“とりこにい” 抄 (6)巻機

上越の名峰巻機には社会人になってからも含めて3度行っているが、一度も山頂を踏んでいないという因縁の山。荒天で引き返したり、同行者が不調になったり、である。ノートに出てきたのは、3年の春の積雪期リーダー養成の時、天候の変化を過大に読みすぎて撤退とし、ベースに帰ってから酒井さんにさんざん怒られたときのものだろうと思うが記録の記載はない。

 

巻機山

 

巻雲が通過して3時間たつ

薄暗い乱層雲の下で六つの生命が呼吸する

満ち足りた昼下がり

煙草のけむりが雲に昇華するとき

六つの心臓がビートする

ベースキャンプの昼

強まってきた南風を嗅ぎながら

俺たちはいま 血管を脈動させる

 

 

 

 

新春映画三昧  (小泉幾多郎)

今年のお正月は、昨年6月家内の母が亡くなり喪中となった。何年か前から正月には、七福神めぐりをほぼ欠かさず続けてきたが、喪中では如何と思ったが、神社はまずいがお寺なら問題ないとという話を聞き、偶々横浜相鉄線の広報誌相鉄瓦版に掲載されていた瀬谷駅の北と南にお寺ばかり4寺ずつ存在する七福神に達磨大師を加えた瀬谷八福神をお参りしてきた。瀬谷八福神めぐりで体を動かしたせいか、億劫がっていた身体に弾みがついたのか、最近は年に一回行ったかどうかの映画館へ新春早々三つも、しかも毛色の変わった「スターウオーズスカイウオーカーの夜明け」「ダウントンアビー」「キャッツ」の三本。共通点は、キャッツはミュージカルだから当たり前だが、三本とも音楽が素晴らしかった。人物同士の関係性に音楽がつながっていた。

 「スターウオーズスカイウオーカーの夜明け」は、1977年に登場した記念すべき第1作から42年、エピソード9となって完結を迎えたのだ。数作かのスピンオフ作品もあったが、オリジナルの3部作後に16年ぶりに前日譚として3部作、さらに新旧3部作の後日譚として全9部作で完結したのだ。第1作が登場した年は、小生42歳、仕事人間の真っ最中だったが、少なくともその3部作は映画館で観た筈、その後の3部作はレンタルビデオかTVか?。最後の3部作のうちの2作は、昨年12月20日27日に日本テレビで放映したのをしっかり観てから映画館へ。スターウオーズ最大の魅力はジョン・ウイリアムズの音楽だろう。序曲をはじめオペラのライトモチーフ技法を用いた人物毎にメロディーに特色があり何れも魅力的。最後の3部作は女性レイが大活躍するが、その最終作は、第1作からの原点へのリスペクトが感じられ、これまでへのオマージュがふんだんに折り込まれる中で、ダークサイド帝国軍と反乱同盟軍との戦いに決着をつけたのだった。あとで分かったことだが、8・9作目の監督ライアン・ジョンソンは、先日gisanが書かれた「ナイブズ・アウト」の脚本監督で、脚本ではアカデミー賞にノミネートされているとのこと。成程「スターウオーズ」最後のまとめ方が最高だったことに納得がいった。しかし歳は争えない。耳をつんざくばかりの音響。
画面の殆んどがアクション。若き頃、血わき肉躍る興奮が、残念ながら騒音に近ずいてきたことも正直なところと言うのは辛い。

 「ダウントン・アビー」NHKのTVで、貴族や使用人たちの人間模様を毎週観ていたが、映画は、TV最終回から、2年後、国王と王妃が訪問するという手紙が届くところから始まる。手紙は蒸気機関車の音と共に、英国の田園風景を蒸気が白く立ち上げながら走るという素晴らしい出だしと共に届くことになる。しかしこれはTVの第1話の開幕でダウントンアビーの相続人が、タイタニック号沈没で死亡したとの報が、蒸気機関車の走りから話が始まったことを踏襲したのだ。映画は国王夫妻の訪問を主軸に、国王暗殺計画のサスペンス、恋愛、使用人同士の諍い等を含め、華やかな衣裳やダンスパーティ等TVとは違った豪華さを楽しむことが出来た。

 「キャッツ」は、路地裏に捨てられた主人公の白猫ヴィクトリアに、ロイヤルバレー団のプリンシパル、フランチェスカ・ヘイワードを起用した以外は、有名俳優陣が出演。それが人間のプロポ-ションを持ち、全身に毛皮をまとった猫人間として、しなやかに身体をくねらせる半人半獣のこの世に存在しない生き物が何か不気味な存在として賛否両論が巻き起こったとのこと。映画は白猫ヴィクトリアからの目線で描き、圧巻の「メモリー」は孤独な娼婦グリザベラに扮するジェニファー・ハドソンの熱唱に酔いしれることになるが、映画化に当たり新たに作曲された「ビューティフル・ゴースト」が、メモリーを補填する歌として奏でられる。ダンスシーンでは華麗なるタップシーンを線路上で見せたり、擬人化したゴキブリが小人の踊り子らしく踊りまくる。名女優ジュディ・デンチ扮する長老猫を中心に大勢が踊り、最後に「メモリー」を歌うグリザベラを天上への旅たちに選出する部族の母親のような存在は、現在のエリザベス女王の貫録を彷彿とさせるのだった。

(編集子感想)毎回思うのだが、小泉さんがこんなに映画や音楽の造詣が深い人だとは想像もしていなかった。ご本人はすでにご記憶にないというのだが、五色スキー合宿最後の夜、卒業生壮行の宴会で、たしか相方はトッパさんだったか椎名さんだったか、このあたりこっちも記憶にないが、ラクダのズボン下姿でやられたパントマイムはただ、ただ、おかしくて、全員爆笑哄笑が絶えなかった。そういうことしか覚えていない小生が悪いのだろうが、これほどイメージの変わった人は80年の人生の中でもはじめてである。先輩、今後とも相変わりなくお付き合いのほどお願い申し上げます。

”ナイブズ・アウト” を観てきた

しばらくエーガにいってないよなあ、なんかない? と二人で夕刊を見て、ダニエル・クレイグが出る、というのがきっかけで府中シネコンへ出かけた。本格的推理劇、しかも密室ものとなるとどんな展開になるのか? クリスティものやらコロンボ警部シリーズまで、テレビでは毎日といっていいくらいミステリをみているが、やはり映画館で見る映画、となると期待が違う。

今までもいくつも推理小説の映画化は見てきたがハンフリー・ボガートとローレン・バコールの ”大いなる眠り(映画の日本語タイトルはどういうわけか”三つ数えろ”なんてものになっている)”、クリスティの ”オリエント急行” ”ナイル殺人事件” ”地中海殺人事件” の3本、エルキュール・ポワロをそれぞれ違った俳優が演じたものが原作の雰囲気を残していて面白かった。。チャンドラーものでは ”さらば愛しき女よ” のロバート・ミッチャムがほかの作品とは全く違った、哀愁を感じさせる演技で感心したものだったが、この ナイブズ・アウトがどんなものか、なによりも007しか印象にないクレイグがどんなものか、楽しみだった。原作のことは全く知らなかったが、ほかの作品にくらべて探偵役の出番はあまり印象に残らず、クレイグは正直、期待外れだった。このつぎの007が春には公開というので、やはりそちらへ出向くことになりそうだ。

前もって知識もなくて見たので、タイトルが何を意味するのかも知らなかったが、現場で原文をみてああそうか、と膝を打った。ナイブズ、とは KNIVES つまり KNIFE の複数形だったのだ。たしかに映画の中では道具の主人公はナイフであり、画面もナイフではじまりナイフで終わる。かなりクラシックであるけれども、現代ものらしく携帯電話が活躍したりカーチェイスもあったりするので、その分救いがあって、陰惨な雰囲気にはなっていなかった。

ストーリーの展開で言えば外部から2階へはしごをかけて侵入するシーンがあって、そのとき、はしごの一部がこわれてしまう。その破片を飼い犬が拾ってきたのをクレイグが見つける。見ている方はここで ! と思うはずだが (これから見る人のためなぜかは伏せる)クレイグはその心配をよそに全く違った結論を出す。見ている方は、実はそのヒントを見ているのだが、僕の場合はすっかりわすれてしまっていた。この辺が映画というツールが提供できる面白みなのだと思わされた。

もう一つ、最後にクレディットタイトルを見るまで気がつかなかったのだが、重要人物のひとりがかの ”サウンド・オブ・ミュージック” のクリストファー・プラマーだったのも嬉しい発見だった。やはり人間、美男俳優と言えども時間は公平にながれるものだ。

見終わったら行こう、と決めていた府中のうなぎ屋が休業。結局、我が家近くのなじみの店で鍋ものをつついた。年始につづいてのハプニングで終わった映画行だった。

Fair か Equal か

ここ数日、新聞は新型ヴィルス関連の記事で一杯だが、経済面では経団連発の賃金体系改造論が目を引く。これに対しては当然労働側からの発言もあり、どのような形になるかは別として、先回も別のテーマで書いたが、いわゆるグローバリズム (と私見によれば大衆社会化)の浸透によって日本の在り方の変革が否応なしの問題となっているのはあきらかである。

同一労働同一賃金か、安定雇用重視かという論議はそんなに新しいものではない。僕たちはいわゆる”外資系”の環境に放り込まれ、”アメリカ型経営法”の現実にぶつかった1970年代ころからまちがいなく意識していた。

人権重視、法治国家、民主主義、といった原則について異論を唱えるものはなかったにせよ、現実問題として賃金体系、その根幹にあった家族主義的経営となるとこれは観念や主義の問題ではなく文化の問題になってくる。かのキプリングは結局、東は東、西は西 という有名な文句を残して歴史から退場したが、その後の世界大戦やらそれに引き続く現代にあってもその壁は依然としてある。その根幹にある差異は、つまるところ、”公平”という概念を ”fair” を基準として判断するか、”equal” なのかに尽きるのではないか、というのが僕の感想である。同一労働同一賃金、というのは当然、fair を基準とした論議であり、終身雇用は家族主義=運命共同体的な、日本古来の文化を尊重した体系、さらにいえば、弱肉強食の論理にもとづく狩猟民族の倫理と、集団運営が基本の農耕民族の倫理の対決になってくるのだろう。

前者の倫理に基づいた社会には当然、階級制度が生まれる。この 階級 という単語にも解釈によってはいろんな議論があるのだが、昨今の議論は 格差 という用語に置き換えられているように思える。その根源は正にものごとを判断する基準が fair なのか equal なのかということになるだろう。

勃興期というか拡大期というか、部員数が飛躍的に増え、女性部員が急増した僕らの時代の慶応大学ワンダーフォーゲル部にあって、体力差とかいろんな問題に直面した女性部員の立場を明確に定義したのは、33年卒の小林(現松下)千恵子先輩の有名な ”私たちは区別してほしいが差別してほしくない” 宣言だった。このような基本倫理が何なのかが、今の社会には求められるのではないか。賃金体系にしても、何回か議論した英語教育論議にしても、ある種の 区別 を前提に議論する、ということが必要であろう。

僕はアタマの体操として週一度、英会話のレッスンを受けている。個人教授ではなく自分の都合にあわせてインストラクタを選べるシステムなのだが、結果としてロンドン生まれの(自称)アクセサリデザイナで日本女性を妻に持つ男との接触が一番多い。毎回、いろんな議論を双方から持ち出すのだが、一度、イギリスが基本的に階級社会であることをどう思うか、と聞いたことがある。この青年の解答は明確だった。ああ、確かに階級はあるよ。俺は労働者階級だと思ってるし、それを疑問に思ったこともないね。やつら貴族階級がいることも別に不満に思ったことはない。それぞれが一番やりたいようにやってるからね。ずっとそれでやってきたんだから、それでいいじゃん、というのである。言っておくが、僕の見方で行くとオリバー・ワトソン君は日本的に言えばばりばりの知識階級の一員であり、日本でいえば自分を労働階級、という単語で定義するには逡巡するグループに属する有能な人物である。彼のような考え方が、どうも僕の知る限りでは英国でも、アメリカでも主導的なようだ。

日本の賃金体系や労働環境がどうあるべきか、それを論じるのは、幸か不幸か、僕らの年代の任務ではなくなった。課題はこれからの世代が fair を基準とするのか equal を社会運営の基本原理とするのか、ということになるような気がする。

 

 

 

 

“大衆社会” の到来

1月6日付けの読売新聞は2面を割いてポピュリズムの過熱、ということを論じた。ポピュリズムについては昨年、いくつかの投稿をもらって論じたこともあるが、この記事を読んで、現在の世界を蹂躙しているのがグローバリズムを信奉する大企業の行動であり、その結果生まれた多極化と格差の拡大である、ということを改めて認識した。硬くて面白みのない議論だが、この記事を読んで感じたことを書かせてもらう。

昭和33年、経済学部に進学はしたものの、経済学そのものには僕は魅力を感じなかった。いまでは死語になってしまったのかもしれないが,”近経”(近代経済学派)と”マㇽ経”(マルクス経済学派)との論争が華やかだったころで、塾にも福岡さんとか大熊さんといった売れっ子的教授のゼミに人気があったし、数理経済学なども登場したころだ。僕はこの風潮には魅力を感じず、社会思想史、という経済学部としてはやや傍流のゼミナールを選択。ワンダーでは翠川(4年次には彼のオクガタたる運命を背負って紀子君も参加)と一緒だった。

社会思想史、とは、基本的には人間社会をより良くするための社会改革に、歴史上どのような論理・学説が説かれてきたかを学ぶことである。僕がこの分野に興味を持ったのは高校3年の時の選択科目で,エリヒ・フロムの ”自由からの逃走” を読んだことがあり、民主主義という思想が実は危機に瀕しているのだ、ということを知ったのがきっかけだった。卒業論文は”エーリヒ・フロム研究” という怪しげなものだったがなんとか及第できた。その論題は、現在の民主主義社会は早晩崩壊し、”大衆社会” に移行するだろう、ということにあった。

民主主義とは、社会を構成する人間が理知的な判断に基づいて情報を得、判断し、その結果に基づいて社会を運営する、ということを基本にする。問題はその判断をするための、偏りのない客観的な情報なり知識なりがどうやって得られるか、という点にある。フロムの論点は、現代社会においては、人々が判断の基本とすべき情報が、偏りのない形で得られることはなく、民主主義の結果だと信じられている人々の行動がすでに何らかの形で、意図的に誘導されてしまっているのだ、ということにある。独裁国家であれば、その主張は独裁者が作り出すものであるから、すなわちその社会の権威は誰か、がわかっている。これに対して現代の民主主義体制では、そういう明確な権威者は存在しえないことになっている。それでも何らかの方向に人々を誘導するものが確かに存在する。それをフロムは ”匿名の権威” と呼ぶ。そしてそれは結局、マスコミニュケーションであり、人々は明確な理由がない限り、それが誘導する方向に進んでしまう。とすれば、社会を動かすのはすでにエリートや有徳者ではなく、自分自身では意思を持たない、大衆になってしまう。この形態が大衆社会とよばれるものなのだ。このことについて、フロムは Are we sane ? (われわれは正気だろうか?) と問いかけ、彼の主著とされる The Sane Society という本を書いた。

フロムはこの民主主義の破滅を ”自由からの逃走” と呼んだのであり、その実例として、欧州人が理想と考えたワイマール政府がヒトラーによって壊滅したことを挙げる。そしてこの“逃走”が、民主主義の権化と信じられているアメリカや西欧諸国において進行しているのだ、と警告し、そのきっかけとなり得るものはマスコミの拡大と個人の組織への従属にあるとした。フロムがこの本を書いたときには、マスコミとは新聞でありラジオであり、せいぜいテレビだった。現在はSNSという怪物が存在し、個人の考えや宣伝が直接、個人に届く時代、米国大統領がツイッターで発信する時代である。マスコミ、という組織的媒体はその可否はともかく、一定の客観性を保ち得たのだが、その存在意義はすでに二次的なものになりつつある。その結果、読売の記事が嘆くように、世界中がいまや過多の情報とそれに対する個人の情緒的反応とに左右されるポピュリズムそのものに動かされている。まさに大衆社会がついに到来したのだ、と思わざるを得ない。

全くの偶然から、いまや、代表的グローバル企業と目される外資系会社でサラリーマン生活を終えた人間としては、どうしても ”グローバリズム” なるもののダークサイドのことを考えざるを得ない。読売の記事が書いたように、格差の問題は日本はまだ救いがあるようだ。日本発、日本製のグローバリゼーションも数多いなかで、この日本的解決が何とか生き延びていくにはどうすればいいのか。いままで 外国語を学ぶ という論題で、日本でのありかたを多少論じてきた。欧州かぶれ、鹿鳴館的行動を排し、倫理と民度の高さにもとづいた行動を通じて大衆社会時代に毅然として対していきたいものだ。

 

外国語を学ぶということ (6)  (36 大塚文雄)

日本語に限らず、寸分たがわず外国語に訳せない言語は世界中にも結構ある。 欧米は多民族・多言語国家だから、 わざわざ5W2Hで話さない 日常茶飯事 では適訳がないのは普通。補足として最後に”OK?”か”Please”をつける。 仲間内であれば「そこをなんとか。ネ、いいでしょう」、目上であれば 「そこをなんとか。お願いします。」 になる。

ネット検索をすると、 「そこをなんとか」 は ”Somehow there” とあります。 thereが「そこ」で、 Somehow が「なんとか」だから 「そこをなんとか」と思います。Thinkを頭につけて、”Think somehow there”なら 「そこをなんとか考えて」 で  「そこをなんとか」にピッタリ合う。  ”Think someidea there” となると具体性がでるけれど、「そこをなんとか」自体は変わらない。
私の経験では、アイルランドの陶器屋さんの経営会議でテーマは決まったけれど、実行する方法を描き出せないで困っていると、社長がにやりとしながら、”Think somehow there, Fumio”と言って担当が決まったことを思い出します。「なあフミオ。なんとかしてよ」ということです。
Fumioにpleaseをつければ、「そこをなんとかしていただけますか、フミオさん」になる。
  “Think somehow there”は「そこをなんとか」の90%適訳とおもうけれど、いかがでしょう。ただし、忖度ではなく、「明案とか法の抜け道をみつける」 ニュアンスと理解しています。

外国語を学ぶということ (5)  (47 関谷誠)

1/6付けの「外国語を学ぶということ(4)」を拝読させていただきました。「そこをなんとか」は英訳できないとのご指摘を読んで皆さんに馴染みのないポルトガル語の表現・言い方を思い出してしまいました。外国語を学ぶということ、の面白さ、楽しさの例としてお読みいただければと思います。

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ブラジルで使われているポルトガル語に”jeitinho brasileiro”<ジェイチンニョ・ブラジレイロ> と云う表現がある。単語”jeito”は辞書に「方法、手段、様子、性質、巧みさ、振る舞い等々」とあり、また名詞に”inho”を付けると「愛情、親密さ、軽蔑等々」の意味合いが込められる(”Makotinho”は「マコトちゃん」とでも云える表現になる)。また”brasileiro”とは、ブラジルの、とかブラジル流、を表している。

この”jeitinho brasileiro”<「ブラジル流jeitinho」>は謂わば「そこをなんとか」のニュアンスで良く使われ、英語では”Brazilian way ”とかに訳される。とあるブラジルの蘊蓄集は(以下”jeitinho brasileiro”を(JB)と記す)次のように解説している。

(JB)は咄嗟の課題対処方法を意味し、ほとんどは形式ばらない、ブラジル人が問題を解決する術である。この(JB)はおかれた状況によってマイナス側面要素がある一方でプラス面もある。

1946年、ある外国人がブラジル領事館にビサの申請を行った時に「そこをなんとか」とお願いしたのが(JB)の代表例としてあげられている。当時、ビザ取得の手続きをスムーズに進めるには職業を「農業従事者」とするのが一般的だった。ところがある申請者は実際には医者だったにも関わらず「百姓」で通してもらったとの事。これがブラジル流やり方、生活スタイルのプラス的な代名詞になった。

マイナス面としては腐敗・汚職、教養のなさ、公徳心のなさ、狡猾、悪趣味等と関連する。 ここで(JB)とは、自己利益のために第三者をだます行為である。多くのブラジル人は、「なんとかなるさ」の概念を、難しい問題、局面を正しくない方法、規則や法令さえも違反して実行する。

問合せの為に銀行に行くが、長蛇の列に遭遇してしまう。自分の要件は「簡単」「単に問い合わせをするだけ」でもあり、列に並ぶことはないだろうと考える。こうして、長蛇の列で待つ者の目を無視して、直接窓口に赴き、非難ごうごうの中、何食わぬ顔で要件を済ませてしまう。正しくは、要件が簡単か否かに関わらず、他の顧客と同様に列に並ぶべきであろう。自己の問題解決の為に、(JB)で間違ったやり方で、他の顧客をないがしろにする自己中。

(JB)はこの例のように不愉快なことをもたらす要因となる一方で、ブラジル人のもっとも優れた気質を表す。ブラジル人は陽気で開放的な性格が特徴であるが、確かに、他国の人々に比べ、ストレスを感じるような局面においてさえも、形式ばらず、平静を保てると云える。プラス面の要因として、(JB)は人生を軽く、創造的、柔軟にそして楽観的に導く考えであり、あらゆる社会的規範を尊重しながら問題解決することである。

家族が週末を避暑地で過ごす楽しみとしてビーチでの日光浴、トレイルランニング、その他の野外活動等々を前から計画していた。旅行の前日、天候が急変し、太陽の下での計画を取り止めなければならなくなってしまったが、この家族にとって、これは問題ではなかった。即刻、週末の計画を見直し、室内での楽しみ(ボーリング、ゴーカート、等々)に切り替えた。言い換えれば、計画の突然の変更に腹立つたり、残念がったりせず、それでは、可能な範囲、方法で「そこをなんとか」と別の楽しみ方を考えるのがブラジル流だ。

いろいろな議論はあるにせよ、(JB)はブラジル人が特定な課題、任務、状況、問題までも解決する能力として良く使う表現である。

ただし、最近では(JB)は「創造性」の同義語から「悪意・不誠実」に変化してしまったようだ。トランプさんにしろ、キムさんにしろ、イランの指導部の皆さんにしろ、プラス面での“jeitinho brasileiro”を発揮してもらいたいものだ。一方で言えば、ゴーンの自己中の身勝手な行動はまさにJBのマイナス的 ”そこをなんとか” のように思えるのだが。

 

外国語を学ぶということ (4)

以前、”そこをなんとか” という言葉は絶対に英語にならない、と言われた話を書いた。今朝、自習をしている清野智昭氏のドイツ語参考書の中で面白い記事に出会った。タイトルは ドイツ人は悔しがらない? という一文である。

清野教授は授業の一環として学生に演劇作品のドイツ語訳を書かせておられるのだが、そこで出会ったことだ。たまたま、課題として太宰治の ”走れメロス” を選んだ時、王様との間で行き違いが生じ、そこで ”メロスは悔しがった” という一節がどうしても翻訳できない。アシスタントのドイツ人も ”悔しいって何?” と聞くので、苦労した結果、行きついた文章が(ドイツ語をご存知ない人には申し訳ないが原文を引用しないと話がすすまないので書く) Meros argerte sich uber das Misstrauen des Konigis という一文だった。Misstrauen des Konigs というのはメロスに無理を言った王様の不信感、uber は英語で言えば over に当たる。ここで使われた動詞が argerte sich ということで、辞書を引くと 怒る という訳語になる。日本有数のドイツ語の大家がアシスタントに何回説明しても、そういう時にはこの動詞しか使わない、というのだそうだ。そのことを学生に説明すると、次にでてきた質問は、じゃあ、ドイツ人は悔しがらないんですか? ということだったというのだ。

清野氏はこう書いておられる。

本当にドイツ人は悔しがらないのでしょうか。もしかすると、私たち日本人は、たまたま ”悔しい”という言葉があるから悔しがるのかもしれません。(中略)日本人の私は 悔しい というのは人間が持つ感情のうち最も基本的なものの一つであるように感じます。その言葉を持たないドイツ人には心の機微が感じられないのだろうかとも思ってしまいます。いやいや、それは早すぎる結論です。単に私たちがドイツ語をきちんと理解していなかったからかもしれません。sich argern = 自分が肯定したい価値観や物事の成り行きが否定されることによって引き起こされる不満足感や感情の高まりを感じること。怒る、悔しがる、むかつく と辞書に記載したらどうでしょうか。結局、私たちはドイツ語を理解しているようでも、最初に覚えた日本語の訳語でドイツ語の解釈を規定していることが多いものです(後略)。

(中略)いつも思うのですが、学生は日本語で言えることがすべてそのままドイツ語で言えるという前提を持っているようです。そんなことは決してありません。どう考えても,その概念にぴったり合う一語をドイツ語の中に見つけることが不可能なこともあるのです…….

僕らが半分(以上かな)遊び半分で困るくらいならいいのだが、このようなことがビジネスや国際関係の間で起きる、起きている、ということはもちろんあるのだし、その結果が、だれもが想像もしないし望みもしない結果を引き起こしてしまう、ということも十分あり得る。トランプ君とミスターキンのやりとりを読んでるとどうもそんな気がしてくるのだが。

 

 

椿と山茶花はどうちがう?

例年、元日か2日に夫婦で深大寺へ初詣にいくのがここのところの年はじめになっているのだが、今年はいろいろと用事ができてしまい、今日5日になって出かけた。バスで行った都合でまずは神代植物公園(なぜ深大寺の隣が神代なのか、以前説明を受けたことがあるのだが忘れてしまった)へ立ち寄ることにした。この時期、どんな花があるのか、予備知識もなく入園したら、牡丹と山茶花の特集というのか、特別の展示をしていた。この時期を代表する花、ということなのだろう。

その中に 椿と山茶花の見分け方、というコーナーがあった。実はだいぶ前のことだが、月いち高尾の打ち上げのとき、なじみの天狗飯店にデザートメニューに汁粉とぜんざい、というのがあって、この二つはどう違うか、大激論になったことがあった。これは40年の藍原君が事細かに調べてくれて結果は本稿にも掲載させてもらっているが、この2種の花についてもこの時のことを思い出し、あいちゃんの顔など思い浮かべながら、まじめに説明を読んでみた。結論は花芯部分が違うということで、椿は雄蕊と雌蕊が重なってついているので、筒状であるのに、山茶花は雄蕊雌蕊が明確に分かれていて結果として花芯の部分がひろがっている、ということだ。それでは、と少し離れたところにある つばきさざんか園 へ行ってみて現物をよく見て納得した。

この次は初夏に来て ”いずれ あやめか かきつばた” をくらべてみるか、ついでに ”立てばシャクヤクすわればナンとかてえ比較もしてみようか”などと笑っていたら、不意に花の落ちた椿に行き当たった。

およそ花などには知識のない自分だが、この花を落とした椿の一本には花そのものというよりもなんだか一つの生命体のありようを見ているような、妙なセンチメンタルな気分にさせられた。それと同時に、椿の花の散りようが兜首が落ちるようなので、武士の家には椿は植えないのだ、という話をどこかで読んだことを思い出した。なるほど、と感心しているうちに ! と気が付いた。三船敏郎と仲代達矢の決闘シーン、日本映画で初めて、刀が人間を切り裂く音を出したということで話題になった、かの ”椿三十郎” のことである。あのストーリーのメイン部分が展開されるのは隣り合った武士の館であったのに、その庭は、映画の題名通り、椿がチョー満開だったではないか。これはどういうことだ? という疑問が出てきて、そんなことを考えてる間に肝心の牡丹もろくに鑑賞せずに出てきてしまった。

三が日はもっと混んだんだろうな、と思われる雑踏で蕎麦屋は超満員、甘酒も飲まずに(なんと人の足元をみやがって、スチロールカップ1杯400円、というのに頭にきたこともあって)つつじヶ丘駅まで戻り、エキナカの蕎麦屋で食べた遅い昼食がカレー南蛮。これはいったいなんだったんだろうかと反省しつつ帰宅。妙な初詣であった。

”とりこにい” 抄 (5) 2年 夏の妙高あたり

大学1年の冬、同期の仲間 翠川幹夫の父上が出資された妙高高原のホテル、”燕ハイランドロッジ” の開業にあたって手伝いという名目で長期にわたって滞在させてもらった。飯田昌保なんかもこのうまい話にのっかった同志である。

燕温泉に入るのさえ大変だったころで、積雪は現在から想像できないほど多かった。スキー客は赤倉からリフトを乗り継いでやってくる。その出迎えとか、荷物を運ぶとか、初心者にスキーの履き方を教えるとか、いったことをしていた。豪雪に遭遇し、赤倉へ行く道で表層雪崩に巻き込まれたこともあった。

(創業直後のハイランドロッジ。お嬢さん方の出迎えなんかをやっていた。当時最新流行のスキーモードにご注目)

ミドリとの付き合いが始まったのはこれがきっかけで、夏場にはそれまで無縁だった妙高周辺を歩くことができた。 そのころの雑観を書いたものが出てきた。いつだったか、場所がどのあたりだったか、薄暗い捲き道を通り過ぎてたどり着いた草間地だったような記憶がある。精神的に安定していなかった時期の鬱屈がにじんでいるような気がする。

 

湿原にて

 

夏の午後  モウセンゴケとの戯れに飽いて

俺は 湿原の中に立ち尽くした

ダケカンバの林を抜けてたどり着いた

亜高山帯樹林の一角に立てば

時間よ - 貴様はまた

このかぐわしい晩夏の 午後の風に隠れて

針葉樹林のかなたへ逃げようとするか

それともまた

明日を約束するあの積乱雲のかげへか?

忘却と追憶の間にビブラムをおけば

夏の午後

西の空はすでに紅

 

今日は大晦日、令和元年のおわりである。スキーの無い冬も2回目になる。改めて燕に通っていたころのひたむきな気持ちが思い出される。あと45分後に始まる新しい年はどんなものになるのだろうか。