今日は既にロシア軍はウクライナの15か所を攻撃し、
プ-チンはウクライナ軍隊に向かって、”
ヨ-ロッパは経済制裁をするべく色んな策を講じていますが、
21世紀にもなって何ということでしょうか。
私の親友のフランス人夫婦は3人のロシアの子供たちを養子にして
日本は自由な国です。私もフランスにいて良かったです。
(編集子)平井さんはKWV44年卒組 安田君の旧知の間柄、以下、同君より:
僕の現役時代の秘書の従姉妹で1990年代パリ訪問の際初めて紹介されて以来の付き合い。
旧き友集い語ろうは 過ぎし日の旅山の想い (投稿は著者あてメールでお願いします)
今日は既にロシア軍はウクライナの15か所を攻撃し、
プ-チンはウクライナ軍隊に向かって、”
ヨ-ロッパは経済制裁をするべく色んな策を講じていますが、
21世紀にもなって何ということでしょうか。
私の親友のフランス人夫婦は3人のロシアの子供たちを養子にして
日本は自由な国です。私もフランスにいて良かったです。
(編集子)平井さんはKWV44年卒組 安田君の旧知の間柄、以下、同君より:
僕の現役時代の秘書の従姉妹で1990年代パリ訪問の際初めて紹介されて以来の付き合い。
毎年2月20日近辺には、近所の大倉山公園では、観梅会が土日の
まあ
彼独特の思想展開から書かれた本ですよね。
浅間山荘事件から50年。アカイアイ朝日が書くという。新聞は不
安田耕太郎さんが書かれているように百田尚樹と聞けば、似通った
「菊と刀」に思い入れ過ぎた米の國。あの時何故天皇制を残したか
黄色ンボーノ日本人は酷い眼にあった。まぁ野口英世・北里柴三郎
今朝の読売一面の見出し、
(47 関谷)上・下を読了しました。著者は、史実をベースに(噂によればWikipedia等々からの参考情報をもとに)、持・自論を織り込まぜながらの、見事なstorytellerですね。
雷同、又は、批評する積りは全くありませんが、男系万世一系の天皇崇拝、愛国心、国粋主義、白人至上主義への反発、反共、GHQ押し付け憲法改正等々の持・自論を如何なく展開。IF、これが教科書として認定されたら、「歴史認識」を巡り某国々と戦争になりかねないでしょうね!
確かに、人生のホームストレッチかかり、海外生活が長かった私にとり、著者が述べている;〈感謝の念をささげたいと思うのは、我が祖国「日本」と、この国に生き、現代の私たちまでにつないでくれた遠い父祖たちです。古代より、この島に生まれた人々が日本の風土に育まれ、苦労を乗り越え、永らえてきたからこそ、今の私たちがあるのです。そして私もまた未来の日本と日本人へと生をつなげ、国をつなげる環の一つであること、その使命の重さを感じています。〉
(42 下村)[新版]日本国紀、床に入りながら読みはじめ中々進みませんでしたが、ようやく上巻を読み終えました(初版を大幅に加筆修正したとありますが、どの部分をどのように加筆修正したのか興味のあるところですが調べてはいません)。
著者は「物語」と言いながらも、「神話では・・・」とか、「・・・と言われていますが、文献資料はありません」とか、「異論もあります」といったように客観的に冷静に歴史を読み解こうとしていること。また膨大な文献を参考に上げていることなど歴史に取り組む姿勢に慎重さがうかがわれ好感がもてました。
従って各時代で起こった歴史的な出来事についての解釈や説明は、これまで学んできたことやテレビなどで取り上げられている歴史ものとほとんど同じと感じましたが、古事記や日本書紀については日本の草創期のことが神話的な事を含めて書かれている、というぐらいの認識しかありませんでしたので、特に興味深く感じたところです。
歴史書を読んでいつも思うのは、昔の人は海を非常に身近に感じていて、朝鮮半島や中国大陸を遠いところだとあまり感じていなかったのではないかということです。航海術の発達していない時代ですから実際には大変な思いをして海を渡ったのでしょうが、2000年以上も前に中国に遣いを出したり、その後も朝鮮半島に兵を派遣したりと。また日本を統一したばかりの秀吉が朝鮮に大軍を送り込むなど、向こう岸の見える大川を渡るがごとく海を渡っていく。本当に驚嘆します。
下巻は僅か150年前のことから始まるわけですが、明治以降の出来事についてはいろいろな解釈があるようで、楽しみにしつつスタートします。
(普通部OB 菅原)取り敢えず、「日本国紀」の第十三章(敗戦と占領)を読んだ。冒頭、江藤淳に触れていたので、安心して読み進めた。これを読んで、何故か「下山事件」を思い起こしたが、ここではそれには言及しない。
それにしても、日本は、米国のWGIPに見事なまでに洗脳されて今に至っている。その一例が憲法だ。公布されてから75年が過ぎても、洗脳された護憲勢力に遮られて、一字一句も、今に至るもそのままだ。そんなに、この憲法を押し付けた米国が有難いのか。
そこで、小生、非常に気になることがある。WGIPが極めて効果的だったことから、同じようなことを、今、中華人民共和国は日本にやっているのではないかと言う危惧だ。例えば、朝日新聞は、あたかも人民日報の日本版と化してしまったかのようだ。日本は情報戦争の草刈り場になっているのか、誠に情けない。
北日本の豪雪ニューズの中、今朝の東京は抜けるような青空であたたかだった。
いつもの散歩ルートで道端の小さな草間地に霜柱を見つけた。かつては都心でも冬になれば当たりまえの風物だったが、最近はあまり見かけない。そんなものに出会うと全く忘れていた記憶が蘇って来るのは誠に不思議なものだ。
昭和22年、満州から引き揚げてきた一家は大田区南千束の伯母の家に同居させてもらっていた。伯母夫婦、従兄弟夫婦と三所帯がどうやってすみ分けていたのか記憶にないが、今では瀟洒な住宅地も当時は一面の焼け跡で、冬は家の残骸にこびりついた、霜柱で固まった泥の塊を投げつけあった記憶がある。そのころの悪童ふたりと中学3年生の時、当時所属していたラグビー部の対外試合で全く予想もしていなかった再会をしたことがあった。その後は二人とも素行不良で放校され、暴力団でいい顔になったとうわさで聞いた。人生の暗転、というのだろうか。
当時の小学校ではよく學校単位で文集が作られたりしていた。その一つに載った1年下の女生徒の俳句が素晴らしいとされたことがあった。その句は未だに覚えているが、
ポケットに 手をいれて踏む 初氷
というものだった。昨夜の夕食が何だったかも覚えていないのに、なぜこんな記憶が残っているのだろうか。人間の記憶というものの不思議さを改めて感じる。
高尾山歩きで地元のガイドさんについてもらって草花の話を聞いたことがある。シモバシラ、という花のことも確かに聞いたことだけは記憶しているのだが。
”置き配とタブレット” 稿についていろいろな追稿をいただいたが、中で犬・猫との共存についていろいろな情報が寄せられた。日本では各自治体の保健所がその始末にあたっているが、その実態について一般人はあまりよく知る機会がなかった。一般企業を卒業されたあと保健所現場での体験をされた斎藤さんからの情報である。今後、視野を広げて保健行政の現場について、同氏の発信に期待したいと思う。
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■ 犬の糞尿
保健所に入る苦情は、犬猫の糞尿に関することが多いと前の投稿に書きました。ネットで調べてみますと、平成29年度インターネット都政モニター「東京におけるペットの飼育」のなかに、「Q10ペットによるトラブル」と言う項目がありました。
https://www.metro.tokyo.lg.jp/tosei/hodohappyo/press/2018/01/29/01.html
他人のペットが原因で被害を受けたり、迷惑に感じたりしたことがありますかという質問に、総数458の内半数以上の方が、「糞尿の不始末や悪臭」をあげています。犬だけでなく、猫、もしかして鳩などの鳥も含まれている可能性はあります。少なくとも、糞尿問題は多そうだということです。
そう言えば、船津さんのお話のように、公園での糞の話は、あまり聞いたことがありません。今日、少しあちこち歩いてみて、いくつか思い出しました。区立公園や区道の一部、特に人の往来の多いところなどは、週に1回以上、区と契約している会社(シルバーさん含めて)が掃除をしています。鳥の糞は残っているのですが、犬猫のものは全くありませんでした。
怒っている方からの電話の内容を思い出しますと、自分の家の何処かに糞を放置されて、堪忍袋の緒が切れて電話してきますね。駐車場の暗がり、玄関の脇、植木鉢の陰、電柱や街灯の根本。一度糞をされると、ほぼ毎日されるパターンが多いですね。時間があれば、保健所の職員が現場を確認に行き、事情を聴取し記録します。最初はエチケット看板をお渡しし、それでも駄目で、強烈な香りを放つ匂い作戦などをお試しいただきます。相手がわかっている場合だと、私達が伺ってお願いします。相手がわからず、防犯カメラを設置して、警察に届けるように話したこともありました。最終的には訴訟沙汰になったと聞いたこともあります。猫の糞尿については、これ以上に悲惨です。またの機会にお話します。
私の場合、犬の散歩を見かけることは多いのですが、シャベルと袋の代わりに、小さな帆布の手提げを持って歩いている方を見かけますね。お犬様が落とし物をすると、手提げから袋を取り出し、器用に袋に手を突っ込んで落とし物を拾っている姿を見たことがあります。ティッシュでお尻を拭いている御仁もいらっしゃいますが、拭く必要はあるんでしょうか。尿に関しては、水でしっかり流してほしいと思います。一回の散歩に500mlのペットボトル程度の量では少なすぎます。
平井さんのフランスの話しはすごいですね。ネットで検索すると、フランスの話しがボロボロ出てきます。私の自宅周辺や歩き回るところには、放置糞は数えるほどで、船津さんのお話のように、日本の実情はすごく改善されていると思っていました。しかし、担当部門に勤めてみると、残念ですが糞問題は悪質化しているように感じます。私が毎日歩いている場所も、掃除されると翌日には再び落ちています。だから最悪なのです。
犬の問題がうまく行っていないから、各行政のホームページには、必ず犬の問題の項目があります。ちなみに、東京都福祉保健局では「犬の飼い主の皆様へ」と言うサイトがあります。
https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/kankyo/aigo/dog/dog01.html
■ 野良犬
東京都では野良犬は少ないです。昭和55年度で都が保護した犬(成犬と子犬)は23,000頭あまり、令和2年度は140頭ほどです。
動物は法律上「物」なので、野良犬も遺失物として扱われます。その意味で警察も絡んだ上で、情報は紙ベースですが、都と保健所とで昔ながらの方法で共有化されています。逃走した犬など飼い主のわからない犬は、割と早く周知され捕獲され保護される場合が多いです。野犬と言われていた昔とは様子が違っています。今年6月から新しく登録される犬のマイクロチップの装着が義務化されます。いずれ情報の共有化も始まりますので、野犬はますます減るのではないでしょうか。
最近では、野良犬ではなく、多頭飼育が問題ですね。ゴミ屋敷の問題と同様、多頭飼育者の一部は、病気として扱われ始めていますが、セルフ・ネグレクトが強く関係していると言われています。
ちなみに、65歳をすぎると、良心的なショップやNPOでは、動物を売ってくれません。飼い主の体力がなくなって、保健所で引き取ってくれと言う相談も来ることがあります。実際、動物の譲渡先を探すのがとても困難であり、行政も引き取りが出来ません。最近では、老犬・老猫ホームという企業も増えてきました。犬も猫も15年以上生きるようになってきていますからね。
■ 狂犬病
狂犬病清浄国・地域(2020年)は日本以外では、オーストラリア、アイスランド、ニュージーランド、ハワイ、グアム、フィジー諸島しかありません。清浄国とは、狂犬病が発症していない国と地域という意味です。
2020(令和2)年に、フィリピンから帰国後、狂犬病を発症した方が亡くなった例がありますが、フィリピンでの感染のため、日本は狂犬病清浄国のままです。人間での狂犬病の潜伏期間は1〜3ヶ月です。発症前にワクチン接種が出来ないと、発症後数日で確実に死に至る恐ろしい感染症です。
狂犬病には犬という字が入っていますが、犬以外に、ネコ、コウモリ、アライグマ、キツネなどのあらゆる動物から感染します。噛まれるだけでなく、引っかかれるなどした場合でも感染します。海外に行かれる場合は、必ず狂犬病ワクチンを打ちましょう。犬における狂犬病予防接種は、日本では毎年予防注射を受けなければならない決まりです。しかしながら、最近の接種率は下がっているのが実情ですね。もっと、狂犬病の恐ろしさを訴えてゆく必要がありますが、現在の保健所では、いろいろな意味で無理だろうと思います。
ワンゲルの方には 1度ならず訪れたお馴染みの風景でしょうが、
(三嶋)正直に言って 9月13日~16日です。いや~本当は 書きたく無かったんです。宣言中で後ろめたさもありましたので。
当初8月下旬の計画を 9月上旬に延ばし、
さらに中旬に 延ばしたのが せめてもの言い訳です。(10人くらいの参加予定が 5名で実施しました)
(編集子)いろんないいぐさがあるよね。
百田尚樹と聞けば、似通った考え方の石原慎太郎、ケント・ギルバート、渡部昇一、田原総一郎、江藤淳、花田紀凱(元月刊Will編集長)、安倍晋三などの名前が頭に浮かぶ。最近亡くなった石原慎太郎と何年か前に対談した百田は石原に「今日の対談のタイトルは “新旧暴言サムライ!” で決まりだ」と言われたと述懐。先輩である「暴言サムライ!を失って寂しい・・・」と百田は石原との思い出を振り返り、「新版・日本国紀」を読んでもらいたかった! それが心残りだ、と石原の死を惜しんだ。
菅原さん仰るように、江藤淳ととても似た、或いは非常に近い考え方の持ち主だと思う。江藤淳の著作は1970年代に「海舟余波」次に「海は蘇る」を最初に読んだ。「海は蘇る」は、司馬遼太郎の「坂の上の雲」に続いて読んだ、19世紀の開国から日露戦争の日本海海戦まで、帝国海軍の父と呼ばれる山本権兵衛の半生を中心に、近代国家としての日本の黎明期を壮大なスケールで描いた本。それ以来、彼の専門分野の文芸評論以外では、月刊雑誌「諸君」「SAPIO」「文芸春秋」などに載った彼の持論などにも親しむようになった。彼は「忘れたことと忘れさせられたこと」、「閉ざされた言語空間―占領軍の検閲と戦後日本」、「一九四六年憲法―その拘束―その他」を著わし、GHQによる戦後日本のマスコミへの検閲、GHQの呪縛から脱皮できない戦後民主主義を鋭く批判している。日本人の在り方についても積極的に発言し、アメリカを代表する占領軍当局によって、日本は実質的に独立国家ではなくなっていると主張。また、アメリカ政府が極秘で日本弱体化計画(ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム 「War Guilt Information Program」)を進めていたと主張し続けた。まさに、百田尚樹の主張と同じだ。未だ読んでないので何とも断定的なことは言えないが、ある意味、「新版 日本国起」は我々国民に「自虐史観からの解放」を結果としてもたらす効果がありそうな気がする。或いは、もたらしたい欲求に突き動かされて著したのかも知れない。マスコミ代表のひとつ「朝日新聞」の評価と存在意義などにももっと真剣な論議をしてもらいたいとも思う。
江藤は愛妻を癌で亡くしてからは気力を失い、最後は自らを「形骸」とし鎌倉の自宅で自殺した。月刊・文芸春秋に江藤が癌と闘う妻に寄り添う自らの看病生活と心情を縷々語る特集記事を投稿した。その記事を読んで深く感慨に浸っている頃、江藤の自死が報じられ仰天したことを鮮明に覚えている。
寡聞にして充分な知見を持ち合わせてない、日本の天皇制、明治維新とは、第二次世界大戦における日本のアジア植民地解放の真実、GHQの本性・役割・影響、真珠湾攻撃に至るアメリカの遠慮深謀戦略(ハルノート、アメリカ世論を参戦賛成に誘導する必要性)、極東裁判、WGIPの本質、日本憲法、日本の真の独立、日本の民主主義などについて、もっと詳しく正しく知り、あるべき姿とは何かについても思慮したいと思う。「新版 日本国紀」がその端緒を開く助けの一つになれば幸いだ。
日本国紀はまだ読んでいない。そこで、早速、図書館に予約を入れた。ところが、待ちが、上巻は35人、下巻が29人。図書館の最大貸出期限は2週間だが、面倒なのでひとり10日間と計算しても300日前後だから、借りられるのは10ヶ月後の年末年始か。
そこで、War Guilt Information Program(以下、WGITと省略)だが、この件に関し江藤淳がやったことが極めて過小評価されているのが、誠に残念でならない。江藤は1932年生まれで、塾の文学部英文科を出た文芸評論家だ。ただし、1989年暮れ、妻が癌で亡くなり、翌年、手首を剃刀で切って自死している。その著作は数多あるが、例えば、「小林秀雄」とか「漱石とその時代」などがある。1979年、米国で、占領下の検閲事情を調査し、米国の大学教授からWGIPの写しを入手。「忘れたことと忘れさせられたこと」(1979年)、「1946年憲法―その拘束」(1980年)、「閉ざされた言語空間 占領軍の検閲と戦後日本」(1989年)などで、初めてその存在を明らかにし、日本国の憲法が米国によって押し付けられたことも含め。つまり、我々は、体よく洗脳されてしまったわけだ。ただし、江藤は文芸評論家であって歴史家ではない。従って、所謂、専門家からは等閑視されたのも無理からぬことではある。百田がその江藤に言及しているかは寡聞にして知らない。
(編集子)俺たちの年齢で10ケ月先に何が起こるか、
(菅原)そりゃー、そうだな。「カサブランカ」で、酒場の女に「今晩、どう」と誘われたボガートが「そんな先のことは分からない」って言ってるぐらいだから。喜んで拝借する。