image_pdf

エーガ愛好会 (241)ハチ 約束の犬  (普通部OB 船津於菟彦)

『HACHI 約束の犬』(原題: Hachi: A Dog’s Tale)は、2009年に公開されたアメリカ合衆国の映画。忠犬ハチ公の実話を描いた1987年(昭和62年)の日本の映画『ハチ公物語』のリメイク作品である。日本人にはおなじみの忠犬ハチ公の物語をリチャード・ギアを主演に迎え、ハリウッドで映画化。アメリカ東海岸に舞台を移し、大学教授と彼に拾われた秋田犬との絆を描く。
ハチ役は、フォレスト、レイラ、チコという名前の3頭の秋田犬で、撮影当時2歳のレイラとチコが若いハチを、4歳のフォレストが年老いたハチを演じた。また「キス犬」と呼ばれるほど愛情深いレイラや、控えめな気質でシリアスなシーンに向くフォレストなど、犬たちの性格に合わせた演じ分けも行われた。カメラワークが素晴らしく「アキタ犬」の表情を良くとらえてる。主演のリチャード・ギアは愛犬家でもあり、この映画の脚本を読んだ際、涙が止まらなかったという。今回のこの映画の主役は何と言っても「アキタ犬」で、教授よりもハチ公よりに、犬の目線で丁寧に描かれている。犬の目から見るときは「モノクロ調」に成って居て、これも良いなぁ。音楽も序盤から泣かせにくる。最後の方のハチの様子と言ったら…。これ見たら、誰でもきっと秋田犬が大好きになると思う。エンドロールの監督名を見て納得した。「マイライフアズアドッグ」の方だった。泣かせ上手。リチャード・ギアはハチと並んで画になるだけでなく、ボール遊びを教える場面の熱演ぶりもよかった。
なぜこれまでに涙が溢れるのか、
現在も、JR東日本・渋谷駅前の広場で銅像として鎮座しているハチ公。彼は1923(大正12)年11月秋田県生まれ、純日本種の秋田犬のオスで、翌年に、東京帝国大学(現・東京大学)教授だった上野英三郎博士(日本の農業土木学の第一人者)のもとに贈られてくる。
ハチと上野教授は、教授が渋谷駅で乗降するのをハチが送り迎えする程のパートナーシップを築くが、1925年5月21日に上野教授が大学で講演中に倒れて急逝。ハチは渋谷の雑踏の中で、亡き主人を待ち続けることになる。そんな彼の美談が広がったのは、1932(昭和7)年10月4日の朝日新聞の記事「いとしや老犬物語」がきっかけ。その後基金が作られ、1934年に銅像が製作されるが(除幕式にはハチ自身も出席)、翌年の3月8日、その13年の生涯を終える(亡骸は剥製にされ、現在も東京・上野の国立科学博物館で見ることができる。骨肉は上野博士と同じ青山墓地に埋葬。なお、銅像は戦時中の金属不足で一度徴収されてしまったため、現在のハチ公像は2代目にあたる)。この映画でもエンドロールの時にそのことを伝えている。今は外国人がこの前で撮影するのに行列。
そして最後のアメリカの小学校は人の前で自分の主張を発表する授業が在り、日本も最近取り入れている学校があるようだが、これが素晴らしい。孫がお爺さんのことを聞いて「忠実であることの大切さ」「愛する人を忘れない」と言う事を聞いた「ハチ」のことから私のヒーローとして紹介している。

 

(小田)以前に『おくりびと』は映画祭で観、『キネマの神様』は原田マハさん原作で沢田研二出演ということで興味を持ち、『ハチ公物語』『HACHI 約束の犬』ともにBSで観たことがあります。日本映画はあまり観ませんが、それぞれに良い映画だと思いました。
船津さんの解説で、あらためて思い出し参考になりました。
ハチ公の物語は、日本版はきちんとしたつつましやかな感じがし、アメリカ版は明るく、優しい感じがしました。アメリカは、昔から「名犬ラッシー」、イルカの「フリッパー」「戦火の馬」など動物映画が上手ですね。

たかが髪形、されど髪形 慶応高校の野球   (HPOB 菅井康二)

今年の夏の甲子園で107年ぶり(前回は豊中球場だったので甲子園では初めて)に全国制覇を成し遂げた塾高野球部の森林監督のインタビュー記事を入手したのでご紹介する(編集子:原文は長文なので編集子の責任であえて一部を削除させていただいた)。

この夏の甲子園、107年ぶりの全国優勝を遂げた慶応義塾高(神奈川)のナインは笑顔の「エンジョイ・ベースボール」で汗と涙の色濃い高校野球に、新風を吹き込んだ。これからの高校野球は「勝ち」を目指しつつも、自立心を育む人材養成面などの「価値」が求められるという森林貴彦監督に、真意を聞いた。

夏の甲子園3回戦の広陵(広島)戦で、初回に丸田湊斗選手が三塁盗塁を決めて先制したが、サインは出していなかった。彼が自分で決めた。三盗も選択肢として準備していたが、初回から(危険を冒す)サインは出せない。私よりよほど度胸、判断力がある。勇気も要るし、根拠がないと走れない。これからもそういう場面に出合いたい。
高校2年の夏、上田誠監督が『二塁けん制の動きやサインを自分たちで決めてみなさい』とおっしゃった。内野手の私と投手、捕手が練習後の暗くなったグラウンドで、ああでもないこうでもないと話し合った。自分たちで物事を進めるワクワク感は高校野球の一番の思い出だ。

チームの決め事を守り、人と同じことをするだけでは人生、面白くない。ますます価値観が多様化し、自分なりの幸せを選び取る時代になると思うので、これをやりたい、自分にとってこれが正しいと判断する感覚を野球で養ってほしい。
もちろん、ただ笑顔でやればうまくいくというものではない。頂点を目指す以上、日々の地道な苦しい練習、ライバルとの競争、試行錯誤がある。そこを乗り越えるところに、より高いレベルの喜びがある。それがエンジョイの真意だ。

頑張り度合いとパフォーマンスの関係を調べると、100%の力で走ったときに最高の速度が出るわけではない。8割の力で走ると9割の速度が出る。野球の投球でも全力で投げるより、少し力を落とす方が球速も出て、制球が定まる。全力でやるなということ。各界の達人が極意として力を抜くとおっしゃる。それと同じではないか。エラーをした野手や失点した投手が、取り返そうと思うのもよくない。それで取り返せるなら、そんな簡単なことはない。過去は切り捨て、未来を向いて今やれることをやる。練習試合では反省もするが、公式戦で過ぎたことを引きずっていいことはない。

打者が横目で捕手の位置を確認する『カンニング』は今年の甲子園でだいぶ減ったと感じたが、ゼロではない。チームではなく選手個人の問題だと思うが。高校野球の2年半は短く指導者も時間がない、急いで詰め込まないと、と思うと無理が出る。体罰を受けて育った選手が指導者になって、同じことをする。負の循環を今、食い止めないといけない。

「チームの目標は『慶応日本一』だが、その先の目的として『恩返し』と『常識を覆す』を掲げてきた。今年の選抜大会でも『高校野球を変えたい』と言って甲子園に乗り込んだが、初戦敗退。簡単に言うな、できるわけないだろう、という声があった。ただ、それをバネにして、夏こそという思いが強まり、成長の材料になった。

甲子園では選手たちの自由な髪形が注目されたが、いまだにそんなことが話題になるのかと残念に思う一方、これを入り口に(変化への)議論が進めばそれでいい、と思った。問題は髪形そのものより(無思慮に前例に従う)思考停止、旧態依然、上意下達の部分。高校野球はこういうものだという枠を誰かがつくり、枠の中でずっとやってきた。

野球がどういう人材を社会に送り出せるか、野球型の思考が今後の社会にどうマッチするのか考えると、危機感を覚える。勝つために手段を選ばないといった思考が、高校生以下の世代でも、ゆがみとして出ている。そこで打ち出したのが『成長至上主義』。ただただ勝利を目指して頑張ろう、ではなくて、一人ひとりが人間的に成長し、周りも成長させる。選手としての成長、人間としての成長が車の両輪となったら強い。それによって、実は勝利にも近づくのではないか。

「高校野球には堅苦しい部分、個性や自由が認められづらい部分がある。親の負担も大きく、(子どもに)野球が選ばれにくくなっている。甲子園は盛り上がっているようにみえて、全国の野球部や部員の数は減っている。このままの形では続かない。高校野球はスポーツの枠を超えて文化として定着し、変えるのは大変だが、我々が変われば人の育成方法なども変わるきっかけになるかもしれない。社会的な意義は大きい。

もりばやし・たかひこ 1973年東京都渋谷区生まれ。慶大法卒業後NTTへ。3年で退職し、高校野球指導者として筑波大院で指導理論を研究。2015年から母校慶応高を率い、春夏計4度甲子園出場。23年夏、107年ぶりの全国優勝に導いた。慶応幼稚舎教諭。

あえて寄り道、柔軟性養う(インタビュアーから)

慶応の選手たちが夏の甲子園を「エンジョイ」できたのは「そもそも、慶応にいる時点で半ば人生の勝ち組だから」というやっかみまじりの見方があるが、それは違うようだ。青春まっただ中の高校生であっても野球がすべてではいけない。そう考える森林監督は慶応OBなどから幅広い分野の話を聞く機会を設けている。
政府系金融機関を辞め、瀬戸内海の島で農業にいそしむ人から「都心の大会社に勤めるだけが人生ではない」と学んだ。大リーガー・菊池雄星投手の元マネジャーから、華やかな印象と違って努力の人と聞いた。強豪校が大会準備に追われている時期に、知的障害のある生徒の硬式野球への参加を進める取り組みと連携し、合同練習を行った。
あえて寄り道し、様々な価値観に触れることで「野球オンリー」にはない心の柔軟性が養われているようだ。

シャンパーニュを旅して来ました (在パリ 平井愛子)

ここはランスから車で40分ぐらいのところにある、Château de Sacy で、葡萄畑の真っ只中にある小高い丘の上にあって、本当に素敵な景色です。このシャンパン凄く美味しかったのですが、ラベル覚えていません。 ボーヌで飲んだommard Premier cru と言うのがとっても軽いながら個性がしっかりしてとても美味しいと思いました。これからは、ワインは、買うならこれを買おうと思いました。

エーガ愛好会 (240) 馬上の二人

 

先日、”地下室のメロディ” を見たとき、実は ”死刑台のエレベータ” とごっちゃにしていたことは書いた。また、やってしまった、というのがこれである。新聞で放映を知り、録画しておいてみたのだが、実は ロバート・フランシス の遺作になった ”彼らは馬で西へ行く” とごっちゃになっていて、”ケイン号の反乱” で気に入ってしまったフランシスに久しぶりに会うつもりだったのだ。ところがタイトルからして ジェームス・スチュア―ト で始まるのだから、間違いはすぐ分かった。しかし出演者を見ていくとハリー・ケリー・ジュニアだのアンディ・ディヴァインだのと,フォード一家の面々が出てくるではないか。此処でようやく、ジョン・フォードという事に気がついて、ひさしぶりのフォード節を楽しもうと腰を据え変えた。

スチュア―トと親友役のリチャード・ウイドマークが開拓民たちの中で、以前に子供をさらわれた、という話に同情して、コマンチ族のところに乗り込み、首尾よく若い女性と少年を連れ帰ることに成功する。しかし女性の方が昔のことを覚えていて帰ることに同意するのだが、少年のほうは自分はコマンチだ、と言い張って抵抗する。とにかく二人を連れ帰って、親元に返し、落着となるはずだったのだが、そのほかの開拓民は彼らを軽蔑し、露骨に差別する。そして少年はあろうことか食事用に与えられたナイフで人を殺してしまい、形ばかりの裁判で絞首刑にされてしまう。此処に至るまでの偏見やコマンチ族に対する憎悪など、現在の人種差別問題につながる暗い話題がテーマで、期待していたフォード調とはかけ離れた物語だった。しいて言えば救いはアンディ・ディヴァインの、あの ”駅馬車” 以来の変わらない飄々とした演技がうれしかったが、ま、見終わって、フォードは何を言いたかったのか、という疑問だけが残る、はっきり言って後味のあまりよくない映画だった。小泉西部劇博士のご意見を拝聴したいものだ。

感想と関係ないが、この映画を見るきっかけになった、ロバート・フランシスのことを改めて考えた。小生が見たのは,長い灰色の線 と 実質的なデビュー作 ケイン号の反乱 だけだが、灰色の線、の方の印象はほとんどなく、ケイン号での初々しい新人少尉役でのデビューの印象だけしかない。期待されながら、自動車事故で早逝してしまい、ケイン号での相手役で期待されていたメイ・ウイン(この芸名は原作での役の名前をもらったもの)もすぐ忘れられてしまった。ハリウッド全盛時代の一齣としてこのふたりのことはなんとなく心に残っている。

余計なことだが、”ケイン号の反乱” は読む価値のある本であることを付記しておこう。映画は変質狂的な艦長をハンフリー・ボガートが好演。サブキャラクタのヴァン・ジョンスンとフレッド・マクマレーに挟まれて、主人公のウイリー・キースを演じたのがフランシスである。嵐の中で起きた反乱騒動の軍法会議を裁くホセ・ファーラーの重厚な演技が印象的だった。

 

ウイキペディア解説:

ロバート・フランシスRobert Francis1930年2月26日 – 1955年7月31日)は、アメリカ合衆国俳優。 「ケイン号の叛乱」の主演等でその後を嘱望されるも、公開翌年に自ら操縦する飛行機の墜落事故にて25歳の若さで亡くなった。

出演作品[編集]

”台湾有事” とはどういうことか (赤阪清隆氏の論評転載)

(先に本稿で紹介させていただいた赤阪清隆氏の、今度は台湾問題についての論評を安田君経由でご紹介する。原文はかなり長文なので要旨のみにとどめる)

*******************

「台湾有事」を考えるのはあまり心地よいものではありませんが、とりあえず論点をいくつか挙げてみます。まず、台湾有事の可能性についての論点です。

(1)中国の意図

(2)台湾に武力攻撃があるとすれば、、いつ?

(3)武力侵攻は、どのような形で展開されうるのか?

(4)台湾の戦略的重要性と、その防衛能力

(5)米国は、台湾防衛のために派兵するか?

(6)国際的な反応、特に国連はどうするか?

2021年に米インド太平洋軍のデービッドソン司令官(当時)が「6年以内に中国が台湾に進行する可能性がある」と発言して以来,2027年という数字がメディアなどでもひんぱんに引用されるようになりました。2027年というともうあと3年ちょっとです。武力攻撃の展開の仕方については、日本国際問題研究所ほかたくさんのシュミレーションが行われています。注目すべきは、日本およびグアムの米軍基地への弾道ミサイル攻撃があることを想定する向きが多く、否が応にも日本が巻き込まれてしまうとの可能性が指摘されていることです。

台湾の国防予算は、中国の17分の一(2022年)で、兵力などの運用可能な軍事体制は中国の約10分の一程度ですが、台湾民意基金会による2021年10月の調査によれば、台湾の6割強の人々は、中国との間で軍事衝突が起きないと見ているというのは、注目に値すると思います。ひょっとして、われわれ日本人の方が台湾の人々よりも、「台湾有事」の可能性が現実に大いにありうると見ているのでしょうか?

また、米国世論ですが、2022年7月にシカゴ外交問題評議会が行った世論調査では、外交的、経済的な制裁や武器の提供を支持する人が多かったものの、台湾防衛のために米軍を派兵することを支持したのは、40%にとどまったというのも注目されます。米国の軍事的支援なしでは、台湾が中国からの攻撃に長期間耐えることは難しいと考えられるだけに、これまでの台湾への軍事的介入を確約しない米国の「あいまい戦略」を、いざという時にはどう行動に移すのかは、台湾の運命を左右する極めて重要なカギです。

そして、「台湾有事」の際の日本の対応ぶりについての論点ですが、以下が考えられます:

(1)台湾有事は、日本の有事なのか?

(2)日本の対応策は?米国との間の集団的自衛権行使の可能性は?

(3)日本は、国連を活用して何らかの役割を果たしうるか?

(4)日本の若者に、国のために戦う意思があるか?

 

このうち特に、台湾有事が日本の有事といえるのかについては、1972年の日中共同声明が重要な資料ですね。日本政府は、台湾が中国の領土の一部であるとの中国側の立場を、「十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第8項に基づく立場を堅持する」と表明しました。この結論に至るまでの大変な交渉ぶりは、栗山尚一条約課長(当時)の外交証言録などに詳しく記されています。

要するに、日本政府は、中国が台湾武力攻撃に踏み切って、これは中国の内戦であり、国内問題だと主張しても、「いいえ、その主張は認めませんよ」という主張ができるよう、ぎりぎり担保してあるということですね。「十分理解し、尊重する」というのは、法的には何の意味も持ちませんから。台湾防衛のための米軍の軍事活動を日本が後方支援する法的根拠は担保したわけです。ただし、ポツダム宣言に言及することによって、日本は、しょせん台湾はいずれ「中華民国」に返還されるべきことは認めたわけですね。

国連は、残念ながら、ウクライナ戦争やイスラエル・ハマス紛争と同様、あまり頼りにすることはできないでしょう。中国が拒否権を持った安保理の常任理事国である以上、安保理が中国を侵略国として非難するような決議は通りそうにありません。国連総会が決議を採択することは考えられますが、ウクライナ戦争でのロシア非難決議やイスラエルに人道的休戦を迫る最近の総会決議同様、総会決議には法的拘束力はなく、実効性に欠きます。

ただ、武力攻撃があった際には、それを非難する国際的な世論を喚起するという国連総会の役割は残っています。その際、台湾は国連の加盟国ではなく、また、中国は台湾が中国の領土の一部だと主張しているわけですから、台湾への武力攻撃が、中国の「国内問題」なのか、あるいは、国連憲章に言う「国際紛争」とみなすかどうかが争われると思います。前述の通り、米国や日本は、極東の平和と安全を脅かす紛争とみなすのでしょうが、中国側の主張を認める国連加盟国もかなりの数に上るかもしれません。

1950年の朝鮮戦争の際の国連の対応ぶりが参考になるかもしれません。韓国は当時国連加盟国ではありませんでしたが、安保理が法的に正当に設立された政府であると認めたうえで韓国への国連軍(多国籍軍)による軍事支援を決め(ソ連は欠席中)、次いで国連総会も中国が韓国を侵略したと認定したうえで、韓国内の国連軍への支援と侵略への追加的対策を呼びかけました。今回は、安保理の決定は中国の拒否権がありますので無理としても、総会がこれに似たような決議を台湾についても検討することが可能かどうかです。こうした事態が生じた際には、日本としても、台湾擁護の目的で国際的な連帯を呼びかけるために、いくばくかの重要な貢献をすることができるのではないかと思います。

国連とは別に、日本自身は、国会の事前または事後の承認を得て、「重要影響事態」と認定した際は、補給や捜索救難活動など米軍への幅広い後方支援が可能となります。さらに、「存立危機状態」と認定された場合には、集団的自衛権を行使し、必要最小限の武力行使が可能となります。詳細は、「平和安全法制」に関する内閣官房の説明に譲ります。

日本は、沖縄の米軍基地などへの攻撃があった際には、米軍を後方支援するだけですむのでしょうか?これも考えておかなければならない大事な論点ですね。そして、もし日本が戦争に巻き込まれて、武力攻撃を受けるような事態になった際に、自衛隊が発動するのは当然としても、日本の若者は、国のために戦う意思を持っているのでしょうか? この点、2021年の世界価値観調査(WVS)によれば、中国、ノルウエー、インドネシアなどの若者の80%以上が、戦争が起きたら国のために「はい、戦います」と答えているのに対し、日本の若者はたかだか13%しか「はい」と答えませんでした。これは、日本財団が2023年2月に発表した「18歳意識調査」報告書でも、日本を敵国が攻撃し、自分の身近な人に危害が及ぶ可能性があるとき、「戦闘員として志願し戦う」と答えたのは、13%しかなかったのとちょうど符合しています。

要するに、日本の大多数の若者は、たとえ武力攻撃が身近に迫ろうとも、戦争に参加する意思は持っていないという驚愕の事実です。これをどう判断するかは、大きな論点ですし、家族、友人との間でも侃々諤々の議論のタネとなる恐れがあります。わたしなど、「ああ、もし自分が20代であったなら、真っ先かけて。。。」と思わないではないのですが、もう遅すぎます。それに、自分は安全なところにいて、若者に危険を冒せというのはあまりに無責任です。これは人生観を問われる大問題ですね。それにしても、いざという時に、日本はどうなるのか、本当に心配ですね。だから、このような話題は、話のタネにしたくはなかったのです。お気を悪くしたとしたら、どうぞお許しください。

 

早慶戦の日、名古屋では  (33 小川義視)

10月30日(月) 早慶戦勝利、秋季リーグ戦優勝の当日でした。 久しぶりに名古屋支部ののんべえ仲間で集まる機会を持ちました。ここのところ不調気味とかで元気のない37年荒木隆司君も久しぶりの参加でした。

場所は実に名古屋市重要文化財の39年卒竹田浩己(嘉兵衛)宅、「庄九郎」東海道有松宿(有松絞)です。

今度は上高地です  (HPOB 小田篤子)

5~7日、上高地に行って来ました。昨年は行きに雨で、帰りに雪だった年もありましたが、今年は暖かく、まだ紅葉も残っていました。6日夜の大雨で透きとおった梓川は翌7日は濁流。

例年は静かな時期ですが、今年は、3連休の最後でもあり、6日の河童橋付近は街中のように綺麗な服装のベトナムや中国の人が3/4位で賑やか。バスやホテル、食堂も隣は東南アジア系の方でした。
帰りには、ホテルで美味しかったというワインを求め、安曇野ワイナリーに寄りました。半分はお土産やですが、綺麗な所です。ホテルのレストランと同じと思われる品が1/3の値段でした!

木立の間に見える 白い建物が、毎年安く 静かなこの時期に行くホテ ルです。   

(編集子)それにしてもまあ、あんたよく出かけるねえ。

コロナの去った後  (34 船曳孝彦)

新型コロナは定点把握となり、正確な発生数は闇の中(本当はもっと多数であろうと思われます)ですが、最新の新患者数は1調査施設当たり2.86人で前週比0.88倍と連続して低下しております。感染症分類5類となり、5月の定点把握方式に転換してから、徐々に増加してきていましたが、8,9月をピークに減少してきました。後に述べますが、インフルエンザ並みから、逆にインフルエンザに越されてしまいました。しかし今なお私を含め親族やごく身近にコロナ感染者が多いのが実感です。そして重症者は多くありません。

COVID19が発生し2020年1月に日本に上陸して以来、政府はPCR検査を制限し、診療も帰国者外来などに限定した結果、一般医療機関はコロナ診療を拒否するという流れが出てきて国民皆保険の土台が崩れ、第6波の大流行時に医療機関がパンクすると、自己検査という国民皆保険とは全く相容れない体制に移行しました。早期治療の遅れ、防疫面でのとんでもない大ダメージがもたらされました。自宅待機者の重症化死亡が出た時点で、あるいは感染者数全数把握を放棄した時点で、政府は国民を見捨てたと見ても良いように思えます。厚労省、日本医師会は、パンデミック感染症という事態に正面から向き合わずその場しのぎでやってきました。患者数や変異株の変遷、ワクチン接種、治療薬の評価など、全国的にきちんとしたマクロデータを後世に残すべき責任がありました。

コロナの注目度が下がり、医療支援はどんどん縮小されていますが、コロナの場合Brain-Fogと呼ばれる後遺症(科学的分析が始まっています)が問題ですので、もし罹ったらコロナ新薬でしっかり治療して下さい。

変わって猛威と言ってもよい位の勢いがインフルエンザです。前回も書きましたが、通常11,12月から流行し始めるものが8月に始まったのは異例のことで、学級閉鎖も頻発(最新3751施設)しており、まだ増え続けております。1定点での陽性率がコロナを上回り、16.41人(前週比1.48倍、愛媛県では39.9人と地域差は大です)と、コロナの5.7倍です。コロナの期間中の2年間、インフルエンザは下火でした。コロナ感染対策がインフルにも有効だったとも考えられ、コロナ対策が緩んだ途端に、インフルに対する免疫が低下していた国民に広がっていったと見られています。新たな外来種ウィルスかもしれません。アメリカではさらにRSウィルスとのトリプルデミックが心配されています。インフルエンザに罹らぬようマスクなどの対策とともに、コロナワクチンに加えてインフルワクチンも接種して下さい。私も実は昨日打ってもらいました。

エーガ愛好会 (239)ジュディ・ガーランド 補足  

(安田)レネー・ゼルウィガー主演映画は観ていない、ジュディ・ガーランド本人が32歳の時主演した映画「スタア誕生」1954年公開 を観たことがある。子役時代の「オズの魔法使い」も観た。
ジュディは身長151cmの小柄な女性。片やレネーはノルウェ―系アメリカ人で身長は15cm位高い、外見は好対照。ジュディを一躍有名にした16歳の時の映画「オズの魔法使い」1939年(あの風と共に去りぬが公開されたのと同じ年)も観たが、役の上では小柄でキラキラした明るいアメリカ娘で、4歳年上で1930年代名子役として名を馳せたシャーリー・テンプルをも彷彿とさせた。ただ、二人の成人後の人生の明暗は際立っていた。ジュディの短い人生(享年47)は映画で演じた役とは、私生活では真反対の暗く辛い薬物に苛まれた不幸な人生だった。
ジュディは物心つく頃から、夫婦仲の良くない舞台演劇者の父親とピアニストの母親の両親の末娘(三女)としてショービジネスをさせられていた。母親から「舞台に立たなければ折檻するぞ」と脅かされて育った。体質的に太りやすかった彼女は10歳頃よりダイエット薬として覚醒剤(アンフェタミン)を常用するようになる。これは合法の強壮剤で、舞台の上でエネルギッシュにパーフォーマンスが出来るように母親に強要されたものだった。「オズの魔法使い」の主演ドロシー子役としては歳をとり過ぎ、大人の女優としては若すぎるジュディの扱いに困り果てたMGMはダイエットをさせ子役の年齢にふさわしいより小柄に見える姿に無理やりさせたのだった。爾来、睡眠剤の過剰摂取で死を迎える47歳までの私生活では、覚醒作用のある薬物と鎮静作用のある薬物による処方薬への薬物依存と、重度のアルコール依存症に見舞われ、度重なる自殺未遂と薬物騒動を起こしながらも不死鳥のように「オズの魔法使い」、「スタア誕生」、「ニュールンベルグ裁判」といった名作で輝かしく蘇り、伝説的女優として語り継がれる彼女は薬漬けの人生を薬で終えることとなった。そこには、この天才少女を10代の頃から馬車馬のように働かせるため薬物を与え続けた毒母の存在があった。毒両親の犠牲になった天才女優の伝記映画は観るに忍びない気もする。
不幸極まりないジュディの私生活であったが、映画鑑賞者としては彼女の歌唱力・演技力に十二分に楽しませてもらった。不世出の天才女優のひとりだと思う。5回の結婚をして、二人目の夫がイタリア系アメリカ人の映画監督のヴィンセント・ミネリ、二人の娘がライザ・ミネリ。母親から歌唱力の素晴らしいDNNを受け継いだのは間違いない。両眼の間が結構広い顔立ちは母娘そっくりだ。
「虹の彼方に」でジュディ役を演じたレネー・ゼルウィガーは彼女のデビュー直後(1990年代)から気になっている女優で、「ザ・エージェント」(トム・クルーズと共演)、「ブリジット・ジョーンズの日記」シリーズ、「シカゴ」、「コールド・マウンテン」(アカデミー助演女優賞受賞)を観ています。彼女がどんなジュディ・ガーランドを演じたのか大変興味がある。チャンスがあればこの映画を観たいと思う。

(飯田)

映画「ジュディ 虹の彼方に」は観ていませんが、小泉さんの解説と鑑賞後の評論並びに安田さんのジュディ・ガーランドに纏わるエピソード&評価を読ませて頂きました。

ジュディ・ガーランド出演映画の評価については、私も安田さんの評価と略同じですが、彼女の主演映画で「イースター・パレード」(1948年)はミュージカル映画として忘れられない作品です。もう一つ、ジュディ・ガーランドについては、私は6~7年ほど前に娘家族が住んでいたセントルイス(ミズリー州)に約1カ月滞在したことがあり、そこからカンザス・シティなどへ足を延ばしていた頃、彼女がセントルイスやカンザス・シティで、特に人気があったことを知りました。その理由の一つは、彼女の主演する映画「Meet Me in St.Louis(邦題:若葉の頃)」の舞台がこの地方であったためでした。

後日に、娘からビデオを送ってもらったのですが、スーパーインポーズの無い英語版でした(添付はビデオのカバー写真)。この映画1903年から04年、セントルイス万国博覧会を控えた古き良き時代のアメリカ、セントルイスを舞台に、中流家庭のゆったりとした4つの季節の情景を、美しいカラー映像で描写したミュージカル映画。日本では知る人ぞ知る作品ですが、アメリカでは公開当時、第2次世界大戦の暗い世相に疲れた人々の心に琴線に触れ大ヒット。現在でも、ミュージカル映画の枠を超えた、不朽の名作の一つに数えられています。

(菅原)飯田 さん、懐かしの、マーガレット・オブライエン!

 

”情報の氾濫” 記事について   (44 安田耕太郎)

アナログからデジタルへの移行、ITの革命的普及、コミュニケーションと情報伝達の手段の変革と多様性は種々な問題を惹起しています。とりあえずのフィードバックという感じで幾つか思い浮かんだ事柄を順不同に述べます。
(1)表意文字としての日本語の表現力の豊かさは再度強調するまでもありませんが、表音文字の世界の場合、表現力はそれほど豊かで、深くはないように思われますが、正直言って分かりません。単に僕自身の理解が不足しているだけかもと感じる次第です。
(2)アメリカを足繁く訪れた際、Critical Thinking!(批判的思考) Independent Thinking!(自立的思考)の重要性を口を酸っぱく強調されました。でもその意味内容が正しく理解されているか?、とりわけ現代のい世代には・・・。危うさを感じています。中途半端な理解でファッションとして、表面的に上滑りをしているだけではないのかと・・・・、思う時があります。
(3)それとの関連で、新しいメディア、ツールに関しても全面的には信用はしていません。本当かな?そう断言できるのだろうか? そうはいっても・・・、という留保や異論反と疑問が常に付きまとっています。僕自身の猜疑心や批判精神も反映しているとは思いますが。フェイクニュースの類の危うさも然りです。
(4)海外でPh. D.をとった人や留学帰り人の中にも基本的な問題意識が希薄で単なる語学使いと思わざるを得ない人も散見されます。                       
(編集子)以前に議論した 英語教育の問題 にも関係する話題である。海外の諸事情に詳しい方々のご意見をうかがえるとありがたい。