”山小屋” の問題について     (大学OB  小関健)

友人から送られてきた紹介文ですが、ご興味があろうかと思い転送します。

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『山小屋クライシス 国立公園の未来に向けて』
吉田 智彦 著 山と溪谷社(ヤマケイ新書)
2021/09 192p 990円(税込)
まえがき コロナ禍が浮き彫りにした小屋の問題
1.山小屋が抱える諸問題
2.国立公園の歴史と構造
3.対談「これからの国立公園」【イントロダクション】
登山を趣味にする人以外には意識されないだろうが、さまざまな社会的要因から危機に瀕している重要インフラに「山小屋」がある。山小屋は単なる休憩・宿泊場所ではない。登山者の安全管理や非常時の対応のほか、登山道の管理など環境保全といった公共的機能を果たしており「なくなっては困る」ものなのだ。本書では、日本の山小屋、そしてその役割が重要になる国立公園について、差し迫った数々の問題を紹介しながら、それらの背景にある行政の意識や構造的課題、法制度のほころびなどについて、山小屋のオーナーをはじめとする当事者・関係者への取材をもとに論じている。

危機」を浮き彫りにしたのは、2019年6月に、山小屋へ物資を運ぶヘリコプターが機体故障により運航停止になり、多くの山小屋の運営に影響を及ぼした出来事だ。山小屋の脆弱な状況とその原因は、日本の社会構造そのものの欠点にもつながっているようだ。著者は1969年、東京都出身。20代半ばに勤めていた会社を辞めて、ニュージーランド、カナダ、アラスカなど諸国をまわる。カヤックやトレッキングを通じて自然と人間のあり方を考えるようになり、エッセイ、ノンフィクションや写真、絵を発表しはじめ、現在も活動を続けている。

●山小屋は単なる宿所ではなく、さまざまな公共的な役割を担う

2021年7月現在、山と溪谷社が運営するヤマケイオンラインに登録されている山小屋は、全国に1,169軒。その業態は、大きく分けて営業小屋と避難小屋からなっている。営業小屋では有料で食事や寝具が提供されるのに対し、避難小屋は原則、無人で無料もしくは維持協力金などを支払うことで使用できるものと、緊急時の使用に限られるものがある。

営業小屋は、旅館業法では簡易宿所に該当するが、その機能は単なる宿所にとどまらない。環境省による「『国立公園』とは?」という資料では、「山小屋の機能」として次のものが挙げられている。「宿泊の提供」「物資の供給(売店・食堂)」「休憩所」「登山者に対する情報提供・安全指導」「給水」「公衆トイレの提供」「医療(診療所)」「救難対策(緊急避難所・救助)」「登山道等の管理・清掃」

しかし今、多くの営業小屋がさまざまな理由で危機的な状況に陥っている。もし、彼らが営業を続けられず、山小屋を閉鎖した場合、その山域は宿所を失うだけでなく、環境保全の面でも人命救助の面でも、空洞化してしまうことになる。

●山小屋の危機を浮き彫りにした「ヘリコプター問題」

2019年6月下旬、山小屋物資輸送業界最大手のヘリコプター会社、東邦航空の機体が故障し、北アルプスを中心に荷上げ作業(*平地から山小屋へ物資を供給する作業)ができなくなり、正常な状態に戻るまで約1カ月間を要する事態に陥った。ちょうど夏山シーズンに向けた小屋開けの準備期間と重なり、約40軒の山小屋が開業を延期したり、食事を出せない、改修工事ができないなどの影響を受けた。

東邦航空による山小屋物資輸送業界の占有率は約8割に及ぶ。そして、北アルプスや南アルプス、八ヶ岳などの山域を営業区域とする同社松本事業所では、故障によって輸送が滞った2019年6月当時の物資輸送用の機体数は3機だった上に契約数は約120件あった。その3機のうち2機が、一時的に飛行できなくなった。

これを偶発的なトラブルとしてやりすごすのではなく、山小屋、さらには国立公園の存続に関わる大きな問題として世間へ発信したのが、北アルプスにある雲ノ平山荘主人、伊藤二朗さんだった。山荘の公式ホームページで「登山文化の危機! 山小屋ヘリコプター問題」というタイトルのレポートを発表した。その要所を抜粋する。

「今まで行政が山小屋の公共性を正式に評価し、制度に落とし込むことをしてこなかったため、いざ山小屋が存続に関わる重大な問題に直面したとしても、山小屋の運営を公的に支える仕組みや法律が存在しない。例えば何らかの理由でヘリコプター会社が山小屋の物資輸送から全面的に撤退、それによって山小屋が経営困難になり、結果的に国立公園の運営に重大な支障をきたすとしても、民間事業者の個人的なトラブルという位置付けに過ぎず、他のヘリコプターを行政が手配するなどの代替え措置も存在しない」

伊藤さんは2020年2月、個人名義で「『山小屋ヘリコプター問題』協議会設置の要望書」を作成し、環境省自然環境局長宛に提出。この要望書の中で、ヘリコプター会社の山小屋物資輸送事業が、なぜ現在のような状況になったのか、産業構造の面から分析している。その内容に当たる主なものをふたつにまとめてみた。

1 90年代のバブル崩壊後、スキー場建設や農薬散布、林業などのヘリコプター需要が急激に落ち込み、ヘリコプター会社同士の統廃合が進んだ。その一方で、当時比較的安定していた山小屋物資輸送の需要に各社が力を注ぎ、山小屋との契約を結ぼうと争奪戦が繰り広げられ、価格競争により料金が安価に抑えられていた。

2 2011年に起きた東日本大震災後、電力会社の事業再編でヘリコプター需要が拡大。全国的な防災・減災を目指す国土強靭化計画関連の公共事業、リニアモーターカー関連事業などの巨大事業が増えると同時に国策によるドクターヘリの需要増加から、ヘリコプターの供給力が不足状態になる。そんな中、それまで、3、4社で共存していたヘリコプター会社が「ハイリスク、ローリターン」の山小屋物資輸送事業から撤退を始める。残った東邦航空が8割の輸送を担うことになっていった。

伊藤さんは、航空業界で行われている事業の中で、行政の補助金で運用されるドクターヘリや消防・防災ヘリ、リニアモーターカーのような公共事業が大半を占めるようになったことも大きいという。それに対し、高高度の山岳地帯で物資を機体外に吊るして操縦するという、高度な技術を要するパイロットを養成するために必要な時間と経験の場となっていた農薬散布や治山関連の作業が、時代の変容とともになくなったことにより、山小屋物資輸送の人材も育たなくなってしまっているのだ。その結果、この事業は縮小の一途をたどっている。

インフラが整備された場所の規制を山小屋に適用することで生まれた「ほころび」

建物は老朽化する。特に高山帯にある山小屋は、1年の約半分を雪に閉ざされ、休業せざるをえない。休館中に、ひどいところでは建物が丸ごと雪の中に埋もれてしまうこともある。そのため建物の傷みが早く、最悪の場合、春に行ってみたら崩壊している可能性すらある。
壊れれば直さなければならない。また、利用客の数やニーズによって改築や増築をしなければならない場合もある。増改築に伴う建物の構造や建材の種類などは、現行の建築基準法や旅館業法などの規制が適用されることになる。

建築に関する規制のひとつである「エネルギーの使用の合理化等に関する法律」(省エネ法)は、断熱効果の向上やエアコンを省エネ設計のものにするように促す法律だ。これは、山小屋も建物の延べ面積が該当すれば、例外なく適用される。しかし、「エアコンを完備した山小屋など日本にはありません。約半年を雪に閉ざされ、無人となる山小屋に、それほどシビアな省エネ基準が必要か、疑問が残ります」と、全国で3番目に古い営業小屋である常念小屋のオーナーである山田健一郎さん。

建築基準法も消防法も、規制の対象となる建物が、道路・水・電気といったインフラが整備されている場所にあることを大前提に作られている。そのため、山小屋でこれらの規制を守ろうとすればオーバースペックになることがあったり、そのためだけに余計なエネルギーが必要になったりすることが多々あり、時には逆効果となって建物を傷める原因になってしまう。結果、さらなる費用がかかってしまうことにもなりかねない。
こうした現行法の規制を受けずに、建物を維持管理する方法がある。それは、「修繕」を小まめに行うことだ。小規模な修繕であれば、建築基準法の届け出は不要なのだ。とはいえ、資材が必要となれば物資輸送が必要になり、自ずとヘリコプター問題につながっていく。

そんな事情を抱えた中、これまで登山人気を牽引してきた中高年の人口が減りはじめている。そして近年、登山者たちの質や動向も変わってきているという。「コロナになって、宿泊者が大きく減ってテント泊や日帰りの登山者が増えました。山小屋宿泊の『密』を避けたこの流れは、コロナ禍が収束しても変わらないでしょう。宿泊売上を主として維持してきた山小屋の営業努力だけではどうにもなりません」

2021年、こうした状況が続けば山小屋の存続そのものが危ぶまれると、北アルプスにある5つの山小屋団体からなる北アルプス山小屋協会が2割程度の値上げを発表した。ここで興味深いのが、この値上げに対して利用者へ理解を求める文書に、北アルプス山小屋協会と並んで、北アルプス山域を管轄する環境省の中部山岳国立公園管理事務所が名を連ねたことだ。経営面、しかも宿泊料の値上げという基本的には個々の経営者が判断するテーマに、民間とは一線を画すことが多い行政が名を連ねるのはとても珍しいことだったからだ。このことからも、山小屋の公的機能が重く見られていることと、現在の状況がいかに深刻かが見て取れる。

※「*」がついた注および補足はダイジェスト作成者によるもの

コメント: 健康増進だけでなく、自然に親しみ、環境意識を高める効果に鑑みると、登山文化は廃れさせてはいけないものだと思う。だが、その登山文化を守る上できわめて重要な役割を担う山小屋が危機に瀕し、その解決の大部分が民間のみに任せられている、そしてそのことが一般に認識されていないのは大きな問題といえる。山小屋が危機を脱するには、修繕や物資輸送インフラの確保など「機能を維持する」のと同時に、デジタル技術など新しいものを取り入れて「魅力を高める」という、いわば「両利き」の方策が求められる。後者は民間の努力によるところが大きいが、前者には行政の支援が不可欠といえよう。山小屋と行政、そして登山者をはじめとする我々一般市民が協力する場が、ネット上などに用意されるのが理想ではないだろうか。

(編集子)三国峠麓に我々の三国山荘が建設されたころの熱気に満ちたことが思い出される。観光立国、といいながら現実には行政の怠慢と杓子定規の現実を改めて考えさせられる一文である。