中仙川遊歩道

僕が住んでいる地域は行政区画上では調布市だが、ほんの数十メートル歩くと三鷹市になり、もう少し歩けば世田谷区になる、いわば入会地みたいなところである。面白いことに(最近知ったのだが)わが家のある 西つつじヶ丘 の、それも 2丁目 だけが、NTTの都合なのだろうが電話局番が03である。甲州街道まで100メートルもないが、それを越えれば042になる。こういう意味でも面白い辺境?かもしれない。

この地域には、世田谷のほうから順に仙川、入間川、野川という3本の川が流れている。野川はハイキングコースになるくらい立派な”川”だが、入間川(埼玉県境の大河とはちがう)はほぼ暗渠になっていて注意しないと存在がよくわからない。仙川は野川ほどではないがあちこちに散歩道があったり、暗渠部分があったりと都市の河川の様相そのものだが、その一部なのかあるいは(多分)入間川の上流なのかが甲州街道とほぼ平行して流れていて、三鷹市との間が”中仙川遊歩道”として保存されている。無機質なコンクリートなどではなく敷石状の舗装がしてあり、多くの樹木が保存され、夏には涼を求める散歩客もいる。甲州街道とぶつかるところにその入り口の標識があるが、僕が時々歩くルートはその途中の坂の下から始まる核心部である。

歩き始めて10分くらいは左側が樹木を植えこんだ崖状、右側にその借景?を意識したのだろうが好もしい小住宅がゆっくりと建っている、一番”遊歩”というイメージに近い。甲州街道に直交するバス道を横断すると、今度は家家の並び方が一変して、いわば ”三丁目の夕日” 的な、違う感覚だが懐かしい雰囲気のある一角が続き、それをぬけるとまだ ”生産緑地” という名目で枯れたキャベツなどがうら寂しく残っている畑地になって、中央高速をくぐる寸前で暗渠が終わり、遊歩道の終点になる。

ここへ引っ越した当時はよく歩いたものだがしばらくご無沙汰していたので、朝飯前に歩いてみた。今まで全く気が付かなかったのだが、立ち並ぶ小住宅のうちの一軒の表札が 小八重 さんとあるのを見つけた。わがワイフの愛称は おやえ であり、こやえさんなのかおやえさんなのか、伺ってみたい気もするのだが、ストーカーと間違われても困るので、遠くから表札の写真を撮った。そこからほんの数件で、今度は 玉虫 さんという表札、そのすぐさきに 春 さんというのがあった。NHKのプログラムに紹介したいようなものだ。

ま、春の便りのある朝、おやえさん に 春 が来れば、これまた結構、という結末であろうか(彼女が ”え” の字がちがう!というのは織り込み済みだが)。往復して帰り道にファミマへ寄って、ほぼ50分の散歩になった。気まぐれにたどってみた京王線地下化あとの漫歩と同様、多少は運動不足解消になっただろうか。

次回の高尾W月例は景信山、天候がうまくはまればいいのだが、どうもCL堀川君は天候運のいいほうでないので、心配である。”春” が来ていることを祈るとするか。

今、思い出したのだが、わがジャイアンツのレジェンド、王さんの夫人の旧姓が小八重さんだったのではなかったか?

“ボヘミアンラプソディー”考  (36 高橋良子)

今日本で話題になっているこの映画を観に、映画館に足を運ばれた方も
多いのではないかと思いますが、私もそのうちの一人です。

音楽といえばクラシック以外に興味がなく、ましてやロックバンドの「クイーン」などの存在すら知らなかった私が、何故「ボヘミアン・ラプソディ」に魅了されてしまったか。

この映画について、新聞等に書かれている記事や寄せられている声によると、「クイーン」のボーカリスト」であった主人公フレディ・マーキュリーが生前抱えていた移民、宗教、容姿、同性愛への差別偏見による苦悩や孤独感に、見ている人が自分も何かしら抱えるものを重ね合わせていると云うのです。1985年のライブエイドでの感動的なライブコンサートの場面でその感情は最高潮に達し、観客に圧倒的な高揚感とカタルシスを与えると。映画はこのライブのシーンで終わります。

あとで知ったのですが、クイーンのメンバー全員かなりのインテリであると。
出自が移民であるフレディをファミリーの一員として受け入れ、共に後世に残るロックバンド「クイーン」を創り上げたのも、フレディの力ばかりではないと思います。
「ボヘミアン・ラフソディ」は人を殺したという告白で始まる驚くべき歌詞であるに拘わらず、英国の国家的ソングになっているそうですが、何と不思議なことでしょう。この歌にはフレディの人生哲学が投影されているように私には思えるのです。

「人生は芝居だ、なにやら喚きたてているが終わりには何の意味もありはしない」

シェイクスピアの言葉ですが、彼はそのようにこの世を去っていきました。
でも、人を勇気づける歌も残していきました。

We are champion いろいろ失敗しても、また頑張れば誰でもチャンピオンになれる、と最終シーンで熱唱しました。私はこれに元気づけられ映画館をあとにしました。

馬場花木園の梅 (34 小泉幾多郎)

梅とメジロ

近くの大倉山梅林の観梅会は、2月16日17日 の2日間開催され、例年のように、幼稚園児の踊りや日本舞踊や和楽の演奏をはじめ、各種の屋台の出店が立ち並び賑わいました。

 

枝垂れ梅

 

今年は大倉山梅林以外の場所を探したところ、大倉山と鶴見の丁度真ん中あ
たりの場所に、馬場花木園(ばばかもくえん)という和風庭園を見つけました。こじんまりとしてはいますが、池あり、竹林ありで、古いあずまやもありましたが、拡張工事とかで其処だけは入れませんでした。梅も結構咲いていて、本数は大倉山の梅に敵いませんが、大きさでは負けていませんでした。

梅と竹林
梅と池

 

帆足進一郎絵日記拝見しました (34 小泉幾多郎)

(編集子の横河電機同期入社の仲間のひとりが美術に詳しく、自身でもブログを書いていることがわかり、見せてもらってその内容に驚嘆して、とりあえず絵に詳しいと思っている仲間に紹介した。そのうち小泉先輩からの一文を紹介する。なおブログ名は 帆足進一郎絵日記 である)

 ご紹介の帆足進一郎絵日記を拝見しました。先ずは、絵の多いこと、その中でも、山を描いた絵の多いことに驚きました。gisanとの交流から?と思いましたが、自分で50名山を選らばれるくらいですから、本当にお好きなのでしょう。事例として故郷の大分県の山は別として、指名された14の山のうち、明神岳を除き登っていることもあり、その山を見ながら、夫々感慨に耽ることが出来ました。60の手習いとはよく言ったもので、60歳から絵をデッサンから習われた由、小生も会社を辞めた時からでも、何か一つのことに打ち込むべきだったと後悔しても既に遅し。帆足さんが絵を描いているところをカメラでパチパチするぐらいが関の山。そう言えば、ワンダーの仲間にも、後藤三郎君をはじめ、29年卒の先輩宮田澄男さんも山では、スケッチ専門でした。同期の片岡陽一君は百名山を油絵で全てを描く計画をたて実行した筈です。

 絵画は勿論ですが、音楽への傾倒にも感心しました。先ずは鑑賞する道具が違う。真空管アンプでの音響装置は、普通の音とは違う次元の異なる音の世界に違いない。名盤を聴いても、鑑賞する力量が異なるから、指揮者カラヤン、アバドや管弦楽団のベルリンフィルやウイーンフィルとの団員まかせをけなせるという音楽評論家でも言えないセリフで切り捨てる能力には恐れ入りました。語学が堪能でなければ、歌曲の素晴らしさに目覚めることは出来ないし、故郷の背景に、R.シュトラウス「最後の四つの歌」が聴こえてくる心境にはなれない。

 先日、マーラーの先駆者とも言えるハンス・ロットの交響曲第1番が、2月9日にN饗と神奈川フィルとが定期演奏会で、同時に演奏されという珍しい出来事があり、小生は神奈川フィルを聴き、N饗の方は、いつかTV放映されるはずだが、聴き比べて、どちらかに軍配を挙げよと言われても,小生は判断出来ないだろう。

 後藤君が、フォンオッターへの言及で、アンネ・ゾフィー・ムターが出てきましたが、その夫であったアンドレ・プレヴィンが2月27日89歳で亡くなりました。結婚当時34歳も歳が離れているので驚いた記憶がありますが、4年で解消。その前にも女優ミア・ファローやジャズ歌手ベティ・ベネット等とも結婚歴がありました。プレヴィンは、ジャズピアニストから映画音楽に関係した後、ロンドン交響楽団の指揮者N饗の名誉客演指揮者にもなり、自身のピアノで、モーツアルトの協奏曲やラフマニノフの交響曲等々、批評家には、通俗的と言われたりもしましたが、そのスマートな心地よい演奏は大好きでした。晩年は椅子に座っての指揮にもなりましたが、若々しい演奏は不変でした。