フェルメール展・リクリエイト版     (34 小泉幾多郎)

前にブログで書いた記憶がありますが、時折美術館に足を運ぶものの、大概は、新聞屋から入手したチケットとかで、数人で出かけることが多く、そもそもが美術鑑賞はそこそこに、その後の一杯の方が楽しみの連中ばかりですから推して知るべしです。それでも昨年1年間で、写真展等も含め20展示程は観ていますから、美術家の名前等はわかるようになってきました。

安田君のフェルメール対する蘊蓄の深さには感心するというより驚きでした。フェルメール全37作品のうち28作品の実物を観たというのですから。因みに小生は2012年のマウリッツハイス美術館展が東京都美術館で開催されたとき真珠の耳飾りの少女と、ディアナとニンフたちの2作品、2015年のルーヴル美術館展(国立新美術館)での天文学者のたった3作品のみです。しかし昨年8月、フェルメール展が、横浜そごう美術館あるというので、勇んでいったところ、「フェルメール光の王国展」と称する全37作品のリ・クリエイト(複製画)だったのです。最新の技術ですから、フェルメールの構図の見事さは勿論そのまま、ブルーの光の様子から光と陰の質感、繊細な色彩等、もともとフェルメールには映像的、写実的な表現が多いことから、光の粒の表現までの再現は無理としても最新のデジタルマスタリング技術による全作品が見られたことで大満足してしまったのでした。

安田君に教わったことだが、生物学者で、フェルメールオタクの福岡伸一氏が監修した権威あるものとのことです。この中の「手紙を書く婦人と召使」の作品だけが撮影可となっていました。このリ・クリエイト2月24日まで恵比寿の三越で展示しているそうです。 レクサスの真珠の耳飾りの少女他を動画で宣伝しているユーチューブも面白かったです(こういった性能抜群の新車の走りっぷりを見ると、今は生産していないトヨタプログレを20年間も騙し騙し乗っている者から見ると若返って新車を乗り回してみたい気持に駆られたりしますが、今年5月の車検で廃車するか否か?なやむところです)。

”エーガの日々” 拝見  (青木勝彦)

小泉さんのご友人で、映画評論家として名高い青木勝彦氏から光栄にもご感想をいただくことができ、また嬉しいことにご著書 ”私の追憶の名画” をご恵送いただくことになった。今後も折に触れてご投稿を頂くことが楽しみである。以下、小泉先輩あてメールの一部をご紹介する(身に余るおほめを頂いて嬉しいのであります!)。

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中司恭様の「ああ、エーガの日々よ、帰れ」を拝読しました。脇役まで精通されている大変な映画通で、文章も上手く感心致しました。「荒野の決闘」はフォンダの名演(マチュアの凡演でも)で詩情豊かな西部劇の名作として日本では評価が高いですが、本国では「駅馬車」と比較されてか公開時は評価は低く、今も「駅馬車」と「捜索者」が代表作です。でも私もラストの名シーンは忘れ難いです。「第三の男」や「大いなる西部」という私のベストワン、2位を評価されているのに嬉しくなりました。

私の手持ち在庫がまだありますので住所、氏名、電話番号をお知らせいただけば拙著を謹呈させていただきたいと思います。
本は2年目の方が部数は少ないですが売れているようです。講演依頼が多くなり、今年は6回、自治会等の解説が月1回位あります。77歳になりますので仕事は区切りをつけて来年は自由な時間を楽しみます。

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この間の記事に書き忘れたことがあった。西部劇に絶対必要な悪役のなかに、かのジャック・パランス(”シェーン”でデビュー)の名前がなかった。ついでにつけくわえればアーネスト・ボーグナインなんてえのもいたっけ。

 

ネリカンからの手紙―ポピュリズム論議に付け加えて

新しい年になった。昨年末に起きた韓国海軍のお笑い種級の事件も考えてみるとこれから何かの発火点になるかもしれない。戦争もなく、治安も良好だった、というのが平成時代に対する国民の意識だということだが(NHK世論調査)、かつて大正デモクラシーと言われた平和の後に何が起きたかと考えてみると想像もつかないことが起きるかもしれない。しかし核のバランスの上に成り立っている現在の緊張がすぐさま戦火になる、というよりも、イデオロギーの如何を問わず起きているポピュリズム―大衆社会化ー個人の喪失、という流れは断ちがたいものになるのだろう。年の初め、昨年安田君との論議から始まったこのシリーズのまとめをしておきたい。

昨年末、40年の益田君からメールをもらった。彼とはスキー合宿を通じて知り合い(それまでは顔を知っている程度だったが)、お互い、ミステリや冒険小説が好きだとわかり、しばしば、意見や情報を交換するようになった。今回はジェイフリー・ディーバーの作品に登場する人物についてのだが、メールを転載する。

リンカーン ライムが黒人だったとは?(まだ存命だと思いますのでだったとは失言) 先日チャンネルを回してましたら、気が利いたと思われる映画の画面に出くわしました。黒人がベッドに寝てました。その会話で、リンカーンライム云々と聞き、まさかと、目と耳を疑った次第。

我々日本人からしますと、黒人か白人かは、男性についてはそれほど意識しないのではないでしょうか?それに拘った物語は無論別です。しかし白人のつもりで読んでましたので、仮に黒人と知ってましたら、物語の根幹から変わる事はないとは思いますが、会話につきましても、違った、感じ方、味わい方が出来たかもしれません。

 彼の興味は、同じ英語であるのに白人と黒人とでは発音や話し方が違うが、それが翻訳された状況ではわからない。もし原語で読んだらその違いがわかるだろうか、ということであった。もちろん僕程度の知識ではわからない、というのが答えなのだが、ここで引用させてもらったのは別の目的だ。

彼が言うように、つまりわれわれからすれば白人も黒人もひとくくりにすれば“ガイジン”であり、常に単一民族である ”日本人“対”非日本人“ という意識しかない。前回でふれた ”民族意識“ といったものは言ってみれば持ちようがない国であり、それは別の言い方をすれば、日本人である限り、その間には以心伝心とか、”わび・さび”とか、”おめえ、それをいっちゃあおしめえよ” というような、前提なしのコミュニケーションが成立していて、それを前提として社会制度や文化が成り立っている、すくなくとも成り立ってきた。フランス啓蒙時代以降、つねに ”理”が先行する西欧社会人には理解不可能な、われわれからすればこの国にのみ存在する”居心地よさ“は、僕が予想する ”大衆社会“ の到来によって変わってしまうのだろうか。

昨年11月26日の読売新聞に、ゴリラ野外研究の世界的権威、京都大学の山極寿一氏の話が対談形式で紹介された。山極教授は大略、次のように述べておられる。

生物の進化というのはネットワークという文脈で議論できる。ゴリラやチンパンジーは身体的な接触によってネットワークを作っている。したがって集団から物理的に離れてしまえば関係性は完全に断絶する。しかし人間は言葉というもの、それによって事物を抽象化する能力を手に入れ、それによってネットワークを発展させることで現代の社会を構築することができた。

しかし現代は距離や時間に関係なく世界規模で情報が伝達される時代であり、情報がどこまで伝達されるのか分からなくなってしまっている。同時にそのため、リアルなものから離れ、個々のものの個別性を意識する機会が減る。つまり現実を脳の中に投影したモデルを現実と思い、幻想を見るようになってしまった。

この対談の目的はべつのところにあるのだが、教授の指摘された問題こそ、“大衆社会”のもたらす根源的な問題なように思われ、今回の報告に付け加えた。

益田君の(引用されるのにご本人は迷惑かもしれないが)メールがきっかけで、日本人が共有する”以心伝心”的な一体感がこの世界的な変化のもとで、そのまま”大衆社会“のネガティブに変わってしまうのか、あるいは逆に(個人価値を至上の価値とする西欧文化には存在しにくい)一体感を持ち続け、将来にわたって”日本文化“を継承し得るのか、という問題を改めて感じた。益田君はまた別のメールで次のように書いてきた。正直なところ、僕の意見でもあるのだが。

ポピュリズムに関しましては、我々日本人に取りましては、主にヨーロッパ史においての紙の上で理解しているだけのように感じます。司馬遼太郎がいろんなところで言っていますが、日本が島国で良かった、鎖国して良かった、単一民族で良かったと。

今年もよろしくお願いいたします。

 

フェルメール展  (44 安田耕太郎)

日本美術史上最大のフェルメール展を上野に行って観てきた。これまでで最高値の入場料2,700円(驚!)。 7ヶ国17美術館が所蔵する全35作品のうち10点(8美術館から)が来日した。まず8点が上野で展示、1点は年明けに追加、1点は大阪のみ展示。所蔵する美術館にとって虎の子の絵画を併せて10点もを6ヶ月近くの長期に亘って拝借出来たのは歴史的快挙と言っていい。
            真珠の耳飾りの少女
フェルメール (Johannes Vermeer) は、7世紀半ば (日本は三代将軍徳川家光の治世)、オランダ(北部ネーデルランド)のデルフトに生まれ、43歳で夭折した。時はバロック全盛、芝居がかった場面描写が好まれ、躍動感溢れる感情と情熱が前面に押し出た表現が主流であった。代表的画家はルーベンス(フランドル – 現ベルギー)、レンブラント(オランダ)、ベラスケス(スペイン)、カラヴァッジョ(イタリア)、ラ・トウール(フランス)など。近隣列強諸国が押しなべて絶対王朝・王侯貴族が文化・芸術の担い手だったのと対照的に、プロテスタントのオランダは東インド会社に代表される海外に開かれた実利・開明的中産商業階級が社会の中核。威厳的な宗教・神話に基づく絵画が支配的であったカトリック諸国バロックと違い、風景画・風俗画が人気を博する萌芽がオランダ絵画を特徴付けた。全盛期17世紀半ばのアムステルダムにはプロの画家が700人もの多数いたと伝えられ、その代表がレンブラント。購入者の多くが中流階級であったことから、絵画のサイズもフェルメール作品も然りで小振りで家庭に飾られることが想定されていた。フェルメール作品も転々と持主が変わって移動したのである。
同時代にあってフェルメールの静謐で穏やかな絵画も南欧バロック本流とは大きく異なり、市井の庶民をモチーフにした風俗画が多い。19世紀後半の印象派より2世紀も昔に、明るい色彩、光と陰を見事に操る先駆者の一人としてフェルメールの稀有な才能がネーデルラントに出現したのは、後世の我々に与えてくれた天の恵みだ。約20年間の制作期間で35点と寡作で多くの謎に包まれた生涯であった。今では天文学的な価値ある彼の作品も、オランダ経済不況が絵画需要にも影を落として売るにも困り、11人の子沢山でもあって借金せざるを得ない時期(特に晩年) があったことが記録に残っている。
僕はオタクではないが海外出張の折に美術館を訪れ20年以上を要して、5ヶ国7都市8美術館にて23作品を目にした。今回の展覧会で未観5作品が新たに加わった。
フェルメールを気に入っている点は、同時代の先達カラヴァッジォやラ・トウール絵画にも見られるが(影響を受けたのかも知れない)、魔術師のように光と陰の微妙な柔らかい質感表現の妙と、映像的で写実的な繊細な色彩と空間表現の素晴らしさ、更には構図の見事さに魅了される。絵を真近で観たときの引き込まれる空気感は格別だ。絵の輝きとまるで呼吸しているエネルギーを感じる。画面構成の巧みな技は時代を経て近代絵画の父セザンヌにも受け継がれているかのようだ。数年前 絵師伊藤若冲絵画でも話題となった貴重な鉱石ラピスラズリ(瑠璃)を原料とする青の色彩は「真珠の耳飾りの少女」のターバン、「牛乳を注ぐ女」の前掛けエプロン、「天秤を持つ女」のガウン、などに見事に表されていて素晴らしい。故郷デルフト焼きの青に影響を受けたのかも知れない。ラピスラズリは原産地アフガニスタンから海路ヨーロッパへ運ばれたという。それでウルトラマリン(ultramarine“海を越える”の意味)とも呼ばれた。日本にも出島経由で持ち込まれていたのだ。普通の顔料の10倍高価だったらしい。ふんだんに使用したフェルメールの家計は苦しくなったと記録にある。
今回来日した作品の白眉「牛乳を注ぐ女」は風俗画の最高傑作だと思うが、使用人であろう質素な身なりの女性が着る黄色の服の質感がいかにもメイドのそれを表現していて見事だ。パンの表面のリアルさには驚嘆する。壁の釘の跡の真実感! 色白の北欧人にしては、仕事する手首から先は使用人らしく日焼けして黒く、他の部分は地肌が白い。注がれる牛乳の滴りの臨場感も特筆もの 。
   牛乳を注ぐ女
フェルメールは2世紀近くその存在が忘れ去られ、19世紀になってフランスの評論家トレ・ビュルガーにより”デルフトのスフィンクス“(謎)と呼ばれ再発見・再評価され、自然主義 写実主義の台頭に伴って印象派が登場した。
           デルフトの眺望
15年程前、アムステルダムに出張した折にハーグを訪れる機会があった。マウリッツハイス王立美術館ではフェルメール絵画の中で人気1、2位を争う、「真珠の耳飾りの少女」「デルフトの眺望」を観た。因みにマウリッツはスペインとの独立戦争当時の将軍、ハイスは家。足を延ばし列車で15分のデルフトへ。「デルフトの眺望」の描かれた現場を探しまわり、実物を目の当たりにした時は気持が高揚した。セザンヌが幾枚も描いた南仏エクス・アン・プロヴァンス  (Aix-en-Provence) 近郊のサント・ヴィクトワール山を麓から眺めた時のように、はたまたセーヌ河下流の辺りジヴェルニー(Giverny)でモネの睡蓮の池を訪れた時のように。デルフトでは絵の中の運河のほとりに女性二人が立っている位置あたりから街を眺めたのである。絵に描かれた風景の半端ない現実感 (例えば、リアルな雲の下は暗く陰り、後方には陽がさして明るい風景となっている、手前砂浜の砂の粒立ち感など) にはフェルメールの天才が余すところなく発揮されている。風景画の大傑作である。350年の時空を超えて絵画の風景が現存している事実には、ヨーロッパの維持し存続する底力を思い知らされた。余談だが、ヨーロッパのレクサス宣伝に”The Art of Standing Out”と題してフェルメール 「真珠の耳飾りの少女」、ジョルジュ・スーラ「アニエールの水浴」、エドワード・ホッパー「ナイトホークス」もどき動画をハイライトしている。ユーチューブを面白半分みて下さい。https://youtu.be/Llu1RuzQnSY