードナー、往年の三美女が一堂に揃ってパニックに陥る「カサンドラ・クロス」、これら三本の高層ビル・豪華客船・列車を舞台にした怖い映画はそれぞれ1974年、72年、76年の制作。更に豪快キャストのオリエンタル急行殺人事件」は74年制作。スリルを全面に押し出し、それに人間模様を描いた映画が多く制作された時代だったのですね、70年代は。制作費も半端ない大作揃い。ヴェトナム戦争も終焉(1975年)が近づき、アメリカンニューシネマの波も一段落した頃にこれらの映画が世に出たのは興味深い。「ゴッドファーザー72年 & 74年」、「フレンチコネクション71年」もこの類の仲間だったのでしょうか?
(武鑓)タワリング インフェルノ」は小生も懐かしく好きな映画の一つです。
1973年1月サンフランシスコに駐在赴任しましたが、丁度、その頃本作品を撮影中のようでした。ある晩、シスコのダウンタウンのCalihornia St.にあるBank of Americaのビルの側を通りかかったら、ビルがライトアップされ消防車も来ており大勢の人が集まっていました。映画撮影中とのことでしたが、その時は映画の題名もこんな豪華俳優が出ている映画とも知りませんでした。その後、映画が公開されて現地でも観たはずで帰国後も字幕入りで映画館やTVでも観ましたが、毎回退屈しません。
シスコを舞台にした映画は数多くあり、皆さんよくご存じのS.マックイーンの「ブリット」やC.イーストウッドの「ダーティーハリー」などはTVで上映される度に観て、家内からよく飽きないものと呆れられています。
(編集子)いやあ懐かしい名前ですな。ブリットで出てくる通りは覚えがあるところがあったし、ダーティハリーの何作目だったか、コイタワーと思しきあたりも出てきたな。いやいや。

”置き配” と タブレット

仕事を辞めて数年してから、一念発起してポケットブックを原文で読み始めた。その一つのきっかけがアマゾンの存在である。学生時代から社会人5年生くらいまでの間、年に数冊は原書を読むことにしていたが、その本はすべて丸善まで行かなければ買うことができなかったし、たまたま店にあった本を買ってくるだけだった。しかしアマゾンという仕掛けを知ってからはその便利さに完全にはまってしまって、月に一度くらいはポケットブックを届けてもらうようになり、最近は “置き配” という方法で本が届く。誠に便利であるし、配送業者にしてみれば時間と手間の削減、硬くいえば労働生産性の向上に効果があるのはよくわかる。

しかし考えてみるとこのような方法はその社会環境に左右される。言いかえれば、よく調べたわけではないが、世界広しといえども、”商品、家の前に置いておきましたよ“ で配達が済む国はわが国だけではないだろうか。届け物を玄関先においても盗難にあう心配をしないで済む国、工事現場に材料やら機械やらを置いて帰っても翌朝にはちゃんとある国、さらに最近夫婦して経験したのだが、どこへ置いてきたかも覚えていないスマホがきちんと戻ってくる国。犬を連れて散歩する人がシャベルに袋まで持って後始末をする国。欧州の先進文化圏にはほとんど行ったこともないので断言しないが、少なくとも米国には全く存在しない安心というものがこの国では至極当然のことになっている。そういう文化があるからこそ、”置き配“ による生産性の向上ができるわけだ。

”我が国の労働生産性は低すぎる“ ”先進国ではこんなことはない“ ”日本はだからダメなんだ“ 一連の識者と呼ばれる先生方は異口同音に発言される。労働生産性、とは要は付加価値、わかりやすくいえば売上金額をそれにかかわる人数で割った比率のことなのだから、その人数が減れば当然向上する。この手の議論には全く経験がないので判然としないのだが、生産性、を上げるために人手を減らす。そこまでは問題ない。しかしそこで ”減らされた“ 人の雇用はどうなるのか、その結果が引き起こす社会現象はどうなるのか、生産性とたとえば失業率とか犯罪発生率とかの関連、そのあたりについて、かの識者先生方のお考えはどうなのだろうか。

コロナ対策で始まった(と理解しているのだがどうもコロナが収まっても続くだろう)現象の一つに、レストランでのタブレット注文、というのがある。これも工数削減に確かに効果があるだろうことは素人目にも確かである。しかし、である。ま、仕事途中にかきこむランチならともかく、一息入れようかというつもりの場での一つの楽しみはやはり店の雰囲気であり、それが一番よくわかるのが店員さんの応対であり、何気ない会話であり、なじみになれば冗談の一つも交わす、というものなのではないか。それが無機質なタブレットに置き換わってしまう、この大げさに言えば喪失感(!)というか断絶というか、たまらなくつまらない。ここまでやるのなら、言ってみれば自動販売機の前にすわるのと同じではないか。

生産性の分母にあたる人数については、レストランの話はともかく、日本における雇用形態と関連があるのは当然で、アメリカ流の hire and fire が前提ではない。この日本的雇用形態についてもうんざりするほどの議論があるのは承知しているが、基本的に個人を尊重しながら社会の調和を考える日本文化は存在し続けるだろうししてほしい。”個人の自由“ を尊重するからマスクはしない、というような理屈ばかりの議論がまかり通る国では、結局, ”置き配“ は実現できないだろう。

 

 

 

エーガ愛好会 (117)   ミザリー  (44 安田耕太郎)

「ホラーの帝王」の異名を持つスティーヴン・キング原作の「Misery」(悲惨の意)の、1990年制作の映画。彼の人気小説「キャリー」、「シャイニング」、「スタンド・バイ・ミー」などに続くサスペンス ホラー・ストーリー。1994年には彼の原作「Rita Hayworth and Shawshank Redemption」(邦題:刑務所のリタ・ヘイワース)による映画「ショーシャンクの空に」(The Shawshank Redemption)が人気を博した。「ミザリー」も彼ならではと唸らせる。原作小

スティーブンキング

説の方が、映画より場面を想像して膨らませられるだけ、より不気味で怖かった。それでも映画も充分に怖い。彼がこの小説を執筆したのはロンドンへと飛ぶ機内で見た夢に出てきた話を基に一挙に書き上げた由。当時、キングはアルコールと薬物中毒の治療を受けていて、看護婦の世話になっていたところから、主人公の女性を看護婦とした、と言われている。

穏やかで人の良い中年女性役の多いキャシー・ベイツの怖く不気味な怪演が光る。オタクおばちゃんの演技がうますぎる。喜びで浮かれまくっている時のはじける笑顔と、いきなりサイコパス顔に豹変する落差が凄まじい。笑顔と恐怖の顔が繰り返され、次第に恐怖が増幅していく仕掛けになっている。正気と狂気、微笑み・優しさと恐怖の対比による相乗効果は特筆もの。ヒッチコック監督のサイコパス映画「サイコ」1960年で精神病質者を演じたアンソニー・パーキンスの役名はノーマン・ベイツどちらの ”ベイツ“ も不気味で怖かった。キャシー・ベイツ42歳時の映画で、アカデミー主演女優賞に値する好演だ。以後、出演機会が増え確固たる位置を占める女優となる。「タイタニック」、「ミッドナイト・イン・パリ」でも好演していた。

ベイツに翻弄される作家役を、「ゴッドファーザー」「遠すぎた橋」(A Bridge Too Far)などで豪放な役を演じた50歳のジェームズ・カーンが魅せる。彼の両映画出演写真添付。キャシー・ベイツの好演が全てのようではあるが、相手役を演じたカーンの演技も秀逸で、ベイツに対する恐怖や痛みの表現と逃れるための必死の行動があって「ミザリー」は成立している。カーン演じる作家は著作「ミザリー・シリーズ」で知られた存在。映画の題名「Misery」“悲惨“ と ”小説内のヒロイン名“ の両方を掛けている。巧妙だ。更に、アニーが可愛がるペットの豚の名前もミザリーだ。ファン心理からくるサイコパス女性の狂気を描き、異常なまでに作家を追い込み占有したい欲求に駆られ、それが裏切られた際の恐怖に満ちたヒステリーを演じたキャシー・ベイツには脱帽だ。彼女の狂気から必死に逃れようともがく作家との間の死闘ともいうべき攻防は見応えがある。

物語は、雪に閉ざされた小さな家の中で起こる密室に近い映画舞台設定は、ヒッチコックの「裏窓」1954年、オードリー・ヘップバーン主演の「暗くなるまで待って」1967年のサスペンス映画と同じだ。いやが上にも両主役俳優の名演技と演出が際立つ舞台設定だ。 映画の最後に近く主人公が小説を執筆していたシーンで、チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番が流れていて、ホラーを和らげるかの雰囲気を醸し出すが、そのすぐ後にポールとアニーの命を懸けた血みどろの決闘が始まる。印象的な場面だった。

”遠すぎた橋”のジェームス・カーン

(保屋野)「ミザリー」、初めて観ました。ホラー&サスペンスというジャンルなのでしょうか。気違い女に監禁された作家が、いかに彼女から逃れられるか、という筋立てで、ハラハラドキドキ感もありました。

主役のキャシー・ベイツはこの気違い女の役でアカデミー主演女優賞をとったそうです。作家役のジェイムス・カーンも雰囲気のある良い俳優だとおもいます。出演はほぼこの二人だけ、という安上がり?の映画ですね。

私はホラー映画が苦手でほとんど観ませんが、この映画や「サイコ」はサスペンスの要素が強く、まあまあ面白かったです。さて、私がこれまで観た映画(少ないですが)の中で、最もハラハラドキドキしたものは「逃亡者」でしょうか。~テレビの方が面白かったですが。あとは「ポセイドン・アドベンチャー」や「恐怖の報酬」あたりかな。

(船津)安上がりの映画。気持ち悪さで引っ張っていく。何となくホラーでも無いしサスペンスでも無いしつまんねー映画。

エーガ愛好会 (116) シノーラ  (34 小泉幾多郎)

1900年のニューメキシコのシノーラという所を舞台に、土地所有権をめぐって繰り広げられるガンマンたちの死闘を描く。あの「荒野の七人」「OK牧場の決闘」等決闘3部作で名高いジョン・スタージェスの監督で、主演がクリント・イーストウッドというのだから期待は高まる。イーストウッドはマカロニウエスタンから帰還して10作目、「恐怖のメロディ1971」で初監督、「ダーティハリー1972」に出演、「荒野のストレンジャー1973」での西部劇初監督を控えての意気軒高の時期だけに、名監督との作品で何かを得たい気持ちがあったのではなかろうか。舞台や主演者から何となくマカロニウエスタン的色彩が色濃く感じられるが、それなりに楽しめた。小気味よい音楽で始まるが、音楽監督が「ダーティ・ハリー」等のラロ・シフリン。背景も素晴らしく、カリフォルニア州ローンパイン(アラバマヒルズ)にロケし、雪を頂く山々に囲まれた岩だらけの風景をブルース・サーティースが撮影と、スタッフはいずれもが一流の顔ぶれで占められている。

権力と結びついた名目だけの保安官(グレゴリー・ウオルコット)と街の支配者ハーラン(ロバート・デュヴァル)たちの気まぐれによって流れ者や弱者が制裁を受けるように、此処シノーラの街でもジョー・キッド(クリント・イーストウッド)は拘置所にぶち込まれた。メキシコ人も自分たちの住んでいた土地を訳の分からぬ理由をつけられ、牧場主たちに奪われてしまったことから、チャーマ(ジョン・サクソン)とその一味が乱入、土地の証拠物件を焼かれた仕返しに書類を焼いて砂塵の中に消える。ハーランは腕を見込んだキッドを含む凄腕ガンマンによる追撃隊を確保しチャーマ一味の後を追う。チャーマがいる岩山に囲まれた山村でのハーランのメキシコ人への迫害ぶりに、キッドは村の娘ヘレン(ステラ・ガルシア)と結託、メキシコ人側につくことに。最後正当な裁判を受けることを条件に、チャーマ、ハーランのそれぞれの一味をシノーラの街へ戻すことに成功する。残念ながら正当なる裁判が開けるような状態ではなく、チャーマ一味とハーラン一味との銃撃戦となる。キッドは列車を暴走させ、酒場にいるハーランの部下たちの中へ突っ込み、浮足立った部下たちをやつけることに。裁判所に入ったハーランに対し、裁判官の席に立ったキッドが、裁判官と死刑執行人としてハーランを撃ち殺すのだった。

雄大なロケーションとガンアクション、高性能ライフルでの遠距離射撃、機関車の酒場突入等クライマックスの見所も多く、イーストウッドの若々しく颯爽とした恰好良さ、ロバート・デュバルの悪役ぶりも堂に入り堪能したが、スタージェス監督の冴えがもう一つでした。イーストウッドからもマカロニ・ウエスタンのセルジオ・レオーネ、「ダーティ・ハリー」のドン・シーゲルのことは恩人ということを聞くが、ジョン・スタージェスについては聞かない。

(編集子)ロバート・デュバル はやはり ゴッドファーザー での初見参の印象が強く、どうもこの映画ではミスキャストではなかったかという気がする。ジャック・ヒギンズの名作 鷲は舞い降りた で準主役のラードル大佐を演じたところまでは記憶にあるが、往年のテレビシリーズ コンバット に出ていたとは知らなかった。ローンパインはカリフォルニア中部のサンジョアキンバレーに位置し、デスヴァレーとかマウントホイットニーなどへの入り口にある街で、パイン(松)は見かけなかった気がするし、むしろ ローン、という形容詞のほうが印象に残った、編集子の印象としては冴えない印象が残っている。